第拾漆話 開眼
雪緒は昼休みになるやいなや皇后崎の居る教室まで向かう。今日はお供に誰もおらず、雪緒一人で向かう。
皇后崎の教室に向かえば、一昨日と同じく女子達が皇后崎を中心に賑わっているーーなんて事は無かった。
今日は皇后崎は一人、黙々とパンを食べていた。
何かあったのだろうかと一瞬思ったけれど、そういえば昨日に皇后崎に呪いをかける等を言ってしまった事を思い出す。
占いが呪いに繋がっている事は言ってなかったけれど、それでも、皇后崎には思い当たる節があったのだろう。しかし、皇后崎が占いを自粛してくれているのは雪緒にとっては有り難い事だ。これ以上呪いが広がる事が無いのだから。
雪緒は皇后崎の所まで迷わず歩く。
雪緒が来ている事に気付き、一瞬驚いたように身体を跳ねさせるけれど、直ぐに取り繕ったように笑みを浮かべる。
「く、くふふっ。来たか我が同朋よ。して、何用だ? 我ちょっと忙しいんだけど……」
昨日の気まずさからか、皇后崎はきょろきょろと視線を彷徨わせる。しかし、気まずいのは雪緒も同じだ。理由も聞かずに皇后崎を怒鳴りつけてしまったのだから。
しかし、雪緒は自分のしてしまった事に対しての筋は通さなくてはいけない。
「あの、ちょっと話があるのですが……。場所、移動できます?」
「こ、ここではダメか? わ、我、パン食っとるし……」
「出来れば場所を変えたいです」
「……わ、分かった……」
昨日、あんな事があったからか、皇后崎は酷く落ち着きが無い。雪緒が怖いのか、それともただただ一悶着あった後の気まずさのためか。
ともあれ、場所を変える事には賛成してくれた。雪緒は皇后崎を伴って屋上へと向かう。
二人が出て行った教室では二人が話題に上げられたけれど、一昨日の事があるのでそれが浮ついた話ではない事くらいは分かっている。
クラスメイト達の間で様々な可能性が話し合われる中、少しだけ距離を空けて歩く二人。
皇后崎が今学内を騒がせている占い師であるせいでーーまぁ、皇后崎の特徴的過ぎる改造制服のせいでもあるけれどーー二人に好奇の眼差しを向ける者もいるけれど、二人は周囲の視線など気にしている精神的な余裕は無い。
二人は周囲の視線に晒されながらも、屋上に到着する。
重い鉄扉を閉めれば屋上には二人きり。
雪緒は皇后崎と真正面から向き直る。
そして、即座に皇后崎に頭を下げる。
「昨日は、すいませんでした」
「え、ふえ?」
突然謝罪をした雪緒に、皇后崎は思わず間抜けな声を上げてしまう。
「先輩の事を何も知らないで、酷い事を言いました。本当に、すいませんでした」
深く、頭を下げる。
しかし、雪緒が頭を下げれば下げる程、皇后崎はおろおろと慌てふためいてしまう。
呪われていると言われて人から嫌われていた皇后崎は、基本的には他人から冷たい態度をとられた事しかない。酷い時は相手にもされないなんて事もざらだ。
何か相手に非があって、相手が悪くたって、謝られる事は無い。だって、呪われている皇后崎が悪いのだから。そんな都合の良い理論で皇后崎は他人から慮られる事の無かった皇后崎。
だから、雪緒にこんなに深々と頭を下げられるのは想定外で、かなり久し振りの事だった。
「え、えと……あ、頭を上げて……」
思わず素に戻ってしまう皇后崎。
しかし、雪緒は頭を上げない。皇后崎からの返答が返って来てないから。
「あ、あう……」
頭を上げない雪緒に皇后崎が困ったように視線を彷徨わせるけれど、誰も助けてくれる人はおらず、結局自分一人でどうにかするしかない。
「あ、あの、顔を上げてくれ。それに、謝るのは我も同じだ」
自分のキャラを維持しつつ、皇后崎は言う。
「わ、我も、御主の知られたくない事を皆の前で言ってしまった。あれは、軽々しく話して良い事ではなかった。だから、その……私も、ごめんなさい……」
皇后崎も楸の事を言ってしまった事は悪いと思っていた。だから、悪いのは自分も同じだと言う意味も込めて、雪緒にキャラを取っ払って謝罪する。
互いに頭を下げあう二人。
その状態で、数秒経つ。
このままでは何も進展しないと理解したのか、二人とも同じタイミングで顔を上げる。
お互いに少し気まずそうにしながらも、これ以上頭を下げる事はしない。
「じゃ、じゃあ、お互い様、という事で……」
皇后崎が引き攣らせた笑みを浮かべて言う。
「分かりました」
皇后崎の言葉に、雪緒は頷く。
このまま謝りあってても仕方がない。それに、確かに楸の事を話されて怒りを覚えたのも事実だ。であれば、今回はお互い様で良いだろう。
「……そ、それじゃあ、我はこの辺で……」
言いながら、屋上から退場しようとする皇后崎。
「あ、待ってください」
けれど、それに雪緒が待ったをかける。
「ま、まだ何か……?」
「はい。皇后崎先輩と少し話しをしたいと思いまして」
「話し?」
「はい」
皇后崎からは色々と聞かなくてはいけない事があるし、言っておかなくてはいけない事もある。
「な、なんだ? 我も忙しいのだが……」
「昨日言ってた、呪いの事です」
「ーーっ!!」
雪緒が包み隠さずに言えば、皇后崎は見るからに動揺する。いや、動揺と言うよりは、恐怖と言った方が適切だろう。
「これは、先輩にも、先輩の周囲の人にも関わる事です」
「……我の、周囲の者……」
周囲の人と言われて、皇后崎が思い出すのはあの時の光景。自分の在り方を変えられた、あの時の……。
あの日。皇后崎は普通に授業を受けていた。
皇后崎は物静かな子供だった。
授業も静かに真面目に受け、休み時間の合間には黙々と本を読むような、そんな子供だった。よく言えば真面目な、少しだけ意地悪をして言うのであれば地味な子だった。
当然、女子達からは仲間外れにされるし、男子達からは揶揄の対象であった。
けれど、皇后崎は気にしなかった。年若くして、自分はそういうものなのだと理解していたからだ。
女子とも仲良くなれず、男子にも揶揄される。そんな日々を送るのだと。
しかし、それが分かっていても平気であった。家に帰れば大好きな家族が居るし、愛犬のミミも居る。だから、寂しくはない。学校は面倒だし、退屈だけれど。
誰とも話さず、毎日本と睨めっこをする日々。
けれど、その日々は唐突に終わりを告げた。
「皇后崎、俺と付き合ってくれ」
クラスの男子に、突然そんな事を言われた。
定番の体育館裏。顔を赤くした男子生徒が、真剣な眼差しで皇后崎を見詰める。
最初はふざけているのだろうと思った。もしくはいつも通りからかわれているのか。
どうせ誰かが近くで見ている。これも何かの罰ゲームだ。そう思った皇后崎は、その告白をあっさりと断った。
男子と付き合うというのがどういう事か分からなかったし、興味だって無かった。それに、よく知らない相手に告白されても困るだけだし、正直自分をからかう男子は皆敵だと思っていた。まぁ、一番は最初の通り、罰ゲームだと思ったからだ。
男子は泣きそうな顔になりながらも、何処か諦めたように「そっか……」と一言だけこぼした。その後、皇后崎に急に御免と一言謝り、体育館裏を後にした。
男子達の馬鹿にしたような声は無かった。はしゃぐような声も、笑いあう声も。そこで、ようやく皇后崎は理解する。
ああ、本気だったんだ……。
しかし、それなら何故? 何故自分なのだろうか? クラスには、それどころか、学校中に自分よりも良い人は居るだろう。
それに、彼はクラスでも人気の男子だった。何故人気から外れた自分なのだろうか? クラスの隅っこで一人の世界を創って閉じこもる自分なのだろう?
何故は尽きなかったけれど、最終的に彼には悪い事をしてしまったかなと思いながら、その日は呑気に帰宅した。
けれど、呑気でいられたのもその日までだった。
翌日。教室に入ると、あからさまに教室内が静まり返った。扉を開ける前まで聞こえてきた喧騒はなりを潜め、皇后崎を伺うような視線だけが雄弁であった。
皇后崎は小首を傾げながらも自分の席に向かった。
けれど、そこは自分の席であって、自分の席ではなかった。
机に大きくかかれた皇后崎を馬鹿にした言葉の数々。バカ、アホ、調子に乗んな、うざい。小学生が思い付く限りの罵倒の数々が、皇后崎の机には書かれていた。
衝撃だった。
え、なんで? 私、何もしてない……。
一瞬で頭が真っ白になった。きょろきょろと周囲を確認してそこが自分の席だと認識すれば、その行為がどういった事なのかが頭に浸透していき、真っ白だった頭が言葉の羅列で埋め尽くされる。
立ち尽くす皇后崎に向けて女子達の嘲笑が上がるけれど、それに気付かないくらいショックだった。
自分が何かしただろうか? いや、してない。だって、誰と何も関わってこなかったんだから。するはずが無い。出来る訳が無い。じゃあいったいこれは何? 何なの? だって、これ……。
頭の中で色々考える。けれど、答えは出ず。しかし、だからと言ってまったくもって思い当たる節が無い訳でも無かった。
皇后崎は真っ白な頭のまま、昨日告白してきた男子の方へと視線を向ける。
そうすれば、彼は気まずそうに皇后崎から視線を外した。
そこで、理解した。
ああ、あいつか……。あいつが、言い触らしたのか……。
それを理解した途端、混乱は収まった。そして、納得した。
皇后崎はランドセルを机の上に置くと、教科書を引き出しの中に移した。
皇后崎は、もう彼を見ていない。もう、誰も見ない。
こうして、この日から皇后崎はささやかないじめを受ける事になった。
いじめと言っても、机にペンで文字を書かれたり、軽くぶつかられたり、物を隠されたり程度のものだ。それでも、いじめられている本人からしたら、たまったものではない。
自分に敵意が向いている。それだけでも、辛いのだ。
日に日に、皇后崎は精神的にも肉体的にも疲弊していった。食は細くなり、夜眠れなくなったり、学校に行くとお腹が痛くなったり。
日に日に疲弊する。それを、自分でも分かっていた。けれど、それでも学校に行くのは、両親に心配をかけたくないからだ。
先生にも相談しなかった。相談すれば、両親に連絡が行く事を知っていたから。
机に書かれる文字は水性ペンで書かれていたので、先生に発覚する前に消した。毎朝、雑巾で消した。
給食の時、何人かで一塊になるのだけれど、その時は少しだけ机をずらされた。皆机をくっつけてるのに、皇后崎だけ指一本分の隙間が何時も空いている。
体育の着替えの時、貧相な身体を馬鹿にされた。皇后崎は人よりも発育が遅かったから、女らしくないと馬鹿にされた。
廊下で足を引っ掛けられた。転びはしなかったけれど、たたらを踏んだ。皇后崎を転ばせようとした女子達は一つ舌打ちをした後、たたらを踏んだ皇后崎を嗤った。
美術の時間、わざと絵の具の水を描いている途中の絵にかけられた。少しだけ服にかかったのに腹が立った。
段々と、人の目が見れなくなった。次第に、顔に視線を合わせるのも避けるようになってきた。
前髪を伸ばした。目線を隠したかった。
猫背になった。自分に自信がなくなってきたから。
歩くのが遅くなった。ゆっくり歩けば学校が遠いから。
笑わなくなった。何も面白くないから。笑う事など何一つ無いから。
教室に居なくなった。何時も誰かが私を嗤うから。
失敗に怯えるようになった。
後ろ向きになった。
頑張れなくなった。
ご飯が喉を通らない。
笑顔ってなんだっけ?
あれ、声って、どう出すんだっけ?
前って、どうやって見るんだっけ?
私、なんで机を拭いてるんだっけ……?
次第に、自分の行動の一つ一つに疑問を覚えるようになった。それでも学校に行くのは、これ以上両親に心配をかけたくないから。
ある日、国語の音読の最中、漢字が読めなくて詰まってしまった。
それを、クラス中がくすくすと嗤って馬鹿にする。
なんで、馬鹿にするんだろう。いったい誰のせいだと思ってるんだろう。
先生に読み方を注意される。煩い。注意するなら笑ってるあいつらを注意してよ。
「皇后崎さん。音読するときは教科書を前に立てなさい。それじゃあ声が聞こえないでしょう?」
「………………はい」
煩い。私の声なんて聞こえても聞こえなくても一緒でしょ。
「返事をするなら腕と顔を上げなさい。ほら、こうよ」
煩い。かまわないで。ほら、皆嗤ってる。
「聞いてるの? 皇后崎さん!」
煩い。聞こえてる。がなり立てないで。
「皇后崎さん、前を向きなさい!」
煩い。煩い煩い煩い!!
顔を少しだけ強引に掴まれ、皇后崎は顔を無理矢理上げられる。
皇后崎は、少しの反意を持って先生を睨んだ。
瞬間ーー
「ーーっ、いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!!」
ーー突如として、先生が悲鳴を上げた。