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第弐拾伍話 母子水入らず

 楸に抱きしめられてひとしきり泣いた後、雪緒は我に返って恥ずかしそうにそっぽを向いて鼻を(すす)る。


 そんな雪緒を、楸は優しい眼差しで見守る。


「……なんか、ごめん。めっちゃ泣いて……」


「ううん。私こそごめんね。先に死んじゃって」


「それは……」


 俺が護れなかったから。そう言おうとしたけれど、確かに、楸の言う通り当時の自分に何が出来たのかと言われれば、おそらくは何も出来なかった。


 楸を助ける事は叶わず、自分が死んでいたかもしれない。それどころか、最悪二人とも死んでいた可能性だってある。


 それは、雪緒も理解している。けれど、どうして先に死んでしまった楸を責められよう。楸は自殺をした訳でも無く、誰かを助けようとして死んでしまった訳でもない。ただの不慮の事故なのだ。


「……それは、母さんが謝る事じゃないだろ。仕方ない事だったんだから……」


「そうだけどさ。やっぱり、遺して行く事に罪悪感はあるからさ」


「罪悪感があるなら、遺された俺達がどんな気持ちだったか分かれよ」


「そこは、ほら。皆には幸せになってほしいからさ。私の事なんて忘れて幸せになれーって……ならないよね」


「ならない。忘れられる訳無いだろ」


 嫌いな人や関わりが薄い人なら、ふとした拍子に思い出す事はあっても、忘れる事は出来るだろう。けれど、楸は母親だ。家族だ。忘れられる訳が無いし、雪緒にいたっては目の前で死なれているのだ。一生忘れる事などできない。


「あはは、だよね……」


 雪緒の言葉に、楸は苦笑を浮かべる。


「……でも、そうだよね。忘れられないよね。私が忘れられないんだもん、雪緒達なら尚更だよね」


 楸は自身が()かれた場所に目を向ける。


「私も、ずっと皆が気掛かりだった。だから、今日の今日まで現世(ここ)に居座り続けてるんだよね」


 雪緒達が楸の事を引きずっていたように、楸も遺していく家族の事が気掛かりであった。


 だからこそ、無様でも現世(ここ)に居続けた。もう一度、家族に会うために。


「皆元気にやってるかな。泣いてないかな。笑ってるかなって……ずうっと考えてた」


 あれから何年経っただろう。明乃も雪緒も、無事に高校に入学できただろうか? 繁治は元気に仕事をしているだろうか? 怪我をしていないだろうか? 三人は、仲良く暮らしているだろうか? そんな事を、ずっと、ずっと考え続けた。


「私は此処から動けないから、皆の様子を見に行く事は出来なかった。でも、それで良かったかなって思う日もあったの」


「なんで?」


「だって、会ったら未練が残るから。これ以上未練が残ったら、私、ちゃんと成仏出来ない気がしてさ」


 まぁ、結果的に成仏もせずに今日まで幽霊してるけど。なんて言って笑う。


「……俺は、母さんとずっと一緒にいられるならそれでも良い」


「マザコンか! いや、母冥利(みょうり)には尽きるけどね。駄目だよ。このまま残ったら、私幽霊じゃなくて悪霊になっちゃう」


「なら、俺の式鬼になればいい。式鬼になれば、ずっと一緒に……ぶぐっ!?」


 言い募る雪緒の頬を片手で掴み、力を加えて頬を潰す。


ふぁ()ふぁに(なに)ふんだよ(すんだよ)……」


 いきなり頬を掴んでくる楸に、雪緒は文句を言う。


 しかし、楸は掴んだ手を離さないで、雪緒に言い聞かせるように言う。


「式鬼ってのがなんだかは分からないけど、それは多分しちゃいけない事だと思うな。それは、雪緒もちゃんと分かってるでしょ?」


 楸に諭され、雪緒は自分が時雨を式鬼にした時の事を思い出す。


 自分は時雨を式鬼にするのを渋った。それは、人が人を好きに従えるのは違うと思ったからだ。


 それが、母親相手になった途端これだ。大切な存在だったからこそ、もう二度と手放したくない。もう二度と、永遠に別れる悲しみを味わいたくない。


 母親と一緒に居たいという純粋に親を思う子の情念と、二度と母親を失いたくないという雪緒の臆病な心。


 その二つが、雪緒の思考も思想も狂わせた。


 けど、そうだ。式鬼は延命処置なんかじゃない。逝く者を無理矢理に留める、隷属のようなものだ。


 落ち込み、俯く雪緒。


 楸はようやっと手を離し、雪緒の頭をぽんぽんと優しく撫でる。


「雪緒の気持ちは嬉しいけどね。私はもう潮時なの。むしろ、今日までよくもったって自分でも驚きなのよ?」


 言って、自慢げに微笑む。


「それに、ずっと私が此処にいたら、雪緒はまた私に会いに来ちゃうでしょ? それは、多分雪緒にとってはよくない事だと思うな」


 分かってる。雪緒が幽霊を見れるようになり、平凡な生活の裏にある怪異騒動に首を突っ込んでいても、生者と死者は相反する者なのだ。それは、今も昔も変わらない。近しくなっただけで、同じではない。同じようには、居られない。


「それに、それじゃあ雪緒はずっと前に進めないでしょ? お母さんは、雪緒には後ろじゃなくて、前を向いてもらいたいのです」


 楸は、雪緒にとって自分が既に過去だけの存在だという事を理解している。今この場に居る自分はあの頃から何も変わっておらず、最早過去の遺物であるという事を。


 自分と向き合うことは、過去と向き合うこと。それは前進ではなく後退。雪緒にとって、決してためにはならない事だ。


「だから、雪緒はもう前を向いて。過去(わたし)(かて)にしても良いけど、過去(わたし)に縛られちゃ駄目。雪緒は、ちゃんと前を向けるでしょ?」


 諭すように、励ますように、楸は言う。けれど、その言葉の根底には、雪緒に対する信頼が含まれており、雪緒がちゃんと前を向ける事を確信しているようでもあった。


 自分の行動原理は、誰かが傷付くのが嫌だという臆病なものだ。それは、楸の死が大きく影響している。


 しかし、前を向くのであれば、その行動原理も変えなくてはいけないだろう。何時までも臆病な自分のままでは、前には進めない。


 けれど、どうすれば前を向いている事になるのか、雪緒は分からない。多分、そんなに直ぐに見つかるものでも無いのだろうけれど。


「俺にとって前を向くっていうのが、どういう事かは分からないけど……」


 言いながら、雪緒は楸を見る。


「俺を、自分が持ち得なかった勇気だって言ってくれた人がいるんだ」


 多分、その言葉で雪緒は少しだけ前を向くことが出来た。自分の我が儘を、臆病ゆえの行動を、準備不足の無茶を、勇気ある行動だと言った訳ではない。人間、誰しも踏み出す事を躊躇う時がある。その一歩を踏み出した事を、晴明は勇気ある行動だと言ってくれたのだ。


「その人に胸を張れる自分でありたい。その人を安心させられる自分でありたい。……そのために……うん。受け身の俺じゃ駄目なんだと思う」


「じゃあ、どうするの?」


「……分からない。この間勇気と無謀を履き違えるなって怒られたばかりなんだ」


 雪緒がそう言えば、楸はふふっと笑う。


「まだまだこれからね。精進なさい」


「ああ」


 少しだけ茶化したような楸の言葉に、雪緒は笑って頷く。


「それにしても、雪緒その人にべた惚れじゃない。好きなの? 意中の相手なの?」


「ーーなっ、いや、別にそういう訳じゃ……」


 急に核心を突かれ、狼狽してしまう。けれど、その狼狽こそが答えを言っているようなものだと思い至ると、雪緒は口を(つぐ)み、少し考えた後で恥ずかしげに頭を()きながら言う。 


「……うん、多分、べた惚れ」


 雪緒が恥ずかしそうにそう言えば、楸は嬉しそうに黄色い声を上げる。


「きゃーっ! ついに息子に春が来たのね! この間まであんなに小さかった息子に、遂に春が……!!」


 言って、大袈裟に低いところで手を振る楸。


 雪緒は苦笑を浮かべながら楸に言う。


「そんなに小さくないだろ」


「そんな事はどうでも良いのよ! ねね! どんな人? どんな人? 可愛い系? 綺麗系? 年上? 年下?」


「いっぺんに聞くなよ! それに、俺が素直に答えると思うか?」


「冥土の土産に聞かせてよ~!」


「若干洒落にならない洒落を言うな!」


 言いながらも、雪緒は先ほどまでの辛そうな顔ではなく、楽しそうな顔をする。


 楸の言葉で完全に吹っ切れた訳ではない。楸の死を消化するには、まだまだ時間が必要だ。けれど、楸との最後の思い出を更新できる今、辛気臭い顔などしてられない。それに、楸には言いたい事と伝えたい事が山ほどあるのだ。なら、笑顔で話す他無いだろう。


 二人は、昔に戻ったかのように楽しくお喋りをした。


 雪緒の時間は進み、楸の時間は止まっているけれど、それでも、二人の作り出す雰囲気はあの日と変わらない温かさを持っており、あの日から無かった懐かしさを持っていた。


 二人は、気が済むまで話しをした。話したい事も聞きたい事も山ほどあって、決して少しの時間だけでは消化しきれないけれど、それでも、二人は満足のいくまで話しをした。


 二人は、終始笑顔だった。





 話し込み、完全に日が沈んだ頃。結局、少しの時間だけでは語り明かせず、雪緒は一つだけ我が儘を言ってしまった。


「母さんが成仏するまで、また此処でお喋りしないか?」


 楸は少し困ったような顔をしたけれど、成仏するまでにはまだ幾らか時間が在る。それに、楸もまだまだ話し足りないと思ってしまっていた。


 親として、可愛い息子ともう少し話をしていと、欲が出てしまったのだ。


 楸は雪緒の我が儘(おねがい)に、頷いた。


 頷いた楸を見て、雪緒は嬉しそうにしながらまた来るからと言って帰って行った。


 手を振る雪緒に手を振り返す。久しくしていなかったその行為に、楸は何処に在るのか分からない心が温かくなっていくのを感じる。


 雪緒が見えなくなるまで手を振り続け、見えなくなってから名残惜しげに振っていた手を降ろした。


 自分がいない間に、雪緒は色々な事を経験していた。本当に、色々な事を……。


 その中でも、母親との死別というのは、雪緒が味わうにはまだ早過ぎる経験だ。そんな重い経験をさせてしまった事に罪悪感を覚えてしまう。


 けれど、雪緒はそれ以外にも多くの経験をしてきたのだろう。最後に会った時よりも、だいぶ大人びていた。


「高校生になったんだもんね。当たり前か」


 自然と笑みが浮かぶ。


「高校生かぁ……。本当に、大きくなったなぁ……」


 できれば、中学の卒業式と、高校の入学式には出席したかった。それに、三者面談だって一緒に行きたかった。進路とか相談に乗りたかったし、それ以外にだって家族ともっともっと話しをしたかった。


 そういう場面に立ち会えないというのは、親として、家族として、とても切ない。


 けれど、それは表に出せない。大人である自分はまだ我慢が出来るはずだ。割りきれるはずだ。でも、雪緒達はまだ子供だ。雪緒の目の前でそんな事を言ってしまえば、雪緒は絶対に気にしてしまう。


 大人として、親として、我慢をしなくてはいけない。


「まあ、皆元気そうで良かった。私も安心……うっ……」


 半分の本心と、半分の強がりを口にした直後、楸は苦しそうに呻いて胸を押さえる。


「……はぁ……最近、多いなぁ。病気……な訳無いか」


 幽霊である自分は病気にかかる事はもう無い。持病を持ったまま死んでしまった者は、その持病に苦しめられ続けるけれど。楸は何人もそういった幽霊を見てきたから分かる。


 では、自分のこの胸の苦しみは……?


「成仏が近いって事、かな……?」


 それなら安心だけれど、せめて雪緒に最後の挨拶はしたい。また急にいなくなったら、雪緒は悲しむだろうから。


「後少しだけもってね……」


 限界は近い。けれど、本当に後少しだけ、もちこたえてほしい。


 そう願いながら、楸は長椅子(ベンチ)に座って空を眺める。


 だから、気付かなかった。殆どの者が自分を見えない中、ジッと自分を見詰める視線がある事に。そしてそれが、好奇心などでは無く(よこしま)な視線である事に。


「くくっ。こいつは奇縁だなぁ、おい」


 サングラスの奥で瞳が怪しく色めいた。

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