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死に神の奏でる物語

ゼラニウム

作者: 叶 葉


「その花を一輪ください」


彼女は僕の持つバケツに入った白いゼラニウムを指した。

眩しい真夏の逆光を背負った彼女に、目を眇めて返事をした。

「贈り物ですか?」

「いいえ、自分用」

彼女が余りに穏やかに微笑むものだから、つい言ってしまったのだ。

「では、これは僕から贈ります」

彼女は驚いた後に寂しげに笑み、ありがとう、と言った。



白いゼラニウムの花言葉は《私は貴方の愛を信じない》———。



彼女とはそんな始まりだった。




夏の、

眩しい日差しに眩まされるような彼女との逢瀬は、僕のマンションが定番の場所だった。彼女は既婚者だったからだ。

彼女は転勤族の夫に着いて、日本と言わず、アジア圏を行ったり来たりしていると言っていた。

親しい知り合いも居らず、ふらっと立ち寄った花屋で僕のような悪い男に捕まったのだ。

彼女とは週に一度。僕の店の定休日、火曜の朝十時から夕方の十六時までの僅かな時間の関係だった。

初めて会ったのが、七月の半ば。彼女はまた十月には居なくなる。

最初から終わりが決まった関係だったのだ。


あれは九月辺りだっただろうか。

白いシーツに欲望の残滓を刻んだ後、彼女は白い裸体をそこに投げ出して微睡んでいた。

僕は彼女の陶器のような美しい背中に赤い花を一輪散らした。

「困るわ……」

憂いを持って言う。

「本当に困ると思っているなら僕の前でそんな格好ではいない事だ」

彼女の柔らかな髪を掻き分けて矢張り白い頸へもう一輪赤い花を手向けた。

完璧な彼女を穢す事に陶酔していたのだと思う。



そして、十月———。


雨がフロントガラスを打つ。

窓は車外との温度差で曇っている。

ワイパーで雨を払いながらエアコンの調整をする。

前方の信号が赤に変わる。

ゆっくり停車させた車。

交差点を行き交う雑踏。

僕は一人だった。

偽りの言葉は幾らでも言えた筈だった。それが僕にとっての本当の火遊びであるならば。

彼女には最初の白いゼラニウムのみ。


歩行者用の信号が点滅する。

不意に足早に過ぎる人混みの中に彼女を見た。振り返る彼女。

彼女が差す、黒い傘。

下半分しか見えない顔。

口元には、あの日の穏やかな微笑みが浮かんでいる。


出来る事なら今すぐ抱き寄せたい。


しかし彼女は隣に立つ、恐らく彼女の夫に優しく抱き寄せられて消えて行った。



秋の冷たい雨がフロントガラスに降り注ぐ。

ハンドルに項垂れる。

後ろの車が鳴らすクラクションが頭に響いた。

信号は、とうに青に変わっていた。

アクセルを踏み、車は走り出す。

窓を少し開けると、冷たい風が車内に吹き込む。

咥えた煙草に火を着けて、肺まで吸い込んだ。立ち昇る煙に目を細める。


《私は貴方の愛を信じない》


なんだ、僕の言葉じゃないか。









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