第拾漆話 助けて
「こりゃまた、思った以上の豪邸だな……」
善は急げと、鈴音に案内をさせて上善寺家へと着た雪緒。
時雨は家に残り、凍花は加代の元へと戻って行った。
「こちらでございますぅ」
窓から青子の部屋に入る鈴音の後に雪緒も続く。といっても、幽体である雪緒は物体を透過できるので、窓の開け閉めはさほど意味は無い。
青子の部屋は、雪緒の予想に反して綺麗に整頓されていたけれど、年頃の女の子らしいお洒落な部屋であった。
「どれも高そうだなぁ……」
「主様、その物言いですと、なんだか泥棒みたいですね」
くすくすと笑いながら鈴音が言う。
確かに勝手に青子の部屋に入ってはいるし、高そうだなとはおもうけれど、なにも盗みを働こうとは思っていない。
「泥棒するなら幽体で来るかよ」
言いながら、雪緒は青子に近寄る。
天蓋付きの大きなベッドに寝ている青子は、一見心地良さそうな寝息を立てているけれど、時折苦しそうに眉が動いている。
雪緒は青子の額に手を当てて、目を凝らす。
そうすれば、か細い、本当にか細い糸が見えた。この糸が青子の精神と肉体を繋げている糸なのだろう。
「見えたは良いけど、いったいどうすりゃぁ……」
「その糸をお辿りください。その糸の先に夢への入口があるはずですのでぇ。あ、糸の方見易くしておきますねぇ?」
言って、鈴音がなにがしかを唱えれば、途端に薄かった糸が色濃く見えるようになった。
「なにをしたんだ?」
「わたし、糸は専売特許でしてぇ。こういうの、得意なんですよぉ」
にこにこと笑みを讃える鈴音に、そういえば鈴音がどういった妖なのかを聞いていなかった事に思い至り、鈴音どころか、小梅も百鬼夜行の皆の事も知らない事に気付いた。
「ありがとな。後で、お前の事を教えてくれな」
「はい。なんなりと。では、行ってらっしゃいませ」
雪緒の言葉に返してから、一つ、綺麗なお辞儀をする鈴音。
そんな鈴音に見送られて、雪緒は青子の糸を辿った。
〇 〇 〇
気付いたら少しだけ見た事のある景色の中に居た。
建ち並ぶ家々。薄暗く、頼り気の無い街頭。薄気味悪く覗き込める裏路地。そしてーー
「ど、どうして……?」
それを見て、困惑が先に出る。
だって、そんな。有り得ない。ここは、もう無いはずだ。だって、雪緒くんが壊したのだから。
なのに、なんでまた此処に。
この町並みだけであれば、ただ気味が悪いと思うだけだ。あそことの既視感くらいは覚えるけれど、それだけだ。けれど、そうではない。此処が何処だか、知っている。
見間違えない。見間違えるはずが無い。あの塔を、ウチは見間違えない。
大きな、大きな大きな塔。大小様々な風車が付いた、不気味な怪物の唸り声のような音を上げる風車の塔。
あんな不気味な建造物がある場所なんて一つしか知らない。
帰りたく無いと思う者を連れ攫う世界。強力な鬼が支配し、様々な異形が跋扈する怪異の世界。
知らず、その名を口にする。
「きさらぎ、駅……?」
そう、この世界はきさらぎ駅とそっくり、いや、きさらぎ駅そのままであったのだ。
他は既視感だと言い訳ができる。けれど、あの不気味な風車の塔は見間違えるはずが無い。
恐ろしく、不気味な風車の塔。化け物の呻き声のような音は、現実世界に戻って来ても暫く耳に残った。
おぉぉぉ、と風車の唸る声が聞こえて来る。
刻まれた恐怖が蘇り、思わず身を震わせる。
どうして。どうして此処に? ウチ、電車になんて乗ってない。それに、此処は雪緒くんが終わらせたはず。なのに、どうして。
混乱で頭が回らない。
意味も無く周囲を見渡す。しかし、周囲に人の姿は無く、在るのは無人の家々のみーーでは、無かった。
「なに、これ……?」
ある意味見慣れた町並み。けれど、一カ所だけ見慣れぬ部分があった。
道路の中央。そこに、遠くまで続く二本の溝があった。
なんだか嫌な予感がして、その溝を覗き込む。
溝の中には鉄の棒が置かれており、これも、溝の中を何処までも伸びている。
一瞬、なんだか分からなかったけれど、よくよく思い出せば見慣れた物であった。
「電車のレール?」
そう、それは電車のレールに酷似していた。そう考えれば、このレールは路面電車の道なのだと理解できる。
でも、いったいどうして? こんなもの、きさらぎ駅には無かった。
疑問が浮かび上がったその時、遠くの方から音が響く。
「なに……?」
その音はどんどん大きく聞こえて来て、まるで、こちらに近付いて来ているようであった。
いや、来ているようではない。来ているのだ。
がたんごとんと聞き慣れた音が響き渡る。そして、緩やかな曲がり角からまばゆい光を放射しながらそれは現れた。
まるで、遊園地の遊具の電車のようなそれは、しかし、楽しげな雰囲気は無い。遠目でも分かるほどに錆びれており、所々の塗装は剥げている。まるで、閉園となった遊園地の遊具が、独りでに動いているような、そんな異様さがあった。
その姿を見た瞬間、踵を返して走り出す。
あれがなんだかは分からない。けれど、決して良いものではない。あんなものが、良いものであってはならない。
そんな思いに突き動かされ、恐怖に震える脚を叱咤させて走る。
ほの暗い町を走り続ける間に、無機質な男の声が聞こえて来る。
「次は、轢き殺し~。轢き殺しです~」
轢き殺し? それって……。
恐怖に支配されながら、振り返る。
振り返れば、すぐそこまで迫っている電車の姿が見えた。
「ひっ!」
恐怖に、一瞬呼吸が上手く出来なくなった。
それを無理矢理整え、走る。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! やっと自分の事を言えた! お父さんもお母さんも考えるって言った! やっと、やっとなの! やっと前に進めるの!
雪緒の言葉に勇気を貰った。雪緒が本当に後悔している事を知った。だから、自分は後悔しないように、雪緒の優しさを無駄にしないために、本音で両親と話そうと思った。
両親は初めて見せた本音に困惑しながらも、一晩考えさせて欲しいと言った。やっと、やっと分かってくれそうなのだ。
なのに。なのになのになのに!
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
呼吸が乱れる。肺が痛い。脚が震える。振り向くのが怖い。
やっと、やっと分かり合えそうなのだ。それなのに、こんな、こんな所で、また前みたいに死にそうになっている。
恐怖と悔しさから涙が出て来る。
涙を乱暴に拭いながら、けれど、脚は止めない。
嫌だ、死にたくない! こんなところで、死にたくない!
これからなのだ。本音を言って、お互いに歩み寄れそうなのだ。両親との間にあった少しの溝が、漸く埋まりそうなのだ。周りの人にとって、その溝は小さな物かもしれない。けれど、自分にとってはその溝はとっても大きくて、埋まることなんて無いと諦めかけていたものなのだ。
仕方が無いと、運が無かったと、諦めていた物なのだ。
神隠しに遭ってしまったのは仕方がない。両親がそんな自分を心配するのは当然で、仕方がない。だから、転校する事になっても両親は責められない。
でも、諦められなかった。
ずっと、ずっと一緒に居た青子と離れたく無かった。
友人は何処でも出来るかもしれない。けれど、上善寺青子という人物は、地球上の何処を捜しても、この町にしか居ないのだ。他に、代わりなんて居ないのだ。
姉妹のように一緒に育ち、唯一無二の親友であり、血の繋がらない家族でもあると思っている。
優しくて、思いやりがあって、ちょっとアホなところが可愛い友人。
青子と離れる事を、自分は心底から嫌がっている。
それに、青子だけではない。最近出来た友人である仄と雪緒とも離れたくは無い。
誰とも、離れたくない。
クラスに馴染んできて、漸く、いろんな人と話せるようになってきた。高校生活だってまだ満喫してない。修学旅行だって、文化祭だって、体育祭だって。何でもない日々だって、まだ満喫なんてしていないのだ。
まだ、始まったばかりなのだ。
なのに、終われない。終わらせたくない。
「ーーあっ」
なのに、自分の脚はもつれ、その身は宙へと投げ出される。
盛大に転んでしまい、地面に身体を打ち付けてしまう。
がたんごとんと音が近付く。
首だけで振り向けば、光がすぐそこまで迫っていた。
「……けて……」
届かないかもしれない。けれど、言わずにはいられない。
おこがましい、お門違い、図々しい。分かってる。分かってるけれど、言いたいのだ。言ってしまうのだ。だって、まだ生きたいのだ。
きさらぎ駅のおりに見た雪緒の背中。立ち上がり、異形に七星剣を振るう姿はまるで物語の中の主人公のようだった。
ごめん……都合が良いって分かってる。でも、お願い。ウチ、まだ死にたくない……。
心の底から、加代は大声で叫ぶ。
「助けて!! 雪緒くん!!」
けれど、すでに目前には電車が迫る。
あ、ダメかも……。
目前まで迫った電車を前に、加代は何処か冷静にそう考える。が、直後、電車と加代の間に高速で飛来した何かが突き刺さる。
そして、その何かから光が放たれた。
直後、轟音が鳴り響く。
目をつむらなかった加代には見えた。突き刺さったのは何時か見た事のある直刀で、その直刀から放たれたのは護るための力であった。そして、その力に押し負けた電車がまるでハリウッド映画のように宙を舞ったのだ。
加代の遥か後方で、宙を舞った電車が轟音を上げて地面に落ちる。
「間一髪だな。悪い、遅くなった」
後ろから、安堵したようなそんな声が聞こえて来る。
振り向けば、そこには自身をきさらぎ駅から救い出してくれた男の子ーー雪緒が立っていた。
「ちょっと陰陽師! 降ろしてよ!」
「ああ、悪い」
加代を間一髪助けられた事に安堵していると、肩に担いでいた青子が背中をどんどん叩きながら降ろせと主張をする。
青子の糸を辿ったからか、雪緒が夢世界の中で最初に出会ったのは青子であった。
青子はまだ猿夢に襲われておらず、きょとんとした顔で雪緒を見ていたけれど、事情を説明すれば慌てて加代を捜すと言いはじめた。
言われずとも、最初からそのつもりだった雪緒は、加代の霊力の反応を追ってここまで来たのだ。何かと近くにいる事が多いから加代の事を見付ける事が出来たけれど、霊力が充満しているこの世界では、知り合い意外を捜すのは至難の業だ。
しかし、こうして無事に加代を助ける事が出来て本当に良かったと思う。
その事に安堵しつつ、雪緒は担いでいた青子を降ろす。
雪緒の肩から下ろされた青子は、すぐさま加代の元へと駆け寄る。
「大丈夫、加代? 何処も怪我してない?」
「う、うん……大丈夫……あっ」
「なに、どうしたの?」
「腰、抜けちゃった……」
あははと恥ずかしそうに笑う加代に、青子は安堵したように息を吐く。
「とりあえず、移動するか」
言いながら、雪緒は加代の前に背中を向けてしゃがみ込んだ。
「え?」
雪緒の行動の意味が分からずに、加代は呆けた声を上げてしまう。
そんな加代を気にした様子も無く、雪緒は言う。
「おぶるから乗れ」
おぶる。おんぶ。まぁ、そこらへんはどうでもいい。重要なのは歳の近い男の子の背中に身体を預ける事だ。
さすがに、仲の良い雪緒が相手だとしても抵抗がある。いや、雪緒が嫌いだという訳ではなく、単に異性の身体に自身の身体を押し付けるのが恥ずかしいだけだ。
青子を肩に担ぐくらいだから、雪緒はそういった事に対してそれほど忌避感も羞恥心も無いのだろうけれど、加代はこれでも花も恥じらう乙女だ。恥ずかしいものは恥ずかしい。
しかして、今は緊急事態。羞恥心を優先して二人を危険に晒す訳にはいかない。
「わ、分かった……」
加代は頷くと、雪緒の首に腕を回す。
雪緒は黙って加代の太股を掴んで、加代を背負う。
意外と大きな背中に、場も弁えずに顔がかっと熱くなるのを実感する。
先程まであんなに怖がっていたというのに、雪緒に背負われて恥ずかしがり、あまつさえ安堵するだなんて、現金な奴だと我ながら思う。
「陰陽師、剣どうするの?」
「あー……青子、持てるか?」
「前仄のパパが持った時、バチバチッてなったじゃん」
「そーいやそうか。加代、ちょっと背負い方雑になるけど、勘弁な」
「う、うん」
来いと一言呼んで、七星剣を喚べば、地面に突き刺さったままの七星剣は姿を消し、次の瞬間には雪緒の右手に掴まれていた。
雪緒は右手で二本の剣を持ち、左手で加代の太股を掴んで加代の身体を支える。
「とりあえず、安全なところに行こう。まぁ、安全な場所があるのかも分からないけどな」
「うん、分かった」
「うん」
雪緒の言葉に頷き、三人はその場を後にした。その背中を、物陰から一体の小人が見ていた事に、三人は気付かなかった。