第参拾壱話 きさらぎ駅、終幕 壱
雪緒の尽力により、きさらぎ駅は終局を迎えた。
その後、雪緒達は仄ら陰陽師に病院に連れていかれた。
診察の結果、雪緒は肋骨骨折、他打ち身や切り傷、打撲多数であると診断された。
他の者は軽い栄養失調やかすり傷がある程度であった。あの異形が多く居た局面で、この程度で済んだのは不幸中の幸いと言えるだろう。
ともあれ、雪緒の状態もそこまで悪いという訳ではなく、適切な処置を施された後、一日だけ入院をする事になった。
他の者もそれは例外ではなく、数日入院した後、事情聴取を受けてから帰宅という事になる。
雪緒はベッドに入るや否や、すぐに眠りに着いた。
しかし、眠りに着くのは身体だけ。雪緒はすぐに目を覚まし、そんな雪緒に晴明はいつも通り声をかけた。
「お早う。とは言え、もう昼時ではあるがな」
「お早う……って、これはどういう状況だ?」
本日二度目の寝起きの挨拶をしつつ、雪緒は自身の状態を確認して、思わず晴明にたずねてしまう。
雪緒の顔を覗き込む晴明。しかし、明らかに距離が近い。それになんだか、後頭部に返る感触が何時もよりも柔らかいのだ。その上、とても心地好い。
「膝枕、というやつだな」
「……悪い、すぐ起きる」
「何、気にする事はない。其方も疲れておろう? ゆるりと気を休めるが良い」
「いや、でも……」
「私の膝枕では不満か?」
「不満じゃないから困るというか……」
もごもごと口ごもり、頬を赤くして晴明から視線を外す。
むしろ、健全な男子として嬉しいからこそ、どこか照れ臭いし、落ち着かない。
しかし、そんな雪緒の男の子特有の心中を察する事が出来るほど、晴明の察しは良くは無かった。
「不満でないのであれば良いであろう」
「いや、やっぱり大丈ーー」
「いいから寝ておれ」
「ーーあいたっ」
恥ずかしさが頂点に達し、起き上がろうとした雪緒の頭を、晴明が扇で叩く。
「其方も疲れておろう。今はゆるりと休め」
言って、自身の膝に乗る雪緒の額に手を置き、起き上がれないようにする晴明。
晴明から感じる温度が伝わり、柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。
それだけ、途端に落ち着かなくなる。
しかし、晴明の気遣いを無碍には出来ないので、雪緒はせめてもの抵抗で、晴明から視線を外した。
陽光降り注ぐ庭に視線を移し、そこで自分がようやく縁側で寝ていた事に気付いた。
おそらく、晴明が縁側でひなたぼっこをするついでだったのだろう。
「して、その様子から察するに、事は無事に済んだのだな?」
「ん、ああ。終わったよ、全ーー」
言いかけて、止める。
いや、全部では無いか。陰陽師の事とか、いろいろ片付いてない。
それに、仄は気になる事を言っていた。
『|異界(きさらぎ駅)消失と同時に町に現れた怪異の対処に増員を送ってください』
おそらく、きさらぎ駅消失と共に現実世界に帰って来れたのは、雪緒達だけではないのだ。
きさらぎ駅の中に居た異形。奴らも、きさらぎ駅消失と共に現実世界に戻されているのだ。
それは雪緒が想像していなかった事で、予想も出来ていなかった事だ。
流石に、そのままにしておくのも寝覚めが悪いので、協力を請われれば応じるつもりではいる。しかし、向こうは借りにも本職だ。彼等が雪緒を必要としていないのであれば、雪緒は自ら出しゃばるつもりは無い。
「どうした?」
「いや。きさらぎ駅自体はどうにかなったけど、まだ完全には終わってないんだ。だから、協力を請われれば手伝おうかなとは思ってる」
「……ほう? よもや、七星剣を得て強気になっている訳ではあるまいな?」
「んなわけあるか。ただ、俺の寝覚が悪くなるのが嫌なだけだ。一応、責任の一端が俺にもある訳だしな」
「……そうか」
「まあ、協力を請われればの話だ。本職が俺を必要としないなら、俺は首を突っ込まないよ」
「それが良い。私も、気を揉まずに済む」
そう言った晴明は安堵しているようで、表情が何時もよりいくらか柔らかかった。
安堵したような顔をする晴明に、雪緒は罪悪感を覚える。
「あー……悪かったな。いらん心配かけて……」
「そう思うのであれば、これきりにして欲しいものだ」
「……善処する」
「確約は出来ぬとな?」
「晴明が言った通り、俺は臆病者だからな。俺が知ってる誰かに危害が加わるようであれば、俺は動かざるをえない」
それは、偽らざる本音だ。今回と同じような事が起これば、雪緒は助けずにはいられない。
「……まぁ良い。其方がそう言うのであれば、止めはせぬ」
溜息を吐きながら言う晴明に、雪緒は驚いたような顔を向ける。
「なんだ?」
「いや、分不相応とか言われて止められるかと……」
「分不相応とは今も思っておる。が、私も其方を唆した。前言撤回など見苦しい真似はせぬよ」
けれど、不承不承といった感じは変わらない。
認めはするが、雪緒が心配なのだろう。
「出来るだけ、心配かけないようにするよ」
「そうしてくれると、私の心の臓も助かる」
「はは。晴明は蚤の心臓だからな。気を付けるよ」
「たわけ。蚤よりは大きい」
言って、雪緒の額に置いた手を少しだけ持ち上げ、軽く叩く。
以前のような会話。けれど、どこか以前とは違う感じがする。
それは、喧嘩をした気まずさを引きずっているからではなく、二人がお互いの事を知ったからだろう。
知ることが出来たからこそ、二人の間の溝が浅くなったのだ。
平たく言えば、気安くなった、といったところだろう。
晴明が雪緒の考えを完全に否定する事もない。不安な分、少し口を挟むけれど、それくらいだ。
雪緒が晴明の事を大きく見すぎる事も無い。晴明の心情と事情を知った今、自分は晴明の事をただの友人として見る、そう決めたのだ。
互いに、互いを友人として尊重する。そんな関係に、少しずつ近付いていっているのだ。
雪緒は、晴明に膝枕をされながら、事の顛末を話した。
時に質問を交え、時にからかいを交え、二人は話す。
何時もの空気よりも、幾分か和らいだ空気は、二人の間にあった蟠りが無くなり、その分、二人が仲良くなった事の証左であり、きさらぎ駅という事件が終局した事の証左でもある。
二人は、気が済むまで語らいあった。そんな二人を、残りの女性陣三人は頬えましげに眺めた。
さて、晴明との蟠りは無くなりはしたけれど、現実での蟠り、というよりは、やり残しはまだまだあるのだ。
「このど畜生! あんたは馬鹿ばっかりして! 本当に懲りてるわけ!?」
面会可能時間になった途端、明乃は乗り込んできて、そんな乱暴な言葉と共に雪緒を殴り付けた。
休暇を貰った繁治はそんな明乃を宥めながらも、雪緒を大人として、親としてきちんと叱り付けた。
雪緒は自分が馬鹿をやった自覚があるので、二人の叱責を甘んじて受け入れた。雪緒が二人に心配をかけたのは明白であるし、二人が雪緒を案じたのもまた明白であるからだ。
小梅が明乃と繁治の間に入って二人を止めようとしたけれど、雪緒はそれを抱き上げて膝に座らせる事で制した。
こうすることで小梅を落ち着かせて、あわよくば明乃からの攻撃を緩和できないかと考えたのだが、明乃が攻撃の手を緩めることは無く、説教が終わるまでぼこすか殴られた。作戦は失敗である。
しかして、泣きながら殴られれば心底から申し訳無く思うし、安堵したような顔で繁治から叱られれば、更に申し訳なく思う。つまり、本当に申し訳なく思っている。心の底から、かつて無い程に。
明乃に小梅を預け、二人を気晴らしに出掛けさせた後、繁治も事後処理のために署に戻ったどうやら、半休だったらしい。
三人を見送って、雪緒はようやく一息付けそうだと思えば、矢継ぎ早に来客が来た。
「また入院したって聞いたから、来てやったぞー」
そう言って気怠げな顔で入ってきたのはケーキの箱を片手に持った棗だった。
棗は元気か? どっか折れてんの? ケーキ食うか? と他愛のない事を話してケーキを全部食って帰って行った。
「元気そうだから帰るわ」
三十分程の短い時間な上に、好き勝手喋っていって、ケーキを全部食べた。本当にお見舞いに来たのかと首を傾げたくなるけれど、そこが棗らしいと思わず笑ってしまった。
そして、まだまだ来客は続く。
「君、短期間に何回入院するつもりなの?」
そう言って病室に入ってきたのは、雪緒の担任である小野木であった。
手にはお見舞いの品であろう林檎を持っており、果物ナイフで食べやすいサイズに切って紙皿に置いて渡してくれた。しかも兎さんにしてだ。女子力が高い。何処かの棗とは大違いである。
林檎を食べる雪緒を見て、小野木は笑みを浮かべた後、居住まいを正した。
「道明寺くん、千鶴を助けてくれてありがとう」
そう言って頭を下げた小野木を見て、雪緒はあからさまに驚いて見せた。
「え、先生と千鶴さんって知り合いだったんですか?」
「ええ。道明寺くんに言った行方不明の友達が千鶴なの」
「あ、あぁ……なるほど……」
驚愕の真実を知らされ、雪緒は納得した後、酷く安堵した。
結局、最後まで小野木の友人を助けられなかった事を気にしていたのだ。
それが、蓋を開けてみれば雪緒と助けたい人が一緒だったという事実。
最初に小野木の友人の名前を聞いておけばもっと早く動けた事に気付き、雪緒は盛大に溜息を吐いた。
「……って、俺が千鶴さんを助けたって、誰から聞いたんですか?」
「もちろん千鶴から。ここに来る前に千鶴のところに先にお見舞いに行って来たの。そしたら、道明寺くんに助けて貰ったって教えてもらってね」
「えっと……何処まで聞きました……?」
「全部」
「マジか……」
なんで全部言っちゃうんだ千鶴さんと、うなだれる雪緒。
しかし、それも仕方の無い事なのかもしれない。
千鶴としては小野木に心配をかけてしまった訳であり、その上ではぐらかす事ができなかったのだろう。
ならせめて、これ以上話を広めない事に努める他無い。
「あの、この事は」
「勿論、誰にも話す気は無いわ。私と千鶴と、道明寺くんだけの秘密ね」
「まぁ、上善寺と玖珂も知ってる訳ですが……」
それどころか、助かった全員が知っている事ではある。
「それも踏まえて、今度上善寺さん達も交えて話をしましょう。それじゃあ、私はもう行くわね。上善寺さん達の所にも顔を見せたいし」
「分かりました。わざわざありがとうございました」
「いいえ。先生として当然です」
立ち上がり、病室を後にしようとしたその時、雪緒はある少女の事をふと思い出した。
「そういえば、千鶴さんって妹さん居ますか?」
そう、あの日雪緒の部屋の窓の外に居た血濡れの少女の事だ。お姉ちゃんを助けてと言っていたので、千鶴の妹だと考えたのだがーー
「え、千鶴に妹? ううん、居ないけど」
ーー小野木は横に首を振った。
その事に少し驚く。
と、その時、小野木の背後にあの時の血濡れの少女が現れた。
そこで、気付いた。
少女の方は血濡れで分かりづらいけれど、よく見れば小野木と面影が似ている事に。
「じゃあ、先生には?」
そう問い掛ければ、小野木は寂しそうに笑った。
「居た、が正しいわね」
小野木がそう言い、雪緒は確認のために血濡れの少女を見れば、血濡れの少女はこくりと頷いた。
「……あんた、名前は?」
「え?」
唐突にそう言った雪緒に聞き返す小野木だが、雪緒が誰に問い掛けているのかを理解して振り返る。しかし、当然ながら小野木には見えない。
「……実花……」
「実花、ね」
「え、実花……?」
実花と言った雪緒を小野木は素早く振り返る。
とうの雪緒はと言えば、テーブルに置いてある和紙を人型に切り、式鬼札を作っていた。
「見た感じ、あんたはもう限界だ。だから、式鬼になれるとしてもほんの少しの間だけだ。それでも良いか?」
血濡れの少女ーー実花にそう問い掛けた雪緒。とうの実花は驚きに目を見開きながらも、こくりと一つ頷いた。
「ど、道明寺くん。何をするの?」
「先生。時間にして数分だ。何言いたいか考えておいて」
「な、何言ってるの? いったい、何するつもりなの?」
「数分だけ、実花さんを俺の式鬼にする。先生は、実花さんに何を言いたいか、何を話したいか、ちゃんと考えておいて」
「え、どういう事……?」
戸惑う小野木にそれ以上言葉を返す事無く、雪緒は式鬼札に霊力を込める。
「式鬼神招来」
途端に、式鬼札が形を成す。
そして、それは徐々にセーラー服を来た少女の姿に変わった。
そこに先程のような血の痕跡は無く、見るも可憐な少女であった。
実体化した実花の姿を見て、小野木が大きく目を見開く。
「う、そ……」
口に両手を当てて、言葉を無くす小野木。
そんな小野木に、実花はにこっと微笑む。
「久しぶり、お姉ちゃん」
それを聞いた途端、小野木は弾かれたように実花を抱きしめた。
「実花……実花ぁ……!!」
「お姉ちゃんっ」
涙を流して妹の名を呼ぶ小野木。
抱きしめ合う二人を見て、雪緒は静かにベッドから降りて部屋から出る。その時、実花が雪緒にありがとうとお礼を言い、雪緒は笑って頷いて返した。
部屋から出て、扉の横の壁に背を預ける。
誰かが入ってこないように、姉妹水入らずの時間を守るために見張るのだ。
「粋な計らいだね。ま、陰陽師としては褒められた事じゃないけど」
雪緒とは反対側の壁。そこに、仄は静かに立つ。
「良いだろ、これくらい。姉思いの妹に少し報いたくらいで、けちけち言うなよ」
「言わないよ。むしろ、よくやったと褒めてあげる」
「お褒めに預かり恐悦至極だよ」
「よきに計らえ」
そう得意げに言う仄。だが、その声音は何処かよそよそしい。
昨日の事が完全に後を引いている。雪緒も割り切れた訳ではないけれど、それは仄も同じらしい。
仄の調子に合わせて冗句ぶって言ってみても、自分の言葉も何処かいつもと違う。
そんな違いに二人して戸惑いながら、仄はめげずに口を開く。
「七星剣の事。上から通達があったよ」
「返せってか?」
「ううん。雪緒くんが持つ事を容認するって」
「は?」
予想外の答えに、雪緒は思わず聞き返してしまう。
「え、いや、なんでまた?」
「さぁ? 上の考えてる事なんて分からないよ。ただ一言、容認とだけ書面で届いただけだし」
「でも、それじゃあそっちにメリット無いだろ?」
所持を許可する変わりに手伝え、力を貸せと言うのであればまだ理解できるけれど、ただ七星剣の所持を容認するだけであれば、陰陽連にはなんのメリットも無い。
「そうなんだけど、本部もそれ以上何も言ってこない以上、私にはどうにも出来ないの」
「あぁ、そう……」
不服そうに言う仄に、雪緒はそれだけ返す。あまり多くを言っても仄の機嫌を損ねるだけだとわかっているからだ。
それにしても、陰陽連はいったい何を考えているのか。後で晴明にも聞いてもらおうと心中で決める。
「雪緒くん、陰陽連に入る気はある?」
「無い」
「……どうしてか、聞いても良いかな?」
「危ないことには首を突っ込みたく無いんでな」
「今回の事は、十分危険な事だと思うけど?」
「だからこれっきりにしたいんだ。あんまり家族に迷惑をかける訳にもいかないしな」
「……七星剣を持ってるくせに、随分と謙虚なんだね」
「まあ、俺が七星剣を持ってるのは、資格の有無じゃないからな」
「貰い物だから?」
「そーそ。貰ったの」
「本当に意味わかんない……」
仄はそう言うと、痛くも無い頭を押さえる。
まぁ、雪緒の事情を知らない者からしたらそういう反応になるのも無理はないだろう。
そして、ちょうどタイミング良く実花の霊力が完全に消失した。式鬼としても、幽霊としても、実花は消え去ったのだ。
幽霊として存在するのが限界だったからというのもあるだろうけれど、未練が無くなったからというのもあるだろう。
未練、というよりは、気掛かりと言った方が正しいだろう。
実花が何時亡くなったのかは知らないけれど、彼女はずっと小野木を案じていたのだろう事は、見ていて分かった。
実花が消え、雪緒は病室に戻ろうとした。けれど、それを仄に止められる。
「今は戻らない方が良いわよ」
「なんで?」
「どんな事情があれ、涙を流してるところを誰かに見られたくは無いでしょ?」
「……確かに」
「雪緒くん、デリカシー無いなー」
「うっせ」
言いながら、雪緒は歩き出す。
「どこ行くの?」
「上善寺んとこ」
それだけ言って、雪緒は上善寺の病室に向かった。小野木が落ち着くまで、時間がかかるだろうから。