第拾壱話 怪異の気配
真面目に授業を受ける雪緒。これぞ高校生の本来のあるべき姿である。
なんて、普通の高校生から片足どころか思い切り踏み外してしまっている雪緒は、ただ平和に授業をしているだけなのに、やけに感慨深く思ってしまう。
しかして、そう感じている時程事件が起きやすいのか、それとも偶然か、はたまた雪緒のはた迷惑な因果故か、ともかく、平和とは無縁の何かの気配を感じた。
雪緒は驚きつつも、平静を装って仄を見る。
仄もちょうど雪緒を見ており、雪緒が感じた気配が勘違いではない事を知らしめる。
仄が一つ頷き、懐から式鬼札を取り出すと、小さな声で唱える。
「式鬼神招来」
そう唱えると、式鬼札が一瞬青白く光り、仄が他の者にばれないように床に式鬼札を放る。
式鬼札は床に着く前にふわりと宙に浮き、地面すれすれを浮遊しながら扉の隙間を通って廊下に出て行った。
雪緒は机をとんとんと軽く叩く。しかし、ただ叩くだけではなく、指先には微少の霊力を纏わせてだ。
すると、手に持ったシャーペンが勝手に動き、すらすらとノートに文字を書き記す。
『先程感じた気配の事にござりまするか?』
ノートにやけに達筆にそう記される。
これは小梅が雪緒の影を伝って念動力を使ってシャーペンを動かしているのだ。
事前にこういった意思疎通の方法を提案していたのは雪緒の方なので、驚くことは無い。
『ああ。何か分かるか?』
『申し訳ござりませぬ。何処からか、気配が漏れ出ているのは分かるのですが、何分微少故に、影の中からでは分かりませぬ……』
『そうか……』
影から出て小梅に捜索してもらう事も考えるけれど、そうすれば明乃が無防備になってしまう。一応、炎蔵から貰ったお札があるけれど、それも絶対とは言えない。
雪緒はノートの端に、仄に見えるように文字を書く。
『捜索は仄に任せて大丈夫か?』
雪緒のノートの端に視線を寄越した仄は、こくりと一つ頷いた。
『分かった。一応、もう一体放っておくわ』
『頼む』
仄が式鬼札をもう一枚取り出して、式鬼をもう一体放つ。
その間に、雪緒は小梅に向けてノートに文字を書く。
『小梅はそのまま姉さんの護衛を頼む。昼休みまで気配が続いてるようなら、いったん俺の影に入って捜索しよう』
『承知』
返事をし、小梅が念動力を解いたのか、ペンの重みが手に戻ってくる。
雪緒はノートに書いた文字を消しながら思う。
怪異にとって昼夜など関係ないのだ。ようは、より動きやすい方が夜というだけであって、昼にでも動く事はあるのだ。
きさらぎ駅だって、昼夜の区別は無かった。
今までは駅という学校から離れた場所での事であったが、町中に蔓延るということを考えれば、何処で何時怪異に襲われてもおかしくないのだ。
本当に、気が休まらない……。
多少憂鬱に思いながらも、雪緒は真面目にノートを取る。けれど、最初のような集中力は無く、意識は常に感じる怪異の気配を追っていた。
授業中にずっと感じていた怪異の気配。授業終了までの十分にも満たない時間だったけれど、確かに感じていたその気配は、しかし、授業が終わった途端に反応が消えた。
小梅も反応を見失い、仄の式鬼も見失ったらしい。
昼休み、久しぶりに仄と一緒にお昼ご飯を食べる事になった雪緒は、前に座る仄にたずねる。
「気のせい、じゃあ無いよな?」
「うん。私も確かに感じたから、気のせいじゃないよ。それに、雪緒くんの式鬼も気配を感じたんでしょ?」
「ああ。俺と同じで、授業が終わると気配が消えたみたいだけど……」
「それは私も同じ。本当に、なんなんだろう……」
「ねーねー、何の話?」
横から青子が小首を傾げて二人にたずねる。
お昼ご飯は、雪緒と仄だけではなく、青子と加代も一緒に食べていた。
お昼になった途端青子が当然のように机をくっつけてきて、青子と向かい合うように加代が座ったのだ。
二人は事情を知っているので聞かれて困る事も無いけれど、二人に好き好んで話したいと思う話題でも無い。
「いや、なんでも無い」
だから、雪緒はそう言って誤魔化した。
「うん、こっちの話しだから、青子さん達は心配しないで」
仄も、できるだけ巻き込みたくないのは同じなので、雪緒にならって青子に心配無いと言う。
それに、情報が不確定なので、無駄に話をして二人を怖がらせる訳にはいかないのだ。とりわけ、二人は普通の人よりもこちら側に足を突っ込んでいる上に、この町に怪異があふれている事を知っているのだ。無駄に二人を怖がらせたくは無い。
しかし、二人の気遣いに青子は気付かずに、ぷくっと不満そうに頬を膨らませて雪緒を睨む。
「内緒話? けちー! 教えてくれても良いじゃん!」
「別にけちってる訳じゃないって。無駄に不安を煽るような事をしたくないだけだ」
「陰陽師、そう言ってきさらぎ駅に行くときも教えてくれなかったじゃん!」
「馬鹿、声がでかいっての!」
雪緒が周囲に視線をやれば、青子の「きさらぎ駅」という単語が聞こえてしまったのか、まだ話題性の残る単語だったために、幾人かの視線を集めてしまった。
雪緒はなんでもないように振る舞いながら、青子を窘めるように視線を鋭くする。
青子も、自分の声が大きかったのを自覚したのか、申し訳なさそうに眉を下げていた。
ちゃんと自分の過失を自覚して反省している様子の青子に、雪緒はこれ以上当たる事もなく、鋭くした視線を戻す。
「気を付けろよ。皆、あんまり聞きたい単語じゃないだろ」
「ごめん……」
しょんぼりと肩を落とす青子に、雪緒は言う。
「あの時は種明かししたらきさらぎ駅に行けない可能性が高かったからだ。そんで、今はお前らを怖がらせたく無かったからだ。別に、意地悪とかじゃない。普通に、お前らが心配だっただけだ」
言わせんな、こんなこっ恥ずかしい事。
そう付け加えて、雪緒はお弁当に手を付ける。最近は、お弁当を小梅が作ってくれている。小梅はコンロや電子レンジ等の使い方を、まるでスポンジが水を吸収するように憶えていく。料理のレシピだってすぐに憶える。
誰かに作ってもらうお弁当はとりわけ美味しいと、半ば現実逃避気味に考えながらお弁当を食べる。
「……ごめん、陰陽師。あと、ありがと」
言って、嬉しそうにはにかむ青子を見て、雪緒は思わず気恥ずかしさからついっと視線を逸らしてしまう。
「と、とにかくだ。必要な事とか、忠告とかはこっちから話す。お前らは、あんまりこっちの事情に首を突っ込むべきじゃない。気になったりするかもしれないけど、出来るだけああいった事に関わらない方が良い。俺だって、できれば関わりたくないんだからな」
「うん、分かった」
「はいよー。まぁ、ウチはきさらぎ駅で懲り懲りだからね。無駄に関わろうなんて思わないよ」
青子と加代が頷く。
「あ、そうだ。仄、あの事ってどーなったの?」
「あー、うん……一応、お父さんに話をしてみたんだけど……」
思い出したように青子が仄にたずね、仄が答えようとするも、仄は伺うように雪緒を見た。
なるほど、俺が居たら話しづらい内容か。
仄の視線を受けてそう察し、一度席を外そうかと思ったところで、不意に声をかけられた。
「おおっ、旨そうなの食ってんな、陰陽師」
そんな声が背後から聞こえてきて、次の瞬間にはお弁当箱の卵焼きをひょいっと摘み、自分の口に運ぶ。
雪緒はその声に憶えがあり、そして、この場に居る全員も憶えがあった。
雪緒はせっかく残しておいた卵焼きの一つを食べられ、多少不機嫌になりつつ背後を振り向いた。
「……俺、陰陽師じゃないんですが? ていうか、ここ下級生の教室ですよ? 留年でもしたんですか、井芹先輩」
「馬ー鹿。留年したら先輩じゃねぇし」
雪緒の皮肉混じりの挨拶に、にっと笑顔で答えたのは、きさらぎ駅で雪緒が助けた人々の中の一人であり、鬼主に吹き飛ばされて気絶した雪緒をバリケードまで運んだ男子生徒ーー井芹である。
井芹裕也。私立上善寺学園の二年生であり、雪緒達の一つ上の先輩である。
見た目は金髪にピアスと不良っぽさ全開ではあるけれど、きさらぎ駅では率先して子供達を助けたり、子供達に自分の分の食料を分け与えたり等、優しい一面を持つ少年だ。
しかして、小梅の作ってくれたお弁当を勝手に食べられた雪緒の心は、今はとても狭い。普段の目つきの悪さを割り増しにした目つきの悪さで裕也を見る。
「で、なんの用ですか? 見て分かる通り、俺は優雅なランチタイムの最中なんですが?」
「まーま、そう邪険にしなさんなって。お前に聞いておきたい事があってよ。ちょっと話せるか?」
笑顔で言う裕也。けれど、その目は笑っておらず、何処か取り繕っているようであった。
そんな裕也の様子に、何かあると察した雪緒は箸を置いて席を立つ。
「悪い、先に食べててくれ。行きましょう、先輩」
「おう。悪いな、お前ら。こいつ借りてくわ」
三人に断りを入れる意外と礼儀正しい裕也を連れて、雪緒は屋上を目指す。
道すがら、雪緒は裕也にたずねる。
「移動しましたけど、教室じゃ話しづらい内容ですよね?」
「まぁ、な……ちょーっと俺も眉唾な話なもんでな。それに、騒ぎも収まって無いのに一目の在るところじゃ話せねぇしさ」
「先輩の口振りで、だいたいどういう内容なのか分かりましたよ」
大方、怪異に関する事柄だろう。
以前の雪緒であれば断っていたところだろうけれど、今となっては事情が違う。怪異退治を手伝う事になった今では、そういった情報が一番欲しいのだ。
恐らく、陰陽師からもたらされる情報だけでは限界があるし、どうしても時間がかかってしまう。手伝うと言った事もあり、自分から動く必要があるのだ。
屋上に着く間に二人はそれ以上の話をすることもなく歩く。
重い鉄扉を開けて屋上に上がる。
「上がれるんだな、屋上って。ずっと立入禁止だと思ってたわ」
「俺も最近知りました。……それじゃ、話を聞かせてくれますか?」
前置きは要らない。恐らく、裕也も前置きを入れる余裕は無いだろう。
雪緒が話を促せば、裕也は話を始める。
「この間、きさらぎ駅の被害者の一人から連絡があったんだ。なんか、変な夢を見たとかでさ」
「連絡先交換してたんですか?」
「ああ。その人とバンドの趣味が合ったからさ。まぁ、そこらへんはどうでもよくてだ。どうもその人、変な……ってより、どうにも悪夢を見たようでさ」
「悪夢、ですか?」
「ああ。っつっても、それだけなら誰だって見るよな。俺だってお気にのギターがぶっ壊れる夢見たことあるしさ」
それは果たして悪夢なのだろうかと思うけれど、話が脱線しそうだったので雪緒は口を挟まなかった。
「んで、その人が見た夢ってのが、なんか、猿が出てくる夢だったらしい」
「猿?」
猿。猿に関する夢。
リストで見たことがあるかもしれないと思い、雪緒はすぐさまスマホを取り出して怪異をリスト化したデータを開く。
暫くスクロールすれば、雪緒の想像違わず、リストにはその名前があった。
「猿夢……」
「お、知ってんのか?」
「いや、名前だけ」
「じゃあ、一応説明するか。猿夢ってのはーー」
猿夢とは、ある日夢の中で無人駅に居るところから始まる。
人気の無い無人駅で暫くすると、遊園地にあるような猿の遊具の電車が目の前に止まる。
その電車にはその人以外にも人が座っているけれど、皆生気の無い顔をしている。
電車は進み、トンネルに入ると生気の無い男の声でアナウンスが流れる。
「次は、生け作り~、生け作り~」
そうアナウンスがされると、後ろの席に座った人が凶器を持った猿にアナウンス通りの殺され方をされる。
そしてアナウンスは続き、皆悲惨な死を遂げる。そして、自分の番になったところで目を覚ます。
「ーーってな感じだ。まあ、この話には続きがあるんだが、もう一度この夢を見たときに前回の続きだった、夢の中じゃなくて耳元でアナウンスの男の声が聞こえた、ってだけだから、あまり関係無いな」
「猿夢に関しては分かりました。それで、その人も猿夢を見たんですか?」
「ああ。アナウンスの内容は違ったみたいだが、同じような夢を見たらしい。んで、噂話通りに自分の前で起きることが出来た。まぁ、それだけ聞いたらその人の夢見が悪かったってだけの話だけど……」
「きさらぎ駅を連想してしまって、井芹先輩に連絡した、って事ですか?」
「……んにゃ、それだけならお前に話したりしねぇよ」
言って、少しだけ気味が悪そうな顔をする裕也。
「実はな、俺も見たんだ。猿夢をさ」
「先輩も?」
「ああ。さっきの授業中によ。なんかやたら眠くて、授業の終わりくらいに居眠りこいちまってよ。したら、今言ったみたいな夢を見たんだ。……やけにリアルでよ、授業が終わったからっつって隣の奴に起こされなかったらと思うと、ゾッとするわ……」
身震いを抑えるように腕を抱く裕也。
「んで、その夢を見たのが俺とその知り合いだけじゃなくて、きさらぎ駅に行った奴らがだいたい見てるんだわ。んで、流石に気味が悪くなってお前に話をしたってわけ」
「なるほど……」
確かに、複数人が見ているのなら、それはその人の夢見が悪いだけでは済まされないだろう。
そして、雪緒達が感じた怪異の気配がその猿夢だとしたら、授業の終わりに裕也が目覚めた事によって猿夢が去ったと考えられ、怪異の気配が消えた事の説明が着く。
雪緒は裕也を見る。
見た感じ、裕也に怪異の気配はもう無い。恐らく、また別の誰かのところに行ったのか、それとも機会を伺って潜伏しているのか。
どちらにしろ、放置していい内容では無い。
雪緒はお札を渡そうかと思うけれど、お札は知り合いの分しか貰ってない。
「ちょっと、待っててください」
雪緒はそう断りを入れると、スマホを取り出して炎蔵に電話をかける。
ツーコール目で炎蔵が出る。
『もしもし』
「あ、炎蔵さん。今、お電話大丈夫ですか?」
『大丈夫だ。何かあったのかい?』
「はい。リストにあった、猿夢っていう怪異。きさらぎ駅の被害者が、だいたいその猿夢に遭遇してるそうです」
『それは本当かい?』
「はい。今さっき、その被害者の一人に聞きました」
『……分かった。きさらぎ駅の被害者には、要警戒と伝えておく』
「ありがとうございます。それと、お手数だと思いますが、お札のほうもお願いします。もう一度被害が無いとは限らないので」
『分かった。報告、感謝する。引き続き、分かったことがあれば連絡を頼む』
「了解です。ありがとうございます」
『礼を言うのはこちらの方だよ。ではな』
炎蔵との通話を終え、雪緒は裕也を見る。
「一応、陰陽師の方が動いてくれるらしいです。お守りと、多分、夜間の警戒もしてくれると思います」
雪緒がそう言えば、裕也は目に見えてホッと胸を撫で下ろす。
「良かった……携帯持ってない子供達とは連絡が取れなかったからよ。心配だったんだ」
自分の心配ではなく、あの場にいた子供達の心配をする裕也。
その様子に、雪緒は別段意外感を覚えなかった。裕也が優しい人物であることは、見ていた分かったから。
「ま、これで俺も一安心だわ。ありがとな、陰陽師」
「俺は道明寺ですよ、先輩」
「知ってる。そうだ、連絡先交換しねぇか? なんかあったときに連絡取りたいからよ」
「良いですよ。俺も、先輩が余計な事に首突っ込んで、情報を持ってきてくれるのを期待してるんで」
「お前……良い根性してんなぁ……」
「卵焼きを奪った罪は重いんですよ」
「はは。わーったよ。俺の方でも情報集めとくわ。後輩に任せっぱなしってのも悪いしな」
連絡先を交換して、裕也はスマホをポケットにしまう。
「んじゃ、ありがとな」
「こちらこそ。有益な情報をありがとうございます」
「おーう。今度飯でも奢らせてくれよ」
にっと笑って屋上を後にする裕也。
そんな裕也を見て、あの人友達多いんだろうなと、どうでも良いことを考えながら、雪緒も屋上を後にした。