2《僕の死を望んでいるとわかる言葉を吐いてほしい》
「どうなさるのですか」
パルティタを屋敷の一室に監禁して、足音荒く廊下を進むロゴスに古くからの従者がおいすがった。
「化けの皮を剥いでやる」
若い主人の鋭い語気に、従者が息をのむ。
「……剥いだあとはどうなさるのですか」
「僕がどうすることでもない。嘘がはっきりした時点で正式な場所へひき渡す」
痛ましげに従者が首を横にふった。
「それでは事実上の死刑執行です……。よろしいのですか。パルティタさまとは、仲良くしていらっしゃったのに」
ロゴスの歩く速度がゆっくりと落ちた。
「……僕とパルティタは、四年前にリトモマキアの勝負をしたことがあるというだけの間柄だ」
月明かりを斜めから受けてシーツの中に見るその寝顔は、胸に迫るほど白かった。こめかみにうっすらと透明な汗を滲ませて、眉間に痛ましいほど深く皺をよせている。ロゴスは線の細い整った顔に皺が残ることを恐れて、伸ばしてやろうと隣に眠る相手にゆるやかに右手を伸ばしていた。
意味として変換できないくぐもった音が、血の気の薄い唇の隙間からかすかに流れた。ロゴスは我に返って、皺に触れる寸前だった指先をひっ込める。
覚醒させてしまっただろうか。
鋭く目を向けるが、相手は変わらず苦しげに瞼をかたく閉ざしている。
胸をなでおろす。目覚められては困る。僕はいま、無意識の君を監視しているのだから。
……もう一度なにか喋ってくれないだろうか。
見下ろして、思う。自分の婚約者だと云い張る相手の寝言を、ロゴスは今夜になって初めて聞いた。
いっそ彼女の主張を受け入れたふりで、自分の側におくことを考えたのは一昨日のことだ。それからずっとパルティタを片時も離さずにいる。嘘を暴くには、近くで常に観察するのが早道だ。
もし本当に記憶を欠落させているのだとしても、そんなことで人間の本質が変わるとも思えない。従弟を殺そうとしたことを忘れたなら、これからまた殺すことを考えるのだろう。
パルティタは婚約者らしい扱いを要求する。その一端が、ロゴスと一緒のベッドで眠ることで、一緒に食事をとることで、一緒に庭を散歩することである。
大勢の人間に囲まれて談笑をして過ごすより、独りで物事を深く考えることが好きなロゴスにとって、現状はまったく鬱陶しいものだった。短期間で決着をつけてしまいたいので、こうして睡眠時間を惜しんで彼女を観察している。
ロゴスはパルティタが計算高い人間である証拠を求めている。眠る彼女に暗殺を知っていたとしか思えない言葉を吐いてほしい。僕の死を望んでいるとわかる言葉を吐いてほしい。日中の彼女は素直で善良で、ちっともこの希望を叶えてくれないのだから。
相手と同じベッドの中にある身体を注意深く低くして、ロゴスは唇に耳をよせた。
う、とか、あ、とか言葉に聞こえないものが呼吸に混じる。
聞き取れていないだけの可能性も考えて、更に耳をよせた。単語を拾いあげたと思った次の瞬間、ロゴスは自分の小さな失敗に驚いて飛び退いた。飛び退いてから、自分の反応の激しさにも驚いた。
事実としては唇が触れただけだった、おそらく。温度のあるやわらかな感触が耳と接した、それだけでロゴスは観察するべき相手から逃げてしまったのだ。
かばうように右手で耳を覆って、茫然と相手を見つめた。
当然この騒ぎで、パルティタがロゴスが恐れたままに眠りから覚めた。
長いまつ毛にふちどられた瞼がはね上がり、宝石に似ていながら無機質ではなく、生命の瑞々しさを持った青い瞳が現われた。迷うように左右にふられて、目尻で動きを止める。ロゴスの影が映り込んだ。
パルティタがこちらの動作に不審を抱かないよう、心がけて少しずつ右腕を耳から下ろした。息をひそめてかたわらで観察していたことに、ロゴスは気づかせない。
「うなされていましたよ、婚約者殿」
ロゴス……、とパルティタが首をまわして年下の従弟に顔を向けた。瞼を緊張でひき上げているために瞳は円に近く、本物の人形のような印象だ。
なにか云いだす前にロゴスは言葉を重ねる。
「寝言で起こされました。どんな夢を見ていたのですか」
予定は狂ったが、反応だけでも試しておこうと考えた。重要な言葉は拾えなかったが、こうなっては仕方がない。いくらか効果を期待できる会話の流れを数パターン組み立て、聞き取った単語を切りだすタイミングを計る。
その目の前で相手の緊張が崩れた。やわらかな表情を見せ、次に決まり悪そうに目線をずらす。
不意をつかれてロゴスの思考が停止する。
「……誰もいない場所に一人でいるというだけの夢だった。起こして、ごめんなさい」
伏せた目は恥じらっているようだった。
ロゴスの思考はのろのろとした。
嘘だという印象はない。しかし本当だとも思えない。いや、そんなことではなく、僕はいま彼女からなにかを感じなかったか。
ロゴスはしかめっ面になって指を噛む。
彼女の表情から僕はとっさになにかを判断したが、それがなになのか。答えを拾いあげたいのに、頭に入れたはずの情報の動きが悪く、一ヵ所に集まらない。近づけた小さな情報同士が弾けるように飛び散る。
ロゴスは気がつく。これは思考力の低下によるものではない、安全装置が働いているのだ。結論をだしてはならないと、自らの脳が判断している。
「寝言で、呼んでいましたよ」
ロゴスは仕方なく、働かなくなった思考を放置して、前もって組み立てておいた会話パターンから、セリフを記したカードを頭の中に一枚取りだした。
ああ、とパルティタが頬を赤くする。上半身を起こして、シーツから胸の膨らみが淡い影を作るリネンのシャツが現われた。
続く答えを予期したロゴスはかすかにいらだつ。そんな返しかたをされてはまったく期待外れだ。
「そうね。呼んでいた気がする。……側に誰かの影があることに気づいたから」
観念したように、にこりとする。
「あなたを呼んだのでしょう?」
―――は?
ロゴスにとって本日二度目の思考停止だ。
「……いいえ、僕が聞き取ったのは君の弟の名です」
「オプトを?」
思いもかけないという顔をする。考え込むようにパルティタは、自分の顎に軽くにぎった手をあてた。白くやわらかそうな指だった。
「呼んでない……と思う。オプトじゃなかった」
「いえ、確かにそう聞こえました」
「ロゴスだと思うわ。だって目が覚めたとき、あなたがいてほっとしたもの」
掬いあげるように濁りのない瞳を向けて、ロゴスに同意を求める。
ロゴスの思考は続けざまの衝撃にぐらぐらとする。
「……なにか私を試しているの」
パルティタが訝しげに尋ねたが、ロゴスにとってはこちらのセリフだった。
機嫌が悪くなったロゴスは大口を開けて断固否定する。
「間違いありません。君が呼んだのはオプトでした」
それが事実だ。