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第弐拾肆話 猿夢、終幕、弐

これにて、弐章終幕

猿夢は結構呆気なく終わりましたね。驚きです。

評価、ブックマーク等ありがとうございます。

 家に帰り、夕飯などを済ませた雪緒は自室のベッドに寝転がる。


 雪緒の机で小梅が何やら書いているけれど、何かを書いているのはいつもの事なので特に気にはしない。一度覗き見てみたけれど、達筆過ぎて何を書いてあるのかがまったく分からなかった。


 楽しそうに書いているので気にはなるけれど、楽しそうにしているのを邪魔するのも悪いと思い、いつもそのままにしている。


 さらさらと、筆を走らせる音だけが聞こえて来る。


 ようやく。ようやく夜が訪れた。それはもう、待ちに待った夜だ。かつてこれ程夜を待ちわびた事があっただろうか。そう思えるくらいには、雪緒は夜が来るのが待ち遠しかった。


 理由はただ一つ、平安に早く行きたかったからだ。

 

 眠って、早く平安に向かいたい。雪緒の心中は、それだけで一杯であった。


 時間(とき)を越える事が並大抵の事ではない事を雪緒は理解している。時間遡航など、そう有るものでは無い。映画や小説などの創作物において、タイムマシンを持っているだけで命を狙われるなんて展開もあるのだから。


 誰にとっても、自由な時間遡航はそれだけで大きな力になるし、奪い取ってでも手に入れたい程の希少価値があるのだ。


 そんな希少な時間遡航を晴明の言った理論だけで出来るかどうか、それがとても不安なのだ。


 もちろん、晴明を信じていない訳ではない。けれど、出来るかどうか不安に思ってしまうくらいに、時間遡航というのは有り得ない現象なのだ。


 雪緒はそわそわと落ち着かない様子で何度も寝返りを打つ。


「主殿、不安でござりまするか?」


 そんな雪緒を見兼ねたのか、それとも心配したのか、小梅が回転椅子を回して雪緒を振り返る。


 雪緒は起き上がり、バツが悪そうに頭をかきながら言う。


「まぁ、な……晴明が凄い奴だってのは分かってるけど、それでも時間を越えるって相当難しい事だろ?」


「そうでありまするな。しかし、相手はあの晴明様です。晴明様が少しでも出来ると確信したのであれば、出来るのではないでしょうか?」


「俺もそう思うんだけどな……実際に目で見るまではやっぱり心配と言うか……」


「しかし、目に見える根拠なら主殿は何度も見られておいでではないでしょうか?」


「え? いつ?」


「昨晩にでありまする」


「昨日?」


 言われ、雪緒は考えてみる。


 しかし、証拠を何度も見てきたと言われても、まったくもって分からない。昨日の夜と言えば、雪緒は絶賛猿夢と戦闘中であり、そんな事までは気にしていなかった。


「……だぁ! ダメだ、分からん……」


 頭を捻って考えたけれど、まったくもって分からない。


 普段であればもう少し考えられたと思うけれど、今は晴明にもう一度逢えるかどうかに頭の中を支配されているので、まったくもって頭が働かない。いや、常であれば分かったとは言わないけれど、もう少し集中力はあったはずだ。


「はぁ……早く平安(あっち)に行きたいよ……」


 そうすれば、こんな心配をして気が気じゃなくなる事も無いのに。そう思って口からこぼれた言葉。


 しかし、雪緒のそんな言葉を聞いて、小梅はふふと楽しそうに微笑む。


「ふふっ、主殿は早く晴明様に逢いたくて仕方がないのでありまするな」


「なっ!? いや、そんなんじゃ……!」


 無い、とも言えないけれど。決して、決して晴明に逢いたいがために言った訳ではない。逢いたくない訳ではないけれど!


 がばりと慌てて起き上がり、雪緒は小梅に弁明する。


「いや、今のは分かるだろ!? 平安に行けばこれ以上心配しないで済むし、それに皆ともまだ色々話しをしたいしって意味であって、別に晴明に逢いたいってだけじゃない!!」


「ふふふっ、分かっておりまするよ。力を貸してくれた道満殿にもお礼を言いたいのでありましょう?」


「ぐっ……小梅、俺をからかったな?」


「いえ、からかってなど。某は事実を言ったまででござりまする」


 事実と言われて、思わず反論しそうになったけれど、晴明に早く逢いたいと思う気持ちも無い訳ではなく、小梅の言葉に雪緒が過剰反応してしまっただけだ。つまり、小梅の言った事は図星であり、小梅はただかまをかけただけなのである。


 まんまとしてやられた雪緒は、一つ呻くとふて腐れたようにベッドに寝転がる。


「お前がそんなに意地悪だとは思わなかったよ」


「冬殿が(おっしゃ)っていました。女は少し意地悪なくらいが丁度良いと」


「冬さん、もっと別の事教えてくれよ……」


 ろくでもない事を小梅に教えている冬に、雪緒は思わず溜息を吐く。


「もう一つ、冬殿は仰っておりました」


「今度はなんだ? また変な事じゃないだろうな?」


「いえ。主殿にとっては嬉しいご報告かと」


「嬉しいご報告……?」


「はい。実は晴明殿、主殿が初めて接吻をした相手だそうです」


「そういう報告はしなくていいっ!! あー、くそ! 若干忘れかけてたのに思い出しちまったじゃねぇか!!」


 小梅に考えないようにしていた事実を突き付けられ、ベッドの上で悶絶する雪緒。


 雪緒にとっても晴明が初めての接吻(ファーストキス)であったし、晴明の初めての接吻(ファーストキス)であって嬉しく思うけれど、晴明の接吻に陰陽術以外の他意は無いし、雪緒だってそれ以外の(よこしま)な考えはもっていない……はずである。


 いや、晴明のような目も覚めるような美人と接吻できた事はなんであれ嬉しいけれど、晴明が雪緒のために思ってやってくれた事を欲望に塗れた考えで受け止めるのは失礼であり、晴明に対する裏切りでもある。


 かといって無かった事(ノーカウント)にするのはなんだか惜しいと思ってしまうし、もっと別のやりようがあった中でわざわざ接吻をしたのは何か他に意図があったのではと、変な勘繰りが脳内を駆け巡ってしまう。


「主殿も初めてでありましたか?」


「当たり前だろ!」


 当たり前と自信満々に言うのは情けないけれど、事実、雪緒も初めてであった。


 お互い初めて同士。その事実を知って、頭が更に沸騰する。


 この感情をどう処理しようかと持て余していたその時、ぐにゃりと視界が歪む。


 この感覚には覚えがある。そう、平安から現代に初めて戻ったときのあの感覚だ。


 雪緒はその感覚に任せて目を閉じる。


「主殿? ……平安(あちら)へ行かれるのですな? では、某もそろそろお暇いたしましょう」


 小梅がそう言って、使っていた物を片付けるのを気配で感じながら、雪緒の意識は徐々に遠退いていく。


「では主殿、お休みなさいませ」


 小梅のその言葉を最後に、雪緒の意識は実体を離れた。そして、時をも超える繋がりを辿って、逢いたい人の元へと向かった。





「良かった……」


 そんな安堵の声が聞こえてきて、雪緒は瞼を持ち上げる。


 そうすれば、目の前には心底安堵したといった表情の晴明が座っていた。


「晴明……じゃあ、此処は……」


 雪緒は周囲を見渡す。そうすれば、よく見慣れた晴明の家の一室が目に飛び込んで来る。


 その中には、冬、園女、小梅、そして、道満が居た。


「成功したんだな……」


「ああ……」


 雪緒が問えば、晴明が疲れたように頷く。


 そして、一瞬力が抜けたと思えば、晴明は前方に倒れ込む。


「晴明!」


 慌てて受け止める雪緒。


 しかし、晴明は雪緒の手を解き、自身の頭を雪緒の膝の上に乗せた。


 庭の方に顔を向けて、ぼそりと一言こぼす。


「疲れた……」


 疲弊感を漂わせる晴明の言葉に、雪緒は穏やかな笑みを浮かべる。


「ありがとな、晴明」


「ああ」


 雪緒がお礼を言えば、晴明は一つ頷いてから目を閉じる。


 そして、程なくして晴明から穏やかな寝息が聞こえてきた。


「寝た……」


「眠ってしもうたのう。まぁ、大目に見てやってくれ。此奴は夜もまともに眠らずに朝を待っておったのだ」


「そうなのか?」


「ああ。それはもう、珍しく酷くそわそわそわそわしておってな。なんぞ落ち着けと言うても、いっこうに落ち着く気配が無かったわ」


 その様子を思い出したのか、ふふふと愉快そうに笑う道満。


「心配かけさせちまったな……」


「此奴が心配をするのは常の事だ。しかし、ここまで取り乱すのは初めて見た」


 言って、道満はにやりと厭らしい笑みを浮かべて雪緒を見る。


「くくくっ、汝、愛されておるのう」


「う、うるせぇ」


 愛されていると言われ照れてしまう雪緒。それが、男としてではなく、弟子として、友人としてだとわかっていても、晴明から愛される事は嫌ではなく、むしろ胸が温かくなる程には嬉しかった。


 きれの無い雪緒の返答を聞き、道満は満足そうに笑う。


「まったく、汝はどんな術を使ったのやら。晴明がこのように誰かに無防備に身体を預けるところなど初めて見た。のう、園女?」


「ええ。私にだって頭を預けた事なんてありませんし……少し妬けちゃいますね~」


「まったくです。私も、晴明様のこのような姿、始めてみました」


 古くから晴明の事を知る三人は口々に言いながらも、顔はにやにやと雪緒をからかう笑みを浮かべている。


 雪緒は三人のその視線から逃れるように庭に顔を背ける。


「い、いいから、布団持ってきてください」


「あら、晴明様と一緒に寝るのですか?」


「んな訳無いじゃないですか! 晴明にかけてあげてくださいって話ですよ!」


 晴明が起きないように少しだけ声のトーンを落としながらも、雪緒は顔を真っ赤にしてからかってきた園女に言う。


 そんな初々しい雪緒の反応に満足したのか、園女はふふふと笑いながら布団を取りに行った。


「そういえば、ありがとうな、道満」


「ん、何がだ?」


「術を俺にかけてくれた事だよ。正直凄く助かった」


「ああ、その事か。良い良い、気にするな。あの程度であれば幾らでもかけてやる」


「あの程度って……」


 怪異である猿夢を消滅寸前まで追い詰めた呪い返し。それを、あの程度と言ってのける道満に、雪緒は思わず頬が引き攣る。


「しかし、儂が汝にあまり手を貸しても晴明が拗ねる。儂は本当に必要な時だけ手を貸すとしよう」


「その時が来たら、頼むよ」


「うむ。しかし、晴明がおれば、あらかたの怪異はどうとでもなろう。儂の出番なぞ、そうそう無いであろうな」


「それは晴明が未来に居た場合だな。実際に対峙するのは俺だからなぁ……正直、今回も皆の手助けが無かったら、俺死んでただろうしな……」


「ふむ、そういえば事の顛末を聞いておらなかったな。晴明が起きるまでの暇潰しに聞かせておくれ」


「分かった、と、言いたいところだが、晴明にいの一番に報告しないと、晴明絶対怒るからな。報告は晴明が起きた後だ」


「むぅ、つまらん」


 不満げな顔をする道満に、雪緒は笑みを浮かべる。


 雪緒に此処に来るまでにあった不安はもはや無く、今はただただ心中を安堵のみが占めていた。





『かくして、猿夢は終着を迎えた。


 今回は被害者こそ少なかったものの、その規模は最終的にはきさらぎ駅に匹敵し、ともすれば、世界の構築度だけで言えばきさらぎ駅をも超える規模となった。


 しかし、きさらぎ駅に似せた世界だったため、結局、本物のきさらぎ駅に全て吸収されてしまった。


 何かに似せる、何かを真似する。怪異にとってそれは伝承の侵犯に他ならなかったのだろう。


 怪異は伝承を逸脱できない。それを逸脱したとき、逸脱したとき、怪異は形を変える。まったく別物の怪異になるか、それともより大きな怪異に喰われるか。


 ともあれ、怪異猿夢は消滅した。


 雪緒は新しい仲間である百鬼夜行を引き連れ、猿夢から多くの人を救い出した。


 百鬼夜行、雪緒の新しい力。数多の妖が雪緒に付き従い、雪緒の力になる。


 百鬼夜行は決して雪緒の力の象徴ではなく、雪緒の覚悟の象徴である。友人を守るために、誰かに力を借りる覚悟を決めて呼び出したのだ。


 雪緒の覚悟を知っている百鬼夜行は雪緒に付き従う。自分が仕えるに相応しい主と認めた雪緒のためにその力を振るう。


 雪緒と百鬼夜行はこれから更に強い怪異と戦う事になるだろう。一人も欠けずだなんて理想論だ。けれど、主のためにその理想を実現しよう。それが、百鬼夜行の勤めなのだから。


 次の怪異はいったいどんな者なのか。それはまだ誰も知らないし、誰も分からない。けれど、雪緒はその怪異に立ち向かうのだろう。一人の少女と交わした約束を胸に、友人を守り抜くという覚悟を胸に』


 そこまで書いて、小梅は満足そうに帳面を閉じる。


「やはり良い出来。某にこれ程の文才があったとは……」


 小梅は自分で書いた蒐集録を満足げに眺める。


「さて、それでは某も……。何用か。主殿に用、では無いようでありまするが」


 小梅は自身の背後に立つ人物に、少しだけ鋭い声でたずねる。


「君にお願いがあってきた」


「お願い?」


「ああ。とある怪異に彼を関わらせないで欲しい」


「それは何故(なにゆえ)でありまするか?」


 小梅が問えば、その者は短く言う。その言葉を聞いて、小梅は一つ頷いた。けれど、それは承諾という意味の頷きではない。


「お前の意も分かるでありまする。しかし、それを決めるのは最終的には主殿。某は、ただ主殿の命に従うのみでありまする」


「ただ従うだけが忠義では無いだろう?」


「過保護もまた忠義とは違いまする。お前のそれはただの過保護でありまする。その思いを理解は出来ても、某は頷けないでありまする」


「……分かった。では、こちらはこちらで勝手にやらせてもらおう」


「それは好きにすると良いでありまする。主殿の負担が減る事は、某としても喜ばしい事でありますからな」


 ややあって、背後の気配が消えると小梅は一つ溜息を吐く。


「はぁ……どうして主殿の周りには過保護が揃うのか……いや、それも主殿の魅力の一つ」


 言って、はっと吐き捨てるように笑う。


「そんな訳が無い。皆が主殿を軽く見ているだけだな」


 小梅は帳面をしまうと、部屋を出る。そろそろ、皆が起き出す。朝食の準備をしなくてはいけない。


 扉を開け、小梅はベッドに眠る雪緒を見る。


「主殿。主殿は、弱くはありませぬ。ですから、どうか気を強くお持ちいただきたい」


 言って、小梅は驚いたように目を見開く。


「気を強く持つ? はて、いったい何に対して……」


 自然と口をついた言葉。けれど、それが何に対して、どんな事に対してなのかはまったくもって小梅自身にも分からなかった。


「嫌な予感がしまするな……」


 言いながら、小梅は雪緒の部屋を後にする。


 部屋には、雪緒の健やかな寝息だけが響いた。





第弐章 猿夢 終 

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