第玖話 美人は目に付きやすい
学食に移動した二人は、その広さと人の多さに改めて驚かされる。
学校説明会で一度訪れたとは言え、それは休日の事。平日に、それも学校がやっている時間帯に訪れた事は無かったので、その賑わい様に改めて驚かされるのだ。
加えて言うならば、雪緒は今日が初登校であり、土御門はいつもお弁当なので学食に来ない。二人が驚くのもなおの事なのである。
「広いのは知ってたけど、こんなに賑わってるのか」
「聞くところによると、質も量も良いらしいわ」
「え、聞く相手が居たの?」
「あ?」
「すんません調子乗りました」
暗に知り合い居たのと聞けば、土御門は不機嫌そうに雪緒を睨み付けた。
その美人さも相まって睨む表情に迫力がある。
「口には気を付けることね」
「さーせん」
「口には気を付けろと言ったのだけど?」
「すみません」
どうやら軽口は許してくれないらしい。
「ま、良いわ。それより、早く行って来て頂戴。私は席を確保しておくから」
「了解」
返事をして、雪緒は券売機に向かう。
券売機で食券を発券してから、食堂の人に渡して料理を受けとる、という有り触れた方式だ。
それなりの人数で構成された列に列び、順番が来るのを待つ。
こういう待ち時間の間は、いつもならスマホをいじって時間を潰すのだが、生憎とスマホは破損しており、話し相手の土御門も席を確保しに行ったので暇である。
仕方無く、雪緒は待ち時間をぼーっとしてやり過ごし、適当にA定食の食券を購入すると列を外れる。
食堂の人に食券を渡し、料理が出来るまで数分待ち、料理を受け取って土御門を捜す。
人で溢れる食堂内を見渡し、土御門を捜すが、僅か数秒で発見する。
人で溢れる食堂内で、唯一人の居ない空白地帯。いや、その空白地帯にあって、唯一座っている人物が一人居た。そう、土御門仄その人である。
土御門が美人だから近寄りがたい、といったところだろう。
雪緒は、中学時代に土御門とは縁があまりなかったので、本当に雪緒が思ったような理由で人が寄り付かないのかは知らないけれど、周囲の反応を見る限り雪緒の考えは正しいように思える。
本当に、なんでこんな美人と知り合いになったのか。本当に分からない。
雪緒の周囲の男子が「お、おい、あそこ座ってみねぇ?」などと言い始めたので、自分の座る場所が無くなるのも嫌なのでさっさと土御門の元に向かう事にした。
色気よりも食い気である。
迷いの無い足取りで土御門の座る席の目の前に行き、料理の乗った盆を置いてから自分も座る。
躊躇うことなく座った雪緒に、周囲がどよめく。
「お待たせ」
「ええ、待ちくたびれたわ」
「俺が言うのもなんだけど、そんなに待って無いだろ?」
「いいえ、待ったわ」
「十分も経って無いだろ?」
「八分程よ。体感だと一時間だわ」
「お前の体感どうかしてるよ」
そんなに待ち焦がれてたのか、それとも待っている間がそれ程苦痛だったのか。
「冗談よ。それよりも、早く食べちゃいましょう。人の目が多くて、ちょっと落ち着かないから」
「あいよ」
威風堂々とまでは言わないでも、落ち着いた姿勢で雪緒を待っていた土御門は、少なくとも人の目が多くて落ち着きが無かったようには見えなかった。けれど、美人には美人の悩みがあるのだろうと、特に何を言うでも無く頷く雪緒。
雪緒の買ったA定食は生姜焼き定食だった。
豚の生姜焼きに、お味噌汁、お新香にご飯。ありきたりな生姜焼き定食だ。
「いただきます」
「いただきます」
二人は行儀良く食前の挨拶をする。
食前の挨拶をすると、土御門は意外そうな顔で雪緒を見た。
「意外ね。道明寺くん、そういうの言わない人だと思ってた」
「あー……母さんがそういうの煩い人だったからさ。自然と習慣になってるんだわ」
「そうだったの。良いお母様じゃない。大切にするのよ?」
笑顔で言われ、一瞬雪緒は固まってしまう。
大切にしたくとも、もう出来ない。出来る事と言えば仏壇にお供え物をして線香をあげて、お墓参りをしてお墓を綺麗にするくらいだ。
土御門が雪緒と同じクラスになったのは中学三年からだ。知り合いと呼べる仲になったのも、そこから。
つまり、楸が亡くなっている事も知らないのだ。クラスメイトであれば休みの理由も担任が話すだろうけれど、土御門とはクラスが別であった。その上、知り合いですら無かった。
だから、土御門は楸が不慮の事故で亡くなってしまった事を知らない。もう親孝行も出来ない事を知らない。
しかし、それを言ってしまえば場の空気が悪くなる事を雪緒は理解している。土御門が気に病む事も知っている。
「あぁ、言われなくても」
少しの間を空けて、雪緒はそう答えた。どう大事にしろってんだ。そんな悪態は心中に飲み込んで。
雪緒は生姜焼きを口に運ぶ。
定食を食べ始めた雪緒を見て、土御門もお弁当を食べ始める。
ご飯が食べ終わるまで二人は無言だ。
土御門は食事中は極力会話をしないようにしているからで、雪緒は単に話す話題が無いからだ。
沈黙が、少しだけ気まずい。
他に誰か居れば少しは違ったのだろうけれど、互いに知り合いがお互いしか居ないという二人には一緒にお昼を食べてくれる友人が居ないので、その誰かを期待する事は出来ない。
気まずい沈黙の中お昼ご飯を食べ終わる。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
雪緒に少し遅れてから、土御門もお弁当を食べ終わる。
お昼も食べ終わったところで、土御門が雪緒に話を振る。
「そういえば、本当に身体の方は大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だよ。どこも異常は無い」
本当は平安に時間遡航してるし、式鬼神も召喚できるようになってしまったけれど、そんな事を言ってしまえば正気を疑われてしまうので伏せておく。
「……ねえ、道明寺くんはあの山に登ったのよね?」
「どの山の事を言ってるのか分からないけれど、多分土御門の言ってる山で合ってるはず。変な噂の絶えない山の事だろ?」
「えぇ。道明寺くん、またあの山登る予定ある?」
「無いよ。雨に打たれるし雷に打たれるしで、もう散々さ」
「いや、雨に打たれたのも雷に打たれたのも全部道明寺くんが悪いと思うんだけど……ともかく、もう登る予定は無いのね?」
「無いよ。無い無い。しばらくは家族を心配させるような行動は控える予定。夜もコンビニとか行かないくらい」
「夜にコンビニに行くくらいは良いと思うけど……」
「ともかく、極力外出は控える予定」
「そう。なら、良いの」
雪緒の返事を聞くと、土御門は安心したように胸を撫で下ろした。
そんな土御門の様子を見て、雪緒はばつが悪そうに頭を掻くと、そっぽを向きつつ言う。
「あー……悪い。心配してくれてたのか?」
「そりゃあ、心配もするわよ。友達が雷に打たれて入院したって聞いて心配しない人がいると思ーーーーって、ちょっと。何、その心底驚いたみたいな顔? 私ってそんなに薄情に見える?」
「あ、いや、悪い。そういう訳じゃない」
雪緒が驚いたのは、土御門が雪緒の事を友達と言った事だ。
雪緒としては大して接点も無い土御門と友人になったような気がしなかったのだ。中学三年の一年間で離した事はあるけれど、それ程多くはない。
知り合い程度に思っていても、友人だと思っているとは思わなかったのだ。
「てっきり、知り合い程度の関係だと思ってたからさ」
雪緒が正直にそう言えば、土御門は不機嫌そうに眉をひそめる。
「私、友達だと思った人にしか連絡先教えないから」
「え、あ、そうなんだ」
「そうよ。……へぇー、道明寺くんにとって私ってただの知り合いだったんだ。ふーん」
「うっ……」
不機嫌さを隠そうともせずに言う土御門に、雪緒は思わず唸ってしまう。
「友達だと思ってたのは、私だけだったんだー。へー?」
湿度を含めたような視線を受け、雪緒はたじろぐ。
じっと、雪緒を半眼で見詰める土御門に、耐え兼ねた雪緒は一つ溜息を吐く。
「分かった、悪かったよ。ごめんなさい。今日から認識を改めるよ」
「今日から?」
「今から。今からだ。それで良いか?」
それで勘弁してくれという意を込めて聞くも、土御門は納得の行かないご様子。
「……他に何かご所望で?」
「うーん、特に何か所望する物も無いけど……あ、それじゃあ、名前で呼んでくれるかな? 土御門って長いでしょ? それに、名前で呼び合えば友達っぽいでしょう?」
「それくらいならお安いご用だ」
もっと頷きづらい事を要求されると思っていたけれど、名前で呼び合う程度ならお安いご用だ。
それにしても、友達っぽいと言うあたり、それなりに根に持っていそうである。
「それじゃあ、改めて宜しくね、雪緒くん」
「宜しく、仄さん」
「うーん、さん付けはなんだか気色悪いなぁ」
「気色悪いって酷くないか?」
「だって、いつも土御門って呼び捨てだったでしょ? それがいきなりさん付けだよ? 違和感覚えてもしょうがないと思うけど。それに、なんかさん付けされると距離を感じるな」
確かに、名前呼びとは言え、さん付けをされれば距離感を感じるだろう。今まで呼び捨てにされていたのもあり、なおの事だろう。
「分かったよ仄。これでいいか?」
「うん」
雪緒が仄と名前で呼べば、土御門ーー仄は、にこっと嬉しそうに微笑む。
「それにしても、仄が未だに友達の一人もいないっていうのが意外なんだが。中学の頃友達多かっただろ?」
「全員別の高校に行っちゃってね。ここに来たのも、私と雪緒くんと、他数人くらいだよ。その他数人とは接点全くないし、クラスも別だしね。クラスメイトはそれぞれ同じ中学の子と固まっちゃってるし……」
「高校生活初っ端で誰も知り合い居ないのは辛いよなぁ……」
「そう! だから同じクラスに雪緒くんが居るって知ったときは嬉しかったのに! なんで雷に打たれて入院なんてしてるの!」
「俺だって好きで雷に打たれた訳じゃ無いっつうの」
「じゃあなんで雨の日に山なんて登ったの?」
「話すと長い」
「三行で」
「難しいからざっと話す」
三行で説明しろという仄の要求を流し、要点だけをかい摘まんで5分程で説明をする雪緒。
説明をするにつれて仄は段々と不機嫌になっていき、最終的に怨みがましい目を雪緒に向けた。
「そんなくだらない理由で私は一人寂しい思いを強いられた訳ね」
「いや、仄がクラスメイトだなんて知らなかったし、そもそもクラスが違ったら仄知り合い一人も居ない訳だろ? どっちにしろ変わらなくないか?」
「それでも雪緒くんが入院してなかったら私は寂しい思いをしないで済みましたー。雪緒くんに分かる? 休み時間特に何するでも無く本を読む虚しさが。周りの会話が気になって内容全然頭に入ってこないんだから」
「いや、それなら自分から話し掛ければ良かっただろ? 仄なら皆大歓迎だろうし」
「笑止!」
「笑止て……」
「笑わせないでよ雪緒くん。基本的に人見知りの私がそんな事出来る分け無いじゃない」
「自信満々に言うことでは無いな」
誇らしくも無いことを胸を張って言う仄。
誇らしくも無ければ張る胸もそんなに無い。無い無い尽くしだ。
「今ちょっとイラッとしたのだけど、何故かしら?」
「さぁ、俺に聞かれても」
思い当たる節しかない。
「まぁ、良いわ。そういえば、雪緒くんはクラスに馴染めそう? お友達とかは居るのかしら?」
「仄もさっき言ってただろ? この学校に来たのは俺と仄と他数人だって。中学の頃の友達は全員他の学校に行ったよ」
「あら、それなら雪緒くんは私に感謝するべきよ。私が居なかった雪緒くんはお一人様になっていたところなんだから」
「仄も俺に感謝した方が良いぞ。俺が居なかったらクラスでボッチだったんだからな」
しかし、見た目の良さや本人の性格の良さも相まって、仄であれば直ぐにクラスに溶け込むことが出来ただろう。それが遅いか早いか、雪緒が居るか居ないか違いでしかない。
本当に危なかったのは一週間も入院して出遅れてしまった雪緒の方だ。元々人付き合いが苦手な事もあり、クラスに馴染むのに時間をかけたことだろう。
そう考えると、仄が居てくれて本当に良かったとしか言えない。
「止めよう。スタート時点で互いに友人が一人も居ない俺達じゃ、この話は平行線だ」
「そうね、互いに傷口をえぐるだけね」
若干気分を沈めながら二人は不毛な言い争いを終わらせた。
「っと、そろそろ教室戻るか」
「そうね」
時計を見て、そろそろお昼休みが終わりそうになっている事に気付き、二人は食堂を後にした。
教室に戻る間、仄は擦れ違う生徒の視線を集める。
隣に居る雪緒は目に入らないとばかりに仄にばかり視線が集まる。
恐らく、仄の存在が周知される頃には、隣立つ人物にも視線が向くようになることだろう。そうなった場合要らぬやっかみを買うのは目に見えている。そして、そうなるのはそう遠くない話だ。
仄には早急に友人を作ってもらわなくてはと考えながらも、言うことでもないで黙っておく。
仄の事は別に嫌いでは無いけれど、要らぬ苦労が増えるのも御免だ。仄とは、近すぎず遠すぎずの関係を築けて行けたら良いと考えている。
まぁ、仄に友達が出来るのも、そう遠くない話だろう。そこまで心配する事でもない。
それよりも、雪緒は自分に友達が出来るかを考えるべきなのだ。
仄とは違い、雪緒は見目麗しいとは言えない。平々凡々とまではいかないけれど、まぁよく見かける程度の顔だよね、くらいだ。
繁治と楸の持つ目付きの悪さを正当に受け継いでしまったので、雪緒は頗る目付きが悪い。目付きが柔和な祖母譲りの目を持つ明乃とはあまり姉弟とは思われない。
それ程までに目付きが悪いので、あまり人が近寄って来ない。
明乃のような柔和で相手を萎縮させない目付きが良かったと思うけれど、遺伝なのでどうしようもない。
それに、どちらかと言えば楸に似ているので、楸が亡くなった今となってはそれ程嫌ではない。
ともあれ、他人の心配をしている場合ではない。
仄以外の、同性の友人を一人は作っておかないといけない。ただでさえ繁治と明乃には心配をかけさせてしまったのだ。友人の一人でもさっさと作って安心させてあげたいと思う。
早く友達を作らなくてはと思いながらも、人と積極的に関わろうと思うような人間でもないので、特にアクションを起こせる訳もなくその日は終業となった。
果たしてこんな調子で大丈夫なのだろうかと思いながら、雪緒は眠りについた。