第弐拾話 雪緒VS夢幻主
屋根を伝い、風車の塔を目指す。
風車の塔に近付けば近付く程、その大きさと異様さを実感する。
原典であるきさらぎ駅に、少なくともこのような風車の塔は無い。これがいったい何のためにあって、どんな役割を持っているのかが皆目検討が付かない。
前回のきさらぎ駅の時にも気にはなったけれど、正直それどころでは無かったし、倒すべき敵は目の前に居たので気にする必要も無かった。
しかして、今回は別だ。今回、猿夢はこの風車の塔に居る。ここは、避けて通れない。
何があるか分からない。
雪緒が改めて気を引締めていると、先行する時雨が少しだけ大きな声で言う。
「雪緒くん! あの塔の壁を破壊できるかい?」
「やってみる!」
目前に迫る風車の塔。
雪緒は、破敵剣の射程圏内に目標を捉えると、破敵剣を逆手に持ち、槍投げのように投擲する。
雷光を纏い、ぶれる事無く一直線に風車の塔目掛けて飛んでいく破敵剣。
破敵剣が風車の塔の外壁に突き刺さると、その破敵剣に向けて上空から落雷が発生する。
破敵剣が突き刺さった衝撃と、落雷の衝撃で外壁が無残に破壊される。
雪緒は破敵剣を手元に戻しながら、外壁に空いた穴から風車の塔に侵入する。
「なんか、案外あっさりと入れたな」
「だね。もっと抵抗があると思ったけど」
「道中も何も無かったしな。ていうか、少し静か過ぎないか?」
此処に来るまでに、道中幾つかの戦闘音が聞こえてきはしたけれど、それも数える程だ。そして、敵の本丸である風車の塔に接近しているにも関わらず、二人に差し向けられた手勢は無し。
「誘い込まれてんのか?」
「分からない。けど、注意するに越した事は無いよ。雪緒くん、いつでも護身剣を発動できるようにしておいて」
「分かった」
時雨の指示に頷き、二人は風車の塔の内部を進む。
風車の塔の内部は、町と同じように暗く、それでいて小汚いけれど、逆に言えばそれだけであった。
何の変哲も無い廊下。蛍光灯。非常口の案内。時折見える喫煙所や、休憩所。自動販売機や売店。
普段人が居るはずの場所に誰も居ないというのは、やはり不気味である。
「ここ、本当になんの施設なんだろうな」
「病院のようにも見えるし、テレビ局のようにも見えるね……」
「後は市役所とか、オフィスビルとか……ああ、くそ。まったくわかんねぇ」
「看板とかの文字が文字化けしてなかったら、予想が付いたんだろうけどね」
時雨の言う通り、此処に来るまでに見た場所の文字は、どれも例外無く文字化けしていた。文字化けの度合いが激しく、どれも読めたものでは無い。
「まぁ、此処も壊してしまえばそれまでだ。余り気にしないでも良いと思うよ」
「……そうだな」
確かに、この夢世界が壊れてしまえばこの建物の存在など無意味なものだ。気にするだけ無駄だろう。
「それより、流れの元が近くなってる。何が起こるか分からないから気を引き締めて」
「ああ」
時雨の忠告に頷き、雪緒は七星剣を握る手に力を込める。
階段を昇り、廊下を歩く。
暫くも歩かない内に、突き当たりに一つの扉が現れる。
此処まで来れば雪緒にも分かる。目の前の扉の奥から、霊力が流れ出ている事に。
雪緒と時雨は顔を見合わせて頷き合い、慎重に元凶が居るであろう扉を開いた。
扉を開ければ、そこは一つの広大な部屋であった。
様々な機材が乱雑に並び、幾つものモニターが壁の一辺を埋め尽くしていた。
モニターの幾つかには映像が写っており、その他は全て砂嵐が延々と流れていた。
「なんだ、此処……」
「雪緒くん、ストップだ」
部屋に入り、周囲を見渡しながら歩き出せば、隣から待ったの声がかかる。
時雨の制止のとおりに止まり、時雨の顔を見れば、時雨は部屋の中央を見ていた。
雪緒は時雨の視線を追って部屋の中央に目を向ける。
そこには、一人の男が倒れており、泣いているのか時折しゃくり上げて身体が揺れていた。
被害者、では無い。そんな生温い気配をしてはいない。
黙視するまで気付かなかったけれど、その男から流れ出る霊力の質は異常だ。常人のそれとは異なり、悪質で、邪悪で、濁っている。
雪緒はこの気配を知っている。忘れたくても忘れられない、あの気配。
そう、鬼主と同じ気配だ。
目の前に倒れている男がこの猿夢の主。仮称、夢幻主。
けれど、何故だかその気配が小さい。鬼主程の気迫も無ければ、迫力も無い。
ただただ、うなだれている男。それ以外の何者にも見えない。
雪緒と時雨は顔を見合せる。
このままこうしていても埒が明かないので、雪緒が護身剣で防壁を作って部屋の中央に倒れる男に近寄る。
時雨が刀の柄に手を添えながらたずねる。
「お前がこの世界の主か?」
「……」
けれど、男は嗚咽を漏らすだけで答えようとしない。
「聞いているのかい? お前が、この世界の主か。そう聞いている」
先程よりも語気を強めて時雨が問う。
そうすれば、漸く男は時雨の方を向いた。
男は何処にでもいそうなごく普通な顔立ちをしており、取り立ててあげるような特徴は無かった。けれど、その顔は涙に濡れており、憔悴しきっているのか生気は無い。
「は、はは……僕が、この世界の主……? ははっ……僕なんかが、世界の主になれる訳無かったんだ……」
焦点の合わない瞳は、けれど時雨と雪緒をしっかりと視界におさめており、この言葉が独り言の類でない事を知らしめていた。
何を言っているのか、正直二人には分からなかったけれど、この男が関与している事だけは分かった。それに、鬼主と同じ気配は誤魔化せ無い。こいつは黒だ。
「君の傷心なんてどうでも良いけど、この世界からさっさと解放してくれないかな? してくれないなら、力付くになるけど」
苛立ちと敵意を隠す事もせず夢幻主にぶつける時雨。
自分に向けられた訳でも無いのにひやっとする雪緒だけれど、夢幻主には関係無いらしく、変わらずに地面に突っ伏している。
「ははっ、もう無駄だよ……この世界は本物のきさらぎ駅と融合し始めてるみたいだよ……もう、僕の支配は及ばないんだ……」
「本物……? どういう事だ?」
「……知らない。……僕が分かるのは、僕の世界が終わったって事さ…………せっかく自我を取り戻したのに……これじゃあ意味が無い……」
「待て、今なんて言った?」
雪緒は、夢幻主の言葉の中から聞き捨てならない言葉を拾い、夢幻主に聞き返した。
けれど、夢幻主は諦めたように笑って地面に突っ伏したままだ。
雪緒は夢幻主を乱暴に掴み上げ、夢幻主を睨み付ける。
「お前、今自我が戻ったって言ったよな? ていう事は、人としての自我が戻ったって事だよな?」
睨む雪緒に、夢幻主は視線を合わせて、へらりと笑って言う。
「……そうだけど?」
「ーーッ!!」
直後、雪緒は怒りに任せて夢幻主を勢い良くぶん殴った。
顔面を人外の力を用いて殴られた夢幻主は、勢いそのままにモニター群に突っ込む。
モニターの液晶が割れ、配線が千切れてばちばちと放電する。
「ふざけんな!!」
モニターに突き刺さった夢幻主に、雪緒が怒鳴る。
雪緒は乱暴な歩調で夢幻主に歩み寄り、モニターに突き刺さった夢幻主を乱暴に引っ張り出して地面に投げる。
「お前、人間だった頃の自我があるんなら、やって良い事と悪い事の区別くらい付けろよ!! お前のせいで、何人苦しんだ!! 何人死んだ!! お前は、何人殺したんだよ!!」
「……知らねぇよ……んな事、いちいち憶えてられるかよ……」
「ーーっ、……お前は、人の命をなんだと思ってるんだ……!!」
「だぁから! 知らねぇっつうんだよ!! 僕を見下してきた奴らの事なんざぁよ!!」
今まで無気力であった夢幻主が金切り声を上げて叫ぶ。
立ち上がり、雪緒を睨みつける夢幻主。
「どいつもこいつも僕を見下してきやがってよぉ!! てめぇもだろ!? てめぇも僕を見下してんだろ!? 出来損ないの怪異な僕を見下してんだろ!? ああ!?」
「見下すとか、そういう以前の問題だ! 人としてしちゃいけない事をしたお前を、俺の大切な人を傷付けようとしたお前を、俺は許さない。心底軽蔑する」
「はっ、偽善者が! どうせ女に良い格好したいだけなんだろう? ああ、そうか。お前と一緒に居た女、頭悪そうななりしてるもんな? ちょっと恰好良い姿見せれば股開いてくれそうだもんなぁ、ああいう女はよぉ!!」
「ーーッ!! お前ッ!!」
挑発だと、嘲りだと分かっている。けれど、あの二人を馬鹿にされて怒らない程、雪緒の沸点は高くは無い。
雪緒は怒りをこれでもかという程に浮かべ、夢幻主に迫る。
迫り来る雪緒に、夢幻主はニヤァっといやらしい笑みを浮かべる。
「僕も気が変わったよ。お前は此処で殺してやる! いや、この世界に居る全員殺してやる! 僕だけ地獄に落ちるなんて御免だからな!!」
言いながら、夢幻主は腕を振る。
それだけで、機材からコードが伸び、雪緒と時雨に迫る。
雪緒は破敵剣の雷撃でコードを焼き焦がし、時雨は腰に下げた日本刀を抜き放ち、目にも止まらぬ斬撃でコードをバラバラに切り落とす。
対処をした二人を見て、にぃと笑う。
「良いよなぁてめぇらはよぉ!! そんな力持ってるんだからさぁ!! 僕には何も無かったよ! 人に誇れる事も、人に誇れる物も!!」
迫り来るコードに対処をし、夢幻主に迫ろうとしたその時、壁がまるで爆撃にでもあったかのように爆ぜる。
爆ぜた壁から電車が突っ込んできて、二人を轢き殺さんと迫る。
雪緒は護身剣の防壁でそれを押し止め、その間に時雨が電車を両断する。
「僕には友達が居なかった。親も僕よりも弟達を可愛がった。誰も、誰も誰も僕を見向きもしなかった!!」
爆ぜた壁から異形の小人が入って来る。それに加え、夢幻主の操るコードや、機材そのものが飛来して来る。
それに加え、壊れた壁の外には空を飛ぶ電車が見えた。レールが宙に敷かれ、そのレールの上を進む電車。
本当に何でも有りだな、夢の中ってのは……!!
心中でそう毒づきながらも、二人は異形の小人等の対処に追われる。
奇しくも、あの時と似たような状況。
迫り来る異形。飛来する主の攻撃。迫り来る制限時間。
「僕は普通の高校に進学して、三流大学に進学。弟達は県内で一、二を争う進学校に進学した。……ずるいよ。ずりぃよなぁ!? 何で僕の頭はこんなんなんだ!? 同じ親から生まれたのに、何で僕はこんなに駄目なんだ!? 弟達は勉強も出来て運動も出来て、僕は何も出来ない!!」
夢幻主はヒステリックに叫ぶ。
「お前達も良いよなぁ!! そんなに強いんだから! さぞモテるんだろ!? 頼りにされるんだろ!? なんでも持ってるんだろ!? 僕が持ってない物を全部持ってるんだろ!? なぁ、なんとか言えよぉ!!」
「うるせえ!! お前の不幸自慢なんざ知るか!!」
夢幻主の言葉に返すように雪緒は叫ぶ。
剣は止めない。止めれば死んでしまうから。けれど、叫ぶ声も止めない。夢幻主の言葉を看過できなかったから。
「俺達がなんでも持ってる? そんな訳無いだろ!」
自分なんて大した物を持っている訳ではない。平凡で、少し不幸な目にあって、ちょっとだけ特殊な事に足を突っ込んだだけだ。
七星剣は借り物だ。この知識だって教えられた物だ。此処まで来れたのだって頼れる仲間が居たからだ。こんなにも夢幻主を倒そうと思えるのは、大切な人達が居るからだ。
「この剣は借り物だ! 此処までだって一人じゃ来れなかった! 俺は何一つ自分で出来た事なんて無いんだよ!!」
きさらぎ駅の時も、雪緒は多くの人に助けられた。時雨に、青子に、千鶴に、そして、何よりも晴明に。
「俺は皆に助けられて此処まで来た!! 俺がなんでも持ってる? 違ぇよ! 俺は皆から色んな物を借りてんだよ!!」
じゃなきゃ、雪緒は此処まで来られなかった。きさらぎ駅の時点で、雪緒は死んでいたはずだ。
雪緒だって、力を持っている人を羨ましいと思う。自分だけで戦える時雨を羨ましいと思った。電車を片手で止める黒曜を羨ましいと思った。人を纏める力を持つ炎蔵さんを羨ましいと思った。
晴明や道満のような卓越した力を持つ者も羨ましい。
けれど、彼女等には彼女等の葛藤がある。悩みがある。それは知っている。けれど、それでも羨ましいと思ってしまうのだ。
その力があれば、あの日あの時、楸を助けられたのではないか。これからだって、皆を助けられるのではないか。そう思わずにはいられないのだ。
雪緒だって、皆が羨ましい。けれど、それ以上に、雪緒は皆を尊敬しているのだ。
だから浅ましい嫉妬の念を向けない。皆の持っているものが、雪緒が見えている恰好良いところだけではない事を知っているからだ。
夢幻主の境遇の細かなところまでは知らない。だから、雪緒は何も言えない。憶測で言った言葉など相手には届かない。
けれど、これだけは言える。
「お前が見てるのは人の結果だけだ! その人の努力も、苦悩も、何も知らないで、勝手に羨んで嫉んでるだけだ!」
今の雪緒を羨ましいと思っているのであれば、それは夢幻主がその者の上辺しか見えていない証拠なのだ。その過程を知りもしないで、浅ましくも嫉んでいるだけなのだ。
「煩い……煩い煩い煩い!! 黙れよクソガキがッ!! ガキが一丁前に僕に説教するんじゃねぇよ!! 何様のつもりだてめぇはよぉ!? 偉っそうにしやがってよぉ!! ああ、ムカつく! 何にも上手くいかねぇ!!」
苛立ったように頭を掻きむしる夢幻主。
「どいつもこいつも僕を馬鹿にしやがって!! 殺す!! 殺してやる!! お前等も僕を馬鹿にした奴らと同じように殺してやる!!」
馬鹿にした奴らと同じように。その言葉に嫌な予感を覚える。
「お前、まさか……」
雪緒がそう口にすれば、その予感が正しいかのように今までで一番いやらしく笑みを深める夢幻主。
「殺したよ。家族全員」
「ーーッ!!」
それを聞いた途端、雪緒は走り出す。
「雪緒くん!!」
時雨の言葉など耳に入らず、雪緒はただ苛立ちのままに走る。
しかし、それを異形の小人が阻む。
「邪魔だッ!!」
破敵剣を振るい、雷撃で異形の小人を焼く。けれど、それでも異形の小人はわらわらと集まって来る。
「お前、家族だろうが!! 血を分けた兄弟だろうが!!」
「おいおい。家族だからって仲良しこよしな訳ねぇだろ? それに、あいつら散々僕の事見下してくれたんだ。殺されて当然だろうよ?」
分からない。目の前の者が何を言っているのか分からない。
殺されて当然? 仲良しでいられない?
雪緒は奴の何を知ってる訳ではない。けれど、殺す程の怨みなのか? 殺す程の怒りなのか? 血の繋がった家族をそんな簡単に殺せるものなのか?
……そんなの、答えは分かりきっている。
「お前は間違ってる」
「はぁ? 間違ってるもんか! 僕を馬鹿にした奴は皆死んじまえば良いんだ! 殺されて当たり前だ!」
げらげらと笑いながら夢幻主は言う。
「当然の報いだっつうの!! 僕を馬鹿にするからだっつうの!! 僕を見下す奴は全員死刑だ!! 夢世界はそういう世界で、此処の支配者は夢幻主だ!! そうだ、きさらぎ駅なんかじゃない!! 此処は僕の世界なんだよ!!」
夢幻主が叫ぶ。
途端、景色が歪んでいく。
歪み、溶け、形を変えていく。
「あはははははははははははははっ!! 此処は夢世界だ!! 僕の、僕による、僕だけの世界だ!!」
壊れたように笑う夢幻主。
「ーーっ!! いけない! 雪緒くん!」
時雨の声が聞こえてくる。
そのタイミングで、雪緒も何かを感じる。けれど、遅かった。
「夢を見ろ! 此処は、夢の世界なんだからな!!」
夢幻主が言った直後、世界が白く染まった。