第陸話 手のかかる子程可愛いけれど
病室に戻りベッドに寝転がる。小梅は色々と物珍しいのか、出してやったパイプ椅子に座ってはいるが、きょろきょろと忙しなく辺りを見回している。
「なんとも、あの時からは考えられぬ程でありまするな。某、驚きの連続にござりまする」
「だろうな。まぁ、平安からざっと数えて千年以上だからなぁ……」
言って、また違和感を感じる。
「なんと! そんなにも時間が過ぎておったのでありまするか! 某には分からぬ物ばかり増える訳でありまするなぁ」
しみじみと、感慨深げに言う小梅。
ほら、まただ。
また、小梅の言葉に違和感を覚える。
しばし、考えて、ようやっと気付く。
「小梅、お前今までどこにいた?」
「どこ、と言いますと?」
「俺に喚ばれるまでどこにいたんだ?」
雪緒が感じた違和感。それは、小梅が現代について疎過ぎる事だ。
小梅が召喚できたと言うことは、小梅は現代まで存在できたという訳になる。
式鬼は化生。人と理が違う存在。だから、千年の時を生きてこれたとて不思議は無い。けれど、それならそれで、歴史の流れを見てきているはずなのだ。
だというのに、小梅は全く知らないと言う。
歴史の流れを見ていない、つまり、歴史に触れて来ていないということだ。
そんな事が果たして有り得るのだろうか? 鎖国は無くなり、世界大戦だって二回も起きている。日本だって被害を受けている。そんな中、全くもって世間との関わりを持たないことなんて可能なのだろうか?
そんな疑問と共に問い掛けられた雪緒の言葉。
しかし、雪緒に問い掛けられた小梅は、困り眉で小首を傾げて考え込むばかりだ。
「申し訳ございませぬ。某、先程主殿に喚ばれるまでの事が、何一つ思い出せぬのでござりまする」
「なんだって……?」
思い出せない? 何一つ?
「申し訳ございませぬ……。某もうんと唸って思い出してはいるのですが、どうにもなにも思い出せぬのでございまする」
「じゃあ、なんで俺の事は憶えてるんだ?」
「主殿との出会いは憶えておりまする。ただ、それ以降の事は何も思い出せないのでありまする」
「どういうこっちゃ……」
全く思い出せないと言う小梅に、雪緒の方も首を傾げてしまう。
小梅が過去に居て、未来まで存在してきたのは確かだ。それなのに、何も思い出せないと言う。
本当にどういうことなのだろうか?
「まぁ、小難しい事は考えても仕方ないか」
「面目次第もござりませぬ……」
「いいよ、責めてる訳じゃない。思い出せないんじゃ仕方ないさ」
確かに、小梅が何も思い出せない事は気になるし、心配ではあるけれど、それ以上に小梅にまた出会えた事が嬉しい。
「改めて、こっちでもよろしくな」
「はい! 宜しくお願い申し上げまする!」
雪緒が言えば、元気良く小梅が帰す。
そんな小梅に、雪緒は苦笑を浮かべながら言う。
「院内ではお静かにな」
「はっ! 失礼致しました!」
「お静かにな」
「は!」
ぱっと口に手を当てる小梅。
本当に幼い子供みたいだと、思わず苦笑が出る。
と、改めて挨拶をした調度その時、すぅっと静かな音を立てて病室の扉が開いた。
「お夕飯の時間ですよー」
言って、千鶴はカートを押しながら病室に入って来る。
「まずっ、隠れろ小梅っ」
「承知!」
小声で小梅に隠れるように言い、小梅は小声で返事をしてからベッドの下に潜り込んだ。
「あれ? 今、誰か居た?」
小梅が隠れるところが少しだけ見えたのか、小首を傾げながら千鶴が聞いてくる。
「い、いえ。俺一人だけですけど?」
「そう?」
カーテンを閉めていなかったので、夕日が若干目くらましになってくれたのか、千鶴は小梅の姿を確かに見れた訳ではないのだろう。
「誰か居たような気がしたんだけど……ま、いっか。はい、お夕飯」
「病院でそんな冗談やめてくださいよ」
「あ、君はそういうの信じるタイプ?」
面白がるように聞いてくる千鶴に、雪緒はどう答えたものかと一瞬考えるが、当たり障り無く言うならば大丈夫だろうと考えた。
「まぁ、信じますよ。夢があるじゃないですか」
雪緒の場合、最早夢では無く現実だけれど。
「千鶴さんはどうなんですか? 仕事柄、そういったことには縁があるんじゃないですか?」
「夢があるかどうかは分からないけど、そっちの方が断然面白いって思うかな。こういう仕事してると、そうであった方が嬉しいって思う事もあるからね」
「嬉しい、ですか?」
「そう。一度ね、手の付けようが無い程重症を負って搬送されてきた患者さんがいたんだけど、やっぱり、処置のしようが無くてね。なんとか可能性にかけて出来ることは全部やったんだけど、結局、助からなくてね」
千鶴の瞳に悲しみの色が浮かぶ。
決して一度や二度では無いのだろうけれど、目の前で誰かが亡くなるというのは、とても辛い事のはずだ。目の前でなくても、大切な人の理不尽な死を経験している雪緒だから、千鶴の悲しみには僅かばかりの理解は示せる。
「処置が終わった後にうなだれてたら、急に耳元でありがとうって声がしてね。びっくりして辺りを見渡しても誰もいないし、人が通った気配も無かったの。聞き間違いかなとも思ったんだけど、その人の処置に入った人全員に聞いてみたら、全員が全員聞いたって言ってたからさ。そうであってくれた方が、わたしは嬉しいかな」
そう言って、千鶴は笑う。
強がった笑みではなく、極自然な笑み。
「まぁ、怖いってのも面白いってのも本心だけどね。わたし、夏の心霊特番大好きだし」
最後に恥ずかしかったのか、茶化したように言う千鶴に、雪緒もつられて笑う。
「俺も好きですよ、心霊特番」
「じゃあ今度取りためたやつダビングして持ってきてあげるね」
「病院での観賞会は勘弁です」
「えぇ~? 雰囲気出るのに」
「雰囲気だけじゃなくて本物も出そうだから嫌なんですよ」
まぁ、ベッドの下に本物が居る訳だけれど。
「ふふ、まぁ、今度何かDVD持ってきたげる。暇してるでしょ?」
「ええ。姉さんも父さんも暇潰しの道具を持ってきてくれないので凄く助かります」
心配かけた罰だと言って、明乃も繁治も本やゲーム機はおろか、お見舞いの品すら持って来てくれないのだ。まぁ、お使いを頼まれてくれるだけまだ有り難いのだけれど。
「心配かけたんだから反省しなさいって事でしょ。それじゃあわたしも持ってくるの止めようかなー?」
「後生ですから持って来てください。暇で死にそうです」
「落雷で死なないんだから大丈夫よ」
「それと比較するとどれもちっちゃく聞こえるんでやめてください」
「ふふ、まぁ、持ってきたげるよ。それじゃあ、ゆっくりよく噛んで食べるよーに」
最後にそう言って、病室を後にする千鶴。
病室の扉が完全に閉まり、足音が遠退いて行くのを聞き届けると、雪緒は小梅に声をかけた。
「もう出て来て良いぞ」
「承知」
雪緒が声をかければ、小梅はベッドの下からにゅっと出て来る。
「主殿、付かぬ事お伺いしても宜しいでありまするか?」
「ん? 何?」
「ここは、主殿の母屋ではない様子。ここはいったい、何処なのでありまするか?」
「あぁ、そうか。説明とか全くしてなかったな」
小梅には、恐らく雪緒との出会いの記憶しかない。平安の知識も無ければ、現代の知識も無い。出会った当初のままの情報で止まってしまっているのだ。
「ここは病院っつってな、病気になった人や怪我をした人が世話になる場所だ」
「なんと! では主殿も病に!?」
「いや、俺は検査入院だ。雷に打たれたから、そのための診察を受けてるんだ」
「けんさにゅーいん? しんさつ?」
「要は、大丈夫かどうか診てもらってるだけだ。特に怪我も病気も無いよ」
「なるほど。では、主殿は念のためにここに居る、ということでありまするな?」
「そゆこと」
小梅に現代知識を教えていかないとなと思いつつ、雪緒はご飯を食べる。
病院食は味気無いと言うけれど、ここの病院食は結構美味しい。
「お、そうだ。これ食うか?」
言って、雪緒はお盆の隅に置いてあったゼリーを小梅に渡す。
「これは?」
「ゼリーって言ってな。あー……なんて説明すりゃあいいんだ? まぁ、とにかく甘くて美味しい食べ物だ」
「ほう! この綺麗な色の物が食べ物でありまするか! へー、ほー……」
透明な容器に入れられ、ビニールの蓋がされているブドウゼリーを、小梅が物珍しげに眺める。
「食べるか?」
「宜しいので?」
「ああ。俺はこっち食うだけで腹一杯だから」
とは言うが、量より健康面に気を遣っている病院食では腹八分目にも届かない。が、自分が食べているだけで小梅が何も食べていないという状況はとても申し訳が無い。いくら食事が必要無いとは言え、見た目は完全に年下の少女なのだ。心が痛むのが当たり前だ。
「で、では、有り難く頂戴いたしまする!」
目を輝かせて言う小梅。
嬉しそうにゼリーを眺める小梅を見て、やはりあげて良かったと思う雪緒。
「して、これはいかようにして食せば良いのでありまするか?」
「あぁ、そうだったな」
一度小梅からゼリーを受け取ると、ビニールの蓋を開けてやる。
「なんと! かように薄い蓋は初めて見もうした!」
「だろうな。ほら、こっちがスプーンだ」
ビニールに入っていたプラスチックのスプーンを出してやり、小梅に渡す。
「すぷーん、でありまするか?」
「ああ。それで掬って食べるんだ」
「なるほど」
一つ頷き、小梅はスプーンでゼリーを掬う。
「なんと! とても、形容しがたい動きをしておりまする!」
「まぁ、それがゼリーだからな」
「なんと! ぜりーとは不可思議な食べ物でありまするな……」
感嘆したように言う小梅。
気分的には雪緒達が下手物を食べるのに似ているだろう。いや、それとは少し心構えが違うか。
「では、いただきまする!」
言って、はむっと一口食べる。
途端、目をかっと見開いてかっかっと容器とスプーンを打ち付けながら、物凄い勢いでゼリーを食べる。
子供の小さい一口とは言え、病院食について来るようなゼリーなので、当然その量も少ない。あっと言う間にゼリーを食べ終えてしまう小梅。
「主殿! このぜりーと言うのはとても美味にござりまする!」
「気に入ったか?」
「はい!」
「そいつは良かった」
嬉しそうに目を輝かせる小梅を見て、雪緒も嬉しくなる。
「しかし、ぜりーというのは量が少ないのでありますね。やはり、甘味は貴重なのでしょうか? ……は!? ということは、某は主殿から貴重な甘味を…………!!」
喜んでいたと思ったら急に顔を青ざめさせる小梅。
「いや、大丈夫だよ。ここは病院だから、食事の量も少ないんだ。町に出れば、ゼリーはいくらでもあるよ」
「そ、そうなのでありまするか。某、てっきり主殿の貴重な甘味を奪ってしまったのかと……」
「安心しろ。平安と違ってこの時代じゃ甘味はそこまで貴重じゃない」
日本の平均的な家庭においては、だけれど。しかし、それを言ったところで小梅には分かるはずも無いし、説明をする必要も無いので言わない。
「で、では、この時代では、このぜりーが沢山あるのでありまするか!?」
「ああ。それに、ゼリーだけじゃない。平安には無かった食べ物が多い」
「な、なんと……! 時の流れとは、かくも恐ろしい……」
雪緒の言葉に戦慄をしたように言う小梅。
「まぁ、そういう反応にはなるよな」
雪緒だって、今の時代から千年先の未来に突然飛ばされれば小梅のような反応になる自信がある。
「そうだ、小梅。悪いけどカーテン閉めてくれるか?」
そろそろ夕日が完全に沈む。そろそろカーテンを閉めなくては。
「かーてん、にござりまするか?」
「あぁ、それもわからんか。その布の事だよ」
「これにござりまするか?」
カーテンを指差せば、小梅はパイプ椅子から降りてカーテンに触れる。
「そう。それを横に引くんだ」
「こうでござりまするか?」
「そうそう」
しゃーっとカーテンを引く小梅。
「なるほど、これで日の光を遮る事も出来るのでありますね! しかし、夜に閉めるのは、いったいどういった意味が?」
言われ、そういえばどうして夜にカーテンを閉めるのかは分からないと気付く。
そういうものだから、としか分からない。
「さぁ? 防犯、かな? ごめん。わかんないや。後で調べておくよ」
「いえ、滅相もござりませぬ! 主殿の御手を煩わせるまでもありませぬ!」
「いや、俺も気になるしさ」
「では、某が調べてまいりましょう! では! 吉報をお待ちくだされ!」
「え、おい! 小梅!?」
言うが早いか、小梅はさっさか部屋から出て行ってしまった。
止める間も無く出て行く小梅に、小梅を止めるために伸ばした手が虚しく宙をかく雪緒。
まぁ、その内諦めて帰って来るだろう。どうやって調べるかもわからないだろうし、そもそも小梅に英語や和製英語の類が分かるとは思わない。インターネットも使えなければ、パソコンやスマホも分からないだろう。
小梅が無事に帰って来ることを祈りつつ、雪緒は夕御飯に手を付ける。
最悪、式鬼神召喚で喚び出せば良いだろう。
それに、病院から出ることはしないはず……しない、はずである。
「はぁ……手のかかる子ほど可愛い、だっけか?」
言いながら、雪緒はベッドから降りて部屋を後にした。
言わずもがな、小梅を捜しに出たのだ。
なんとか小梅を見つけ出した時にはすでに夕御飯の時間は過ぎ去っており、戻ったときには先に部屋に来ていた千鶴に怒られた。
慌てて、小梅にしばらく別の所に隠れるように手で合図をした。
小梅が別の場所に隠れた後、さっさと夕御飯を食べて待ってくれていた千鶴に空になった食器を渡した。
その時、夕食を食べるよりも前に空いていたゼリーの容器を見られていたらしく、不思議そうな顔で聞かれた。
「デザートから先に食べたの?」
一瞬焦ったけれど、小梅が食べた所を見られた訳ではないので、我慢が出来なかったと答えておいた。
千鶴には苦笑をされたけれど、小梅の事がばれるよりは良い。
千鶴が出て行った後、小梅を部屋に連れ戻し、なるべく勝手な行動をしないように言い含めてから就寝した。
眠気を感じて目を閉じ、眠気に誘われた意識は確かに沈んで行ったのに、次の瞬間には眠気が一気に無くなった。
予感を感じて閉じた目を開けば、視界には清潔感のある病院の天井ではなく、少し汚れがある藁の天井であった。
「起きたか」
凛とした声が聞こえて来る。
雪緒はその声が聞けたことが嬉しくて、つい少し笑んでから言葉を返した。
「お早う、晴明」
声の方を向き、その顔を見る。
そこには、美しい顔立ちの少女ーー晴明が居た。
ここまでくれば、流石にこれが夢ではないと確信を持てる。小梅を現代で召喚できた事も確信の内の一つであるが、やはり晴明に逢えるという事実が確信を得るのには一番重要だ。
雪緒にとって晴明がこの奇妙な時間移動の発端なのだから。
「お早う。そろそろ朝餉が出来上がる頃だ。起きて布団を仕舞うがよい」
「あぁ」
起き上がり、布団を綺麗に畳んでから物置へと持って行く。物置の場所は狩衣に着替えたときに入ったので知っているし、そこに布団を仕舞っていることも知っている。
布団を仕舞って居間に戻り、晴明の向かいの茵に座る。
「あの後、ちゃんと寝たか?」
「お蔭様でな。直ぐに眠ってしもうたわ」
「なら良かった」
「目の前で心地良さげに眠られては、つられて眠くなると言うものだ」
「誰のせいですかねぇ誰の」
「さて、知らぬなぁ?」
すっとぼけたように言う晴明に、雪緒はくくと笑みをこぼす。
「そうだ、小梅と冬さんは?」
「一緒に朝餉を作っておる」
「小梅、昨日もちゃんと居たか?」
「おった。……どうかしたのか?」
「あぁ、実はーー」
雪緒は晴明に現代であったことを包み隠さずに話した。
現代で召喚できた小梅が雪緒との出会い以外の記憶を全く思い出せない事を。
「ここから俺の居る時代に召喚されたのかもって思ったんだけど……」
「いくら理が違えど、千年の時を跨ぐ事は出来ぬよ」
「いや、俺が出来てるからさ」
「其方は例外だ。この時代と先の時代でなんらかの縁を持ったからだ。その縁が時代を越えて繋がり、その綱を辿って其方は時代を行き来出来ておるのだ」
「何それ初耳」
「昨日言うたであろう?」
「晴明に喚ばれて来たって事だけ聞いた。後、幽体になってる事も」
「むぅ、そうか……」
扇を口元にあてて、考え込む晴明。
恐らく、昨日何処まで話したかを思い出している所なのだろう。
晴明はあの時寝ていないと言っていた。そのため、話した事をあまり憶えていないのだろう。話した事は憶えているけれど、何処まで話したかは憶えていない、といったところか。
「まぁ、話は朝餉の後でも良かろう」
晴明がそう言うと、調度良く襖が開かれる。
「さぁ、朝餉が出来ましたよぉ。あら、お早う御座います雪緒さん」
「出来たでありまする! あ! 主殿、ご起床なされたのでありまするね? お早う御座いまする!」
「お早う二人とも」
雪緒は二人に朝の挨拶をする。
冬が晴明の前に、小梅が雪緒の前に盆を置く。
「いただきます」
「いただきます」
二人は食前の挨拶をすると、朝餉を食べ始めた。