第参話 人魚の肉
お茶の準備が終わり、歓談する場が整うと、早速道満が口を開く。
「では、最初はゆるりと始めるかのう。雪緒、其方、好いておる女子はおるのか?」
「唐突だな! ていうか、俺に聞きたい事ってそういう事?」
「確かに聞きたい事はあるがの、それよりも儂は汝とお喋りがしたいのだ。晴明が見初めた男子がどのような者なのか。儂は至極興味がある」
「どんなって……別に普通だけどな」
特殊な状況に身を置いているだけで、雪緒自身は普通の高校生だ。
「普通でもよい。ただ気になるだけだからのう。して、好いてる者はおるのか?」
「うーん……今はいない、かな?」
「では初恋はいつだ?」
「ありきたりだけど、保育園……って言っても分からないか。未来には小さい子供達をあずかってくれるところがあるんだけど、そこの先生が初恋かな」
「ふむ。それ以外に、恋をした事はあるのか?」
「特には……って、なんで恋愛系ばっか?」
「特に深い意味は無いのう」
「無いのかよ」
本当に世間話をしたいだけなのか、道満はその後も他愛の無い話をする。
やれ好きな食べ物は、やれ得意な事は、やれ晴明をどう思うだの、本当にあまり考えることを必要としない質問ばかりだ。
雪緒も気軽に相槌を打ちながら、道満の質問に答える。
道満は時に楽しそうに笑い、時にからかうように笑い、時に馬鹿にするように笑った。
最初の印象とはだいぶ異なり、よく笑う人だなと思った。
晴明との会話を聞いていたり、世間の評判などを聞いていると、とてもこんなふうに穏やかに笑う人には思えなかった。
「くっ、ふふっ。其方、やはりなかなかに愉快よな」
おかしそうに笑う道満に、雪緒は苦笑を浮かべながら言う。
「俺も、あんたがこんなに笑う人だなんて思わなかったよ」
「儂はこれでも笑い上戸だぞ? そこの面女とは違うてな」
「ふんっ、私だって笑うときは笑う」
道満の言葉に、晴明は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
二人が話を始めてから、晴明はどこか詰まらなそうにお茶を啜っては、二人が楽しそうに話をするたびに不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
大方、仲間外れにされたのが詰まらないのだろうと思い、晴明にも話を振ったりしたのだけれど、晴明は素っ気なく言葉を返すだけであった。
なんだか最初の頃に戻ってしまったように思いながらも、雪緒は道満との話を続けていたけれど、そろそろ晴明の素っ気ない態度が心に痛くなってきた。
そんな雪緒の心境を知ってか知らずか、道満は少しだけ笑みを隠して雪緒を見た。
「ふむ、思いの外、長々と話をしてしまったな」
「ふんっ、そう思うならさっさと帰るがいい」
「ふふっ、そう邪険に扱うな。次の問いで最後だ」
そこで、晴明の空気が変わる。
拗ねているようないじけているような雰囲気はなりを潜め、途端に真剣な表情になる。
「……もし無かったら?」
「ならば他の可能性を探るまでだのう」
唐突な言葉の応酬は、その内容の理解は二人にしかできず、雪緒は置いてけぼりをくらう。
「諦めるという選択は無いのか?」
「無い」
「そうか……」
そこで、晴明は諦めたのか、道満から目を逸らした。
「では、好きに聞け」
「ああ」
ふっと儚げな笑みを浮かべる道満は、晴明に一つ頷くと雪緒に向き直った。
「雪緒、汝に大事な事を一つ聞きたい。今までの問いよりも、よく考えて答えて欲しいのだ」
「あ、ああ。分かった」
笑みを浮かべながらも真剣な眼差しの道満に、雪緒は思わずたじろいでしまう。
そんな雪緒に構うことなく、道満はその問いを口にした。
「汝の時代に、不死者はおるか?」
不死者。それは決して死ぬ事の無い者の事。
この質問が道満の口から出て来るということは、先程晴明が言っていた不老不死云々は、冗談でもなんでも無かったということだ。
雪緒はたじろぎながらも、真剣に答える。
「……いない。少なくとも、世間が知る範囲で不死者なんてものは存在しない」
「そうか……ちなみに聞くがの、汝が生きる時代は今よりどれくらい先なのだ?」
「おおよそ千年」
雪緒がはっきり告げれば、道満はふっと呆れたように笑った。
「かように時が流れても、人は定命のままなのだな」
平安に比べれば平均寿命は延びたけれど、道満が求めている答えがそれでは無いことを知っているので、雪緒はそんなつまらない事は言わない。
「では、異国の伝承などは何か知っておるか?」
「……少なくとも、俺は知らないな。外国の神様が不老不死だったりってのは聞いたけど……あんたが求めてるのは最初から持ち合わせてる不老不死じゃないしな」
言いながら、雪緒は考える。
サンジェルマン伯爵の逸話を触りだけは知っているけれど、彼も不死だったのかはたまた全くの別人だったのかは分からないし、そもそも何故そんなに長生きなのかも分からない。
ギルガメッシュ叙事詩では、ギルガメッシュが不死の霊薬を探しに行く旅に出るけれどその霊薬が何処にあったのか、またどんな成分なのかも知らない。
中国の始皇帝も仙人に不死となる仙薬を差し出せと言ったけれど、そんなものは存在せず最後には水銀等で作られた丸薬を口にして毒死する。
不老不死の伝承は数多く聞くけれど、それが何で出来ていて、何処にあるのかを雪緒は知らない。
そもそも、博識で専門家でも無い雪緒にはその知識の限界は浅く、直ぐに行き詰まってしまった。
けれど、一つだけ知っている伝承があった。霊薬の類では無く、その存在も不明だけれど、眉唾な伝承が。
ただ、妖の存在が確かなこの地、この時代であれば確かに存在するであろう者の伝承を。
「一つだけ、思い出した」
「ぬ、まことか?」
「ああ。ただ、本当かどうかは知らない。本当に眉唾な話だ」
「構わぬ。申せ」
「……この時代なら居るかもしれないけど、道満は人魚を知ってるか?」
「ああ。人とも魚ともつかぬ者の事であろう? なんだ、その者が不死の秘術を隠し持っておるのか?」
「いや違う。秘術とか、そう難しい話じゃない」
「ではなんだと言うのだ?」
少し焦れったそうに言う道満。
しかし、ここまで来て、本当に言ってしまって良いのか迷う。
仮にも妖と縁を結んだのだ。見知らぬ妖とは言え、小梅達の仲間を売るような真似をしてしまって良いのか。そんな迷いが、雪緒に二の句を告げさせない。
「雪緒、どうしたのだ? 早う言わぬか」
黙ってしまう雪緒に根眉を寄せる道満。
「雪緒、言いづらい事なのか?」
言いづらそうにしている雪緒を気遣い、晴明がたずねる。
晴明の言葉に、雪緒は一つ頷く。
頷いた雪緒を見て、晴明は道満を見る。
「道満、今日は日を改めてくれぬか?」
「なに? ここまで来てお預けか?」
「私が雪緒から聞いておく。察するに、この場では言いにくい事なのだろう」
「……なるほど。凡夫らしい」
晴明の言葉と、雪緒のいままで話した内容、そして、雪緒の気質を吟味して自分なりの答えに至ったのか、道満は一つ頷いた。
「あい分かった。ではこれについては後日聞くとしよう」
道満が素直に引き下がる。
道満の言葉を聞いて、雪緒は酷く安堵した。
道満が晴明の家を後にし、冬、小梅、園女が二人に気を遣って外に出た。
常のように縁側に座り、二人でお茶を飲む。
「して、どのような話であったのだ?」
一息着くと、晴明はそうたずねた。
雪緒は少し躊躇いながらも口を開いた。
「そう難しい話じゃない。人魚の肉を食べれば不老不死になれる。そんな伝承があった。たった、それだけの事だ」
「たったそれだけ、では無いのであろう? 察するに、冬や小梅に気を遣ったのだな?」
晴明に心中を言い当てられるけれど、そこに驚きは無い。
「俺が他の妖の情報を売るような真似をして、小梅達が心を痛めないか……それが、心配だったんだ」
人にも動物にも仲間意識というものはある。小梅達が仲間を売られたと思って哀しまないか、そんな事を心配していた。
しかし、雪緒の憂慮とは裏腹に、晴明は常の涼しい顔で言ってのける。
「別段、あやつらはその手の話を気にはしないだろう。其方は自分と係わり合いの無い者のあらぬ噂が流れたとして、気にするか?」
言われ、考える間も無く雪緒は首を振る。
「いや、しない」
「それと同じだよ。冬も小梅も、その程度の事を気にしたりはせぬ」
「そう、か……良かった……」
本人達から聞いた訳では無いけれど、晴明に大丈夫だと言われ、雪緒は目に見えて安堵する。
そんな雪緒を見て、晴明は少しだけ口角を上げる。
「道満には、後で私から言っておく。まぁ、あの様子ではおおよその察しは付いているだろうがな」
「……てことは、小梅達もだいたいは察しが付いてるよな」
「そうだな。だが、其方は常と同じく接してやれ。あやつらも気にしてはおらん。其方だけ気にしていては、あやつらも気にせざるを得ないからな」
「……ああ、そうだな」
皆が気にしていない事を自分だけが気にしていては、小梅達が気にしていなくても、いやがおうにも気にせざるを得なくなってしまう。雪緒は皆の空気を悪くしたい訳ではないし、皆を困らせたい訳でもない。
雪緒が納得したところで晴明が言う。
「では、この話は終いだな。そろそろあやつらも戻って来るだろう。皆で菓子でも食べよう」
「ああ。……っと、そうだ。晴明に一つ言っておかなきゃいけない事があったんだ」
「ん、なんだ?」
「前言ってた、きさらぎ駅の後処理を正式に手伝う事になった」
「ふむ。きさらぎ駅消失と共に其方の町に現れた異形の者どもの退治の事か?」
「そうなんだが、事情がもっと複雑になった」
「どういう事だ?」
雪緒の言葉に、晴明の視線が鋭くなる。
「実はーー」
途端に雰囲気を変えた晴明をあまり触発しないように言葉を選んで話をした。
異形が伝承に根付いてしまった事。きさらぎ駅のような怪異が街に蔓延ってしまった事。
きさらぎ駅の中で仲間になった時雨の力を借りたいと言われ、けれど、式鬼を物のように扱うような者に時雨の力は貸せないと。現代に組織されている陰陽連の事も話をした。
晴明は、雪緒の話をすべて聞き終えると、顎に手を当てて考えた。
「なるほどな……。つまり、異形が怪異と言う形に収まった、という事か」
「そんで、その怪異がきさらぎ駅みたいに厄介な代物らしい」
「であろうな。形を知らぬ者が形を得たのだ。厄介にもなろう」
「形を知らぬ者?」
「ああ。其方が異形と呼んだ其奴等は形を得る最中だ」
形を得ている最中であったから不定形。だからこその異形。
「でも待ってくれ。鬼主は腕が九本もあったぞ? あれも異形なんじゃ……」
「鬼主はそれで完成系だ」
「え、あれで?」
「ああ。妖は不定形だ。そして、何処か人とは違う。冬も小梅も人に化けているだけに過ぎぬ」
「そうなのか?」
小梅と冬の外見は何処からどう見ても人だ。小梅が妖術で炎を使っているところを見たところがあるし、式鬼である事から、妖である事は分かっていたけれど、まさか化けていただけだとは思わなかった。
「小梅の本来の姿は知らぬが、冬の本当の姿は鬼だ。ああ見えて、結構好戦的でな。十二天将を除けば、私の使役する式鬼の中では五指に入る程の強さを誇っておる」
「へ、へぇ……見かけによらねぇなぁ……」
「本人に言ってやるなよ? ……話が逸れたな。それで、鬼主の形状の事だが……其方の話では鬼主は帰るなと言ったらしいな」
「ああ。帰るなとか帰さないとかなんとか」
「その帰さないという言葉が鬼主の形をよく表しておる。鬼主は多くの者を帰さず、自身の領域に引きずり込む。であれば、獲物を引きずるための手は多い方が良いだろう?」
「あ、そういう事か」
晴明の説明に、雪緒は納得する。
つまり、鬼主は他者を自身の世界に引きずり込むために腕が多くなったのだ。より多くを引きずり込むために、より多くを引き込むために。
恐らくだが、帰りたいと思った時点で、その手に掴まれているのだ。そして、入口に入ると同時に引きずり込まれる。
それを同時に行うには、確かに人間のように腕が二本では到底足らない。
「恐らく、怪異として根付く前と姿形は異なっているだろうな。例えるなら、蛹が蝶に羽化するようなものだな。形無き者から怪異へと形をなし、己の欲望でより合理的な姿になる」
顎から手を離し、晴明は雪緒を見る。
「雪緒よ。其方の決めた事に口出しはせぬ。ただ、必ず私に相談をしろ」
「分かった」
「此度に限らず、其方の町に蔓延る怪異、普通の怪異譚と侮れるものではなくなった。伝承通りに象られたままでは終わらぬだろう」
真剣な表情の晴明に、雪緒も真剣な眼差しを向ける。
「もともと、侮ってなんかいないよ。七星剣があるからって、そこまで慢心出来無いよ」
「……であれば、良いがな。時雨とやらを片時も側から離すな。聞くに、其奴はかなりの腕を持つようだ。用心棒としては十分だろう」
「時雨が良いって言ったらだな。あまり俺の事情で縛りたくない」
「ならば必死に頼み込め。その町に住み続ける以上、常在戦場であると心得よ」
「分かったよ」
晴明の言葉に素直に頷く雪緒。
しかし、晴明の懸念は晴れない。
雪緒の住む町に怪異が蔓延った。それは良い。経緯を知った今、そこに違和感は無い。
けれど、きさらぎ駅、これだけは別だ。
雪緒から聞いた怪異譚とはまったく別の形態の怪異と成り果てたきさらぎ駅。雪緒から聞いたきさらぎ駅の話には、黄泉戸喫の概念はあれど、今回のように強力な形では無いはずだ。
気のせいかもしれない。未知の部分が多いため、晴明が勘違いをしているのかもしれない。過去と未来の違いによる、情報の齟齬が起きているのかもしれない。
けれど、どうにも晴明には、きさらぎ駅に誰かの手が加えられているように思えてならなかった。
しかし、それは言わないで心中に留めておく。雪緒に要らぬ心配をかけたくはないし、気苦労を負わせたくも無い。
それに、誰かの手が加えられているとして、それを解決するのは未来の陰陽師の組織である陰陽連の仕事だ。決して雪緒が解決しなくてはいけない事案ではない。
「晴明? ぼーっとしてるけど、どうかしたか?」
「ん。いや、なんでもない」
心配そうに顔を覗き込んできた雪緒に平素を装って返す。
心中の不安が杞憂であれば良いと、そう思いながら雪緒と他愛の無い事を話した。