第陸話 雪緒が背負ったもの
夕食を御相伴にあずかり、再度会議が開かれた。
今度も青子と加代が同席する。
そして、新たに炎蔵も加わった。
炎蔵は、本部の方に呼ばれていたらしく、夕食のちょっと前に帰って来たばかりだったそうだ。
そうして、炎蔵を交えて会議は進んでいった。
炎蔵一人加わるだけで、会議は驚く程スムーズに進んでいった。
炎蔵自身の慣れと、分家頭首達の炎蔵に対する尊敬の念からか、余計な口が挟まれる事は無く、けれど、驚く程きちんとした意見を出しながら、分家頭首達は会議に積極的な姿勢を見せた。
恐らく、いや、確実に仄はなめられていたのだ。恐らく、無意識だ。無意識に、仄に対しての扱いが軽くなっていたのだ。
それは、炎蔵と仄が培ってきた信頼の差だろう。
仄もそれを理解しているのか、口惜しいといった顔をしながらも、明らかな不満の表情を浮かべる事はなかった。
「では、各分家は担当地域の怪異の討伐を。自分達の手に負えないと分かった段階で救援を依頼する事。高位の怪異と遭遇した場合、戦闘行為は避け、退避に専念する事。高位の怪異は神域にも到達する非常に危険な存在だ。くれぐれも、無理はしないよう、情報収集に努めてくれ」
炎蔵がそうまとめると、会議はあっさりと終わりを迎えた。
「雪緒くんは、無理の無い範囲で怪異を討伐してもらいたい。地域を限定はしないが、連携を乱すような行動は慎むように。行動する際は逐一、担当地域の頭首に連絡を入れてくれ」
言って、炎蔵は小さな無線機を雪緒に渡す。
「これには各番号に各地域の無線機の周波数が設定されている。基本的に我々の行動は夜中になる。夜中で任務中の者は全てこの無線機を着用している。これで何時でも連絡をとってくれ」
「分かりました」
ようするに、この無線機を使って上手く各分家と連携をとってくれと言うことだ。
雪緒としても連絡をしやすくなるし、無意味な行き違いが発生する事も無くなるだろう。まぁ、分家に雪緒と協力する意思があれば、の話だけれど。
「それと、君達はこの札を持っていなさい。持っているだけで怪異の意識を逸らしてくれる」
炎蔵は懐から二枚の札を取り出すと、青子と加代に渡す。
二人とも、それをお礼を言って受け取る。
認識を阻害できるお札があるのであれば後で晴明に制作の方法を教えてもらおうと思いながら、雪緒は二人に向き直る。
「そういえば、青子の話ってなんだったんだ?」
雪緒がそう問い掛ければ、青子が口を開こうとしたタイミングで、加代が慌てて口を挟んだ。
「何でもないよ! 青子がちょっと気にしすぎてるだけだから! 雪緒くんは気にしないで」
「加代!」
「いーのいーの! ウチの問題なんて雪緒くんの問題に比べたらちーさなもんだって。ウチがどうにかするからさ。青子も、あんまり気にしないで。大丈夫。ウチに任せなって」
加代がそう言えば、青子は不満そうな顔をしながらも頷いた。
二人の間で話が完結してしまったけれど、二人がそれで納得したのであれば雪緒が会話を蒸し返すような事は出来ない。
「よくわからないけど、何かあったら言ってくれ。できる限りは協力するから」
「うん。ありがと、雪緒くん」
にっと常の笑顔で微笑む加代。しかし、青子だけは不満げな顔だった。
しかして、とりあえず、今日の用事は全て終わった。
日も傾き初めてきているし、日没後は怪異の領域だ。いくら七星剣があるとは言え、神域に近い怪異が蔓延るこの街では、その七星剣も何処まで通用するのか分からない。
出来れば、日が昇っているうちに二人を家に届けたい。
「さて、もう遅いしおいとまするか」
雪緒が腰を浮かせながら言うが、それを炎蔵が制する。
「ああ、今日は泊まって行きなさい。明日は学校は休みだろう?」
「え、いや、そういう訳にも……」
言って、ちらりと雪緒は仄達を見た。
仮にもクラスメイトの女子である仄や青子達と一つ屋根の下で一夜を共にするのはいかがなものかと思ったからだ。
しかし、仄は澄ました顔で事もなげに言う。
「私は気にしないわよ。雪緒くんが襲ってこないって信じてるから」
そう言われては襲えない。いや、襲う気は無いけれど……。ともあれ、信じていると言われてしまえば、雪緒が炎蔵の提案を拒んでしまっては仄の言葉を否定する事になってしまう。自分は襲う可能性がありますと言っているようなものだ。
けれど、一般的な観点から見れば女子の家に男子が泊まるのはよろしくない。
よし、一般的な意見を織り交ぜて説得しよう。
そう思い口を開きかけた時、青子が口を挟んだ。
「あたしのパパは良いって!」
「もう確認とったのか!?」
「うん!」
言いながら、青子は嬉しそうに笑む。
先程の不満顔はなりを潜め、純粋にお泊り会が楽しみである事がうかがえた。
しかして、だからといって雪緒が泊まる理由にはならない。
「あ、ああ、そうか。まぁ、でも、変な噂が立っても仄に悪いから、俺は帰ーー」
「すみません、炎蔵さん。ウチのお父さんに代わってもらえますか?」
「うむ」
加代がそう言って、炎蔵にスマホを渡す。
そして、炎蔵は加代の父親に丁寧な物腰で話をする。
フットワークの軽い二人を見て、雪緒は思わず呆然としてしまうも、考えてみれば二人は仄と同じ女子なのだ。同性の家に泊まる事に雪緒程抵抗が無いのも至極当たり前と言えるだろう。
まぁ、だからといって雪緒が泊まる理由にはならない。
ぽんっと雪緒の肩が叩かれる。
「雪緒くん、観念してもらえると助かるわ。お父さん、七星剣の事、もっと聞きたいみたい」
仄が若干呆れたように言う。
雪緒は一つ溜息を吐くと、観念してスマホを取り出した。
仄の家に泊まる事を繁治と明乃に伝えてから、五人で歓談をしたのち、雪緒はお風呂を借りた。
身体を洗った後、軽く十人は入れそうな程の大きな桧の浴槽に身体を沈める。
「はぁ…………」
浴槽に身を沈めると、身体から力が抜け、気の抜けた声が漏れる。
タオルを頭に乗せ、ぼーっと天井を眺める。
「んで、今の今まで何してたんだ?」
「僕等のした事の後始末だよ」
仰いだ頭を更に仰がせ、背後を見る。
そこには、着流しに羽織を羽織った時雨が立っていた。といっても、その顔はお面の下に隠されており、声で判別するしか無いのだけれど。
「縁日でも行って来たのか? 変なお面だなー」
「格好良いだろう? この角がいかしてる」
言って、お面の額にある一本角をつんつんとつつく。
久方振りに見た時雨は姿を消す前に見た姿とはだいぶ変わっていたけれど、何処にも異常は無いようで、少し安心した。
それというのも、時雨は雪緒の前から姿を消す際に、置き手紙一つだけしか残していかなかったのだ。
置き手紙には、旅に出ます、捜さないでください、とだけ書かれていた。
置き手紙はとりあえず破り捨て、けれど、捜すなということは何かやりたい事があるのだろうと考えて今日まで放置していたのだ。
まぁ、時雨の強さは知っていたし、並大抵の相手では敵わない事は分かっていたので放置していたのだけれど。これが小梅であれば話は大きく変わって来るのだけれど、今は良いだろう。
ともあれ、久方振りに雪緒の前に現れたのだ。何かしらの報告があるのだろう。
雪緒は頭を戻し、そのまま振り返って浴槽の縁に肘を置きながら言う。
「後始末ってぇと、ずっと異形を倒して回ってたのか?」
「ああ。君は日常生活があるだろうけど、僕にはまったくもって日常生活なんて無いからね。身体がもつ限り異形を倒して回ったよ。まぁ、間に合わなかった訳だけどね」
言って、肩を竦める時雨。
そんな時雨に、雪緒は不満げな視線を向ける。
「言ってくれれば、俺も手伝ったのに……ていうか、言うべきだろ、相棒。俺達の後始末ならなおさらに」
「君は理由が無ければ動けないみたいだからね。だから、あえて理由は作らなかった。ま、こんなところまで来るくらいだ。僕の気遣いも意味なかったみたいだけどね」
言って、お面を付けたままでも分かる程真剣みを帯びた目で雪緒を見る。
「決めたのかい? 怪異と戦う事を」
時雨の問いに、雪緒は頷く。
「ああ。元々、お前も言った通り俺達の後始末だ。なら、俺がやらないのはおかしな話だろ? きさらぎ駅だけで怪異を終わらせるつもりだったのを、俺が先走ったせいで手間を増やしちまったんだ。なら、俺がやらなきゃだろ」
「いや、早期解決を出来なかった陰陽連の怠慢だよ。彼らがもっと有能であれば、君が巻き込まれる事は無かった。君が気に病む事じゃない」
「気にもするさ。お前達が言ってるのはたらればだ。もう事は起こっちまったんだ。たらればなんて言ってられるか」
「そういう事じゃない。全体的な責任の所在は君にない。君はあくまで、陰陽連に請われて手を貸すだけだ。仕方ねーから手ー貸してやっかー……そんな程度で考えていて良いんだよ」
「だーから、そうもいくかってんだよ」
「そうもいくよ。護る者を見失わなかった君に落ち度は無い。いいかい? 誰かを護ろうとした君の行動の結果を誰も責める事なんて出来ない。むしろ、やるべき事をやらなかった陰陽連こそ責められるべきなんだ。もっと言うなら、君程度の一般人の介入を許した事も陰陽連の失態だ。いいかい、もう一度言うよ? 君に落ち度は無い。だから君は、落ち度を感じて彼等に力を貸す必要は無い。君は、君の護りたい者のために戦う。それだけで、十分なんだよ」
諭すように、宥めるように、雪緒に言う。
その声音は兄のようで、それでいて、もっと年上のようで……どうにも、気恥ずかしくて居心地が悪かった。まるで自分が駄々をこねているのを諭されているようだとさえ思った。
だから、雪緒は乱暴に頷いた。
「わーったよ。俺は俺が護りたい人のために戦う」
「うん、君はそれで良い。責任とか、落ち度とか、そういう余計なものを背負って戦うと、自分の本質を失ってしまうからね」
何かを懐古するように言う時雨。
雪緒は時雨の事を知らない。何も、本当に何も知らない。恐らく、元陰陽師で、とてつもなく強くて、生前に何かを抱えていたという事しか知らない。
雪緒は、出会った当初の時雨を思い出す。
全身血だらけで、頭は陥没し、手はちぎれて無くなっていた。そのちぎれ様は、何に食いちぎられたような、そんな無残な有様だった。
時雨を一目見て、交通事故に遭って死んでしまったのだと思った。
けれど、時雨の事を知るに連れて、もしやそうでは無いのではと思えてしまう。
お前は、いったいどんな人生を生きてきたんだ?
そう問い掛けようと口を開こうとした時、時雨は雪緒に背を向けた。
「じゃあ、僕はまた暫く怪異を狩るよ。何かあったら呼んでくれ。あ、最低後一体は式鬼を使役した方が良い。じゃなきゃ、君のお父さんかお姉さんを護ってくれる式鬼がいないからね」
最後にそう言い残して、時雨は霧のように姿を消した。
……お前は護ってくれないのかよ。
なんて、友人には言えない。けれど、時雨が傍にいる事を心強いと思ったのは事実だ。きさらぎ駅での共闘で、それは実感している。
そして、時雨が最後に言った事についても、雪緒はよくわかっている。
こうなってしまえば、この街に住む明乃も繁治も危険なのだと。
それどころか、千鶴も、小野木も、さよりも……今まで出会ってきた人達は全員危険なのだ。更に言えば、この街の住人は全員危険なのだ。
この街が、きさらぎ駅と同等、いや、それ以上の危険度を孕んでいる。
四六時中雪緒が護れるのならそれでいい。けれど、それは現実的ではない。四六時中なんて一緒に居られない。繁治には仕事が、明乃には学校がある。
明乃とは幸い学校は一緒だ。だから、学校に居る間は雪緒が護れる。けれど、通学路は? 明乃が遊びに行ったら? ちょっとコンビニに出掛けたら?
全部について行く? 無理に決まってる。
雪緒はうなだれて、浴槽の縁に額を置く。
「……気に病まない方がおかしいっての……」
無自覚に抱え込んだ責任が、雪緒にのしかかる。
晴明とはまた違う責任。晴明は押し付けられ、雪緒は自分で背負い込んだ。更に言えば、雪緒の軽率な行動が招いたと言っても過言では無いのだ。
助けてしまった事で、責任が広がっていく。
助けてしまったから、自分が助けられる事を知った。
人より深いところに身を置いたから、事の危うさを知った。
助ける力を得たから、助けなくてはと思考が働く。誰も彼も助けなくてはいけないと思ってしまう。
責任が重い。都を護っている晴明は、何時もこんな気持ちを味わっているのだろうか。
考えないようにしても、思考は勝手に考えてしまう。
「……これは、ダメだな……」
今更になって冬の言葉が身に染みてくる。
あの時、晴明が同じ道を行くなら、自分も後を追うと言った。
決して軽い気持ちで言った訳ではない。けれど、これ程までの重圧とは思っていなかった。
何事も、経験してみないと分からない事もあるのだなと身に染みて思った。
晴明の気持ちが、今になって漸く理解できた。
「確かに、こりゃあ怖ぇわ……」
晴明とはベクトルが違うけれど、確かに、晴明の責任の毛ほどだけれど背負った雪緒にも、晴明の恐怖する気持ちが理解できた。