第肆話 平安は夢幻か
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遠退いていた意識が浮上する。
意識が浮上するにつれて、五感の感覚が戻ってくる。
薬品独特の匂いが鼻を突く。
閉じていたやたら重たい瞼を持ち上げれば、見慣れぬ清潔感のある天井が目に映る。
「どこだ……」
目を開けたら知らない場所。普通に怖いし驚く。
自分の身に何が起こっているのかとびくびくとしていると、カーテンの開かれる音が聞こえる。
「……っ! 起きたんですね! 大丈夫ですか? これ、何本に見えますか?」
雪緒を見た看護服を着た女性が、片手でPHSを操作しつつ雪緒の前に指を二本立てる。
「……ピースサインですか?」
「二本ね! 良かった、ちゃんと見えてる。意識ははっきりしてますか? 自分の名前は思い出せますか?」
意識は若干朦朧としており、すっきりとはしていないけれど、会話をするくらいは出来る。
「名前は、道明寺雪緒。彼女無し。友達少々……」
「そこまで聞いてないから! 良かった。とりあえずは大丈夫そうね」
友達少々と言うボケを流され、若干悲しくなる雪緒。
しかし、彼女の慌てようを見るに、自分に慌てられるほどの何かがあった事は明白だ。
ぼんやりする意識の中、目覚める前の事を思い出そうと記憶を探る。
雷に撃たれて、平安に飛んで、安倍晴明に出会う。
記憶を探って思う。雷に撃たれた後は流石に夢だろうと。
普通に考えて雷に撃たれて平安に行くなんて有り得ない。先程までぐっすりと眠っていたようだし、完全に夢である。
心中で勝手にそう結論付けていると、看護服を着た女性は肩の力を抜いて雪緒に微笑む。
「でも、本当に良かった。君、雷に打たれたのよ? 即死しないなんて、本当に運が良かったんだからね?」
「本当に運が良かったら玉藻御前当ててますよ……」
「たま……なんて?」
「いえ、なんでも……」
雪緒のやっているゲームを知らないからか、頭上に疑問符を浮かべる看護服のお姉さん。
「ちなみに、ここどこです?」
「どこって、怪我人や病人が連れて来られる場所なんて一つしかないと思うんだけど……それに、私の格好見て分からない?」
若干呆れたように言う看護服のお姉さん。しかし、夢とはいえ病院ではなく平安に連れて行かれた雪緒としては、今の場所が本当に雪緒の認識通りか確認したいのだ。
「白衣の天使が居るという事は……天国?」
「縁起でもないこと言わない! 君も私もちゃんと生きてます! ここは病院!」
「院内ではお静かに……」
「誰が大きい声出させてるのかな!?」
適当に言葉を紡ぐ雪緒に、律儀に言葉を返す看護師さん。
この人面白いなぁと思いながらも、流石にこれ以上は自粛をする雪緒。
俺はどうなったのですか、と問おうとしたその時、病室の扉が開かれる。
「道明寺さん、目が覚めたって?」
扉を開けて入ってきのたは、白衣を着た壮年の男性。
「佐藤先生。はい。ついさっき目覚めました」
「容態は?」
「冗談を言えるくらいには良好です」
呆れながら壮年の医師ーー佐藤に報告をする看護師さん。
「それは重畳。元気なのは良いことだ。道明寺さん、身体に違和感とかあるかな?」
「……特には。ちょっと、身体が痛いですけど」
強いて言えば節々が少々痛む程度。体感的には軽い筋肉痛にみまわれているのと同じくらいだ。
「手足が痺れるとか、感覚が無いとか、痛みが無いとかは?」
一通り、言われた事を試してみるが、特に気になることは無い。
「いえ、大丈夫です」
「そうか。本当に、運が良い」
安堵したように、感心したように佐藤は言う。
「一応、この後精密検査するから。その結果いかんで、今後の事は決めようか」
「はい」
「じゃあ、ゆっくり休んでて。僕は親御さんに連絡してくるから、道明寺さんを頼むね」
「わかりました」
看護師さんに雪緒を任せ、佐藤は病室を後にした。
「そういえば、俺って何日くらい寝てました?」
「一日くらいよ。本当、呆れるくらいタフなのね」
確かに、雷に撃たれて一日程で目を覚ましたとなれば感心しつつも呆れてしまうだろう。
「打ち所が良かったんでしょう」
「どこから打たれても十億ボルトだからね? どこから打たれても即死だからね?」
落雷して生き残るために重要なのは大半が運、残りがその後の処置だ。運が悪ければ即死だし、運が良くてもその後の処置が無ければ生き残れない。
果たして運が良かったのか悪かったのか。
そもそも雷に撃たれている時点で運が悪いので、運良く助かったと言われてもあまり嬉しくはない。
「もう雷に打たれないように気をつけないとな……」
「気をつけてどうにかなるような事じゃないからね? いや、気をつけるに越したことは無いし、もっと言えば雨の中登山するものでもないからね?」
雨の中の登山。その言葉を聞いた途端、雪緒は跳ねるように起き上がった。
「俺のスマホどこですか!?」
「わっ、びっくりした。スマホ? ……あぁ、そういえばここに入ってたような……」
急に起き上がる雪緒に驚きながらも、看護師さんはベッド脇の箪笥を漁る。
「あ、あった。これ?」
「それですそれそれ!」
差し出されたスマホを奪うように受け取り、電源をつけようとする。が、電源をつける前に気付く。
スマホの液晶にはひびが入り、カバーは茶色く焦げた後があり、バッテリーパックは過充電により破裂し、破裂に耐えられなかったのかバッテリーパックに面していた箇所には穴が開いている。
「残念ながら、ご臨終です」
看護師さんが神妙な顔つきで言う。
「病院じゃ洒落にならないですよ、それ……」
看護師さんに力無く返し、雪緒はがくりと肩を落とした。
なんともまあ、労力に見合わぬ結果である。
スマホが壊れてしまったショックから抜けきらないまま、雪緒は精密検査を受けた。
二時間を超える精密検査にすっかりと体力を持って行かれてしまった雪緒は、ベッドの上でぐったりしていた。
長い。とにかく長い。
CTスキャンをしたり、手は動くか足は動くか、痛みは無いか感覚はあるかうんぬんかんぬん。
真面目な検査と言うのはどうしてこうも気疲れするのだろうか? それに待ち時間が長い。スマホも壊れている上に漫画やゲーム機がある訳でも無いので、暇な時間は本当にやることが無い。窓越しに外で元気良く遊んでいる子供達を眺めるくらいしかやることが無い。
ようやく検査を終えて戻ってきてもベッドの上でぼーっとするくらいしかできない。本当に暇である。
因みに、検査の結果であるが、オールグリーン。つまり、なんの異常も無かった。本当に雷に撃たれたのかと思う程に怪我が少なく、精々が倒れたときに身体を打ち付けたり、石で切ってしまったりだけであった。
雪緒の検査を担当した医師も検査結果と雪緒を見て大層驚いていた。
「はぁー、神懸かり的だね、まさに。本当に無事で何よりだよ。でも、ここの傷はちょっと変だな。君、雷に打たれる前になんか鋭いもので切ったりした? これ、普通に倒れただけじゃこんなに綺麗な傷にはならないよ?」
驚きと不可思議さが混じったその言葉。
雪緒は、山に登る前に怪我などした記憶は一切無く、登山の最中も手袋をしていたのでそんな傷は負っていない。植物や岩にも触っていなければ、転んだりもしていないのだ。
知らぬ傷が増えているだなんて不思議な事もあるものだーーなんて言葉では、到底片付けられない程の思い当たる節が雪緒にはあった。
医師の言った傷というのは指先にある少し大きな切り傷。その傷は鋭利な刃物で一直線に切り付けないと付かないような傷だ。
この傷に、雪緒は覚えがある。晴明が、小梅を召喚する時に付けた傷だ。
指先の傷は自覚するとじくじくと痛んで主張をする。
思い当たる節はそれくらいしかない。ここ一週間で怪我をした記憶も無いし、刃物を扱った記憶も無い。にも関わらず、雪緒の指先には切り傷がある。
まさか、夢ではなかった? 本当に、平安に……。
しかし、そう思ってもそれを証明する術が無い。どうやって平安に行ったのかも分からないし、そもそも安倍晴明が女という時点でおかしさ満点である。雪緒の知っている史実では安倍晴明は男であり、安倍晴明を題材にした映画やアニメでも、安倍晴明は男である。
夢と言ってしまう方が簡単で、筋が通った説明になるのに、指先の小さな傷一つがその安易な肯定を許してくれない。
確かめたい。けど、どうやって?
雪緒がしてきた体験が現実だったと確かめるために必要な事を考えようとした、その直後。
「雪緒が起きたって本当!?」
限りなく音のしないような病室の扉が派手な音を立てて開かれる。
「うわっ!? びっくりした!!」
一瞬前の静けさのせいで唐突に響く大声に身体を震わせて驚く雪緒。
そんな雪緒を見て、大声の主は眉尻をこれでもかと言わんばかりに吊り上げて、足音荒く近付いて来る。
「びっくりしたのはこっちよ!! 山登りに行くって言って出てったと思ったら、雷に打たれただなんて……あんた何考えてんのよ!?」
「いや、雷に打たれたのは不可抗力で……」
「雨ん中山昇る馬鹿がどこにいるって話してんのよ! ああ、目の前に居るわねそんな馬鹿が!」
「自分で言って自分で納得するなよ……」
「わたしが言わなきゃあんたすーぐに揚げ足取るでしょうが!」
「取らないよそんなの。姉さんは俺をなんだと思ってるのさ」
「減らず口叩くクソガキよ!」
「酷いや姉さん。そこは可愛い弟って言ってくれよ……」
「世の姉の大半は弟のことをクソガキとしか思ってないわよ。アニメばかりじゃなくて現実の姉を見なさい」
「夢も希望もねぇな……」
騒がしい女性ーー雪緒の姉である道明寺明乃は一通りまくし立てた後、一つ溜息を吐く。
「父さんも心配してたわよ。後でちゃんと謝っときなさい」
「うっ……へーい」
道明寺家の家長である二人の父親ーー道明寺繁治は、俗に言う過保護というやつだ。
雪緒が包丁で指を切ればやれ病院だ救急車だの騒ぎ、明乃がちょっと帰りが遅いだけで警察だ捜しに行かねばと騒ぐ。
繁治がこうも過保護になったのは二年前、雪緒の母親である道明寺楸が交通事故にあって亡くなってからだ。
楸は、居眠り運転のトラックに轢かれ命を落とした。遺体は酷い有様で、手足がばらばらになるほどだった。
最愛の人の突然の死去に、繁治は精神的に追い詰められた。
そんな繁治を二人が親身になってケアし、生活に支障がでない程度に復帰させた。それはとても喜ばしい事なのだけれど、楸の死がトラウマとなり、怪我などに敏感になって反応するようになった。
そんな経緯もあって、雪緒は父親をなるべく心配させないようにしてきた。
それが、軽率な行動でこの様だ。
「ごめん。迷惑かけた」
「別に迷惑じゃない。ただ、わたしも父さんも心配したんだからね?」
そう言う明乃の目元は化粧で隠しているようだけれど、少し腫れていた。
雪緒も明乃も、楸が死んで悲しまなかったわけではないし、心に傷を負わなかった訳でもない。
「ごめん……」
「もう馬鹿なことはすんな」
「おう……」
玉藻御前が欲しかったとは言え、馬鹿なことをしたと思う。
結果、雷に撃たれ、スマホはお釈迦、入院費もかさむ始末。本当にろくな事になっていない。
「それと、今度くらさんにお礼言っておきなよ? あんたを背負って下山してくれたのくらさんなんだから」
「え、マジで?」
「マジもマジ、大マジよ」
「うわぁ、申し訳ねぇ……」
くらさんとは、雪緒の隣の家に住む女性の事だ。いつも気怠げで暗い感じの女性だからくらさんと呼んでいる。というか、くらさんからそう呼んでほしいと言われた。曰く、気に入っているからだとか。
ともあれ、女性の細腕で男を背負わせてしまったことに対してとてつもない罪悪感がある。後で菓子折りとつまみ、ビールを持っていこうと決める。
「あ、そういえばわたし、あんたに言っとかなきゃいけない事あったんだった」
「え、なに? バッドニュース?」
悪い話ならこれ以上はご勘弁願う。
しかし、明乃は良い話か悪い話かを言うことなく、にやりと笑う。
「わたし、今日新学期だったんだ」
「あぁ、そ…………待て。今なんて言った?」
「今日新学期だったんだ」
「うせやろ……」
明乃の言葉を聞き、思わずうなだれてしまう雪緒。
現在、明乃は高校二年。季節は春。そして、新学期が始まったと言っていた。更に言えば、奇しくも二人は同じ高校に入学したので、同じ学校の先輩後輩という関係になる。
明乃が新学期を迎えたということはつまりーー
「本日が入学式なり~」
ーーということである。
二人の通う高校は入学式と始業式が同じ日だ。
「マジかよ……」
「雷に打たれて入学式欠席。しかも検査入院で一週間欠席。スタートダッシュで転んだねぇ?」
「転んでない。スタートダッシュで雷に打たれただけだ」
「転ぶより痛いねぇ?」
「うるせぇ……」
返す言葉にキレは無く、ただ頭を抱えるのみだ。
入学式を欠席したということは自己紹介もできなかったという事だ。そして、一週間も間を開けてしまえば、クラスで一緒にいるグループと言うのが形成されるはずだ。固まり始めたグループに飛び込んで行ける気がしない。
「ま、心配かけた罰だと思いなさい。スマホはわたしと父さんが適当に新しいの見繕うから」
「おー……」
本当にろくな事にならないと雪緒は肩を落とした。
その後、騒がしく病室に入った繁治に何度も心配されながらも、時間が来たため二人は帰って行った。
寝入る前に雪緒は疲れたと溜息を一つ吐いた。