無名の宝石
私は1人の男に恋をした。
その男の名前はない。
名前も、年齢も、血液型も、職業も、
その男に関しての真実は何一つない。
そんな曖昧極まりない男に恋をする女の話。
出会いは唐突だった。
それは出会いとも呼べない、風のイタズラに運んできたような、神様の気まぐれのような、突然の事だった。
ありとあらゆるネット世界になった子の世の中。
都会では色んな人々が下を向き、本当に首が折れ曲がりそうだと思う。
彼らにはこの世界がモノトーンのように見えているのだろうか。
少なくとも私にはそうみえる。
きっと彼らがみてる世界の色はスマートホンというこの物体の中にある。
ネットに精神を奪われてしまっているのだ。
まるで幽体離脱し体だけ動く人形のようで気味が悪い。
すれ違いざまにぶつかろうが、足をふもうが生気を失った殻のような顔をしている。
そんな世界をデパートの5階の窓際のカフェの端の席。
そこで好きな音楽を聴きながら眺める女がいた。
女の名前は上月泉奈(かみつき、みずな)
彼女は定期的にここに来ては好きなカフェラテを飲みながら色んな感情にひたっている。
彼女の日課と言っても過言ではない。
彼女は年相応の思考をもちあわせてはいなかった。
どこか達観したような、既に経験したような、デジャヴような、
そんなものがいつも彼女にまとわりつく。
彼女もそれらが一体何なのか分からずにいた。
全てこの異常な世界が原因だと思い込んでいた。
それ故に、自分もどこか狂ってしまったのだと。
彼女はこの世界にとけ込めずにいた。
むしろ、この世界に溶け込むのが嫌だったのだ。
彼女の瞳には空は青く、雲は白く、木は緑に見える他に特殊な色が見えていた。
それは人のオーラの色がみえるということ。
例えば喜んでいる人は明るい黄色やオレンジ系統の色。
悲しんでいる人はインクブルーのようなしんみりした重い色。
そして今にも自殺しそうな人は真っ黒のトゲトゲした危ない色。
この色のせいで、彼女はずっと苦しんでいた。
人間関係を築こうにもこの色が邪魔で壊れることが大半だった。
子供の頃、相手の気持ちがわかる事をそのまま素直に口にして気味悪がられた経験がある。
なぜわかるのか?
どこまでわかっているのか?
人間はありえないものに出会うと恐怖し攻撃的になる傾向がある。
彼女はその的の格好の餌食だった。
彼女の学生時代は悲惨だ。
一般的ないじめなどではない。
その特異的なオーラに誰もが近づけないのだ。
彼女がどんなに柔らかい雰囲気作りや話すきっかけを作っても、結局はバレて滲み出て離れていった。
次第に彼女は交流を辞めてしまう。
その時、彼女は交流を辞める代わりに観察を始める。
日々、人々がどのように交流し
どのように笑い
どのように泣き
どのように生きるのか。
そこで彼女に希望が生まれる。
彼女を一番惹きつけたもの、それは。
「愛」
本当に単純に聞こえるが彼女にはとてつもない深い、どうしようもないものに思えた。
街を歩けば男女がじゃれあい、お互いを愛しく思い求めあっている。
彼女には求められるという経験がない。
むしろ、厄介者扱いや除外されることに慣れすぎたのだ。
人の温度を彼女はまだ知らない。
だが、人は恋をし愛を育み歴史を紡いできた。
その綺麗な流れこそ彼女がこの世界で唯一好きだと言える部分でもあった。
愛については文章や哲学的には理解はしていた。
でも実体験は愚か、その片隅にも触れたことがないのだ。
脳は理解を進めるが体験はなく信憑性がない。
いつも雲の上の話、おとぎ話のような架空のものだと感じるほどに遠い話だった。
そんな彼女に、気まぐれのごとく春風が囁く。
それは彼女が大学二年生の春のことだった。
どこへ行っても、中身を変えても、全く面白みのない同じ世界。
その概念が変わることになるなんて
とても想像出来ることではなかった。