4《彼女が口にした言葉が胸の骨を伝わった》
彼女の気配が変わったとき、僕は唐突とさえ感じた。しばらく原因に気づかなかった。ましてや自分に原因があるなどとは。
静かなまなざしに追われて、ロゴスは後ろ手にじりじりとシーツの上をあとずさっていた。
視線が固定されたようにお互いから離せず、ロゴスだけが緊張を覚えていた。
パルティタに作為はなかった、おそらく。独りで生きてゆけない弱い人間が優しい人間を嗅ぎ分けるように、彼女もそれを嗅ぎ分け、自分を守る本能的な行動にでた。それが事実なのだろう。彼女からは計算された言葉も動作も、感じ取れなかったのだから。
ミスを犯したのは僕で、致命的なものだった。
この聡い従姉の前で、気を許してしまった、という油断。
そうして彼女は見つけた。
僕の中に、自分への好意を―――
「ロゴス」
消え入りそうな細い声が、静寂の中、肌を打つように響いた。
奇妙な迫力が生じていた。声に、まなざしに、その気配に。男のロゴスが女のパルティタに逆らいがたいものを感じる。
異教の巫女が神をその身に降ろしたとき、信者はあるいはこんな畏怖を覚えるのかもしれないとロゴスは思った。
「……はい」
「私は家族を好きなように、ロゴスのことも好きよ」
「……それはどうも」
「ロゴス」
「……はい」
「私は」
「……なんでしょうか」
「死にたくない」
「……」
「私の死を望まないで」
「……」
「私がどうであっても望まないで」
「……疑うなということなら無理です」
ベッドの端までゆっくりと四つん這いでロゴスを追いつめたパルティタは、それ以上動くことのできない年下の少年を正面から清らかな瞳で捉えて、疑ってもいい、と憂いと熱を滲ませた。
「疑ってもいい。私は違うから。でも、疑ってたどりついたあなたの答えが、あなたを殺そうとした人間のままだったら……あなたを殺そうとした人間のままだったとしても―――私の味方でいて」
「…………」
感情がのどの奥で急激にふくれ上がった気がした。ロゴスは息を大きく吸い込んで、吐きだせなかった。
冗談ではない。彼女は暗殺計画に関わっている。自覚がなくても、確実に。この僕が自分を殺そうとした人間の味方になどなれるはずがない。
何度も云った。そもそも婚約など覚えがない、と。王位継承者の暗殺計画に関わっておきながら、記憶の喪失を理由に無罪を主張する矛盾と浅はかさを、あげ連ねて非難してやりたかった―――
彼女がただ、権力欲にまみれた人間であるだけだったなら。
耳に馴染みつつある穏やかで透明な声が、湿り気を持って響いた。
「……答えてくれないの?」
答えられなかった。
「ロゴス……どうして」
さびしい子供のように、彼女が首をかしげる。その様子が、僕は……多分、愛しかった。
感情が自分の思考と信念を裏切っている。ロゴスの頭脳は容易に未来を予測する。感情にふりまわされた己の結末が見えた気がした。
たまらない、と思った。
鈍る動きを叱咤しながら、ロゴスは必死に崩れそうな表情を組み立て直す。
呻きたい気分で、精神へかかる負荷の量を考えたとき、彼女ではないパルティタが脳裏をかすめた。あの腹に一物を持った油断ならない従姉ならきっと、こんな気分を幾度も味わってきたに違いない。想像はストレスを減らす。ただの立場のすり替えではあるが、自分に脅威を感じさせた手強い相手の窮地は少し愉快だった。
「……わかりました。僕は君の、味方です。君がたとえ、過去に叔父に逆らえないでいたのだとしても」
うまく笑えているか? 不安を押し隠すロゴスの姿を捉えて、パルティタが瞳を細め、こぼれるような
親しみを優しい容貌に浮かべた。安堵したようにやわらかな動きで、ロゴスの胸に額を押しつける。
ロゴスにはスキンシップというものが、従兄弟という間柄においてどの程度を境目にするのかよくわからない。いや、この場合婚約者なのかもしれないが。ただパルティタの動作は気軽で自然に感じられた。
預けられた頭の温かな重みがロゴスの身体にかかる。
ありがとう。
彼女が口にした言葉が胸の骨を伝わった。