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第弐拾壱話 叱責

 時雨は、薄暗い住宅街を駆ける。


 皇后崎の家には他の百鬼夜行に応援に行くように頼んだ。それに、雪緒が七星剣の力を使いこなした以上、成りかけの怪異を元に戻す事など造作も無いはずだ。


 時雨は、雪緒を信じて皇后崎の家を後にしたのだ。


 では、時雨は今何処へ向かっているのか? 答え(そんなもの)は明白だ。


百々眼鬼(どどめき)! 邪視の場所は!」


「がなり立てないでください。今()ています」


 大きな(からす)の背に乗り、周囲に()を向けるまなこ。


 着物の裾を捲くり、(たすき)で縛る事で両腕があらわになる。しかし、その両腕は普通ではなかった。


 手の平から二の腕にかけて開く無数の眼。


 まなこは、ふふっと一つ笑う。


「主様が眠っておいでで良かったです。この腕を見られなくてすみましたから」


 それぞれの眼が別方向に視線を飛ばし、街中を視界に収める。


 やがて、一つの眼がそれ(・・)を捉える。


「ああ、いました。あの山です」


 言って、まなこは一つの山を指差す。


「分かった!」


 まなこの答えを聞くや否や、時雨は更に加速してまなこが指差した山まで向かう。


 土瀝青(アスファルト)をえぐり、屋根を割り、時雨は進む。


 今までの動向を加味するに、邪視は巧妙で狡猾だ。この一手で終わる訳が無い。だから、この一手で終わらせる。此処で邪視の息の根を止めれば、事件は此処で終決するのだから。


 町への被害なぞ考えず、時雨は進む。


 木々を足場に山を登り、山頂へと辿り着く。


 抜刀、そして、ベンチに踏ん反り返って座る男に切っ先を向ける。


「君が邪視だね? 死んでもらうよ」


「おいおい、そこは悪いけどって入れるところじゃねぇのか?」


「まったく悪いとは思ってないからね」


 言いながら、加速。


 眼にも止まらぬ速度で迫る時雨が、その(やいば)を邪視に振るう。


「っと」


 が、そんな軽い声と共に時雨の一刀はかわされる。


 男は余裕そうな表情で時雨を見る。


「おいおい、勘弁してくれよ。俺は弱ぇんだぜ? お前と戦ったら死んじまうよ」


「一度死んだ身だろう? なら、そのまま死んでいてくれ」


「おー、怖。ちょっと、助けてくれよ先生……って、居ねぇし」


 先程まで男と話をしていた者はもうすでにそこに居なかった。


 はぁと一つ溜息を吐いてから、男は面倒臭そうに時雨を見る。


「はぁ、っんどくせー……最高潮(クライマックス)まで待てねぇのかよ」


「待つつもりは無い。君は此処で殺す」


「あーやだやだ。先走り(せっかち)はこれだから困るんだ。なぁ、もっと楽しもうぜ?」


「楽しい事なんて一つも無いんだよ」


 怒気を孕む声音で言い放ち、先程の速度を軽く凌駕(りょうが)する速度で斬撃を放つ時雨。


 が、これもかわされる。


「だから危ねえって! お前さん、冷静(クール)ぶって実は短気だな?」


「短気じゃないよ。ただ、君達に我慢ならないだけだ!」


 繰り出される連撃。その一刀一刀が必殺の一撃。遊び(・・)は一つも無く、確実に男を殺す一撃を放つ。


「そういうのを短気って言うんだぜ……! くそっ、あーもう面倒臭ぇ!!」


 苛立たしげに吠え、男は時雨を()る。


 全てを(むしば)む最悪の視線。怪異化している皇后崎の視線は凶悪であったけれど、男の視線はそれ以上だ。目が合えばただではすまない。


「っそだろ……!!」


 しかし、驚愕したのは男の方。


 時雨は構わず突き進み、刀を振るう。まるで、邪視の力など歯牙(しが)にもかけていないような振る舞いだ。


 邪視の視線は強力だ。しかし、それは目を見ればの話。逆に言えば、目を合わせなければなんとも無いのだ。


 時雨は今、目をつむって戦っている。霊力の流れで邪視の居場所は分かるし、一目見てこの場所の地形は把握した。それに、自然物にも霊力というものが備わっている。それを感じ取れば目をつむっての戦闘など簡単に出来る。


 とはいえ、簡単な事ではない。微細な霊力を感じ取れる鋭敏(えいびん)さと、並外れた地形把握能力が必要だ。霊力でなんでも分かる訳ではないのだ。


 ともあれ、時雨は目をつむっての戦闘が出来る。だから、邪視の能力は時雨には意味が無い。視界を介してでなくては作用しない能力など、恐るるに足らず。


「くっ、そ……! 出鱈目(でたらめ)な奴だ……!」


 苦しそうに呻く男に、時雨は言葉を返さない。返す必要も無ければ、義理も無い。


 此処で、邪視を終わらせる。ただその一念のみで剣を振るう。


「ああくそっ! こんなところで消費するつもりは無かったんだがなぁ!! 来い!!」


 男の声の直後、何かが時雨に迫る。


 時雨は、迫る何かを斬ろうとしたーーが、(すん)でで刃ではなく(みね)で打つ。


 時雨は片目を開けて迫った者達を見る。


 その者達は全員頭が牛で、身体が女体であった。つまり、牛女である。


 牛女が、時雨と邪視の間を遮るように次々に集まってくる。


 男はにやりと笑みを浮かべて時雨に中指を立てる。


「お前達にはこいつらは殺せないだろう? じゃーな、偽善者(ヒーロー)


「待て!」


 追いすがろうとする、けれど、その進路を牛女が邪魔をする。


 時雨は刀を握る手に力を込める。


 生前の時雨であれば、問答無用で目の前の牛女を殺していた。けれど、今は違う。冷徹に、冷酷に、自らの職務を全うする姿勢は変わらない。けれど、物事に対する意向を時雨は持たない。


 時雨は雪緒の友であり、剣だ。その意向は、雪緒の意向に沿われる。雪緒が彼らを助けると言うのであれば、時雨はその意向に従う。


 だから、時雨に彼らは斬れない。


 憤怒(ふんぬ)に奥歯を噛み締め、中指を立てる男に言い放つ。


「首を洗って待っていろ。その首、僕が必ず落とす」


「やってみろ、バーカ」


 子供のような悪口を言って、邪視は姿を(くら)ませた。


 時雨は怒りを覚えながらも、冷静に牛女共の意識を刈り取った。



 〇 〇 〇



 目が覚めれば、晴明が雪緒の顔を覗き込んでいた。


「うおっ」


 急に晴明の顔が間近に写り、雪緒は思わず一つ驚きの声を漏らしてしまった。


「私の顔を見て驚くとは、失礼な奴だ……」


 若干不機嫌そうに言いながら、晴明は覗き込んでいた顔を退ける。


 晴明の顔が退いたところで、雪緒は起き上がる。


「今日は随分と遅かったなぁ。何かあったのか?」


 雪緒が起き上がったところで、もうすでに晴明の家に上がり込んでいた道満が雪緒に尋ねる。


「何かって…………っ!! そうだ、俺……!!」


 慌てて立ち上がろうとして、身体に力が入らずに前のめりに倒れそうになる。


「雪緒!」


 慌てて、晴明が抱き留める。


 秀郷も抱き留めようと手を広げていたが、広げたままそのやり場を無くしてしまう。


 道満はそんな秀郷を笑ったけれど、雪緒の様子を視るとその表情を少しだけ強張らせる。


「……汝、何があった? どうすればそれ程魂を衰弱させられる?」


 道満が言えば、晴明も雪緒の状態を視る。そうすれば、みるみる内に晴明の顔が青褪める。


「そ、園女! 水と食料だ! 何でもいい、精の付くものを持って来い!!」


「は、はい!」


 園女に指示を出し、晴明は雪緒を寝かせる。


 大丈夫だと言おうとしたけれど、思うように身体が動かない自分が大丈夫だとは思えなかった。


 雪緒を寝かせ、布団をかけ直す晴明。


 雪緒の見掛けに変化は無い。しかし、その魂が酷く衰弱しきっている。


 心配そうな顔をして、晴明は雪緒の手を握りながら尋ねる。


「気分は悪くないか? 何処か、痛むところはあるか?」


「特には。ただ、ちょっと気怠い」


「馬鹿者。ちょっとで済むか。汝は分かっとらんみたいだがな、汝、相当に魂が衰弱しておるぞ? いったい何があったのだ?」


 道満の怒ったような声音に、雪緒は思わず言葉に詰まる。心配そうな晴明だけでも手に余るというのに、今まで怒った事の無い道満が明確に怒っているのだ。事の成り行きが話しづらくて仕方がない。


 しかし、ここで話さないという選択肢は雪緒には無い。雪緒は晴明に報告を義務付けられているし、話さなければどんな手を使って聞き出されるか分かったものではない。


 それに……。


「……」


 泣きそうな程に眉を寄せている晴明を見て、話さないなんて不誠実な事は出来ない。


「実は……」


 覚悟を決めて、雪緒は事の成り行きを話し始めた。





 事の全てを話せば、道満は難しい顔で腕を組み、晴明も柳眉(りゅうび)を吊り上げていた。


「雪緒。お前、無茶をしたなぁ」


 しかし、秀郷ははははと呑気に笑う。秀郷らもののふにとって、命を()けた戦いは戦場の常。無茶をして生き残った雪緒を賞賛こそすれ、馬鹿をしたと叱る事はしない。


 が、晴明や道満は理に適わぬ事を嫌う。無茶をする道理が無い以上、雪緒の無茶を叱らなくてはいけない。


 そのため、叱ろうと思った矢先に心底から笑って済ませようとした秀郷に、ジロリと鋭い視線を向ける。


「おっと、悪かった。口を閉じよう」


 晴明や道満、それに、小梅達に睨まれればさしもの秀郷でも口を閉じずにはいられない。


 秀郷が黙ったところで、晴明は厳しい視線を雪緒に向ける。


「……経緯は分かった。護身剣も無しに無茶をしたな」


「……ああ」


 無茶をした。それは雪緒が一番よく分かっている。もし賭けに負けていれば雪緒は確実に死んでいた。


「私は……其方を私の持ち合わせなかった勇気だと言った。しかしな、今回の事において、私は其方の行動を勇気とはとれぬ」


 今までだって無茶無謀はしてきた。けれど、それは雪緒の出来うる範疇(はんちゅう)での話だ。


 きさらぎ駅では他の者を助けて帰るだけだった。無茶だけれど、かなり分の悪い賭けでもあるけれど、決して出来ない訳ではなかった。 


 猿夢では平安から現代に戻る時、二度と戻れないかもしれない(すべ)で向かった。

 

 その他にも雪緒は多々無茶な事をした。しかし、それは勝算や考えがあっての無茶だ。今回のように、どう転ぶかも分からないような賭けでは無かった。七星剣の力を引き出せるかも分からない。邪視の視線に堪えられるかも分からない。行き当たりばったりの、あまりにも危険過ぎる賭けだ。


 だからこそ、晴明は言わなくてはいけない。師匠として、友人として。


「……二度とこのような事はするな。良いな?」


「でも、晴明。俺はーー」


「二度は言わぬし聞く耳持たぬ」


 雪緒が自らの意思を伝えようとすれば、晴明は無情にも雪緒の言葉を遮る。


 晴明にとって、雪緒の無茶は、最後には必ず雪緒が生きている事が前提だ。どんなに大怪我をしようと、どんなに危険な目に逢おうと、最後には必ず生きて自分に逢いに来る。その大前提があるのだ。


 怪異と対する事は危険な事だ。それは、晴明も理解している。許容している。


 しかし、弟子の無思慮な行いは(とが)める。それが師匠の役目だ。


 そんな、晴明の堅い意思を感じ取ったのか、雪緒は言い繕うとした口を閉じて、代わりの言葉を(つむ)ぐ。


「……分かったよ。もう、こんな馬鹿な事はしない」


「分かれば良い。疲れたであろう? 今はゆるりと休め」


「ああ……」


 頷く雪緒。しかし、雪緒は心中で思う。


 多分、誰かが同じような状態に(おちい)ったのなら、自分はもう一度同じような危険を(おか)す。誰かが目の前で死ぬくらいなら、分の悪い賭けだろうが迷わずやってやる。目の前で死なれるより、ずっと良い。


「……のう、晴明。白湯(さゆ)でも用意したらどうだ? 園女を待つだけというのも良くなかろう」


「そうだな」


 道満言葉に一もニも無く頷き、晴明は台所に向かう。冬が居るにも関わらず自ら湯を沸かしに行ったところを見るに、相当まいっているのだろう。


 晴明が部屋を出て行った事を見届けると、道満は立ち上がり雪緒の頭の横に座る。


「……なんだよ」


「おうおう、随分とまぁ反骨的な目だのう。ちっとも懲りとらんのか? ん?」


 言いながら、道満は雪緒の頬を指で突く。


 鬱陶しいと思いながらも、身体に上手く力が入らないので抵抗が出来ない。


 雪緒が鬱陶しそうに表情を歪めれば、道満は今度は指を額に置く。そして、笑みを消して真剣な表情になる。


お前(・・)、また同じように無茶をするつもりだな?」


「ーーっ。……それは……」


 いきなり核心を突かれ、気まずそうに視線を逸らす雪緒。


 視線を逸らす雪緒とは対照的に、道満は雪緒の顔を真っ直ぐ見る。


彼奴(あやつ)表情(かお)を見てまだそのような事を思うのか? 良いか? お前(・・)が母を目の前で亡くしている事には同情する。それで誰も彼も見捨てられぬのも分かる。だがな、それならばお前(・・)は、遺された(・・・・)者の(・・)悲しみ(・・・)も知っておるのではないのか?」


「ーーっ!」


 雪緒は弾かれたように道満の方に視線を戻す。


 しかし、その頃には道満は常の如く笑みを浮かべており、先程までの雪緒を叱責(しっせき)するような表情は成りを潜めていた。


 けれど、その笑みは何処か悲しみを(たた)えており、普段の道満とは違う笑みであった。


「晴明に(のこ)された者の悲しみを背負わせてやるな。汝が晴明に今以上の重石(おもし)を背負わせるというのであれば、儂は金輪際手を貸す事はしない。もう一度、自分の事だけでなく、他の者の事も考えよ」


「……」


 それだけ言って、道満は秀郷の方を向く。


「おい秀郷。もう帰るぞ。儂らが居ては雪緒も落ちつかんだろう」


「分かった。ではお前の家で酒盛りでもしよう!」


「ちと早いが、まぁ良いだろう。儂も今は呑みたい気分だ。ではな、雪緒。養生(ようじょう)するのだぞ」


「ではな!」


 道満は雪緒に気を遣って秀郷を(ひき)いて晴明の家を後にした。


 二人が居なくなり、静かになった部屋。冬と小梅が雪緒の様子を見守る中、雪緒は歯噛みしながらも、呆れたように一つ息を吐く。


「……馬鹿だなぁ、俺……」


 雪緒の言葉に、しかし、二人は言葉をかけなかった。雪緒が誰かの返答を期待していない事など、分かりきった事だったから。

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