第拾弐話 目論見
学校に向かう間、雪緒は目を凝らして生徒達を見てみたけれど、素人の雪緒では呪いにかかっているのかどうかまったく分からない。それどころか、睨まれていると勘違いした生徒が悲鳴を上げて逃げてしまい、少しだけ傷付いた。
ともあれ、誰が呪いにかかっていて、誰が呪いにかかっていないのかまったく検討がつかない。
どう見分ければ良いのかと考えている間にも、雪緒は学校に到着する。
表面上、いつも通りの学校であるけれど、その実呪いにかかった生徒がいるというとんでもない事態になっている。誰も気付いてはいないけれど、逆にその方が都合が良い。パニックになられても困る。
教室に着けばすでに仄が登校しており、青子も加代も登校していた。
適当に挨拶を済ませる雪緒。表面上、雪緒はなんでも無い風を装わなければならない。二人に心配はかけられないし、二人を怪異に巻き込む事は出来ない。
雪緒は普段通りを装いながら一日を過ごす。授業中も、お昼休みも、焦燥と警戒を隠す。
隠しながら、どうすれば良いのかを考えた。
どうすれば良いかは結局分からなかったけれど、こうしてみれば良いのではという案は出た。
放課後、屋上に一人立つ。
元々、護身剣で結界を作り、結界の中で邪視を浄化しようという話であった。結界の範囲がどれ程大きくなるのかは分からないけれど、何回か結界を作っているのでここまでならいけるかもしれないというおおよその範囲は分かっている。
「来い」
一つ呼びかければ、七星剣が来る。
しかし、今は護身剣だけだ。破敵剣は必要が無いため、今回はお留守番である。
「よし、やるか」
一つ息を吐き、雪緒は護身剣の切っ先を屋上の床に当てるようにして立たせ、七星剣を支えるように柄頭に手を置く。
目を閉じ、想像する。学校を覆い尽くすほどの結界を。その中で、呪いが浄化される様を。
強く、強く、想像する。
瞬間、七星剣から力が溢れるのを感じる。
上手くいったのか確認するために目を開ける。
「おぉ……まさか本当に出来るとは……」
目を開けて、驚く。学校を覆うようにして張られた結界が目に入る。
部活動のため校庭を走る生徒を見れば、黒い靄が浮き出て消えているのが分かる。
雪緒はすぐさま仄に電話をかければ、ワンコールで仄が出る。
「どうだ仄? 成功か?」
『ええ、ばっちりよ』
仄には一応校内に残っていてもらい、浄化が成功したかどうかを確認してもらっていたのだ。
『え、何? 陰陽師? どうかしたの?』
『ううん、何でもないわ。それじゃあね』
こちらの返事も聞かずに仄は通話を切る。
仄の傍には青子と加代が居る。二人も、皇后崎のところに占ってもらいに行っている。だから、二人も呪いにかけられた可能性が高い。いや、占った者全員に呪いをかけているのであれば、十中八九呪いにかけられている。
そのため、雪緒が結界を張るまで仄に引き留めてもらっていたのだけれど、仄の反応を見るにどうやら呪いは解呪出来たらしい。
その事に、ほっと一息付く雪緒。
ともあれ、これで呪われた人達の浄化が出来る事は分かった。それに、結界を張れる範囲も雪緒が想像していたよりも広い。学校の敷地全域を覆えるのであれば、大概の場所は大丈夫だろう。
結界の出来に満足し結界を解く。
この後は仄と一緒に仄の家に行き、今後の対応や雪緒が結界を張る場所の説明を受けなければいけない。
仄と合流するために屋上を後にしようとしたその時、重い屋上の鉄扉が勢い良く開け放たれる。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!!」
屋上の扉を開け放ったのは、息を切らした改造制服少女ーー皇后崎であった。
皇后崎は右目を手で押さえながら、左目で雪緒を睨みつける。
「どうしーー」
「貴様何をしおった!!」
どうしたのか聞こうとしたその時、雪緒の言葉を遮って皇后崎が怒鳴り声を上げる。
怒鳴った瞬間、右目が痛むのか顔を歪める皇后崎。しかし、雪緒には何がなんだかさっぱり分からないーー訳ではない。思い当たる節はある。
「痛むって事は、ダメージがあるって事ですか?」
「ーーっ!! 貴様ぁ!! 何をしようとしておった!! 言え!!」
怒鳴りながら雪緒に詰め寄り、皇后崎は雪緒の胸倉を乱暴に掴む。
雪緒は動じる事なく、冷静に返す。
「これで結界を張ってました」
言って、一度消した七星剣を再度呼び、皇后崎が見えるように持ち上げる。
「ぐっ! それを近づけるでない!!」
乱暴に雪緒の胸倉を離して雪緒から距離を取る。
七星剣に限らず、霊剣、霊刀、あるいは聖剣と呼ばれる物には、浄化の気というものがある。見るだけで、近くに在るだけで、触るだけで、不浄の者には効果がある。
取り分け、視る事に関して秀でている邪視にとっては視界に入るだけでも辛いものがあるのだろう。
「……その右目、やっぱり怪異なんですね」
怪異を知っている事を、皇后崎の目が怪異である事を、もはや雪緒は黙っているつもりは無い。相手も事情を知っている。であれば、こちらが黙っているのも滑稽と言うものだ。
「ーーっ! ……御主こそ、七星剣を持っておるでないか。この間はとぼけおってからに」
「七星剣は見せびらかすために持ってるんじゃないんで。先輩と違ってね」
七星剣は晴明が力の無い雪緒が怪異と戦うために与えてくれた力だ。誰かを護るために使っても、誰かに自慢をするために使ったりはしない。
「わ、我だって見せびらかすためにこの能力を使っておる訳ではない!」
「じゃあなんでそんなものを使ってるんですか? 先輩、今どういう状況になってるか分かってますか?」
「分かっておるわ! 我の力が周囲に知れ渡り、御主が来た! 全て我の目論見通りよ!」
右目を押さえながらも、喜ばしげに笑う皇后崎。
「目論見通りだって……?」
「ああそうさ! 御主は感じた事は無いか? 能力が有るがゆえに孤独を感じた事は? 能力が有るがゆえに迫害をされた事は?」
無いよそんな事。一度だって有りはしない。
雪緒は無言で皇后崎に歩み寄る。しかし、皇后崎は言葉を止めない。
「虐められ、親にすら見放され、周囲からも気味悪がられた事は?」
無い、有る訳無い。だって雪緒は力なんて持ってない。
「あるだろう!? 我に有るのだ! 御主に無いわけが無い!」
無い。知らない。そんな事はどうだっていい。
「我なら御主を分かってやれーー」
「もういい黙れ」
言いかけた皇后崎を遮り、雪緒は乱暴に皇后崎の胸倉を掴む。
先程とは逆の構造。そして、感情もまた逆だ。雪緒は明確に怒りを表しており、皇后崎は激怒している雪緒に困惑している。
「な、何をそんなに怒っておる……? わ、我が何か気に障るような事を言うたか……?」
先程までの饒舌さはなりを潜め、突然怒ったように見える雪緒に若干の怯えを見せる皇后崎。
しかして、その怯えは今の雪緒には見えない。
雪緒は、元々悪い目付きを更に悪くさせて皇后崎を睨む。
「あんた、本当に自分が何やったのか分かってるのか?」
「わ、分かっておる……」
雪緒の言葉に、皇后崎が弱々しく頷く。
その瞬間、雪緒の怒りが限界を迎える。
「自分が何をしたのか分かっててあんたはへらへら笑ってるのか!! あんたのせいで何人が不幸になると思ってるんだ!! もうすでに被害が出てる!! 手遅れになる可能性だってあるんだ!!」
「な、にを、言って……」
「今この町で起きてる事だ!! あんたが呪いなんてかけたから、人が怪異になってるんだぞ!? それを、目論見通りだって!? あんたは、人を化け物にする事を望んでたって事か!?」
「ば、化け物……? なにそれ、知らない……」
青い顔をして力無く首を横に振る皇后崎。
雪緒に怒鳴られ、皇后崎の頭の中に蓋をしていたかつての記憶が蘇る。
『お前が居ると皆不幸になる! お前なんか、産まれて来なければ良かったんだ!!』
目ではなく、皇后崎は頭を抱える。
まるで頭痛を堪えるように顔を歪め、左目から普通の涙を、右目からは血の涙を流す。
皇后崎の涙を見て、雪緒もようやっと様子がおかしい事に気付く。
雪緒が皇后崎の胸倉を離せば、皇后崎はふらふらと覚束ない足取りで後ろに下がる。
「……らない……」
ぶつぶつと何かを呟き、皇后崎は雪緒から距離を取る。
「知らない……知らない知らない知らない知らない!! 私はそんな事知らない!! 私は悪くない!! 私は、私は……なんで、私ばっかり……!!」
「あ、おい!」
皇后崎はきびすを返すと走り出し、屋上を後にした。
追うことは出来た。雪緒も霊力の使い方に慣れてきたため、身体能力を強化する事は可能だ。そのため、常人よりも素早く動く事が出来る。
しかし、追ってどうなる? 追い付いて、皇后崎に何が言える? 皇后崎の事を何も知らないのに。先程、皇后崎の事を責め立てた自分に。
雪緒は、皇后崎が目論見通りだと言ったために憤った。人の怪異化が彼女の目論見通りだと思ったからだ。しかし、彼女の様子を見るに、どうやら少し事情が違うらしい。
雪緒は厄介そうに頭を乱暴に掻く。
「……怪異を倒せばそれで終わり、って訳じゃ無いのか?」
今回の件、どうやら怪異を倒してそれで終わりではないようだ。
怪異もそうだけれど、皇后崎にも何がしかの事情が有るようだ。
「ん? 先輩の事情……?」
ここに来て、雪緒は違和感を覚える。
この件は今までとは随分と違う。まず、皇后崎は怪異ではなく人間だ。怪異が皇后崎に寄生している、もしくは間借りしている状態だということだ。
そもそもの話、そんな事は実際に有り得るのだろうか? 猿夢の場合はただ人間だった頃の自我を取り戻しただけだ。それは猿夢という弱い怪異を少しでも強くするための補完作業であり、それ以外の意図は無い。
では、皇后崎も自我が戻った怪異か? いや有り得ない。皇后崎が失踪したという情報は無い。前提として、この町に蔓延る事になってしまった怪異は全員きさらぎ駅の生き残りだ。
皇后崎が失踪していたのであれば、噂にもなるし繁治のくれた被害者リストにも載っていたはずだ。自我が戻った可能性を考慮して、雪緒はもう一度リストに目を通している。けれど、皇后崎の名前は無かった。
であれば、皇后崎は怪異ではない。彼女の右目が怪異、もしくは怪異が乗り移っている状態だ。
皇后崎は知らないと言った。皇后崎の困惑した表情や取り乱した姿を見るに、彼女は怪異化の事は知らなかったはずだ。
つまりーー
「怪異の目的と皇后崎先輩の目的は違う……って事か?」
言って、思う。
「いや、そりゃそうだろ。人を怪異にしたいだなんて誰が思うかよ……」
そう、冷静に考えれば分かった事だ。誰が好き好んで人を怪異にするというのだ。皇后崎の得意げな表情に怒り心頭になってしまったけれど、冷静になれば分かる事だった。
いや、皇后崎が人を怪異にしたかった可能性を完全に捨てきる事は出来ないけれど、それでも可能性は限りなく低い。それに、皇后崎の反応を見ればその考えが間違いである事は分かる。
皇后崎は誰かに騙されていたような様子であった。騙されたという事はつまり、皇后崎を騙す相手が居るという事だ。そしてそれは、他ならぬ邪視である。
邪視が概念として存在している可能性と、実体として存在している可能性があったけれど、皇后崎が騙されていた事実を鑑みれば、実体として存在している可能性が高いだろう。
概念であれば思考は無い。しかし、思考する事が出来るのであれば実体はある。考える頭が有るという事なのだから。
段々と、邪視に近付けて来た。けれど、なんで邪視が人を怪異化させるのか、それがまったく分からない。
それに、皇后崎の方の事情も聞かなくてはいけないだろう。邪視を倒してはい終わり、という訳にもいかない。
「……ああ、くそ! 難しいな、本当に……」
雪緒は苛立ちながらも屋上を後にする。
「私ばっかり、か……」
怪異とはまったく関係ない何かが皇后崎にはある。それを解決しないと、この件を完全に解決したとは言えないだろう。
雪緒は考えを巡らせながら、仄と合流した。解呪には成功したけれど、後味の悪さが残った。