第拾肆話 怪異、牛女
牛女にも種類がある。
走り屋の間の噂では、牛の身体に女の顔で、車の後ろを信じられない速度で追いかけて来るらしい。
とある噂では、丑三つ時に現れる女の幽霊の事らしい。
とある噂では、女の身体に牛の顔で牛女らしい。
その他にも、牛女には多々噂がある。牛女とは有名な怪異であり、その上、話のどれを聞いてもそこまでの脅威ではない。いや、普通の人間にとっては十分に脅威だろうけれど、陰陽師や雪緒にとっては警戒する程の脅威ではないのだ。
ともあれ、雪緒が見た写真に写っていたのは、女の身体に牛の頭を持つ牛女であった。
しかし、その写真に写っていた牛女の服装は男物であった。つまり、男性が怪異化して牛女になってしまったということだろう。
牛女になるのに性別は関係なく、極論を言ってしまえば、対象が人であれば良いのだろう。牛女という伝承である限り、女である事から逸脱は出来ないので、男は必ず女に変わってしまうのだろう。
だが、正直そこはどうだっていい。問題は、邪視が変性の呪いをかけたのに、変性した怪異が牛女だった事の方だ。
邪視が呪っていたのではないのか? それに、何故牛女なのだ? 牛女はいったい何処から来た? 牛女が増殖しただけなのか? じゃあ皇后崎の邪視はどうなる? あれは邪視じゃないのか?
様々な思考が渦巻き、雪緒の頭の中を埋め尽くす。
それに、雪緒はちゃんと呪われていた。あの蘆屋道満が断言したのだ。お前は呪われていたと。だから、雪緒が呪われていた事に間違いはない。
では出所が違ったのか? 自分が気付かない内に何処かで呪われていた? じゃあそれは何時、何処で……?
「着いたわよ」
雪緒が考えを巡らせていると、怪異化した人達が隔離されているという場所まで連れて来られた。
到着した場所は町外れの廃工場。そこそこ大きいうえに、周囲に建物はないので、怪異を隔離しておくには持ってこいの場所だと言えるだろう。
ただ、雪緒の想像とは違った。雪緒は陰陽師の所有する地下施設等に隔離されていると思っていたのだけれど、どうやらそうではないようだ。
車を降りて工場の方へ歩いていく仄。雪緒はその後に続く。
「何が起きるか分からないから、一応七星剣は出しておいた方が良いわ」
「分かった」
そう言った仄の左手には、いつの間にか日本刀が握られていた。
確かに、今から向かう所は曲がりなりにも怪異が集う場所だ。何が起きても不思議ではないだろう。
雪緒は即座に七星剣を手元に呼び、臨戦体勢をとる。
工場の手前まで来ると、仄は大きな鉄扉に手をかける。そして、重いはずの扉を片手で軽々と開ける。
引き戸の錆び付いた滑車が耳障りな音を立てる。
「ぼぉぉぉぉおおおおおおっ!!」
「ーーっ!!」
扉が開いた瞬間、何者かが迫る。
即座に破敵剣で雷撃を放とうとして、止める。
仄が動いていない。ということはつまりーー
「ぼぉっ!?」
ーー此処は安全であるという事だ。
何者かが俺の所に到達する前にナニカに弾かれたように後ろに倒れる。
「結界か?」
「うん。鉄くらいなら、難無く壊しちゃうからね」
言いながら、仄は結界にぎりぎりまで近付く。雪緒も、仄に続く。
結界の中を見る。そこには、雪緒が想像していたよりも多くの怪異化した人達ーー牛女が居た。
十や二十じゃきかない。百は優に超えているだろう。
大小様々な牛女が犇めきあう、異様な空間がそこには広がっている。
「……こんなにか」
「うん。多分、もっと増える」
仄が眉間に皺を寄せる。
もっと牛女が増える。けれど、それを止める方法を知らなければ、それが何故起きているのかも理解していない。現状では牛女への対処は必ず後手に回ってしまう。何か打開策を見付けなければ、このまま後手に回ざるをえないだろう。
「……とにかく、試してみるよ」
「お願い」
とにもかくにも、先ずは怪異となってしまった彼等を元に戻すのが先決だ。
雪緒は護身剣を逆手に持ち、結界の中に入る。護身剣で結界を作るには、工場の中心地点に護身剣を刺す必要があるからだ。
勿論、結界内に入るのであれば、牛女は雪緒に襲い掛かってくる。
それを器用に避けながら、雪緒は工場の中心地点に向かう。
破敵剣は使わない。怪異になってしまったとはいえ、彼等は人間だったのだ。それに、彼等は元に戻れる余地がある。ならば、できる限り怪我を負わせたくはない。
迫り来る牛女を避け、雪緒は中心点に到着する。
即座に護身剣を地面に突き刺し、工場全体を包み込む程の浄化の結界を張る。
直後、雪緒に迫っていた牛女達が一斉に苦しみ始める。
その苦しみ様に、一瞬、失敗したかと思ったけれど、黒い靄のようなものが牛女の身体から滲み出るようにして無散していくのを見て安堵する。
学校で見た反応と同じ。ということは、浄化は成功しているのだろう。
仄を見やれば、仄も安堵したように頷いている。
雪緒は護身剣から手を離すと、結界の外へと出る。
「成功、したんだよな……?」
「ええ。ただ、経過を見てみないとなんとも言えないわね」
晴明はなり始めであれば元に戻る余地があると言っていた。晴明が言うなら間違いないのだろうけれど、自分で結果を確認しない事には本当に安堵する事は出来ない。
それに、これから牛女は増え続ける。元に戻ってくれなくては困るのだ。
「七星剣はあのまま放置して大丈夫だと思う。一応、俺の式鬼を見張りに一人残すけど」
雪緒がそう言った途端、一人の式鬼が音もなく雪緒の背後に現れる。目元まで隠れた長髪の男の式鬼。おそらく、彼が此処の見張りを請け負ってくれるのだろう。
急に現れた式鬼に、しかし、仄は驚いた様子もなく言葉を返す。
「分かったわ。私からも、何か進展があればすぐに連絡を入れるわ」
「頼む。お前も、見張りの方頼むな」
「承知、いたした……」
長髪の男は恭しく一礼をする。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「ああ」
此処にこれ以上残っても雪緒達に出来る事はもう無い。帰って、今後の事を考える方が建設的だ。
二人は廃工場を後にする。
一度振り返り、悶え苦しむ牛女を見て、彼等が元に戻る事を切に願った。
〇 〇 〇
誰も居ない部屋で皇后崎はベッドに俯せに寝転がる。
家に帰ってから、雪緒に言われた事を何度も考えた。
『自分が何をしたのか分かっててあんたはへらへら笑ってるのか!! あんたのせいで何人が不幸になると思ってるんだ!! もうすでに被害が出てる!! 手遅れになる可能性だってあるんだ!!』
『今この町で起きてる事だ!! あんたが呪いなんてかけたから、人が怪異になってるんだぞ!? それを、目論見通りだって!? あんたは、人を化け物にする事を望んでたって事か!?』
「……そんなん、知らんし……」
枕に顔を埋めて零す。
皇后崎は占いをしていただけだ。ただ乞われるままに、皆を占っていただけだ。呪いだなんて知らない。怪異だなんて知らない。だって、自分は占いをしていただけなのだから。
あんたのせいで何人が不幸になると思ってるんだ!!
その言葉にかつての記憶が想起され取り乱してしまったが、自分に思い当たる節なんて無い。
第一、町で起きてる事って何? 私、学校でしか占いしてないし……。
そう、皇后崎は学校でしか占いをしていない。誰も居ない家に帰れば、皇后崎はいつも一人でネットを徘徊したりして時間を潰している。学校外で誰かと関わる機会なんて全くない。
あるとすれば、夕飯等を買い物にコンビニに行く時くらいだ。その時だって眼帯はしているし、能力だって使ってない。
「化け物とか、知らんし……」
雪緒が烈火の如く怒りをあらわにした理由が分からない。
私が何かしただろうか? 気に障る事を言っただろうか? それとも、何か勘違いをしているのだろうか? いや、でも、母親の死について軽々しく口にしてしまった事を正直悪い事をしたと思ってるし……。
悶々と、考え続ける。
皇后崎も後になって冷静になり、あの時楸の死の事を皆の前で暴露してしまったのはやり過ぎたと反省している。
雪緒にとって最愛の家族の死を面白おかしく話をしてしまったのだ。自分に対して怒りを覚えても不思議ではない。
あの時は完全に調子に乗っていた。雪緒が自分の前に現れてくれた事に浮かれて、ついつい調子に乗ってしまったのだ。
自分も一緒だ。君と一緒なのだ。だから私に意識を向けてほしい。友達になってほしい。もっと、もっと見てほしい。私も、君と同じで常人には有り得るべからざる能力を持っているのだから。
皇后崎は自身の右目に手を添える。
彼は、雪緒は、今まで苦労をしてこなかったのだろうか? あんな力を持っていて、周りから疎まれたりしなかったのだろうか?
雪緒の力の事を考えれば、皇后崎は自然とあの夜に見た光景を想起する。
空に空いた大穴。そこに写る別世界。
最初は、見間違い、もしくは夢だと思った。けれど、目に見えるそれは現実であり、現在進行形で起こっている危機であった。
皇后崎は咄嗟に視界を飛ばした。
人の住む町なのに人気がしない不気味な町で異形は踊り、人々は逃げ惑う。そして、異形を狩る人外の者。人々を助け出す人外の者。
そんな地獄絵図もかくやという世界で、彼は風車の摩天楼で鬼面の男と一緒に戦っていた。
それを見た瞬間、目を奪われた。
自身を守る防壁を作り、敵を穿つ雷撃を放つ彼の圧倒的な力を見て、皇后崎の心は一瞬にして奪われた。
自分とは違う完成された力。
彼について聞けば、彼について教えてくれた。
七星剣という殆ど伝説に近い武器を操り、また、自らと同じくほの暗い過去を持つ少年。最初の怪異であり、世間を賑わせていた連続失踪事件の真相である、きさらぎ駅を終わらせた男。
声が囁く。
君と同じ人を超越した能力を持つ存在だよ。この世界で、唯一君を分かってくれる存在だよ。彼は君よりも深い闇を見ている。彼なら、君を受け入れてくれるよ。
囁く。耳に聞こえて来る訳ではない。頭に直接響くのだ。
その声が言う。
彼と友達になろう。大丈夫、君ならなれるよ。そうだ。君が彼と同じだという事を彼に知ってもらえば良い。そうだね。占いなんてどうだろう? 学校中に噂が広がれば、彼の耳にも届くよ。それに、普通の友達も出来るかもしれないね。
ああ、そうかもしれない。そう思ったから、そう期待したから、占いを始めたのだ。
だというのに、結果はこの様だ。
「はぁ……もう、めんどい……」
考えるのも、行動に起こすのも、今はすべてが面倒臭い。
仰向けになり、天井を睨む。
何時からだろう。何時から、こんなふうになってしまったのだろう。
……そんなの、考えるのも今更だ。あの時だ。あの日だ。あの日あの時から、全部狂った。
「……なんで、私ばっかり……」
こんな思いを、こんな気分を、こんな経験を……こんな、能力を……。
皇后崎は天井を睨む。そこには何も無いから。誰もいないから。
天井を睨んでいると、部屋の扉がかりかりと引っ掛かれる音が聞こえて来る。
皇后崎は起き上がり、眼帯を付けてから扉を開ける。
そこには、皇后崎の唯一の理解者であり、唯一の家族でもあるミミが居た。
「ミミ~。もうお眠か?」
皇后崎が笑顔でたずねれば、ミミはわふと小さく鳴く。
「そっか。じゃあ寝るか」
扉を少しだけ開けておいて、皇后崎は部屋の明かりを消す。
ミミを抱きしめ、目をつむる。
ミミを抱きしめていると心が落ち着く。ミミの体温が自分の中に流れ込むみたいだ。とても、温かい。
「……」
明日、謝りに行こう。酷い事を言ってしまった事を詫びよう。それで、訳を聞いてみよう。何が起きているのか、何をしているのか、訳を聞こう。
でも、許してくれるだろうか? それとも、無視されるだろうか? それとも、それとも……。
そんな事を考えながら、皇后崎は眠りにつく。
目に見えない何かが薄く笑った。