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リトモマキア  作者: 言代ねむ
3/5

3《心弱い女性を演じるなら、もっとあからさまでいいのではないのか》

 パルティタは秀麗に片眉をひそめてロゴスを疑った。ロゴスは構えたが、睨みあったパルティタはやがて視線を落として疑いを自分に向けた。


「オプト……そう、オプトを私は……」


 鈍い動きでパルティタはベッドを降りる。焦点を定めない目付きで、右足をひきずりながらどこかへ行こうとする。

 不審な行動を観察していたロゴスは、自分の役割を思いだして、あわててベッドから降りると、パルティタの腕を後ろからつかんだ。


「寝ぼけてますね、パルティタ。移動するときは僕も一緒でないと許可できないと云ったはずです」


 力加減せずつかんだせいか、眉根をよせてパルティタがロゴスを顧みた。


「……じゃあ、ロゴスも来て」


「どこへですか」


 オプトの所へ、と云う。

 ロゴスの不信感がつのる。


「……なんの用があるのですか?」


「会いたい。顔を見て、声が聞きたい」


 どんな冗談だ、それは。ロゴスはそう思って、遠慮なく顔を歪めた。まるですぐ隣の部屋にでもいるような口ぶりだが、オプトはこの屋敷にいない。パルティタの叔父とは別の場所で、監禁されている。


「一人だったから。夢の中で……誰かにいてほしかったから。……それがオプトだったなら、会いたい」


 水の底に澱が溜まるように表情が暗くなっていく。演技にしては、見せる対象の感覚に左右されそうな微妙さにロゴスは思える。心弱い女性を演じるなら、もっとあからさまでいいのではないのか。


「いまは夜中ですよ」


 ロゴスが云って、彼女と目があう。


「オプトは眠っています。幼児を揺り起こすつもりですか。明日会えば良いでしょう」


 寝ぼけているのか、寝ぼけているふりなのか判断がつかなかったが、あえて問い正すことはしないで諭した。

 年下の少年に良識を求められ、パルティタはその場で途方に暮れた。身体こそは十七歳のパルティタが、自分より小柄な十五歳のロゴスを前に、幼い子供のような風情だった。

 ぐい、とロゴスはつかんだ腕を本人の背後にひいた。


「行くあてなどないのですから、戻ってください」


 ぴしりと命じたロゴスに、命令され慣れない王女は唖然として、私、犬じゃないのよ、とうなだれた。




 パルティタはおとなしくシーツの間に身体を滑り込ませた。うなされるほどの夢と、そこから救ってくれるはずだった弟に会えない状況。プライドの高いこの少女が普段より従順なのは、気持ちが沈んでいるからに違いなかった。

 早く眠ってくれるといいが、とロゴスは願い隣に潜り込む。枕に頭を落としたところで、自分へ向けられた大きな二つの瞳とぶつかった。


「ロゴスも眠るの」


「当然です。君のせいで起こされたのですから」


 シーツをひき上げ身体の位置を直すロゴスを、幼児のようなじっとりとした上目づかいで窺っていたパルティタは、嘘じゃないの、と云った。


「……なぜそんなことを」


 そんな感じがしたから。彼女はぽつりと返した。それに……ほら、とシーツの下でロゴスの二の腕をつかむ。


「冷たいよ、ロゴスの身体」


 ロゴスとパルティタの視線がからんで凍りついた。

 少女が少年の目の奥から隠された情報を拾い上げる。

 生まれた沈黙を少女が破った。


「私を、監視していたの?」


 冷え冷えとした半眼を受け止め、ロゴスは相手の聡さをうとんだ。人格が入れ替わったようでも、生まれ持った優秀さまで変わることはないようだ。


 どう切り抜けたものか。


 もう少しだけ様子を見ることにした。


「うなされてる間の私も、あなたにとっては監視対象でしかなかったわけね……」


 感情を押し殺した声をパルティタが静かに震わせた。ロゴスには思いがけないことだった。皺をよせてしぼるように閉じた瞼の端から、涙が一筋捨てられた。


「嘘吐き。あなたの中には一欠片も私を婚約者と思いやる気持ちがないじゃない」


 ロゴスの二の腕が、華奢な指で徐々にしめ上げられていった。


「……痛いです、パルティタ」


 痛いです、ともう一度云って、ロゴスはゆるむ気配のない彼女の指を自分の二の腕からひき剥がす。力を入れすぎていたかもしれない。シーツが跳ね上がり、パルティタの顔が苦痛に歪む。だがロゴスは力を加減をすることができなかった。やわらかな指をしっかりにぎり込んだ手が、独立した生き物のように勝手に動いて、自分より弱い生き物をいたぶることを喜んでいるようだった。

 パルティタの指先が、自分の親指と人差し指の間で色を変えていくのをロゴスは見た。彼女は呻いたが、言葉にしては訴えなかった。ロゴスは血液の循環を止めた状態の先にあるものが、部分的な身体の死であるという認識を頭の遠くに、年若い従姉のほっそりした骨と肉の感触に集中していた。

 濡れた頬がロゴスの視界に入った。自分の吸い込む空気に、他人の体温が移り涙の匂いが混じる。

 他人とこれほど近い距離にあって揉めるという体験は初めてかもしれない。

 ロゴスは自分に親しい間柄の人間が存在しないことを改めて実感する。そもそも高い身分のために対等な立場の相手が少ないところへ、独りを好む性格が手伝って友人と呼べる相手を作ってこなかった。一人きりの兄弟にしても、年齢が離れていたせいか話があわなかった。

 自分がパルティタを騙すために最初に使った言葉を、ロゴスは思いだす。


 ―――君を僕の婚約者と認めます。


「婚約者です、君は僕の」


 痛みに顔をしかめるパルティタが、まつ毛に涙の滴をのせてロゴスを見た。


「パルティタ、君の勘違いです。僕はうなされる君をどう起こしていいのかわからなかっただけです」


 パルティタの手を解放した。

 痛めた指をかばって彼女は放心していたが、やがて疲れ切った顔でほほえんだ。まとまりを失い霧散しそうな、淡く弱く、そして他になんの含みもない純粋なほほえみだった。


「眠ってください。君は疲れています」


 そう言葉をかけてから、思いついてシーツを彼女の肩にかけてやる。ロゴスの行動は、誰かが語って聞かせたなにかしらの話の記憶をなぞっているだけだった。

 パルティタの笑みが深くなった。満足したように一度目を閉じると、今度は陰りを含んだ。


「……あなたは、私があなたへの暗殺計画に関わっていたのではないかと疑っているのね。本当に計画を知っていて黙っていたなら、どうするの」


「正式に裁きを受けてもらいます」


「裁き……ね。次代の王の暗殺計画に関わったなら死刑になるんでしょうね」


 必要のない確認は前置きだ。会話が嫌な方向へ進められている、とロゴスは感じた。しかし話をそらしたところで、彼女が追求を止めることはないだろう。


「……なるでしょうね」


 たとえそれが本当の婚約者だとしても。


「ロゴスは、私が暗殺計画を知っていて黙っていたなら死んでほしい?」


 ほら、きた。


 突きつけられた問いに、ロゴスの立場では答えられない。


「本当に知らないでいたのなら、その答えは必要ありません」


「私はロゴスの気持ちを尋ねているの」


 やはりひき下がらない。ロゴスは苦々しく思う。

 そんなことには答えられない。僕は君のうわべの婚約者で、次期王位継承者としては敵だ。答えをはっきりさせてしまったら、どちらかの自分を君の前で封じなければならない。

 だからいまここでの返事は、イエスであってもノーであってもならない。


「わかりません」


「そんな答えはやめて!」


 パルティタは普段の落ち着きを失って声を荒くする。眉間に深い皺が現れて、それを傷のように感じる僕がいる。顔を突きあわせていることに耐えられなくなったパルティタが身体を起こして、その傷は遠ざかった。美しい顔の中心で白い肌に刻まれる傷をロゴスは見上げる。


「私は知らなかった! 知っていたなら、絶対に叔父様をとめていた。とめなかったはずがない! なのにあなたは、私を疑う……まるでいつも……」


 彼女ではなく、見つめる僕が痛かった。


 ―――僕が。


 ロゴスが不意にとった行動に、パルティタが動揺して身をひいた。青い瞳を丸くして、口をひき結んで眼前にある指先を見て、ロゴスの顔に視線を落とした。


「……なに」


 眉間に触れられた理由がわからず、混乱する様子がロゴスにはほほえましかった。


「君の眉間の皺は見たくありません。僕が痛いですから」


 せっかく皺を消した眉間に、パルティタがまた眉根をよせる。


「痛いって……なに。あなたの心? 私をあざむいているから」


「おかしなことを云っていますよ、パルティタ。心なんて誰にもわかるものじゃありません……」


 ロゴスは少し笑む。


「僕にも、僕の本心はわかりません。……これで許してください。いまの僕には答えようがない」


 彼女が目を見開いて心を空白にするのがわかった。眉間から皺が消えて、ロゴスはほっとしている。

 僕は大きな失敗を、した。





 ある日、住み慣れた屋敷で昼日中に、正体のわからぬ侵入者たちによって父親が身体を斜めに斬り裂かれた。僕は赤い色が壁に飛び散るのを物陰で身をすくめて眺めた。

 またある日、食事の最中にテーブルの足元でおこぼれを待つ犬たちにパンや肉を投げていると、隣で行儀良く食事を取っていた兄が、喉をかきむしって床に倒れて死んだ。

 溺愛していた長男を目前で失った母は、それ以来、自分にもう一人息子がいたことなど忘れてぼんやりと屋敷を徘徊するようになった。

 古くからの従者が僕に尋ねる。お泣きにならないのですか、と。僕は答える。次は自分の番だとわかるのに、そんな余裕などあるものか、と。


 私は従者に矢継ぎ早に命じた。


「母上を別宅にお連れしてそこから出すな。ここに居てもらっては邪魔になる。今から私の従者はお前だけだ。他は全員解雇する。新しく人を補充するなら、お前の身内にしろ。身元のはっきりした者だけだ。そして必ず親なり子供なり、別の場所で雇い入れる形にして、人質に取れ。必ず、だ。……それから伯父や従兄弟たちの下で働いているお前の身内や知人はいるか? 周囲に知られないよう接触し、金で話を付けて主人たちの動向を探らせろ。知人がいなければ、身元を偽らせて送り込め。それも無理なら、女なり男なりを使用人にあてがえ。手の内の者として使えるようになったら、隠せる武器を一つ持たせておけ。いつでも人一人、僕の命令を受けて殺せる準備だ」


 ―――世界が、僕の目が、僕自身が、歪んでいく。


 でも死にたくない。

 死にたくない。

 あんな酷い最後で、汚物のように、塵のように消されたくない。

 生き残る。僕は生き残る。


 危険なすべてを踏みしめるために―――僕は、王にならなくてはいけない。









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