第玖話 割り切り
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仄の家でそのまま午前中を過ごし、まだ仄の家に居ると言った二人よりも先に雪緒は仄の家を後にした。
さりとて、家に帰るという訳ではなく、知り合いに会いに向かったのだ。
仄の家からは行ったことが無かったので迷わないか心配だったけれど、別段迷うことも無く雪緒は目的地まで到着した。
錆び付いた門を開けて敷地内に入ると、向こうから声をかけてきた。
「何か用かな?」
「ええ、まあ」
声をかけてきた棗にそう返して、棗の元へ向かおうとしたけれど、第三者がその場に居たために雪緒は思わず足を止めてしまう。
縁側に座る棗の隣に座る着物姿の綺麗な女性は、雪緒を見ると一つ頭を下げた。
「それじゃあ、私は行きますね」
「ああ」
女性は棗にそう言うと立ち上がり、雪緒の方、というよりもこの家の出入口である門まで向かう。
「あの、すみません。お邪魔してしまったみたいで」
「いいんですよ。丁度話も終わったところだったので。それでは」
謝る雪緒に微笑みかけてから女性は棗の家を後にした。
雪緒は暫く女性の背中を見送り、意外感を覚えながら棗の元へ向かった。
「意外です。くらさん、友達居たんですね」
「しばくぞ、君。……まぁ、友達ではないよ。知り合いではあるけどね」
言いながら、棗は家の中に引っ込む。
雪緒は構わず縁側に座り、棗が戻るのを待つ。
暫くして、棗はペットボトル飲料を二本持って戻ってきた。
「ほれ」
「ありがとうございます」
「それで、今日はいったいどうしたんだ? また陰気臭い顔をしてるけどさ」
「陰気臭いって……」
言われ、けれど反論も出来ない事に気付く。
確かに、常よりは自分の表情が陰っている事は自分で理解していた。ともすれば、しけた面だと言われても文句は言えない事も。
「……別に、特に何も無いですよ」
「ダウトだ。君は何も無いのにこんなところに来ないからね」
「こんなところて……」
仮にも自分を評する言葉がそんなものでいいのかと思ったりもするけれど、棗はさして気に止めた風も無い。
盛大に隈を作った温度を感じられない目で雪緒を見る。
雪緒は、気まずさから棗から目を逸らして、ペットボトルを呷る。
今日はそんな事を棗に言いに来たのでは無いのだ。自分が楽になりたいからと棗を頼るな。
三分の一程一気に飲み、棗に目を合わせずに口を開く。
「……くらさんは、きさらぎ駅の事知ってたんだろ?」
「はて、なんの事やら」
「いや、はぐらかさなくて良いから。じゃなきゃ俺に電車に乗る云々は言わないだろ?」
「……まぁ、噂程度ならね。で、それがどうしたんだい?」
「別にどうこうある訳じゃない。ただ、この町もちょっと物騒になってきたから、注意してくれって言いたかったんだ。後、これ持ってて」
懐から炎蔵から貰ったお札を取り出す。棗や他の知り合いに渡すために、無理を言って貰ってきたのだ。
と言っても、炎蔵は無理などしておらず、気軽に札をくれたのだけれど、雪緒は無理を言って申し訳無く思っているので、炎蔵が気にしていない事に気付いていない。
「なんだい、これは?」
「お札。まぁ、お守りみたいなもの。出来るだけ肌身離さず持っていて欲しい」
「これで俺を感じてくれってことかい?」
「んな訳あるか。お守りだって言ってるでしょうが」
「ふーん」
頷きながら、札を摘んでしげしげと眺める棗。
「これ、本当にご利益あるのかい?」
「一応、信頼できる人から貰ってきた」
「ふーん。なるほどね……」
頷き、棗は適当にお札をポケットの中に突っ込む。
「まぁ、君が私を気にかけてくれたのはわかったよ。ありがたく頂戴しよう」
「ありがたがる保存方法じゃ無いけどな」
「君が肌身離さず持っていろと言ったのだろう? 安心しろ、サランラップに包んでお風呂にも一緒に持っていこう。つまり、お風呂でも君を感じられる訳だ」
「いや、流石にそこまでしろとは言ってない。ていうか、俺を感じろなんて言ってないだろ」
棗は今日も今日とて短パンとタンクトップしか着ておらず、ボディラインがよく見えてしまう。
危うく棗の入浴シーンを想像しかけ、慌ててイケナイイメージを脳内から追い出す。
「ともあれ、まぁ分かったよ。それで、用件はそれだけかい?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
じっと雪緒の目を覗き込む棗。
探るような、案じるような、暴くような、そんな視線。
居心地悪く思いながら雪緒は棗から目を逸らす。
目を逸らすという事は、すなわち肯定を意味しているようなものなのだけれど、どういう訳か、棗の目を見ていられなかった。
目を逸らした雪緒に、棗は言う。
「言うだけならタダだよ?」
「タダより怖いものは無いって言うじゃないですか」
「なら代価を要求しようか。君、そのお茶飲んだでしょ? お茶代分くらいは話しなよ」
「むぅ……」
思わずむぅと唸ってしまう雪緒。
この間ケーキ全部あげたではないかと思わなくも無いけれど、あれは雪緒から棗へのお礼なのだ。それについてケチをつけるような恩知らずで見苦しい真似はしたくは無い。
それに、これは断る方が労力がいるだろうと考える。棗は折れるつもりは無いだろうし、こうなれば全て洗いざらい話してしまった方がいろんな意味で楽になれるだろう。
元より、一人じゃ抱えきれなくて、消化不良を起こしているのだ。なら、棗に少しだけ力を借りるくらいは、良いだろう。
「はぁ……分かりました。話せる事は話します」
「うん、それで良い」
偉そうに鷹揚に頷き、棗が続きを促してくる。
雪緒は、陰陽師等の専門的かつ、他言できない事情を口にすることなく棗に話をする。
「この間、人助けをしたんです」
「ほう、偉いじゃないか」
「偉くは無いですよ。俺がただ助けたかっただけです」
そこに誰かを慮るといった考えは無い。ただ単に、雪緒が誰も失いたくないだけなのだ。
「それで、色んな人の力を借りて、どうにか助け出せたんです」
「なら良かったじゃないか」
「それだけで終われば、ですけどね……俺が先走ったせいで、色々面倒な事になりまして」
「色々、とは?」
「色々です。色んな人に迷惑かけて、手間を増やして……色んな人を危険な目に逢わせてる……」
昨夜、雪緒は炎蔵に聞いた。包み隠さずに話してほしいと前置いて、たずねたのだ。
もう、怪異による被害は出ているのかと。死者と言わなかったのは、その言葉を聞きたくないと無意識に思ってしまった結果だろう。
雪緒の問いに、炎蔵は包み隠さずに答えた。
少なくとも、十人。
そう言った後、きさらぎ駅よりは被害が少ないし、次の被害が出るまでのペースが遅いとは言っていた。けれど、十人は雪緒からしては大きすぎる数字だった。
「俺のせいで、色んな人に迷惑をかけてる……でも、俺が助けた奴は、俺のお陰で助かった人もいることは忘れるなって言うんです。それ自体は、俺も嬉しいですし、助けられて良かったって思います」
でも、それにともなう代償が大きすぎるのだ。
雪緒が助けたかった人達を助けて、その結果この町に危険が蔓延る事になった。
そう考えると、時々思うのだ。
「俺が余計な事をしなければよかったのかなとか、たまに思うんです……」
その結果、辛い思いをするのが自分だけなら、明乃と繁治、晴明に心配と迷惑をかけるくらいなら、おとなしくしていた方が良かったのではと思うのだ。
「ばーか」
「いてっ」
俯き加減だった雪緒の頭に、棗が手刀を落とした。
驚いて顔をあげれば、棗が呆れたような顔をしていた。
「君が助けたかった人って誰?」
「えっと……クラスメイトとか、俺の知り合いとか……」
「察するに、君はその人達を入院するほどの怪我を負ってまで助けた訳だろう?」
「まぁ……」
「そこまで身体を張ってくれた君に対して、いったい誰が文句を言えるってんだい?」
「でも、そのせいで色んな人に迷惑かけてーー」
「あほちん」
「いてっ」
再度、棗によって手刀が落とされる。
「子供なんだから、迷惑かけて当たり前でしょうが。むしろ、子供である君が動かなければいけない程の事態を放っておいた大人が悪い。君は、悪くない。君は、君が出来る事を君なりに頑張っただけだ。その後の事なって知ったこっちゃ無い。大人がやらなきゃいけなかった事に対するつけを払わされるだけさ。いいかい、君」
言って、棗は雪緒の頭を乱暴に撫でる。
「人助けが間違った事なんて、誰が言える。何もしなかった奴らにどんな迷惑がかかろうと気にすることは無いんだよ。誰も君のやったことに対する文句なんて言えやしないんだから。君は、助けたいと思った人が手をさし伸べてきた時に、その手をとってあげればいいんだ」
笑いながら、心底からの言葉を雪緒に伝える棗。
「君一人に背負いきれないものを背負わせた奴らが悪い。君がそれを重いと感じたなら、何時でも降ろして良い」
降ろしても良い。そう言われて、雪緒は心が軽くなった気がした。自分に責任は無い、その責任は全てを雪緒に押し付けた他人が悪いと言われ、自分は悪くないのかもしれないと思ってしまった。
そう思った瞬間、何故だか晴明の顔が脳裏に浮かんだ。
……いや、ダメだ。そんな事、してはいけない。晴明が降ろすことの出来なかった重荷を、雪緒が誰かに押し付けて勝手に降ろして良い訳が無い。
誰のせいにも出来ずに自分が背負うしかない晴明に逃げ場は無い。逃げられずに頑張っている晴明を放っておいて、雪緒だけ逃げる事なんて、誰が許しても自分が許せない。
あの独りぼっちの少女を、独りになんて出来ない。
「……いや、降ろさない。俺がやっちまったことには変わり無いしさ」
雪緒がそう言えば、棗は雪緒の頭から手を離す。そして、明確に不機嫌そうな顔を雪緒に見せた。
「馬鹿だね君。そんなもの、降ろしてしまえば良いのに。君に得は無いだろう?」
「まあね。正直辛いよ。周りに迷惑かけるし、俺が背負うには重過ぎるし」
「なら、どうして?」
「怖がりなあいつが頑張ってるのに、俺が頑張らない道理が無いから」
問われれば、即座に答えた。
そんな雪緒を、棗は心底分からないといった顔で見る。
「得も無いのに、よくやる」
「損得じゃないんだ。ただ、俺が嫌だからってだけ」
楸の時のような事は、二度と起こって欲しくはない。
「……ただ、そうだな。今回の事に関しては、俺だけのせいじゃないって思うようにはしようと思う」
棗の話を聞いて、雪緒はそれだけは納得できたし、それに対しては正しくその通りだと思った。
「確かに、俺だけのせいじゃないわ。俺よりも専門的な奴が動かなかったのは腹立つし、何より子供を助けようとしないのも腹立ったしな」
そう、確かに、陰陽連という組織があるのにも関わらず、被害者が増えている間にも何もしなかった事が腹立たしかった。
炎蔵がいない時に仄を嘗めて自分達を散々言った分家頭首達に腹も立った。
あの時雪緒が言った事は本当だ。きさらぎ駅の時もあんなふうに無駄な事を話し合っていたのなら許さない。手なんて、貸せない。
けれど、どうあっても雪緒はきさらぎ駅の時に彼等がどんな話をしていたのかは知らない。だから、彼等に対してはこれからを見ていって決めようと思う。過去の事をうだうだ言っても何にもならないからだ。
しかし、それよりも、何よりも腹が立つのはーー
「俺より力があるのに、ビビってんじゃねぇよ……」
ーー自分より力のある者が動きもしなかった事が腹立たしかった。
力があれば力量差が分かる、というのは聞いた事のある話だ。しかし、力ある者が恐れる場所に、彼等よりも力の無い者がいるという状況にどうして目を向けられなかったのだろうか。
それに、きさらぎ駅を終わらせる事ができなくとも、間引きと救出は出来た。雪緒が終わらせた日にしようとしていたと言っていた。
その考えに行き着くのが、些か遅かったのはやはり保身の名目が大きかったのだろうかと疑ってしまうのは仕方の無い事だろう。
どうあれ、動いてもどうしようもなかったのでは無く、動かなかった事に変わりは無いのだ。そこを許せる程、雪緒も度量は広くは無い。
「うん、俺だけのせいじゃないな」
「……勝手に納得してるようだけどね、私には少しも理解できないよ」
「あ、ごめん」
「ふん、まぁいいさ。来たときよりはマシな顔になった」
言って、不機嫌そうだった顔を一変させて笑みを浮かべる棗。
「なんでも背負いこむもんじゃない。時には誰かに押し付けるのも必要だよ。君に背負い込めるものなんて、高が知れてるんだからね」
「分かってるよ……身に染みて分かった」
思えば、晴明も妖退治はもののふとやらに任せているのだ。なんでも自分でやっている訳では無い。
晴明ですら誰かを頼っているのだ。雪緒が全て背負い込むなど、初めから無理な話だったのだ。
「ありがとう、くらさん。話したらちょっと整理が出来た」
「いや、話せと言ったのは私だからね。お礼を言う事は無い」
「それでもありがとうだ。お礼を言うのは俺の勝手だろ?」
「……君も、減らず口を叩くようになったね」
「お蔭さまでね」
言いながら、立ち上がる。
「雪緒」
「何?」
「……いや、何かあればまた来ると良い。話くらいなら聞こう」
「うん。ありがとう」
雪緒は笑みを浮かべて棗にお礼を言い、棗の家を後にした。
雪緒の背中を見送ると、棗はポケットから煙草を取り出して口にくわえる。すると、直後に煙草に火が点る。
棗は少しだけ驚きながら、くわえた煙草を指で挟んで口から離す。
「……帰ったんじゃなかったのかい?」
「貴女にお友達が居るだなんて思わなかったので、興味本位で覗いてました」
言いながら、家の影から姿を現したのは、雪緒が来る前に棗と話をしていた着物の女性であった。
「それと、途中で話を切り上げてしまったので、これを渡しそびれまして」
和装の女は袖から折り畳まれた古めかしい和紙を取り出すと、棗の横にそっと置く。
「ああ、これか……」
受け取り、しげしげと眺める棗。
そんな棗に、和装の女はにこにこと楽しげに微笑みながら言う。
「あんなに若いお友達が居るだなんて、貴女も隅に置けませんね」
「友達じゃない。ただの知り合いだよ」
「あら、その割に、彼と話をしている時の貴女はとても人間らしく見えましたけれど?」
「…………」
図星なのか、棗は答えない。
誤魔化すように煙草の灰を灰皿に落とす。
「ふふ、まぁ怒らないでください。貴女の意外な一面が見られて、私は嬉しいですよ。まぁ、彼が友人だという事を貴女が黙っていたのは、少々寂しいですが」
「私は嬉しくは無い。それに、私が話すべき事でも無いだろう? どうせ、お前は気付いていたろうに」
「あらあら、そんな事ありませんよ? 私、あの人を見て心底驚きましたもの」
「どうだか」
和紙の内容に目を通し終わったのか、棗は和紙を折り畳むと、和装の女に乱暴に返す。
和装の女は、嫌な顔一つすること無く棗から和紙を受け取ると、大事そうに袖の中にしまった。
「なぁ、本当にあの子なのか?」
確認するようにたずねる棗に、和装の女は笑顔で答える。
「はい。彼です」
「……そう、か……」
「今更手を引くのは無しですよ?」
「……わかっている」
言って、棗は灰皿を持って家の中に引っ込んだ。
そんな棗を見て、和装の女は一つ微笑むと、棗の家を後にした。