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第弐拾壱話 在りし日の夢

「雪緒、起きなさい。雪緒!」


 懐かしい声が聞こえてくる。とても、とても懐かしい声だ。懐かしくて、安心する。


 雪緒は懐かしい声に導かれるように瞼を開く。


「やっと起きた? もう皆起きてるよ?」


 目を開けば、目付きの悪い女性の顔が見える。


「母さん……」


「朝起きたらお早うじゃない? ご飯出来てるから、直ぐに降りてきて頂戴」


 言って、雪緒の母ーー楸は少しだけ怒った調子で雪緒の部屋を後にした。


 楸に言われた通り、雪緒は起きて一階に向かう。


 なんだか、何かを忘れているような気がするけれど思い出せない。何か、とても重要な事だったと思うけれど……。


 思い出せないものは仕方が無い。雪緒は、リビングの扉を開ける。


 テーブルに並ぶ料理は一人前で、リビングには楸一人しかいなかった。


「父さんと姉さんは?」


「もう二人とも家を出たわよ。雪緒だけよ、こんな遅くまで起きて来ないのわ」


 言いながら、お皿を洗う楸。


「もう高校生なんだから、私に起こされないでも起きてほしいわ」


「へいへい。悪うござんした」


 適当に謝る雪緒に、楸が鋭い視線を向ける。


「悪いと思ってないでしょ?」


「情けないとは思ってるよ」


「嘘ばっかり」


 雪緒の軽口にも慣れたもので、特に怒る訳でもなく、呆れたように言葉を返す楸。


 楸に言葉を返しながら、雪緒は椅子に座ってご飯を食べる。


「いただきます」


「早く食べちゃって。いっぺんに洗いたいんだから」


「へーい」


 軽く返事をしながら、雪緒はご飯を食べる。


 懐かしい味付けだ。どんなに頑張って作っても、雪緒には出せない味。


 あれ、俺って料理作ってたっけ? それに、懐かしい……?


「どうしたの? 箸止まってるわよ?」


「ん、ああ、なんでもない」


 楸がいぶかしげに言えば、雪緒はなんでもないと答えて食事を再開する。


 けれど、雪緒の中の疑問は消えてはくれない。何故懐かしいと思ったのか。それが、分からないのだ。


 おかしいよな。母さんの料理なんて毎日食ってるのに。


 懐かしいなんて思うはずが無い。毎日食べている物に、懐かしさなんて感じる訳が無いのだ。


 どうしてしまったのだろうかと考えながら、雪緒はご飯を食べる。


「ねぇ、雪緒」


「なに、母さん?」


「学校は楽しい?」


「んー、まぁ、楽しい……かな?」


「友達はちゃんと出来た?」


「出来たよ」


「そう。なら、良かったわ。あ、じゃあ彼女は出来た?」


「いないよ。てか、俺に彼女なんて出来る訳無いだろ? 目付き悪くて怖がられる」


「あら、繁治さんも結婚出来たのよ? 雪緒だって出来るわ」


「その言い方も結構酷いよな……」


 夫婦だから言えるような言葉だけれど、雪緒は繁治が不憫に思えて思わず苦笑してしまう。


 しかし、楸は雪緒の言葉に返すこともなく、楽しそうに話を続ける。


「それじゃあ、好きな人は居るの?」


「親と恋ばなとか勘弁してくれよ」


「良いじゃない。聞かせてよ」


「やだよ、恥ずかしい」


「そう言うって事は気になる人なら居るのね?」


「うっ……」


 図星を突かれて思わず呻いてしまう雪緒を見て、楸は楽しそうに笑う。


 誘導尋問は卑怯だと思いながらも、これ以上は語るに落ちてしまいそうで怖いので、沈黙を選ぶ雪緒。


「ふふー、誰、誰? 教えなさいよー」


「やーだ。母さんに教えたらろくな事にならない」


「えー? そんな事無いと思うわよ? ほら、私これでも結婚できてるからね? 明乃よりは相談しやすいんじゃない?」


「しないって。それに、あいつとはそんなんじゃないし」


「じゃあどんな関係よ?」


「ただの友達。それ以上でもそれ以下でもない」


「ふーん……それで? その人の事どう思ってるの?」


「話聞いてた? 浮いた話じゃないってば」


 それに、あいつ(・・・)の事を語るには朝の束の間の時間では到底足りない。


 雪緒にとって大切な人で、友達で、恩人で、守りたい人で……あまりにも、語るべき内容が多すぎるのだ。


 それ程までに、雪緒の中で大きな存在。


「じゃあ名前だけでも教えて? ね、良いでしょ?」


「それもう答え言ってるから。譲歩でもなんでも無いから」


「むー、けちー」


「いい歳こいて頬を膨らませるな」


 なによーと拗ねたように言う楸に、我が母ながら恥ずかしいと思いながら、ふと気付く。


 あれ、あいつの名前、なんだっけ……?


「ーーっ!?」


 大切なあいつ。友達なあいつ。守りたいあいつ。こんなに思いが溢れているのに、その思いを向ける相手の名前が出て来ない。


 いや、名前だけではない。顔も、声も、何も出て来ない。霞がかったように、何かが思い出すのを邪魔する。


 誰だ? いったい、誰なんだ?


 忘れちゃいけない。絶対に忘れちゃいけないのに、思い出せない。


「ん、どうしたの雪緒?」


 楸のいぶかしげな声が聞こえてくる。けれど、それに答える余裕も無い。


 思い出せないという事実が雪緒の脳内を占める。


 誰だ? いったい誰なんだ?


「ねぇ、雪緒? 本当にどうしたの? 体調でも悪い?」


 黙る雪緒に楸が心配そうに声をかける。けれど、雪緒は答えない。答えられない。


 最初からおかしいと思っていた。違和感を覚えていた。でも何処に? 何に? 違和感って、なんなんだ。


「顔色悪いわね。今日は学校休む?」


 心配そうに、楸が雪緒の顔を覗き込む。そして、熱を計るために雪緒の額に手を当てる。温かな(てのひら)の感触が伝わってくる。


「ーーっ!!」


 それで、ようやく気付く。ようやく思い出す。ようやく理解する。


 楸の掌の感触がこんなに温かい訳が無い。楸がこうして雪緒に話しかけてくれる事も無い。楸がこんなふうに触れてくれる事も無い。


 なにせ、楸はもう既に故人なのだから。


 死人に温もりは無く、死人に口は無く、死人が動く道理は無い。


 ならば、今目の前に居る楸は偽物だ。本物のように振る舞い、本物のように喋っても、決して本物ではないのだ。


「母さん……」


「ん、なに?」


「ごめん、俺行かなきゃ」


「学校? でも、顔色悪いわよ?」


「違う。もう、起きなきゃいけないんだ」


「起きる? おかしな事を言う子ね。もう起きてるじゃない。なに? まだ寝ぼけてるの?」


 ふふっと笑いながら言う楸。あの頃とまったく変わらない、楸の笑み。


 ああ、夢なのに、起きなきゃいけないのに、行きたくない。起きたくない。ずっとこのまま、あったはずの幸せを享受したい。


 そんな情けない思いが心の内に広がる。


 けれど、全てを思い出した今、そんな甘えは許されない。


 雪緒は楸の肩を掴む。


「母さん、俺、大切な人達が居るんだ」


 真剣な雪緒の目。その目を見た楸は笑みを引っ込めて真剣な顔をする。


「父さんも、姉さんも、青子も加代も仄も、小梅も時雨も凍花も鈴音も黒曜も…………全員、大切なんだ」

 

 言い切れない。言い出したら、きりが無い。それ程までに、雪緒はこの短い期間に大切だと思える人達に出会えたのだ。


「だから、ごめん。俺、もう行かなきゃいけないんだ」


「行くって、何処に?」


「皆のところに」


「うーん……学校に行く、って訳でも無いのよね?」


「うん。ごめん、説明が、難しくて……」


 たとえ目の前の楸が夢の中の者であって、虚構の存在であろうとも、今を生きている人達を助けに行くだなんて、どうして言えるだろうか。


 だから、雪緒は説明が出来ない。ただ、大切な人を助けに行くとしか言えないのだ。


 けれど、説明不足な雪緒に対して、楸は何をたずねるでもなく、ただ納得したように頷いた。


「分かった。行ってらっしゃい」


「軽っ! え、説明とかいらないの?」


「いらないわよ。雪緒が真剣なのは十分分かったから、それだけで私が頷く理由には十分よ」


「母さん……」


「さ! それじゃあ行ってきなさい! 急いでるんでしょ?」


「……ああ」


 本音を言えば、一秒でも長くこの場所に居たいと思ってしまう。けれど、そんな事は出来ない。それは、あいつを……晴明を裏切る事になるからだ。


 立ち上がり、楸に背を向けてリビングの扉に手をかける。


「雪緒」


 雪緒の背中に、楸が声をかける。常と変わらぬ、優しい声。


「なに、母さん?」


 雪緒は振り返らずに返す。


 顔を見せない雪緒を咎めずに、楸は優しい笑みを浮かべて雪緒に言う。


「お夕飯、何が良い?」


 なんて事無い、普通の問い。楸が生きている間に幾度も交わされたやり取り。けれど、もう交わす事の出来ないやり取りだ。


 その問いが、雪緒の心をきつく締め付ける。


 ああ、本当に……起きたくないなぁ……。


 叶うことなら、ずっとこのままが良い。此処にいれば、ずっと楸と一緒にいられる。マザコンだと、親離れが出来ないと言われても良い。だって、会いたかったのだ。また会ってゆっくり話をしたかったのだ。

 

 けれど、それは叶わない。雪緒は起きなくてはいけない。起きて、夢幻主を倒し、皆を助けないといけないのだ。


 雪緒は、楸の言葉に楸が生きていた頃に返していた通りに、言葉を返す。


「母さんの手料理なら、なんだって良いよ」


 声が震えないように注意して一言一言発する。


「それって、なんでも良いって言ってるのと一緒よ? なんでも良いが一番困るんだから」


 少しだけ怒ったような声音に思わず苦笑いが浮かぶ。


「じゃあ、ぶり大根。あれ、結構美味しかったから、また食べたいな」


「分かったわ。じゃあ、作って待ってる」


「ありがとう」


 自分がそれを食べる事は無い。それが分かっているから、雪緒は言葉を一つ一つ話すだけでも辛い。


 雪緒は逃げるようにリビングの扉を開ける。


「行ってらっしゃい、雪緒」


 楸の温かな言葉を背中に受け、雪緒はリビングの扉を閉めた。


 瞬間、景色が変わる。


 けれど、それは夢世界の景色ではなく、見たことも無いような晴れ渡る空が広がる世界であった。


 その世界に雪緒はおり、そして、居るのは雪緒だけではなかった。


 杖をついた一人の老人がまっすぐに雪緒を見る。


 目の前に突然現れた老人だけれど、雪緒はまったく警戒しない。目の前の存在からは、およそ敵意と呼ばれるものが感じられなかったからだ。


 しかし、老人が突然現れた事に疑問は感じる。


 雪緒が老人に問いかける前に、老人が先に口を開く。


「夢見心地はいかがだったね?」


 しわがれた老人の言葉に厭味な意味合いは含まれていない。ただただ、純粋にな雪緒に対する問いかけであった。


 少なくとも、夢幻主の差し金ではないだろう。


「悪くなかったです。ただ、少し心は痛いですけど……」


 雪緒が正直に答えれば、老人は少しだけ口角を上げる。


「夢とはえてしてそういうものだ。見たい物を見せ、時には見たくない物を見せる。君の場合、その両方だがね」


 こつこつと杖を鳴らし、老人が雪緒に近寄る。


「夢にも階層があってね。此処は普段見るよりも二つ下の階層だ。より自由に、より広い夢の中だ。だからこそ、此処へ入るにはそれ相応の資格が居る。此処は、一人のためだけの世界ではないからな」


 老人が説明するように言うけれど、雪緒にはその半分も理解できない。


「君は、とても珍しい夢(・・・・)を見ているようだな。たいへん、興味深い。が、怨まれでもしたら敵わん。今日は素直に帰すとしよう」


 言って、老人は雪緒の額に手を当てる。


「では、外の夢の者は任せる。あれは儂にとっても、良くはない者だからな」


 瞬間、景色が暗転する。


 黒く深い穴に吸い込まれるような、そんな感覚が雪緒を襲う。


「次に会うときは、少し話そう。まぁ、君が夢の世界に入れればの話だけれどな」


 そんな老人の声を最後に、雪緒の意識は浮上していった。





 目を開ければ、高い天井が見える。


「起きたかい眠り姫! 起き抜けで悪いけど手伝ってくれると嬉しいな!」


 時雨の切羽詰まった声が聞こえてくる。


 そこで、ようやっと雪緒は事態を把握する。


 即座に起き上がり、周囲の状況を確認する。


「悪い、寝てた!」


「知ってるとも! まったく、君はボス戦には必ず寝ちゃうのかい? きさらぎ駅の時もそうだったよね!」


「あれは不可抗力だろ!」


 言い合いながら、雪緒も七星剣を手に取り、迫る異形の小人を迎撃する。


 雪緒が眠っている間、時雨が一人で異形の小人の攻撃を凌いでくれていたのだ。


「で、夢幻主は!?」


「奥に引っ込んだ! 君を眠らせた後に胸を押さえて呻いていたけど……あれって呪い返しだよね? いつの間にそんな物騒なものを憶えたんだい?」


「そんな高等技術教えてもらってねぇよ! ちょっと貰っただけだ!」


「ちょっとどころじゃないよ、あの呪い返し! 人を眠らせるだけで倍以上の呪いを返すなんて、そうとう危険な代物だ! 夢幻主がもっと強力な術を使っていたら、呪い返しだけでけりが付いてただろうね!」


「そんなにか!? あの野郎、なんて危ない代物を……!!」


 夢幻主以外が雪緒に呪いをかけていたらいったいどうなっていた事か。


 けれど、雪緒は道満を責めるつもりは無いし、責められるような立場でもない。むしろ、助かったとありがとうと言うべきだ。無事に平安に戻れたら、誠心誠意謝意を表そう。


「ともあれ、最終局面(ラストスパート)だよ! 夢世界もそろそろ限界が近いはずだ! 一気に畳み掛けよう!」


「ああ!」


 全員逃げ切れたのかとか、出口は何処に在るのだとか、色々気になる事はあるけれど、今は夢幻主を倒す事が先決だ。


 雪緒は夢幻主に迫るために剣を振るう。

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