第拾肆話 凍花と鈴音
加代が頷き、加代の転校の件はひとまず加代自身に一任する事になった。加代が今まで本音でぶつかってこなかった以上、本音で両親とぶつかり合うのが最善手だ。詐欺師でも無い加代は、本音以上に人の心を動かせる言葉が無いのだから。
一段落したところで、雪緒はスーツの女と着物を開けさせた女を見る。
「そういえば、お前達の名前を決めて無かったな」
「いえ、主様。私達は、既に貴方様より名を授かっております」
「はい。それはもう素敵な名を戴いております」
スーツの女が言えば、着物の女も言う。
しかして、雪緒には身に憶えが無い。
雪緒が召喚した式鬼といえば、小梅と時雨だけだ。それ以外の式鬼は、召喚するのは今日が初めてだ。
本日お初にお目にかかるはずなのに、二人は既に名を貰っていると言う。という事はつまり、平安で既に雪緒が名を授けたという事だろう。
「それは、俺があっちで既に付けたって事で合ってるか?」
「はい。間違いございません」
遠回しに聞けば、スーツの女は頷く。
スーツの女が頷いたのを見て、雪緒は小梅を見る。
「小梅、お前さっき百鬼夜行って言ってたよな? あいつらももう名前があるのか?」
「はい。某含め、本日主殿に喚ばれし三十六体の式鬼には既に主殿より名が授けられております」
「なるほどな……。で、その百鬼夜行ってなんだ? 俺が付けたのか?」
「いえ、僭越ながら、某が」
「そうか……」
もし自分が付けたのであれば、その場の勢いに任せて付けた可能性が高い。それか、熱に浮されて付けたかだ。
どちらにせよ、あまり外で言いたくは無い名前だ。なんだか黒歴史に刻まれそうで。
「んんっ、話しが逸れたな。それで、お前達の名前は?」
恥ずかしさを隠すべくわざとらしく咳払いをしてから、雪緒は二人に名前をたずねる。
スーツ姿の女が顔を伏せたまま慇懃な態度で言う。
「私の主様より賜った名は、凍花にございます。雪の中で咲く力強くも美しい花の名だと、主様はおっしゃいました」
「お、おおう……そうか……」
やばい。そんな恥ずかしい事を言ったのか、俺?
自分が言ったとは思えない程気障な台詞に、雪緒は思わず羞恥で頬が赤くなる。
恥ずかしがる雪緒を女性陣三人が微妙そうな顔で見る。が、そんな中、着物の女はにやにやといやらしい笑みを浮かべながら凍花を見る。
「あんた、それ主様が困った末に言った言葉よ? あの時の主様の顔ったら、あんたの期待を裏切らないように精一杯考えてるようだったわよ?」
「む、そんな訳が無い。主様は私を表現するに相応しいお言葉を考えてくださっていたのだ。ふんっ、貴様が主様からお言葉を頂戴出来なかったからと、つまらぬひがみで私に絡んでくるな。不愉快だ」
「あらぁ? いったぁい言葉ぁ。聞きまして、主様? この乙女思考の千年女、まだまだ乙女街道まっしぐらみたいですよぉ? 歳考えろって話しですよねぇ」
「貴様だって行き遅れだろう! それに、歳も私とさほど変わらぬではないか!」
「十年の差って、結構大きいですよねぇ」
「長寿である私達には誤差もいいところだろうが!」
周囲の反応を置いてけぼりにして、段々と熱くなっていく二人の言い合い。けれど、それに意外な人物が終止符を打つ。
「いい加減にせぬか! 主殿の御前なるぞ!」
小梅が叱り付けるように声を張り上げる。
瞬間、二人は言い合いを止めて雪緒に対して頭を下げる。
「申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしてしまいました」
「申し訳ございませぇん……」
「あ、ああ、いや……仲が良さそうで、なによりだ」
二人の落ち込んだ様子を見て怒るに怒れずーーというか、元より怒る気など毛頭無かったけれどーー更に言えば、小梅が一番上の立場らしい態度で二人を叱り付けた事に驚きを隠せなかった。
百鬼夜行を召喚した時の立ち位置もそうだけれど、どうやら小梅が百鬼夜行の中で一番立場が上のようだ。
それにしても、小梅も身内に対してあんなふうに怒るんだと思いながら、雪緒は話を戻す。
「そ、それで、君の名前は?」
凍花ではなく、もう一人の着物の開けた女の方にたずねる。
着物の女は雪緒にたずねられれば、嬉しそうに顔を上げる。
「わたしが主様から賜った名は、鈴音でございます。鈴の音のような澄んだ声だとおっしゃいました」
今度は歯の浮くような口説き文句!! 本当に何を言ってるんだ俺は!?
「へ、へぇ……そっかぁ……」
三人の視線が更に痛いものになる。
止めろ、止めてくれ。そんな目で俺を見ないでくれ。俺も戸惑ってるんだから。
しかして、平安でそんな口説き文句じみた事を言っているのはおそらく事実だろう。でなければ、彼女達が記憶を捏造しているか、美化しすぎているかだ。
ともあれ、これで漸く自己紹介が済んだわけだ。
「それじゃあ、凍花に鈴音。二人は加代と青子の護衛を頼む」
「御意」
「かしこまりましたぁ」
雪緒の言葉に、二人は真剣な面持ちで頷く。事雪緒からの命令に関しては、忠実に、それでいて真摯に取り組むのだろう。
雪緒に命を受け、二人はそれぞれが護衛する加代と青子と話しをし始める。
二人の様子を眺めてから、小梅が雪緒に向き直る。
「主殿、某はそろそろ姉君のところへ戻りたく思いまする」
「ああ、そうだったな。小梅、頼むな」
「承知」
返事をし、影に溶けるように消える小梅。
小梅を見送ってから、雪緒はふぅと一つ息を吐く。
それにしても、三十六体もの妖が集まる様は、それなりに迫力があった。
「後で全員分の名前を聞いとかなきゃな……」
小梅を含めて三十六も居る百鬼夜行。少し憶えるのが大変そうだ。
「ねぇ、雪緒くん」
一旦事態に収集が着いたところで、仄が雪緒に声をかける。
「なんだ? あ、式鬼を勝手に召喚したのまずかったか?」
「ううん、それは大丈夫。ただ、その……」
言いづらそうに口ごもる仄。
視線を彷徨わせ、口をぱくぱくと動かした後、誤魔化すように笑みを浮かべる仄。
「ううん、何でもない。それにしても、凄いね。三十体も式鬼と契約してたなんて」
「あー、うん。まぁ、色々あってな」
誤魔化した仄に対して、雪緒も仄の言葉に誤魔化して返す。
今の雪緒はまだ彼女達とは出会っていない。だから、彼女達の出会いを経験していない以上、雪緒は彼女達の事を多くは語れないのだ。
そういえば、小梅が雪緒を思い出すのは雪緒の主観が関係しているようだけれど、彼女達はそうではないのだろうか? 彼女達は雪緒の主観的にはまだ出会った事が無い。であれば、彼女達は雪緒の事を憶えていないというのが正しいはずだ。にも関わらず、彼女達は雪緒の事を知っていて、雪緒から名を貰ったと言っていた。
雪緒が出会う前に召喚したから、例外的に雪緒の記憶を思い出したのか、それとも他に何かあるのか……。
まぁ、晴明に話してみるか。
結局、自分では考えても分からないので、何時もの結論に着地する。それに、晴明も相談しろと言っていた。分からない事が出てきてしまった時は出来るだけその言葉に甘える事にしようと思っている。
ともあれ、怪異は一つ片付き、皆の護衛を付ける決心が着いた。確実に、前に進めているはずだ。
良い事ばかりでは無いかもしれないけれど、止まったままよりは幾分か良い方向に進めるはずだ。
雪緒は、仄かと話しをしながらお昼を食べた。幾つかとっかかりが消えたからか、それとも良い天気で屋上でご飯を食べているからか、何時もよりもお昼ご飯が美味しく感じた。
〇 〇 〇
暗い、暗い、暗闇の中。
そこには誰も居ない。在るのは、自分のみ。
身体は無い。実体が無いからだ。
色は無い。誰かに色を貰わなければ作れないからだ。
音は無い。誰も音を立てないし、自分も音を出せないから。
匂いは無い。香るものは何一つ無いからだ。
そこには、自分という意識のみが介在する。それ以外は、何もありはしないのだ。
意識のみのそれは怨嗟のように悪態を着き続ける。
くそ、くそ、くそ! なんで誰も喰えない? 何故誰も恐怖しない! いや、恐怖はしている。なのに、なんで心を強く保っていられる!?
今まで順調だった。数人は喰えた。仮にも数人喰えた。その分の力を得たはずだ。なのに、なのになのに!
何故誰も喰えないんだ!
意識のみのそれは音もなく吠える。
くそ! こんなんじゃ、自我が戻っても意味が無いじゃないか!
憤り、けれど、八つ当たりをする手足は無いので身振りも手振りも出来ない。それが、余計に苛立ちを募らせる。
ああくそ! それになんだあいつは!? あんな化け物が居るなんて聞いてないぞ!
先日夢に入り込んだ少年。常よりも入り込むのに時間がかかったけれど、何とか入り込めた。けれど、魂を削るよりも早く、あの化け物は夢世界を壊したのだ。
くそ! なんなんだあいつは!? なんだあの剣は!? なんだあの強さは!? 反則だ! 夢は俺だけの世界のはずだろ!?
思い出せば出すほど、苛立ちは増す。
あの雷撃のせいでかなりの力を削られた。ともすれば、このまま消滅をしてしまうくらいに衰弱してしまっている。
衰弱したから夢にも入れないし、魂を喰らえない。魂を喰らえないから衰弱する一方だ。
くそくそくそ! あいつさえいなければ!
暴れ回りたい衝動にかられるけれど、暴れる身体を持たないのでどうしようもない。
「あら、随分と荒れているのですね?」
暗闇の中、憤りを募らせていると、不意に声が響いた。
ーーっ!? だ、誰だ!? どうやって入ってきた!
「どうやって? ふふ、おかしな事を言いますね? 玄関を開けっ放しにしてるのですから、何処からでも入りたい放題でしょう?」
ふふと優美に笑う。
そんな訳無いだろう!? ここは俺の世界だぞ!? 俺だけの世界なんだぞ!?
「あら。では少し違う言い方をしますね」
直後、世界が軋む音が聞こえてくる。
「貴方程度の怪異が、この私を阻めると思ったの?」
声と共に威圧感が増す。
身体も無いのに全身に鳥肌が立ち、冷や汗が流れる感覚に襲われる。
絶対的強者を前にした事による畏怖が自然と沸き上がる。
しかして、その威圧感も一瞬。すぐに威圧感はひっ込められ、同時に、威圧感によって軋んでいた世界の軋みがおさまる。
「挨拶はこれまでにして。今日は貴方にお話しがあって来たのです、猿夢」
話し……?
威圧感から解放された意識のみのそれーー猿夢は、警戒しながらたずねる。
「ええ、低位とは言え、人であった頃の自我を取り戻した貴方には見所があります」
何故そこまで知っている。誰にも話した事の無かった話しをされ、驚愕を隠しきれない猿夢。
そう、猿夢は、と言うより、今この町に蔓延っている怪異は皆、元を辿れば人間だ。
人間が異形になり、伝承に根付き、その伝承を己の形態として取り込んだ、言わば怪異の模造品のようなものだ。純正の怪異ではなく、言ってしまえば複製怪異といったところだ。
けれど、その性質は本物で、猿夢も他の怪異も、伝承に違わぬ力を発揮する。
猿夢もそんな複製怪異の中の一体だ。
しかし、その中でも猿夢は少しだけ特殊だ。
猿夢という怪異自体が低位という事もあり、怪異としての特性が薄かった。その薄い部分に付け込んで、というよりも、その部分を補うように人間としての自我が戻ったのだ。
自分の弱さを補うために人の部分が戻り、そして溶け合い、混ざり合った。
それが今の猿夢。人としての自我を持った怪異だ。
けれど、それを猿夢は誰かに言った事は無い。そも、言うような相手も居ない。
……話しとは?
目の前の存在は強大。自分では即座に消される。そう判断した猿夢は警戒しつつ続きを促す。
「ええ。貴方、このまま死ぬのは嫌でしょう? せっかく力を手に入れたのですもの」
それは、まぁ……。
「私も、貴方の特異性が消えるのは惜しいのです。ですから、これを喰らいなさい」
そう言って差し出されたのは、とてつもない純度の霊力の固まりであった。
今まで見た事の無いそれに、猿夢は無い口から涎が垂れるのを自覚する。
とてつもなく極上の逸品。目の前のそれは、生前も死語も見た事が無い程魅力的な食べ物であった。
「これを喰らいなさい。そうすれば、貴方はもっと強くなれます。それこそ、誰だって、好きなだけ食べられます」
……これを、俺に? しかし、何故……。
「言ったでしょう? 消してしまうには惜しいと。ただ、それだけです」
ふふと、優美に笑う。
目の前の者が何を考えているのかは分からない。けれど、ここで食べなければ死ぬだけだ。であれば、猿夢の取れる行動は一つしかない。
猿夢は、大きな口に放り込むように、それを貪り喰らった。