第拾弐話 好機を逃す
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「……幾分、顔色が良いようだな」
「え?」
縁側で常のごとくお茶を呑んでいると、晴明が若干不機嫌そうに雪緒に言う。
目を正面に固定したまま、雪緒の方を見る事も無く晴明は続ける。
「この間から、何か思い悩んでいる様子であったが、解決したのか?」
「あー……ああ、まぁ、一応は」
晴明が言っているのは、おそらく雪緒が町に蔓延る怪異について責任を感じ、その重さに苦悩していた事を言っているのだろう。
一応、棗に話を聞いてもらって、自分の中で少しは答えが出た。きさらぎ駅を終わらせたのは間違いでは無い。加代達を助けた事は間違ってなんかいなかった。子供も、老人も、中学生も高校生も関係無く、雪緒は生き残った人達を助けられたのだ。
助けなかった奴らに負い目は感じない。これから出る被害も最小限に抑えてみせる。町に蔓延る怪異は、雪緒が倒せる範囲は全て倒す。
それが、雪緒のなりのこの事件に対する責任の取り方だ。
自分の姿勢を決めたからか、雪緒は以前のように自分を無駄に責めなくなり、無駄に背負う事をやめた。
自分でも分かっていたけれど、自分では背負いきれないから。
「心配かけて悪かった。もう大丈夫だ」
雪緒は、心配をかけてしまった晴明に対して謝る。
しかし、晴明は一瞬だけ雪緒に視線を向ければ、また不機嫌そうに前を見る。
「別に、心配する事は良い。何事に対しても、心配するのは常の事だ。私が心配しない日などありはしないのだから、其方が気にすることではない。私にとって、心配とは最早呼吸と同じだ。常に思考の中にあり、むしろ思考の中心を占めているといっても過言ではない」
「お、おおう……」
やけに饒舌に語る晴明に、雪緒は思わず引き気味の声を漏らす。
そんな雪緒の様子に気付かず、晴明は言葉を続ける。
「しかしだ。しかし、仮にも私は其方の師であり相談役だと、私は思っておる。其方が私を煩わせたく無いという気遣いも分からなくも無いが、それでは私の面目が立たぬ。まぁ、私が其方に助言をしないに越したことは無いのだけれど、それでもせめて其方が困窮しているのであれば、私は其方の相談役として其方の話を聞かなくてはならない。そして、其方は相談役である私に話さなくてはならない。私は師で其方は弟子だ。師弟であれば、師に教えを請い、師がそれに答えるのは当たり前の事なのだからな。しかし、其方が自力で解決できるのであれば私はそれで嬉しいし、其方の悩みがそれだけ小さかったのだと安心できーーーー」
「ちょ、ちょちょちょちょーーーーっ! 待った待った! 落ち着け晴明! 早口過ぎて結局何が言いたいのか分からない! 落ち着いて、簡潔に、言ってくれ!」
これ以上晴明が口早に言葉を紡げば、晴明がいったい何を言いたいのかが分からなくなってしまうので、雪緒はそうなる前に慌てて晴明を止めた。
雪緒に止められた晴明は不満そうに雪緒を睨む。
「其方、今ので分からなかったのか? 其方に分かるようにかみ砕き、懇切丁寧に話をしたというのに」
「分かるか! 逆に分からんわ! いいか晴明? 時には、懇切丁寧よりも至極簡潔な言葉の方が分かる時があるんだぞ?」
雪緒が言えば、晴明は不満そうに雪緒を睨みながら、扇で口元を隠してぼそりと呟く。
「分かれ、馬鹿者……」
蚊の泣くような声で呟かれ、雪緒はその言葉を正しく聞き取ることが出来なかった。そして、それを言及する前に晴明が言葉を紡ぐ。
「良いか? 其方は私に遠慮をするな。そんなもの、私と其方の間では不要だ。其方が不安だと思い、悩むのであれば、私に話せ。良いな?」
「え、あ、っと……」
「良いな?」
ずずいっと、顔を近付けて凄むように、頷く以外の答えを受け付けぬように、晴明は雪緒に言う。
雪緒は目前まで迫った晴明の綺麗な面に、思わず顔を赤くしながらも、しかし、視線を逸らすことなど許さぬとばかりに雪緒を真正面から見る晴明に、視線を外せずに頷いた。
「わ、分かった。晴明に、相談する……」
雪緒が頬を染めながら言えば、数秒雪緒を見てから、晴明は満足そうに頷いた。
「分かったのならよい。以後、徹底せよ」
「お、おう……」
顔を雪緒から遠ざける晴明。
雪緒は晴明に気付かれぬように一つ息を吐いたところで、視界の端で冬と園女がくすくすと微笑ましげに笑っているのを見て居心地が悪くなり、雪緒は即座に晴明に別の話題を振った。
「せ、晴明。早速だけど、相談がある。怪異の事だ」
「良い、話せ」
ぱたりと扇を閉じ、真剣な視線を雪緒に向ける。
先程までの怒ったような、拗ねたような視線はなりを潜める。事怪異に関してとなれば、晴明も真剣になる。
雪緒も、晴明につられて表情が締まる。
「今度の怪異は猿夢ってやつだ。一応聞くが、聞き覚えは?」
「無いな」
「まぁ、だよな。分かった。じゃあ、猿夢の怪異がどういうものか、それから話をする」
前置きし、雪緒は猿夢についての説明と、その被害がもうすでに出ている事を話した。
全て話し終えると、晴明は考えるように顎に手をあてて、ふうむと唸る。
「夢の中で襲ってくる怪異、か……それに、きさらぎ駅の関係者がほぼ全員被害にあっておるのだな?」
「被害ってより、その猿夢を見ている、って感じかな……他は分からないけど、きさらぎ駅の被害者は全員自分の番になる前に夢から覚めてる」
「ふうむ……恐らく、きさらぎ駅に長居した事で、怪異に対してある程度の耐性が出来たのか……。あるいは、きさらぎ駅よりも劣る猿夢が干渉は出来ても命までは奪えなかったか……」
「俺の持ってる表にも書かれてるけど、猿夢ってきさらぎ駅よりも劣るのか?」
仄から貰った表には、猿夢の名前もあり、その危険度はきさらぎ駅よりも下だった。
正直、夢の中では異界に囚われるよりも自由度が限られ、助かる確率が下がると考える雪緒。
「下だな。それも、怪異の中でも取り分け下位に属する」
「どうしてだ?」
「まず、猿夢は恐らく実体が無い。その上、きさらぎ駅のように強固な世界を作れない。夢という一種の世界を乗っとるのが精一杯だ」
夢を乗っとるというだけで雪緒にすれば異常な能力だけれど、晴明にしたら大した能力では無いらしい。
「世界の構築を人に依存している時点で、その夢の中に出てきた人物は猿夢の作り出した虚像だ。猿夢はその虚像の人を殺すことで、その者の恐怖心を煽り、精神を大きく削る。精神とはそれすなわち魂だ。魂を削り、自分が喰らえる大きさにする事で、奴はその者の魂を喰らっておるのだ」
「てことは、生き残った人達ってのは、魂が強いって事か?」
「この場合は、精神であろうな。まぁ、きさらぎ駅の被害者は、良くも悪くも猿夢よりも強い怪異に触れた事で無意識の内に耐性が出来ておるはずだ。猿夢程度では到底喰えぬよ」
ひとまず、裕也達は無事なようで胸を撫で下ろす。
「ただ、何度も続けば魂は削れ続ける。そうなれば、猿夢が食べやすい大きさになるであろうな」
「じゃあ、完全に安全って訳じゃないのか」
「ああ。ひとまずはしのげる程度だ。陰陽師や、其方のように七星剣を所有しているのであれば、話は変わってくるがな」
「七星剣を持ってれば安全なのか?」
「そうではない。七星剣は其方の魂に紐づけられておる。ゆえに、夢の中であろうと七星剣は其方に力を貸す。夢の中でも七星剣が使えるのであれば、きさらぎ駅よりも劣る怪異など、くだすのは造作も無いだろうよ」
「なるほど」
確かに、夢の中で七星剣が使えるのであれば心強い。それに、きさらぎ駅よりも弱い猿夢を相手取るのも生身よりも簡単になるだろう。
「けど、俺が猿夢に逢えるかどうかだよな……」
「そこは簡単だ。猿夢を見ている者の夢に其方が入り込めばよい」
「夢に入るって……簡単に言うけどどうやって?」
「其方は何時もどうやって平安まで来ておる?」
「どうやってって……眠ってだけど」
「そうではない。其方、体ごとこちらに来ておる訳ではあるまい」
「……ああ、そういう」
ようやっと、雪緒は晴明が何を言いたいのか理解した。
「幽体離脱して夢の中に入り込めって事か?」
「左様。其方であれば、意識すれば幽体を切り離す事など造作も無いであろう」
「でも、一回もやったこと無いぞ?」
「意識の問題では無い。身体が魂の切り離し方を憶えておるのだ。まぁ、あまり奨められるものでは無いが、今回限りであれば問題無かろう」
あまり奨められない方法と聞いて少しだけ気後れするけれど、何時もその奨められない方法で平安まで来ている事を考えれば今更だろう。
「んで、幽体離脱したらどうするんだ? そのまま夢に入れるのか?」
「普通、夢には入れない。が、猿夢が夢を異界化しているのであれば、其方でも入れる」
「きさらぎ駅みたいに入るための条件とかは?」
「恐らくは無いだろうな。何度も言うが、そこまで強い怪異でも無い。夢世界を保つので精一杯だろう」
「そうか。……にしても、どうやって猿夢を見付けるか、だよな……」
「地道に気配を探る他あるまい」
「だよなぁ」
けれど、昼間に感じた猿夢の気配はかなり希薄であった。少し離れれば気付け無い程の気配の薄さ。小梅や仄の式鬼も探りきれなかったものを、雪緒が容易く探れるとは思えない。
他に、鼻の効く式鬼がいれば良いのだろうけれど……。
そこまで考えて、雪緒は時雨に言われた事を思い出す。
「なぁ、晴明」
「なんだ?」
「俺は、式鬼を危ないことに、極力関わらせたくない」
「そうだな。其方は私にそう言ったな。……なんだ、改めて」
「……きさらぎ駅の時には、状況がそれを許してくれなかった。俺は時雨を式鬼にしたし、時雨に一緒に戦ってもらった」
「ああ、言うておったな。しかし、それは双方同意の上での話であったはずだ。それに、その事については、其方はもう答えを出したのだろう?」
「……ああ」
時雨は戦友。だから手伝ってもらった。そう、考えたのだ。
けれど、状況が変わった。町に怪異が蔓延る以上、明乃も繁治も危険である。それどころか、青子も加代も、棗も小野木も危険である。
一応お札は渡しているけれど、それでは不十分だろう。
「晴明も知っての通り、今、俺の町には怪異が蔓延ってる。でも、俺の手だけじゃ皆に届かないんだ。どうしても、人手がいる。その場合、俺はどうすればいい?」
「それは、陰陽師では駄目なのか?」
「陰陽師は俺の私情で動いちゃくれない。それに、言っちまえば俺の我が儘だ。俺の我が儘に他人を振り回せない」
「ふうむ……まぁ、そうさな」
言って、顎に手を添えて考える。
「知らせ役程度の式鬼を使役する……いや、夜では雪緒は反応できない。家に陣を敷く……雪緒が憶えて向こうで実践するまでに時を要する。強力な式鬼と契約する……雪緒に御せるとは思えぬ」
ぶつぶつと自問自答を繰り返す晴明。
それを、雪緒は黙って眺めるのだが、晴明の幾つかの答えが自分の弱さを露呈するものであったから、不甲斐なくて申し訳なくなる。
そして、それと同時に雪緒がかなりの無茶を言っている事に気付かされる。
式鬼を使わないで守る。それはつまり、人手を使わずに大勢を守る事と相違無い。
雪緒は自他共に認める凡人だ。遠くの誰かを助ける術は持たない。自分の目の前でなければ助けられない。
誰かが傷付くのが嫌だから誰も戦わせたくない。そんな我が儘も、事ここに至っては最早通す事は無理だろう。
「悪い晴明、困らせたな」
雪緒がそう言えば、晴明は考える仕種を止める。
「困ってはおらぬ。ただ、私は式鬼を使わずに遠くの誰かを守る術を知らぬゆえ、考えるのに時間を要しただけだ。もうしばし待て、すぐに答えを用意する」
なんでもないふうに言う晴明の言葉が半分本当で半分嘘である事くらい、雪緒にも理解ができた。
「いや、大丈夫だ。これは、俺が覚悟を決めれば良いだけの話なんだ」
こんな事になっても、我が儘を通したいという雪緒の覚悟の無さで誰かが死んでしまうのなら、それは最早本末転倒だ。
誰かを守るのと、誰をも守るのは違う。雪緒は決めたでは無いか。護りたい者を護るのだと。
「……式鬼と契約するよ」
「その必要は無い。今考える。其方は暫く待てばよい」
「いいんだ、晴明。俺は晴明を困らせたい訳じゃない。それに、人手を使わずに遠くの人を護ることが出来ないことくらい、晴明が一番よく分かってるだろ?」
「それは……」
晴明にとって、雪緒もある意味遠く離れた人なのだ。過去と未来。遠く時の離れた二人なのだ。
だからこそ、晴明はきさらぎ駅の際に雪緒に七星剣を与えた。自分はその時まで生きていられないから。自分は、時間移動ができないから。
雪緒と青子達以上に雪緒と晴明の間の距離は遠いのだ。
だからこそ、晴明は離れた相手を助けるための苦悩を、雪緒以上に知っている。
式鬼なら、武器なら、時を超えられる。自分と離れてもその者を守ってくれる。
「晴明、ありがとう。俺のために、色々考えてくれて。俺はーー」
そこまで言った直後、雪緒の視界が歪む。
「ーーえ?」
「雪緒……?」
困惑した自分の声と、いぶかしげな晴明の声が聞こえてくる。
雪緒は歪む視界の中、外の天気を確認する。
日が傾きはじめた頃、つまり、現代では夜明けにはまだ少し早いはずだ。なのに、何故現代に引き戻される?
「雪緒!!」
そんな疑問を抱きながら、雪緒の意識は沈み、時に流された。
意識を一瞬失い、目を覚ませばそこは現代ーー
「なんだ、ここ?」
ーーでは、無かった。
周囲を見渡せば、そこは廃れた何処かの無人駅だった。
瞬間、雪緒は理解する。
ここは、猿夢の中か……!!
無人駅の様子といい、話に聞いた猿夢の特徴に酷似している。
それに気付いた直後、耳障りなノイズの後精気の無い男の声が聞こえてきた。
「まもなく、電車が来ます。その電車に乗ると、貴方は怖い目に遭いますよ~」
アナウンスの後、無人駅に電車がやってくる。普通の電車ではなく、遊園地などにある遊具の電車だ。
……やはり猿夢。どうする、乗り込むか? 七星剣で壊すか? でも、猿夢の本体じゃなかったら意味が無い。確実に仕留めるなら、小人が出てきてからだ。
考え、そして結論を出す。
雪緒は電車に乗り込み、空いている席に座る。
「出発します~」
精気の無いアナウンスが流れ、電車は出発する。
暫く電車は何事も無く走り、やがて、薄暗いトンネルに入る。
そして、トンネルに入って直ぐに、精気の無いアナウンスが流れる。
「次は、炙り~。炙りです~」
直後、背後から悲鳴が上がる。
見やれば、ぼろ布を纏った小人が大きなバーナーで女性を炙っていた。
聞くに堪えない絶叫をあげる女性。しかし、それが猿夢の作り出す虚構だと知っている雪緒に大したダメージは無い。
小人が出てきた。なら、ここで終わらせる。
「来いッ!!」
呼ぶ声一つ。それだけで、七星剣が両手に現れる。
「お、らぁッ!!」
右手の剣を目一杯振り下ろす。
雷鳴が鳴り響き、衝撃が焼かれる女性ごと、小人と電車をつんざく。
女性と小人が悲鳴を上げる間も無く雷に焼かれる。
終わったか?
小人を仕留め、様子を見ようとしたその時ーー
「あ、やばっ」
ーーそんな、精気の無い声が聞こえてきた。
そして、ぱちりと目が覚める。
そこには見慣れた天井があり、周囲を見渡せば見慣れた自分の部屋だ。
カーテンの隙間からは朝日が差しはじめ、朝の始まりを告げていた。
起きて、現実を確認して、雪緒は握り締めた拳を布団に叩きつける。
「クソッ!!」
見誤った。本体が違った。
本体は女性を殺していた小人ではない。精気が無く、けれど、何処か嗜虐に満ちた声でアナウンスをしていたあの男なのだ。
「……仕留め損ねた……ッ!!」
雪緒は猿夢という不確定遭遇の怪異を倒す、千載一遇の好機を逃した。