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第弐拾肆話 道明寺楸

 これは、少し前から思っていた事だ。


 幽霊が見えるようになって暫くして、落ち着いて現状を考えられるようになってから、ふと思ったのだ。


 幽霊が見えるのなら、もう一度会えるのでは、と。


 淡い希望だ。それに、道行く幽霊を見ていれば分かる。時雨のように自我のある幽霊なんてそんなにいない。皆大抵、意志薄弱のまま現世に少しだけ(・・・・)残ってしまっているのだ。残滓(ざんし)、残り()と言っても良いだろう。


 少しだけ、ほんの少しだけ残ってしまったのだ。それが、殆どの幽霊だ。意志薄弱で、無害。ただそこに在るだけの、吹けば飛んでしまうような、弱い存在。


 それが分かっていたから、もうこの世界には居ないと思っていた。いや、思うようにしていた。


 だって、会えば情が沸き上がるから。ずっと一緒に居たくなるから。二度と、離れたくはなくなってしまうから。


 けど、しっかりとけじめをつけるのであれば、雪緒は向き合わなくてはいけない。会えるのであれば、しっかりと会わなくてはいけない。じゃなきゃ、雪緒は永遠に悔恨(かいこん)に囚われたままだ。


「……つっても、めっちゃ緊張するけどな……」


「主殿は緊張しているのでありまするか?」


 雪緒が苦笑気味に漏らせば、隣を歩く小梅が尋ねてくる。


「まあ、な……」


 小梅の言葉に正直に頷く。


「……色々、俺の中で割り切れてないからな」


 雪緒はあの時の事を引きずっている。けれど、それは雪緒だけではないはずだ。明乃も繁治も、少なからず引きずっているはずだ。


 でも、取り分け引きずっているのは、当事者であった雪緒だろうけれど。


 その後の雪緒の行動指針や精神性に大きく影響を及ぼしているのだ。引きずっていないと言えばに嘘になる。


「では、今は会わぬ方が宜しいのでは? 今は主殿も忙しゅうございまするゆえ」


「忙しいけど、誰も俺に仕事くれないだろ? それどころか、外出するだけでもどれだけ問答したか……」


 雪緒が外出をしようとすれば、土御門に仕える式鬼達が全力で止めに来た。それどころか、炎蔵にも止められた。訳を説明してようやく外出を許可してくれたけれど、代わりに式鬼をつける事を条件とされ、明乃のところから一番心を許している式鬼である小梅を呼び出したのだ。


「それは主殿が無茶をするからで御座りまする。大人しく、休暇を満喫するのが宜しいでありまする」


「分かってるよ。散々晴明にも言われたしな。それに、道満にも珍しく本気で怒られたからな……」


 今思い出しても怒った時の道満は恐ろしかった。普段怒らないような人が怒ると怖いというのは、どうやら本当の事らしい。


「怒っていたのは道満様だけではありませぬ。姉君殿も随分とご立腹でござりました」


「知ってる。はぁ……帰ったら何言われんだろ、俺……」


 帰った時を憂鬱に思いながらも、雪緒は確実に歩を進める。


 ここ数年まったくと言っていい程近付いて来なかった道は、当時の面影を残しながらも、若干当時とは違う箇所があり、まるで間違い探しをしているような気分になる。


 この分であれば、あそこ(・・・)もそれほど変わり無いだろう。


 できれば見る影もなくなるくらい変わっていて欲しいけれど、大きな工事をしたという話は聞かないし、大きな工事が必要な場所でもない。


 例の場所が近付いてくるにつれて、雪緒の鼓動が早まる。胃がきゅうきゅうと締め付けられる。


「主殿、顔色が悪いようですが、いかがいたしました?」


「いや、なんでもない」


 なんでも無いわけがない。けれど、小梅に言ったところで気分は変わらないし、決めた事を変えるつもりも無い。


 雪緒は拒否する身体を無理矢理動かして向かう。


 数年来ていないのに、驚くほどに良く見慣れた曲がり角を曲がれば、そこには見慣れたままの商店街があった。


 あの頃のままだ……。


 少しの懐かしさを覚えながら、とある場所に視線を向ける。


「ーーっ」


 そして、思わず息を飲む。


 人の波の中。あの日と変わらぬ姿で立つ一人の女性。ぼうっと何かを見ているようで何も見ていない瞳に生気は無く、その人がもうすでに死んでいる事を知らしめる。


 人の波の中で突っ立ったままの女性をしかし、誰も気にする人はいない。それもそうだ。誰にも女性は見えていないのだから。女性は、見えてはいけない者なのだから。


「主殿……?」


 立ち止まった雪緒を案じるように声をかける小梅。しかし、小梅の声は雪緒には届いていない。今の雪緒には、立ち尽くす女性しか見えていない。


 雪緒はふらふらと覚束(おぼつか)ない足取りで歩み始める。小梅は、そんな雪緒が心配ですぐに支えられる位置で着いていく。


 何時もなら見える小梅の思慮も、今の雪緒には見えない。視界も、思考も、全て目前の女性に奪われている。


 あの日となんら変わらない姿。忘れた事は無い。忘れられる訳が無い。あの日を、雪緒は一生忘れられない。


 女性の前で足を止める。急に足を止めた雪緒を、通りすがる人は迷惑そうな顔で見る。


 しかし、目の前にいる女性だけは、雪緒を驚いたようにじっと見詰める。が、それも(つか)の間。すぐに破顔すると、鋭い視線を柔和に細める。


「おっきくなったね、雪緒」


 そう言って笑った顔はあの時のままで、その笑顔で口から紡がれた言葉もまた、あの頃のままだった。


 雪緒は泣きそうになりながら、ぽつりとこぼす。


「母さん……」


 雪緒がそうこぼせば、目の前の女性ーー道明寺(ひさぎ)は更に笑みを深めた。





 このままだと通行の邪魔になると楸に言われ、二人は商店街の手前にある自動販売機の横に置いてあるボロボロの長椅子(ベンチ)に座る。


 小梅は気を効かせて席を外したので、今は雪緒と楸の二人きりだ。


「いやぁ、本当に大きくなったね? 今何センチあるの?」


「百七十五はあるよ」


「へぇ! やっぱお父さんに似たねぇ。あ、お父さんと明乃は元気でやってる?」


「うん。ちゃんと、皆元気にやってる」


「そっかそっか。なら良かった」


 安心したように笑う楸。


 表情も、仕種も、あの頃と変わらない。ともすれば、本当は楸は生きているのではと錯覚してしまう程だけれど、それが有り得ないという事は、楸の死の瞬間を目の当たりにした雪緒には分かる。


 楸は死んでいる。それは、まず間違いない。


 しかし、それでも、夢の中で見た母親ではなく、死んでいるけれど本物の母親ともう一度話せるということは、雪緒にとっては望外の喜びだった。


「そういえば、雪緒はもう高校生?」


「うん、高校一年」


「じゃあ新生活だね。どう? 友達は出来た? 雪緒は目付き悪いから、お母さん、友達出来るか心配だよ」


「目付きは母さんと父さんの遺伝でしょ? それに、友達はちゃんと出来たよ」


「なら良かった。雪緒は引っ込み思案なところがあるからね。あ、じゃあ彼女は出来た?」


「いるわけ無いだろ? それに、今はそれどころじゃないんだ」


「それどころじゃないって何よ。いい? 恋っていうのは若い内に楽しむものなのよ?」


 ぷんぷんと怒ったように言う楸。夢の時もそうだけれど、楸はこういった恋ばな的な事が好きなのだろう。


「じゃあ気になる子は? それくらいいるでしょ?」


「やだよ、教えない」


「そう言うって事は、いるって事よね?」


「うぐっ……」


 盛大に墓穴を掘ってしまう雪緒。夢の時も、同じような失敗をしたような気がする。


 やってしまったと思いながらも、ふと思う。


 なんで、いないって言わなかったのだろうと。


 思い、けれど、その疑問は数瞬で解決した。


 しかして、なるほどと納得する前に、雪緒はにまーっと嬉しそうに笑みを浮かべる楸を見て、現実に引き戻される。


「ねえねえ、誰? 教えなさいよー」


「や、やだよ! それに、母さんの知らない人だから!」


俄然(がぜん)気になる! 誰? どんな人?」


「言わない!」


「言いなさいよー! 減るものじゃないでしょ?」


「俺の気力が減るよ!」


 わいのわいのと楸と騒ぐ。


 これだけ二人が騒げばーーといっても、周囲の人に見えているのは雪緒だけだけれどーー流石に周囲の視線も痛くなるはずなのだが、何故だか周囲の人は二人には無関心。それどころか、まるでそこには誰もいないかのように振る舞う。


 実は、気を効かせた小梅が人の注意を逸らす術をかけているのだけれど、楸とのお喋りに夢中になっている雪緒はまったくもって気付かない。


「むー! これが反抗期というやつね……」


「いや、普通親と恋ばなとかしないから」


「いーじゃない! 恋ばなしたって! 私、学生時代そういうの縁遠かったから凄く気になるのよ!」


「俺だって縁遠いし、そもそも学校の人じゃないし……」


「ほうほう、学外の人が気になるのね。心のメモ帳にメモメモ」


「しまった……墓穴掘った……」


 何故自ら手掛かり(ヒント)になるような情報を与えてしまったのだろうか。


 多分、久方振りの会話で浮かれているのだろう。楸との会話は懐かしくて、楽しくて、嬉しいのだ。


「いやー、そっかそっか。雪緒も恋をする年頃かぁ。それもそうよね。もう高校生だもんね」


 時が経つのは早いなぁと、楸は感慨深そうに言う。


 本当なら、楸は雪緒の成長をすぐ側で見ていたかっただろう。だからこそ、こうして雪緒にあれやこれやと聞くのだろう。


「……御免、母さん」


「ん、何が?」


「あの時、何も出来なくて……助けられなくて、御免……」


 言って、頭を下げる雪緒。


 ずっと、ずっと言いたかった。明乃にも言った、繁治にも言った。けれど、一番言いたかった楸には、言うことが出来なかった。当たり前だ。楸はすでに死んでいて、幽霊も見えない雪緒には、楸に謝る手段など、一つも無いのだから。


 だから、助けられなかった事を、ずっと謝りたかった。


 しかし、当の謝られた楸は、訳が分からずきょとんとした顔をしている。


「え、なんで雪緒が謝るの?」


「だって、俺、母さんの直ぐ側にいたのに……」


 助けられなかった。それを言うのが、酷く怖くて言葉が出てこない。


 けれど、楸には正しく雪緒の思いが伝わっていた。


 楸は、一つ微笑むと雪緒の頭に勢い良くげんこつを落とした。


「痛っ!」


 唐突にげんこつを食らい、雪緒は目を白黒させて楸を見る。


「あんた馬鹿だね。そんな事ずっと気にしてたの?」


「そんな事って……俺には重要な事だったんだぞ?」


 後の行動原理と精神性に影響を及ぼすほどだ。そんな事と簡単に片付けられる訳が無い。


 けれど、楸は言う。


「そんな事よ。あの時、雪緒に何が出来たの? 警官であるお父さんならいざ知らず、雪緒はただの中学生だったでしょう? そんな雪緒に何が出来たの? 背だって今よりちっこかったじゃない」


 こんくらいよ、こんくらい。と言いながら楸は大袈裟に低い位置で手を振って見せる。


 しかし、雪緒が笑うこともなく、ツッコミを入れる様子も無いと見れば、楸はふざけるのをやめて真面目な調子で言う。


「あれは不幸な事故よ。雪緒が気にする事じゃないわ。あの時の雪緒には何も出来なかった。私も不注意だった。ただ、それだけの話よ」


「それだけって……それだけじゃないだろ……!」


 楸の死を雪緒はそれだけや、そんな事と割り切る事は出来ない。例えそれが自分の無力さを実感したからではなくとも、母親(ひさぎ)の死は雪緒にとって大きなものなのだ。

 

「母さんが死んで、俺が、俺達がどれだけ悲しかったか……!! 父さんも姉さんも強がって俺の前じゃ泣かなかったけど、一人になると泣いてたんだぞ!?」


 閉じられた両親の寝室の扉の奥から、繁治の啜り泣く声が聞こえてきた。雪緒は、その時初めて繁治が泣いているところを聞いたのだ。


 明乃が部屋から出て来た時、その目尻が赤かった。メークで隠していたけれど、それだけじゃ隠しきれない程だった。


 皆が悲しんだ事実を、それだけと言われたくはなかった。


「そうね。そんなに、泣いてくれたのね」


 言いながら、楸は雪緒を抱きしめる。


「ありがとう、そんなにも愛してくれて。私は幸せ者だなぁ」


 楸に抱きしめられ、自然と涙が溢れてくる。


 今まで我慢していたものが溢れ出る。


 雪緒は楸に縋りついて声を上げて泣く。


「ずっと……ずっと会いたかった……! もう一度、会って……ごめんって、言いたくて……!! 会って、話しをしたくて……!!」


 言いたい事は多いのに、言葉になってくれない。


 支離滅裂に言葉が羅列され、いろんな感情がない交ぜになる。


 そんな雪緒を優しく抱きしめ、楸は優しく背中をさする。


 雪緒は、そのまま人目を(はばか)る事もなく泣き続けた。もっとも、憚るほどの人目は、雪緒に向いてはいないけれど。

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