第伍話 気まずい夕食
突然間近で鳴り響いた音と怒声に、思わずびくりと身を震わせる雪緒と加代。そしてそれは、分家頭首達も同じであった。
雪緒は机を叩いた張本人を恐る恐る見た。
「ど、どうした青子?」
そう、机を勢い良く叩いたのは、この話にまったく関係の無い青子であった。
思わず青子と普通に呼んでしまうくらい、雪緒は虚を突かれていた。
しかして、そんな雪緒を見もせずに、青子は分家頭首達をきっと精一杯に睨みつけていた。
謎の威圧感を放つ青子に、分家頭首達はたじろいでいた。
青子はこの場の誰も彼もを無視して声を荒げた。
「偉そうって何!? 陰陽師はね、行き方と帰り方しか知らないのにきさらぎ駅に知り合いを助けに行ったんだよ!? 陰陽師だって怖いはずなのに、なんの武器も持ってなかったのに、一人できさらぎ駅に行こうとしてたんだよ!? 覚悟なんて十分じゃん! おじさん達の方が覚悟が足りないよ! 武器も持ってていっぱい仲間も居るのに準備が出来なかったって言って誰も助けに行ってくれなかったじゃん! 何もしなかったくせにあたし達を助けてくれた陰陽師の事馬鹿にしないでよ!!」
息を切らせ、目に涙をためて言い切った青子。
「青子、落ち着いて」
「加代ぉ……」
「おー、よしよし」
青子を引き寄せ、抱きしめて慰める加代。
広間の空気はすっかり白けており、皆一様に気まずい表情を浮かべていた。
そんな中、加代が悲しそうに眉を下げて言う。
「差し出がましいようですが、ウチからも言わせてもらいます。ウチらを助けてくれたのは他の誰でも無い雪緒くんです。ウチらを助けてくれた彼を悪く言うのは止めてください」
加代にも言われ、分家頭首達は更に黙りこくってしまう。
雪緒としては、無視をしていればいい類の言葉も、彼女達には我慢がならなかったのだ。
雪緒が我慢をしてるから自分達も我慢しようとして、けれど、自分達を救ってくれた恩人をこれ以上けなされるのは、やはり我慢がならなかった。
気まずい沈黙が広間を支配する中、仄がはぁと一つ溜息を吐いた。
「一度休憩としましょう。皆さん、食堂にご飯の用意をしてあります。一度ご飯を食べてから、仕切り直しましょう」
仄が言えば、分家頭首達は気まずそうにしながら広間を後にしていった。
残されたのは雪緒達高校生組だけだ。
「悪いな、青子。お前にあそこまで言わせちまって」
雪緒は自分だけが我慢をすれば良いと思っていた。そうすれば、今日のこの話し合いは凌げると、そう思っていた。けれど、青子達の事は何一つ考えていなかった。自分の恩人を悪く言われて、傷付かないほど無神経な人間ではない事を、少なからず知っていたのに。
「……ううん、あたしこそ、ごめん。お話し、中断させちゃって」
「いえ、むしろ助かったわ。彼らが雪緒くんを見る目を、少しでも変える事ができた」
青子の言葉に、雪緒ではなく仄が返す。
「彼らにとって雪緒くんは手柄をかっさらった生意気な子供だった。けど、誰かを助けたという事実に目を向ける事が出来たわ。多分、少しくらいは当たりが柔らかくなると思う」
「少し、ね。あの人達、雪緒くんにありがとうの一つも言ってないけど、何様のつもりなの?」
「素直にありがとうなんて言えないだろ。俺が余計な事しちまったんだから」
雪緒の言葉に、仄の眉がぴくりと動く。
「よくよく考えれば分かる事だった。なぁ仄。お前ら陰陽師って、きさらぎ駅だけで怪異を終わらせるつもりだったんだろ?」
「…………はぁ。言わなきゃなあなあで終わってたのに」
「終わらせてたまるかよ。完全に俺の失態なんだからよ」
「ねぇ、どーいうこと?」
加代が事情が読めないといった表情で二人を見る。そしてそれは、青子も同じであった。
雪緒はばつが悪そうに頭を掻きながら言う。
「元々、街に蔓延る怪異ってのは、きさらぎ駅に居た奴らだ。陰陽連は、その中に居る怪異ごときさらぎ駅を終わらせるつもりだったんだ」
そのために呪具とやらの準備をしていた。少数精鋭でのきさらぎ駅のみの撃破ではなく、大勢を用いてのきさらぎ駅を含めたきさらぎ駅内の怪異全ての撃破が目的だったのだ。
元より、雪緒とは達成すべき規模が違ったのだ。準備が遅れるのも仕方が無い。
「俺が余計な事をしなければ、この街に蔓延る危険ってのはきさらぎ駅だけだったんだ。それを俺が増やしちまった。つまり、まあ……俺がこの騒ぎの元凶でもあるわけだ」
少し考えてみれば分かる話だった。
それを雪緒は、助けてくれなかったと言って非難した。場を引っ掻き回して、余計な手間を増やしたのは自分なのに。
「はぁ……済まなかった、仄。余計な手間を増やしちまって」
「ううん。準備が遅かった私達にも落ち度はあるから。それに、あの夜の時点で、先に人命救助と間引きだけは済ませるつもりだったの。それを雪緒くんに先を越されただけだから」
「先を越すってより、早とちっただけだけどな」
「私達の事なんて知りようがなかったんだから仕方無いよ。そこの謝罪は全然求めてない。……さて、それじゃあ私達もご飯食べに行こうか」
「え、でも迷惑じゃ……」
「ううん。元々そのつもりだったから平気だよ。二人も行こう?」
二人は顔を見合せると、揃って雪緒に視線を向けた。
とどのつまり、雪緒に判断を仰いでいるのだ。
雪緒は苦笑をしつつも、頷く。
「せっかくだし、御相伴にあずかろうぜ」
「……じゃあ、せっかくだし」
「うん」
二人が頷くと、四人は立ち上がり、仄の案内の元、食堂へと向かう。
しかし、その前に、青子が雪緒の袖をくいっと引く。
先を歩く仄と加代は二人が立ち止まった事に気付かずに歩く。
「ん、どうした?」
雪緒がたずねれば、前を歩く二人との距離が少し空いたところで、青子は悲しそうな顔で言った。
「陰陽師がした余計な事のお陰で、あたし達が助かったって事、忘れないでね?」
それだけ言って、雪緒を追い抜いて先に行く。
雪緒は青子に言われた事を自分の中で吟味する。
つまり、青子は雪緒を慰めたのだ。余計な事じゃないよ。少なくとも、あたし達は雪緒に助けてもらったよ。言葉にはしなかったけれど、そこには確かにありがとうの一言も含まれていた。
青子のその言葉だけで、幾らか救われたような気持ちになった。
雪緒は苦笑を浮かべながら、思い出したように言う。
「だから、陰陽師じゃねぇっての」
でも、ありがとう。
青子が言わなかった一言を、雪緒も言わない。
言っても聞こえないし、純粋な青子の事だから、こっちがありがとうだよと言って譲ろうとはしないだろうから。
雪緒は微かに笑みを浮かべながら、三人の後を追った。
大きな食堂で、土御門家の親類縁者集っての食事会は、まるで宴会のように行われた。少しだけ明るさを取り戻した分家頭首達も、楽しそうにお酒を呑んでいる。
お酒を呑んでこの後会議が出来るのかと思うけれど、苛立ちを酒で飲み干したいのだろう。苛立ちの原因である雪緒に、彼らの飲酒を止める事はできない。
青子と加代はと言えば、仄の母親らしき人や仄の親戚のお姉さん達に捕まっており、何やら姦しく話をしていた。
そして、雪緒はと言えばーー
「……」
「……」
ーー何故か、仄の父親、つまり、土御門現頭首の隣に座らされていた。
「……」
「……」
き、気まずい……!!
とてつもなく気まずい。何故クラスメイトの父親の隣に座らなくてはいけないのか。そして、相手は陰陽師である土御門家の現頭首である。分家頭首達が仄に敬語を使っていたのを考えると、土御門家が分家の中でも地位が高いことは瞭然だ。
手順悪くきさらぎ駅を終わらせ、この街にきさらぎ駅以上の災禍を招いてしまった自覚のある雪緒だけに、ことさらに気まずい。
雪緒はお冷やを飲み、仄の父は冷酒を飲む。
「……」
「……」
周囲が騒がしい中、ひたすらに無言な二人。
しかし、ここで漸く仄の父が口を開いた。
「私は、仄の父だ」
「はい……」
「土御門炎蔵と言う」
「はい……」
「……」
「……あ、俺は、道明寺雪緒と申します」
「うむ」
「……」
「……」
「……」
会話終了。
テンポ悪く自己紹介をしたのみで、会話が終了してしまう。
お互い、お冷やと冷酒をあおる。
ダメだ。クラスメイトの女子の父親って時点で何を話していいか分からないのに、場を掻き乱した俺に対して良い印象を抱いてないからなおのこと話がしづらい……!!
お冷やを飲みながら内心で酷く取り乱す雪緒。
先程からお冷やのお代わりしかしてない。ご飯は緊張で喉を通らない。
しかし、それは仄の父ーー炎蔵も同じようで、先程から冷酒しか減ってはいないのだけれど、互いにそれに気づけない程に内心で取り乱している。
炎蔵は冷酒をくいっとあおると、着物の袖に腕を通して二度口を開いた。
「今回の件、御助力、感謝する」
「あ、いえ……俺が決めた事ですから」
本当なら、きさらぎ駅でもう懲りているのだけれど、自分が撒いた種である以上自分でどうにかしなくてはいけない。それを他人任せにしていたのは雪緒自身の怠慢だ。
「俺が仕出かした事の始末のために、俺が何もしないのはおかしな話ですから」
「……いや、本来であれば私達がどうにかするべきだった。それを君に押し付けてしまった私達の怠慢だ。君が気に病む事は無い」
「気に病んでる訳じゃ無いですよ。俺がここで手を引く事を許容できないだけです」
好奇心でも、慢心でもない。ただただ、自分のせいで広がった災禍をどうにかしたいだけだ。
「ただ、俺は素人ですから、きさらぎ駅よりも強力な怪異はどうする事もできません。一番難しいところを押し付けてしまって、申し訳ありません」
「謝らないでくれ。むしろ、そこを君に押し付ける程、私達も君に甘えるつもりは無い。まぁ、七星剣の力は魅力的だが」
言って、少し考える仕種を見せる炎蔵。
顎に手を当てて物思いに耽っているだけでも炎蔵はとても絵になった。年相応の大人っぽさが見える炎蔵を見て、少し憧れてしまう。
「雪緒くん、差し支えなければ、七星剣を見せてもらえるかな?」
「分かりました」
唐突な頼み事ではあるけれど、それを拒むほど雪緒の心は狭くは無い。
雪緒は危なく無いように太鼓のばちを持つように手を構えてから、七星剣を呼び出す。
「来い」
たったその一言で、紫電をほとばしらせながら七星剣が現れる。
突然現れた七星剣に、賑わっていた食堂からたちどころに音が消える。
皆の視線を浴びて、少し気まずく思いながらも、炎蔵に七星剣を渡す。
「どうぞ」
「ありがとう」
炎蔵はお礼を言ってから、七星剣を手に取ろうとしたーー
「ーーっ」
ーーが、炎蔵の手に渡る直前で、七星剣から紫電がほとばしる。
それはまるで炎蔵の手に渡るのを拒んでいるように思えた。
「だ、大丈夫ですか!?」
急に紫電をほとばしらせた七星剣に面食らいながらも、雪緒は炎蔵に怪我の有無を確認する。
炎蔵は己の手を握っては開いてをして異常が無いかを確認する。
「うむ、大事無いようだ」
炎蔵がそう言えば、雪緒だけでなく、見ていた他の者ーー特に、陰陽師の者達は安堵したように息を吐いた。
「すみません。雷が出るとは思わなくて……」
「いや、君に過失は無い。恐らく、七星剣の防衛機能なのだろう。正当な使用者でなければ持てないようになっているのだろう」
「そんなものが……」
雪緒は七星剣にそんな機能がある事を知らなかった。それに、晴明にもそんな事は説明されていない。
今度、他にも何か特別な機能があるのかどうかを晴明に聞いておかねばならないだろう。
「雪緒くん、そのまま七星剣を持っていてもらえるだろうか」
「あ、はい」
言われた通り、七星剣を持っていると、炎蔵は着物の裾からスマホを取り出すと、パシャリと写真を取り始めた。
様々な角度から写真を撮り始める炎蔵に、雪緒は困惑する。
「あの……」
「動かないでくれ」
「あ、はい」
真剣な表情で言われれば、はいと頷く他無い。
雪緒が七星剣を持って硬直していると、背後から仄が声をかけてくる。
「ごめんね。お父さん、安倍晴明の事に関するとちょっとタガが外れちゃうの」
「あ、そう……」
「ごめんね、もう少し付き合ってあげて。錆の取れた七星剣を見てみたいってずっと言ってたから」
「……おう」
そんな事を言われてしまえば、雪緒としても頷くほか無い。見せる事に抵抗も無いし、若干生き生きしている炎蔵を見ていては、嫌ですとは言えなかった。
他の者はまた始まったといった顔をして、すぐに各々の話に戻る者もいれば、興味津々に七星剣を見ている者もいる。
最終的に、ポーズをとってくれと言う炎蔵のお願いにそれは勘弁してくださいと雪緒が頭を下げてその場はお開きになった。