第弐拾参話 捜索状況
その日の夜。雪緒は平安に行くと、早速晴明に幽霊が牛女になっている可能性を話した。
一日過ぎているからか、それとも馬鹿みたいに食べ物を食べまくったからか、昨日よりは身体に力が入るので、今日は起き上がる事が出来た。しかし、布団からは出してもらえず寝転がりながらの説明になったけれど。
因みに、今日は道満も秀郷も居ない。雪緒に気をきかせて遠慮しているのだ。
ともあれ、雪緒の話しを聞き終わった晴明は、そうかと一つ言葉を漏らしただけで、別段驚いた様子は無かった。
「驚かないんだな」
「其方の町に蔓延る怪異の事を考えれば有り得ぬ話では無いからな。それに、人を使うよりも容易いうえに、力の消費が少ないだろう。存在が近しいゆえな」
晴明が言うには、怪異と幽霊は違うらしいけれど、その存在が近しいゆえに怪異に変性させる事が人間よりも容易なのだそうだ。
「しかし解せぬな。邪視はいったい何がしたい? なんのために怪異を増やす?」
顎に手をあてて考え込む晴明に、雪緒は問い掛ける。
「今回の件って、やっぱり邪視の仕業なのか?」
「邪視以外に誰が居る。邪視の占いの最中に変性の呪いが込められていたのだぞ?」
「けど、皇后崎先輩は学校でしか占いをしてないはずだぞ?」
「その皇后崎は邪視ではなかったのだぞ? 本体の方が町で変性の呪いを広めていてもなんら不思議は無い。が、日増しにしても数が多過ぎるな」
緩やかに増えていた牛女が、昨晩に急激に増加した。果たして、邪視一人でそんな事が可能なのだろうか?
晴明は少し考えた後、考えを纏めるように言う。
「……思うに、牛女には一つだけ邪視の力が込められているのだろうな」
「邪視の力? どんな?」
「他者に邪視を植え付ける力だ。近くに人であろうが霊であろうが、苗床がおればその者に変性の呪いを与える。そういった力だ。でなければ、急激に牛女が増える理由が説明出来ぬ」
現代では、平安以上に人が溢れかえっている。そのため、呪いを植え付ける事には事欠かないだろう。
しかし、例え晴明の推測が合っていたとして、邪視が何故そのような事をするのかが分からない。牛女は直ぐに倒されるほどに弱い怪異だ。そんな怪異を量産したところで、物の数にもならないだろう。陰陽師は疲弊するだろうけれど、いずれは邪視の方が狩られるだろう。邪視にとって、悪足掻きにしかならないはずだ。
それなのに、何故邪視は牛女を増やすのだろうか?
「……増やす事に意味があるのか、もしくは増やす事は何かの隠れ蓑にするためか……」
晴明が考える中、雪緒も同じように頭を捻ってみる。けれど、結局何も分かる事は無かった。
〇 〇 〇
それから、二日が経過した。
雪緒はようやく動けるようになり、皇后崎もやっと意識を取り戻した。
皇后崎が意識を取り戻した事に安堵しながらも、日増しに増えていく牛女に頭を捻らせる日々だ。牛女は昼夜の区別無く現れるようになり、陰陽師が報道規制をしている事によって報道こそされないものの、やはり人の口に戸は立てられず、噂は広がっていくばかりだ。
邪視の捜索もしているけれどそちらも芳しくなく、事件はどん詰まりであった。
ともあれ、皇后崎が目を覚ました事は良い事なので、早速雪緒は皇后崎が居る部屋まで案内してもらった。
襖の前に立ち、襖の向こうに居る皇后崎に声をかける。
「先輩、道明寺です。入っても良いですか?」
「……どうぞ」
雪緒が室内に声をかければ、弱々しいながらも返事が返ってきた。
雪緒は安堵しながら襖を開ける。
室内には、浴衣に身を包んだ皇后崎が居た。布団から上半身だけを起き上がらせて、雪緒の足元に視線を送っている。足元に視線を送っているのは、邪視の制御が無くなり視線を合わせられないからだろう。
右目に眼帯をしてはいるものの、完璧な制御が無くなった事によってかつての癖が出てしまっているのだろう。
襖を閉め、雪緒は皇后崎の側に腰を降ろす。
「体調、良さそうですか?」
「……うん。ちょっと、怠いけど」
俯きながら言う皇后崎。
皇后崎の部屋に来る前に、雪緒は仄から一通りの説明は受けている。
といっても、護身剣の効力のお陰で怪異化の影響は殆ど無い。寝て、ご飯を食べればいつも通りの生活に戻れるとの事だった。しかし、元から在った邪視が消えていない事や、邪視を制御出来なくなったという精神的衝撃は大きいようで、起きてから今までずっと俯いてしまっているらしい。
こういう時、雪緒はどうしたら良いのか分からない。女子を慰めた事なんて無いし、こんなに重い事情を持つ相手を慰めた事だって無い。
雪緒は所在無さげに頭をかいてから、少し考えて皇后崎に言う。
「……その、俺、約束は守りますから」
「約束……?」
「邪視を消す方法を探す約束です」
「……あ」
あの日あの時、皇后崎に言った。邪視をどうにかするのを手伝うと言った。あの言葉に嘘偽りは無く、雪緒の心からの本心であった。
「……別に、貴方が気にする事じゃ無いよ。眼帯してれば、平気だし」
言いながら、皇后崎は右目の眼帯に手を当てる。その様子はもの悲しげで、邪視が右目に宿っている事を受け入れているようであった。
……いや、多分違う。皇后崎は、諦めているのだ。右目に邪視が宿る事を仕方の無い事だと、割り切ろうとしているのだ。
けれど、雪緒は知っている。眼帯を外していた皇后崎が生き生きとしていた事を。嬉しそうにしていた事を。笑顔を浮かべていた事を。
それら全ては、今の皇后崎には無いものだ。俯き、視線を落とし、辛そうな顔をする皇后崎には。
「言ったでしょう? 俺の我欲だって。先輩の邪視を治そうっていうのも俺の我が儘ですよ」
「……そういうの、止めて。貴方はそれで良いかもしれないけど、私は全然良くない。申し訳ないし、とても……惨めになる……」
きゅっと布団を握りしめる。
誰かから施されなければいけない自分が惨めだ。自分じゃ何も出来ない事が惨めだ。
きっと、これ以上言っても皇后崎が惨めに感じるだけなのだろう。雪緒の我が儘というのも嘘ではないけれど、皇后崎が雪緒を煩わせているのもまた事実なのだ。
それに、ミミを死なせてしまった事や、雪緒に迷惑をかけてしまった事。それらに対して自責がある限り、皇后崎は雪緒の言葉を方便と受けとるだろう。
それは皇后崎を見ている雪緒にも分かった。
今は少し、そっとしておくのが良いのだろう。事件から日は過ぎているけれど、皇后崎にとっては寝て起きたら事件が終わっていた状態だ。怪異化した時の事が、つい先ほどの事のようで処理できていないのだろう。
「もう、行きますね。ゆっくり休んでください」
言いながら、立ち上がる。
襖を開けて部屋を出る直前、雪緒は一度立ち止まって皇后崎の方を見るけれど、皇后崎は変わらず視線を下げたままだった。
皇后崎の部屋を後にし、雪緒は自分の部屋へ戻る。
布団はすでに片付けられており、雪緒は畳の上にそのまま寝転がって天井をなんとも無しに眺める。
「心此処に在らず、だね」
寝転がる雪緒の視界に、唐突に鬼の面が映り込む。
「うおっ! ……びっくりした。なんだ、時雨か……」
「なんだとは酷いね。人がせっかく報告に来たっていうのに」
酷いとは言いながらも、声音は常と変わらない。
時雨は雪緒の側に座ると報告を始める。
「邪視の捜索は続けてる。けど、影も形も無いね。まったく、どうやって逃げてるんだか……」
雪緒は目を覚まして少し経った時に時雨から邪視についての情報を時雨から聞かされており、邪視が男で、人の形をしていた事など、時雨が邪視と対峙した時の情報も事細かに教えられている。
邪視にたいした戦闘能力が無い事も知っているし、視線以上の特殊能力が無い事も知っている。
だからこそ、邪視がここまで百鬼夜行や陰陽師の目をかい潜って逃げ延びている事には正直驚かされる。
「邪視に姿を隠す能力とかって無いよな?」
「無いね。そんなものがあれば僕と対峙してる時に使ってる」
姿を隠せる能力があれば、時雨から逃げる時にわざわざ牛女を使ったりしないだろう。わざわざ産み出した牛女を時雨の相手をさせるためだけに使い潰す意味も無いのだから。
「……難航してるな、どっちも」
「そうだね」
人間や霊の怪異化の阻止も、邪視の捜索もままならない。このままでは被害が増える一方だ。
「今、百々眼鬼みたいに感知系の能力に秀でた者に捜してもらってはいるけど、これ程までに完璧に隠れられたら、正直見付かるとは思えないかな」
「じゃあ邪視が次に何かするまで待つしかないってのか?」
「現状はね」
「……後手後手だな」
邪視に好き勝手にされている現状は、やはり面白くない。腹に据えかねるし、直ぐにでも邪視の企みを阻止したい。
しかし、今はその方法が無い。邪視は見付からず、邪視の企みも分からない。
溜息の一つ出て来てしまっても致し方ないだろう。
本当であれば、雪緒も今直ぐにでも邪視の捜索に向かいたい。けれど、生死に関わる無茶をした後で、まだ完全に治りきっていない身体を酷使する事を誰も許してはくれない。
仄にも百鬼夜行にも止められた。仄は脅すような止め方だったけれど、それもこれも雪緒を案じての事だ。無茶を重ねようとした雪緒に文句を言う資格など無い。
しかして、こうも手持ちぶさただと気持ちばかりが急いてしまってどうしようもない。
「それじゃあ、僕はもう行くよ。ちゃんと休んでるんだよ?」
報告が終わったので、時雨はその場を後にする。元々陰陽師とは折り合いが悪いので、直ぐにでも出て行きたかったからという理由もあるけれど。
雪緒にしっかり休むよう念押ししてから、時雨は邪視の捜索に戻った。
一人残された雪緒はあいも変わらず寝転がりながら、雪緒は自分に出来る事を考える。
とは言え、おそらく陰陽師関連の事はさせてはくれまい。見付かったら大目玉を食らう事は明らかだし、外に出るにもお目つけ役が付きそうだ。現に、今も雪緒の部屋の近くにお手伝い兼お目つけ役の式鬼が常駐している。一歩部屋の外に出ただけで即座にやって来るのだ。
外で何かする事は出来ない。さりとて、室内にこもっていても出来る事など無い。この部屋にはこれといって物が置いてないし、暇潰しの道具も持っていない。
そのため、雪緒はぼーっと考え事をするしかないのだ。
しかし、考え事をしているその最中に、雪緒は一つ思い付いてしまう。けれど、それはあまり気が進まない事だ。端的に言えば、怖いのだ。
「……」
渋い顔で天井を睨みつける雪緒。
雪緒にとって、それをする事はとても怖い事だ。もう二度と見たくないものをもう一度見る事になるのだから。
けれど、それをしなくては今より前に進めないという事もまた事実だ。雪緒は未だにあの時の事に囚われたままなのだから。
少し考え、渋面を作りながらも雪緒は起き上がる。そして、手早く着替えを済ませると部屋を後にした。