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第参話 蒐集録の始まり

ここで一旦平安パートは終わりです。

現代と平安と行ったり来たりなので、結構頻繁にパートは変わります。

 晴明の家に住まわせてもらう事が決まれば、間を読んだかのように晴明の式鬼ーー冬がお盆に乗った料理を持ってきた。


「さあ、夕餉でございますよぉ」


 晴明の前に盆を一つ置き、雪緒の前にもう一つの盆を置いた。


 準備の良すぎる冬に、晴明が視線を向ければ、冬は慣れた調子で笑って言う。


「晴明様が楽しそうにしておられましたし、雪緒様も行く宛てが無いようでしたので」


 そう言われた晴明はばつが悪そうに冬から視線を逸らした。


 へえ……楽しんでたのか……。


 雪緒には終始警戒をしていることしか分からなかったが、おそらくは晴明と長い付き合いになる冬には、晴明の細かい機微が良く分かったのだろう。


「ささ、冷めない内にお召し上がりください」


「……いただきます」


「いただきます」


 晴明はばつが悪そうに、雪緒は普通に食前の挨拶をする。


 箸を手に取り、雪緒はご飯を食べる。


 献立(こんだて)は、雑穀米(ざっこくまい)に焼き魚、汁物に漬物。


 まずは、焼き魚から食べる。


「はむ……む! うまい!」


「ふふ、それはようございます」


 素直に感想を口にすれば、冬がふふっと嬉しそうに笑う。


「魚はなにを使ってるんだ?」


(あゆ)にございます」


「鮎か!」


 鮎は雪緒も大好きだ。屋台で鮎の塩焼きが売られていたり、鮎の塩焼き定食があった時には必ず食べる程好きだ。岩魚(いわな)でも可。


「鮎なら頭から尻尾まで食べられる!」


「あら、ふふ。では、余さずお食べください」


「ああ!」


 鮎を食べながら、雑穀米を頬張り、汁物を(すす)る。


 汁物は薄味だが、濃いめに味付けされた鮎の塩焼きと絶妙に調律を取っており、汁物の薄味が丁度良い。


 雪緒は十分とかからずに夕飯を食べきった。見事、鮎を頭から尻尾まで食べ切ってみせた。


「うまかった! ごちそうさま!」


「ふふ、お粗末様でした」


 嬉しそうに微笑みながら盆を下げる冬。


「あ、ああ! 某が運ぶでありまする!」


「ふふ、じゃあ、お願いしますね?」


「はい!」


 冬から盆を受け取り、嬉しそうに台所まで運んでいく小梅。


 そんな小梅を微笑ましげに見守る冬。


 冬の見た目年齢が晴明と変わり無く、小梅が十かそこらの子供の姿をしているからか、二人を見ていると、仲の良い姉妹のように見える。


 そんな二人の姿を見ていると、今まで気にも止めなかったことに思い至る。


「なあ晴明。小梅とか冬さんって食事はいいのか?」


「よい。人には見えるが、式鬼とは鬼神(きじん)、荒ぶる神だ。まあ、妖怪変化もおるが、……区分けはどうでも良い。要は、人とは違うとだけ憶えておれば良い」


「そうなのか……」


 鬼神、荒ぶる神、妖怪変化。


 確かに、式鬼札から人の形に姿を変えるところを見れば、人で無いと言われても理解できるが、それでも見た目は人なのだ。人で無いと言われても、いまいち実感が湧かない。


 人に見える者、それも幼子が食事を摂らないで自分だけ食事を摂るのは、何と言うか、大変心苦しい。


 しかし、だからといって食事の間二人に席を外してもらうのも雪緒の我が儘であるし、二人に失礼だ。


 逆に、二人分の料理を増やして貰うというのも、晴明の懐事情を考えればただの雪緒の我が儘だ。いや、晴明は他の人より良いところに住んではいるので、お金が無いというわけではないだろうけれど、それでも、自分の我が儘で晴明に負担を強いるわけにはいかない。


 なにより、居候(いそうろう)の身では文句など言いようが無い。


「……其方が何を考えているか分かるがな、無駄だよ。冬は食事を必要とはせんし、小梅も同じだろう。奴らにとって食事とはただの娯楽、暇潰しに他ならぬからな」


「そうなんだろうけどなぁ……」


 晴明と雪緒の生きてきた時代の違いか、晴明はすっぱりと見切りを付けられるのとは真逆に、雪緒はどうしても子供の姿をしている小梅に食事を摂らせないということに忌避感を覚えて仕方がない。


 時代もあるだろうが、晴明は式鬼の相手に慣れているということもあるのだろう。それに加え、晴明は式鬼の事をよく理解している。だから、割り切れるのだろう。


 しかし、雪緒は式鬼について触れたのは今さっきだ。そう簡単に割り切れなくても仕方がない。


 うーんと唸る雪緒。晴明の言わんとしてることは分かるし、晴明が正しいことも理解している。けれど、理解できているから納得できるわけでもないのだ。


 どうしたものかと考えていると、晴明が溜息を吐く。


「食事は摂らぬがな、何も物を食べぬ訳ではない。言ったであろう? 娯楽だと。茶も飲めば菓子も食う。それで許せ」


 つまりは、今日お茶の時に出て来た甘栗のようなお菓子は一緒に食べると言うことだ。


 それが理解出来ない雪緒ではないし、晴明が譲歩してくれたと分からない訳でもない。


「ありがとう、晴明!」


「ああ、良い……」


 疲れたように溜息を吐いて食事に戻る晴明。


 晴明が楽しそうにしていた事には気付かなかったが、晴明が優しいという事には気づけた雪緒。


 思えば、見ず知らずの自分を家に招待してくれたし、役人に突き出す事もしなかった。話を最後まで聞いてくれたし、それを信じてもくれた。お茶も出してくれたし、お菓子だって出してくれた。それに式鬼についても教えてくれた。加えて、しばらく家に住まわせてくれると言ってくれた。


 思い返せば、晴明の対応は素っ気なく、冷たくはあったけれど、突き放すような事は無かった。


 改めて思い返して、晴明の優しさに気付いた雪緒。


「ありがとうな、晴明。晴明って、優しいんだな」

 

「げふっ、ふごっ!」


「晴明!?」


 晴明の優しさに気付いた雪緒は素直にお礼を言ったのだが、お礼を言われた晴明は思いっ切り(むせ)ていた。汁物を啜っている時に話しかけたのがいけなかったのだろうかと考えながら、雪緒は晴明の隣に慌てて移動して、その背中をさする。


「だ、大丈夫か!?」


「けほっ……。そ、其方は、いきなり何を言い出す?」


 心配して背中をさすれば、晴明は恨めしげに雪緒を睨んだ。


「な、何って、晴明は優しいなって思って……」


「なぜそうなる」


「え、だって、俺の話を信じてくれたし、俺をしばらく住まわせてくれるし、それに、式鬼のことについても教えてくれた。どう考えたって晴明は優しいだろ?」


「う、ぬぅ……私は、別に優しくなど……」


 言いながら、少しだけ頬を朱色に染めてそっぽを向く晴明。


 照れている晴明を見て、雪緒は思わず笑ってしまう。


 しかし、これ以上言って困らせるのも雪緒の本意では無いので、笑うだけに留める。それでも、晴明としては面白くないのかキッと雪緒を睨みつける。が、頬を朱色に染めながら睨まれても可愛らしいだけであり、さほど意味は無かったけれど。


「ええい! いつまでさすっておる! もう良い!」


 せめてもの意趣返しと思ったのか、晴明は雪緒の手を乱暴に払う。


 けれど、それも照れ隠しに他ならぬ行動であり、雪緒を喜ばせてしまうだけだ。


「ぬぅ……!」


 特に堪えた様子も無く茵に座り直す雪緒を見て、晴明は悔しそうに唸る。


 そんな晴明を見て、存外、子供っぽいところもあるのだなと思う雪緒。


 ずっと余裕の笑みを浮かべている雪緒に、今反応を返してしまえば雪緒の思う壷だと遅まきながら理解した晴明は、雪緒に構うことを止めて夕餉に専念する。


 今話かけたら晴明が不機嫌になることは目に見えているので、雪緒は食後のお茶を手に取り、縁側へと移動する。


 お茶を飲みながら縁側に腰掛け、外を眺める。


 外は日が地平線に沈みはじめた頃なのか、もうすっかり宵闇が広がってきていた。


 宵闇の空には星が瞬き初め、空気の汚れている現代では見られないような絶景が広がっていた。


 本当にど田舎や、空気の澄んでいるところに行けば見られるのだろうこの光景も、しかし、こんな空の輝きを見たことが無い雪緒にとっては比類のしようが無かった。それに、普段星を見ようなどとは思わない雪緒にとっては比類などどうでも良く、この光景にただただ心を奪われた。


 日は着実に沈んで行き、宵が勢力を広げる。


 宵が広がるにつれて星の瞬きは増え、温かな月光が地上に降り注ぐ。


 排気ガスも、町の明かりも無いこの時代の主役は、空に浮かぶ彼らだ。


「月夜はそんなに綺麗か?」


 気付けばそれなりに時間が経っていたのか、いつの間にか晴明は夕餉を食べ終えており、小梅と冬が片付けをしていた。


 晴明は雪緒の隣に少し間を空けて座り、雪緒と同じように空を眺めた。


「ああ。夜空がこんなに綺麗だなんて思わなかった」


「先の世では、空など見ぬのか?」


「見るときは見るけど、こんなに綺麗じゃない。まあ、空を見ないっていうのも、あながち間違いじゃ無いけどな」


 現代人は空など見ず、ひたすらに下を向いている時間の方が多いだろう。


 携帯なり、パソコンなり、漫画なり。


 家族団欒を過ごすから、空など気にもかけぬ事もあるだろう。カーテンを閉めてしまうから、星空なんて目にも入らないだろう。


 時折、空を見たくなって見上げる事もあるだろう。けれど、星空はあまり綺麗には写らない。


「いっぱい物があるからかな? 滅多に空に目を向けなくなったよ」


 現代人は、空模様よりももっと目を向けなくてはいけない事が多いから。


 どの時代の人もそうなのだろうけれど、現代に進むにつれて、人が空を眺める時間は減って行くのだろう。


「それは、空よりも目移りするものがある、という事か?」


「ああ」


 昔と比べれば、格段に物は増えた。これからも増え続けるだろう。そうして、増えた分だけ人は目移りしていく。見なくてはいけない物も、増えてくる。


 物に限らず、人、責任、仕事……人は、目を向けなくてはいけない物が多すぎる。


 それは、雪緒とて例外ではない。


 ごろんとその場に寝転がる。


「たまには良いのかもな。なにも考えずに空を見るのも」


「……私が言えた事ではないが、考え続ける事が正しい事とは限らぬよ」


「例えば?」


「例え? ふうむ……」


 聞けば、晴明は顎に手をあてて考える。


 考えながら、言う。


「そう、さな……今日其方を此処(ここ)へ連れてきた時も、私は何も考えてはおらぬ」


「え、何も考えずに連れて来たのか?」


 それは、余りにも無用心が過ぎるのではないだろうか。そんな思いを込めて言えば、しかし、晴明は慌てて釈明をすることも、否定をすることもしなかった。


 ただ、淡々と言葉を紡いだ。


「いや、考えてはおった。私の家が一番安全で、事が起こった時にはすぐにでも助勢が来れる場所であるとは考えた。だから、其方を此処へ連れて来ることに躊躇いは無かった」


 家が一番安全と言うのは、先程言っていた晴明陳の事だろう。助勢が直ぐに来れるという言葉の真意は分からなかったが、雪緒は口を挟むことなく続きを待つ。


「ただ、何故其方を家へ連れ帰ろうと思ったのか、まったく考えておらんかった。ただ、連れて帰ると思っておった」


 それが、彼女にとって良いことなのか悪いことなのか。それを晴明自身もきちんと理解していない様子だ。


「常ならば、要らぬ事まで考えるが、あの時ばかりは何も考えてはおらんかった。どうしてだろうな?」


「いや、俺に聞かれても……」


 晴明が分からない事を、他人である雪緒が分かる道理は無い。相手の心を覗くこともできなければ、相手の思考を読み取ることもできないのだから。


「ただ、不思議と後悔はしておらぬのだ。間違いとも、正しいとも、まだ分からぬと言うのに」


 そう言った晴明の顔は、寝転がっている上に彼女の背中しか見えない雪緒には窺い知れない。けれど、少なくとも、笑っても、怒ってもいないことは理解できた。


「後悔が無い、と言うことは、少なくとも間違えた訳ではないのであろうな。常通り、考えすぎておったら、私は其方を(あや)めていたやもしれぬ」


「え、本当に?」


「ああ。考えすぎたがゆえに、其方を危険だと断じて、早々に殺めておっただろう」

 

「あっぶねぇ……」


 殺めていたと晴明が言うのであれば、それは晴明にとって容易い事だったのだろう。傷付けたでも、害していたでも無いのだから。


 晴明は、本当に雪緒を殺すことができたのだ。


 しかしどういう訳か、晴明は雪緒を殺さずに、生かす事を選んだ。そして、あまつさえ寝床さえも提供してくれた。


「晴明が深く考えてなくて良かったよ、本当に……」


「そうだな」


 恩着せがましくも、謙遜することもない。ただ一つ、相槌を打つだけだ。


 晴明は少し間を置くと、雪緒を振り返る。


「さて、もう寝るとしよう。其方の着替えも用意した。その(やかま)しい服から早う着替えるがよい」


「そういや着っぱなしだったな……」


 晴明に言われて、雪緒は自分の格好を思い出す。


 雪緒の格好は山登りをしていた時の格好のままだ。何故だかリュック等は無いけれど、格好は変わっていない。


 結局、考えない事が良い結果に繋がるという話に落ちは付いていないがーー雪緒的には生死を分ける問題であったがーー晴明の中で答えが出ていない以上、回答を期待するだけ無駄だろう。


 話半分に考える事に決めて、雪緒は用意された服に着替えるためにまずは雨合羽を脱ぐ。


 そう言えば、靴下も靴も、雨合羽も濡れてはいない。服も、湿り気一つ無い。


 本当にいったいどういうことなのかと考えるけれど、雪緒に分かる訳もなく、結局考えることを止めて着替えを進めた。


 晴明は小梅と別の部屋に行ったのか、姿は無いので、誰の視線も気にすることなく服を脱ぐ。


 下着一丁になったところで用意された着替えに手を伸ばし、そこではたと気付く。


 そもそも、女性の一人暮らしであるはずの晴明の家に、果たして男物の衣服があるのだろうか、と。


 そう考えた直後、閉じていた戸が開かれる。


「そう言えば、殿方の衣服は置いておりませんでした。明日、用意いたしますね」


 言いながら、冬が躊躇無く部屋に入ってくる。


「え、ちょ!?」


 慌てる雪緒を気にも留めず、着替えを手に取り、直ぐに部屋から出て行こうとする冬。


 が、戸の前で一度雪緒を見ると、ふふっと微笑む。


「存外、(たくま)しい身体をしておられるのですね」


 それだけ言うと、冬は部屋を後にした。


 余裕たっぷりの冬の言葉と態度に、なんだか負けたような気分になりながら、雪緒はすごすごと服を着なおした。


 シャツを着てズボンを履いたところで、晴明が冬と小梅を伴って戻ってきた。


 小梅もいないと思ったら、晴明達に着いていっていたようだと認識しながらも、しかし、そんな事に気が回らないくらいに、雪緒の視線は晴明に釘付けだった。


 白小袖(しろこそで)に身を包んだ晴明は、一つに(くく)っていた髪を下ろしていた。それだけでも印象が変わるというのに、白一色の衣装に身を包んだ晴明は持ち前の美人さも相まって、立っているだけで儚げで美しく見える。


 清く、美しい晴明の姿に、雪緒は呆然と見とれてしまった。


「む、どうした?」


「あ、ああ、いや! なんでもない!」


 小首を傾げながら問うてくる晴明に対して、雪緒は慌てて誤魔化す。


 優しいなどの褒め言葉はすらりと口を出るけれど、似合っているだの美しいだのの言葉は気恥ずかしくて言葉に出来ない。


「ふうむ? まあ、良い。早う寝るぞ」


 言って、そのまま床に寝転がり、その上に冬が掛け布団らしきものを掛ける。


 平安の世では敷布団はまだ普及しておらず、庶民は藁の中で寝たり、着るものをかけて寝ていたりしていた。そして、貴族でさえ畳の上に寝転がるのが常の時代であった。敷布団は無いが、掛け布団は存在し、貴族はそれを掛けて寝ていたのだ。


 歴史の教師にそのことを聞いていなければ、布団の有無を確認していたところだろう。しかし、それなりに豆知識を教えてくれる教師であるために、雪緒はそれなりに知識を有している。たまたまそれなりの知識が今の状況に役立っているのは、幸いだと言えよう。


 そんな豆知識を頭の中で羅列して少しだけ朱に染まった顔と思考をどこかへ追いやる。


「さあ、主殿! 横になってくだされ!」


 言って、小梅は掛け布団を広げる。


「ああ……って、ここで寝るのか?」


 一つ屋根の下で美人二人と一緒に寝るというのは、どうにも気恥ずかしいし、緊張する。


 別段、何をしようとも思っていないけれど、思わぬ事態になった場合に両者とても気まずい思いをすることだろう。


 それよりなにより、美少女が隣に寝ている状況に耐えられそうにない。絶対に意識してしまう。


 吐息の一つや寝返り一つに反応してしまうこと間違い無しだ。女性経験の無さを嘗めるな。


「部屋はここ以外には物置しか無い。ここで寝るほか無いぞ」


「う、まじか……」


 そう言われてしまえば、雪緒に逃げ道は無い。外で寝るなんて出来ないし、布団は無いにしろ、畳の上でゆっくりと眠りたい。


 が、晴明の隣で寝て、もし万が一があったらまずい。気の迷いというものもあるし、一夜の過ちもあるのだ。


 もし晴明の着物がはだけてあられもない姿を晒されれば、雪緒も辛抱堪らなくなるかもしれない。


 そんな雪緒の憂慮を察したのか、晴明が溜息一つ吐いて言った。


「……はぁ。安心せい。間違いなど起きまいよ」


「え、いや、でも、もし万が一があったら……いや、手ぇ出す気は全くないけど……」


「……聞くより体感した方が早いか……。其方、私に触れてみよ」


「え?」


「聞こえなかった訳ではあるまい? いいから、早う触れてみよ」


 苛立たしげに言う晴明。


 しかし、薄布一枚しか身につけていない晴明の身体に触れようものならと考えると、触って良いのかどうか真剣に悩んでしまう。


 雪緒は深く考え、さすがに自分を追い込むことはしたくないと決める。


「いや、触るのはちょっと……」


「いいから、早う触れ。どうせ触れられぬ」


「触れられない?」


 そこで、雪緒は気付く。


 晴明は、なにも自分の身体を触ってほしい訳ではないのだと。晴明は間違いが起こらない策を用意している。その策を聞くよりも身をもって知れと言っているのだと。


 それを理解すると、途端に雪緒の頭は冷静さを取り戻す。


 晴明に触れない秘策がある。それはいい。しかし、そうなると問題なのは、晴明が何を用意しているのか、だ。


 晴明ほどの人物が生半可な策をろうしてくる訳が無い。


 が、理解して考えている間にも晴明の機嫌がすこぶる悪くなっていく。


 考えている時間も与えてくれそうに無い晴明に、雪緒は観念して晴明に手を伸ばした。


 ええい、ままよ!


 勢いに任せて手を伸ばす。晴明に手が触れるーーよりも前に、雪緒の手に雷に撃たれたかのような衝撃が走った。


「いでぇっ!?」


 衝撃そのまま、雪緒は思わず尻餅をつく。


「あ、主殿!」


 小梅が布団を放って雪緒に駆け寄る。


「だ、大事ないでござりまするか!?」


「あ、ああ……大丈夫。びっくりしたけど、大丈夫だ……めっちゃびっくりしたけど」


 手を高速で(さす)ってくる小梅の手を無理矢理剥がしつつ、どういうことだと晴明に視線を向ければ、晴明はくくっと悪い笑みを浮かべて言う。


「陳さ。私の周りを囲うように張ってある」


「陳って、実体には意味が無いんじゃなかったか?」


「魔除け不浄除けだけが陳ではない。字そのままに障壁となることもできる。まあ、区分けが出来ぬ分、使い方は限られるけれどな」


「なるほどな……」


 おそらくは、弾く対象者の選別ができないのだろう。だからこそ、都市全体に張ることが出来ない。こうやって、自分が寝るときに使うくらいしか使い道が無い。


 しかして、これならば確かに安心と言えよう。どれだけ雪緒が劣情を催しても、触れぬのであれば意味が無いのだから。


「どうだ? 安心できたか?」


「安心したよ、本当に……」


 面白そうにたずねる晴明に、雪緒は苦笑して答える。


 晴明はくくっと一つ笑ってから、布団をかけ直して寝転がる。


 雪緒ももうどうでも良くなりその場に寝転がった。


 その上に、小梅が布団を掛けてくる。


「ありがとう、小梅」


「いえ! 某の勤めでありまするゆえ!」


 嬉しそうに笑い、小梅は茵の上に座る。


「小梅は、寝ないのか?」


「式鬼は眠らぬよ。人とは理が違うゆえな」


 小梅に質問をしたのだが、答えが返ってきたのは晴明からだ。


 その事を少し驚きつつも、あぁと思い至る。


 晴明の中で、雪緒の疑問に答えるのは自分だと、すでに位置付けられているのだ。だからこそ、小梅への質問なのに、晴明が即座に返答をした。


 責任感がある上に、やはり優しい奴だと心中で思う。口に出せば、また煩くなるだろうから。


 同じ事を思ったのか、冬がふふと楽しそうに笑っていた。冬と目が合うと、お互いにまた笑ってしまう。


「……楽しそうにしておらぬで、其方も早う寝よ」


「ああ」


 晴明のそんな物言いに、まるで姉のようだと思いながらも、自分の本当の姉とは似ても似つかぬと考えてしまい、連鎖的に家族のことを考えてしまう。


 皆、心配しているだろうか。捜し回っているのではないだろうか。もしやと思うが、泣いているのだろうか。


 そんな事を考えている内に家族への申し訳なさと、これからの不安がせり上がってくる。


 不安や後悔を誤魔化すために、雪緒はきつく目を閉じた。


 不安は拭えなかった。





 日を跨ぎ、翌朝。


 目を覚まし、見知らぬ天井を目にして一瞬混乱する。


 あぁ、そういえば……。


 混乱も本当に一瞬の事で、雪緒はすぐに自分が置かれている状況を理解する。


 雷に撃たれ、気付けば平安に飛ばされ、安倍晴明と名乗る女性に保護された。


 夢のような話であり、夢であってほしかった話だ。


 ともあれ、いつまでも寝そべっていては邪魔になる。起きたのならば起き上がらねば。


 身体を起こすと、ぱきぱきと関節が小気味よい音を立てる。畳の上で寝たからか、身体の節々が若干痛むも、地べたにそのまま寝るよりは何倍もマシだと思いつつ、身体をほぐすために伸びをする。


 隣を見やれば、晴明はすでにおらず、布団も片付けられていた。


「お早う御座います、主殿! よくお眠りになられましたか?」


「あぁ、お早う、小梅」


 俺に朝の挨拶をした小梅は、せっせと俺の布団を回収して、草履(ぞうり)をつっかけて庭に置いてある物干し竿に掛けに行く。


「お早う御座います、雪緒様」


「お早う、冬さん。……その、様って付けるのどうにかならないかな? むずがゆくてしょうがないんだけど……」


「ふふ、では、雪緒さんで」


「おぉ……それはそれで、新妻感が出ていてなんとなく背徳感が……」


「何を起き抜けから阿呆な事を言っておるのだ、其方は」


 雪緒が冗句を言っていると、狩衣に身を包んだ晴明が不機嫌そうに言う。


「お早う晴明。朝一番の口の体操だと思ってくれ」


 言って、あめんぼ赤いなあいうえおとおどけて見せる。


「口の減らぬ奴だ。起きたのなら早う着替えよ。出掛けるぞ」


「え、どこに?」


「其方に必要な物を買いに行く。服も箸も、なにもかも足りぬ」


「あぁ、なるほど」


 と納得しつつ、雪緒ははてと首を傾げる。


 服はともかくとして、布団や箸などは数が足りていたはずだと。


「昨日其方が使ったのは別の者のだ。昨日は仕方無しに使ったがな」


 別の者。つまり、晴明の家に寝泊まりする人物が、少なくとも一人は居ると言うことだ。


 男ではない。男であったら、男物の服が無い事に説明が付かない。


園女(そのめ)と言うてな、私の世話役だ。今は実家に帰っておるが、今日明日にでも戻ってくるであろうよ」


「へぇ……晴明、世話役とかいるのか」


「ああ。とは言え、私にとっては姉のような者だがな」


「雪緒さん、とりあえず、こちらをお召しください」


 いつの間にやら居なくなっていた冬さんが、手に狩衣を持って戻ってきた。


「え、いや、これ晴明のじゃ……」


「その格好は目立つ。私のだが、我慢して着ろ」


「いや、我慢と言うか……」


 美人の衣服を借りるというのは、そこはかとない背徳感や申し訳なさがある。というか、率直に言って落ち着かない。


「つべこべ言うでない。早うせい。其方が着替えねば朝餉(あさげ)が食えぬ」


「あ、ああ……」


 晴明が不機嫌になりはじめたので、雪緒は慌てて着替えはじめようとする。が、その背中を冬に押される。


「はいはい。着替えは場所を変えましょうね? 小梅ちゃん、雪緒さんの着替えを手伝って?」


「承知いたしたでありまする!」


 冬と小梅に押され、雪緒は物置に通され、一から十まで着替え方を教えてもらった。


 冬には昨日の時点で下着一枚の姿を見られているから、多少恥ずかしいだけではあったけれど、見た目的にも言動的にも純真無垢であろう小梅に見られるのはやたら恥ずかしかった。





 着替えと朝餉を済ませ、冬と小梅を家に残し、雪緒と晴明は京の町を歩く。

 

 冬と小梅は式鬼なため、容易(ようい)に外には出せないのだとか。


 悪さはしないし、見た目も人とは変わらないけれど、その性質は人とは違う。膂力も生き方も違う。人の皮を被った何か。それが、式鬼なのだと。


 雪緒が何を言っても、それは雪緒の意見であり世間の意見でも他の誰かの意見でもない。だから、言ってしまえば我が儘になるし、晴明を困らせるだけだ。


 けれど、容易に外に出られない二人の事を思うと、やるせない気持ちになる。


「とりあえず、服を買いに()くぞ」


「あぁ、やっすいので良いからな?」


「当たり前だ」


「なら安心だ」


 これで高いのでも買われたら、雪緒は申し訳なさで一杯になる。服を買ってもらうというだけでもすでに申し訳ないし、住家を提供してもらってるのだからなおのこと申し訳ない。


「そうか」


 晴明は雪緒の意を理解しているのか、それともまったくしていないのか、ただ一つ頷くだけだった。


 そこで、会話が途切れる。


 昨日はそれなりに続いた会話。それが、途端に途切れる。


 思えば、分からない事を聞いただけだし、現状把握をするための話し合いとも言えた。世間話となると、何を話して良いのか分からない。


 昨日の会話を思うに、当たり障りのない会話であれば良いのだろうけれど、晴明の地雷を踏み抜くような話題を向けてしまう可能性もある。昨日の会話で、晴明に少なからず語りたくない部分があることは理解できている。


 言葉と話題を選び、慎重に話をしようと口を開きかけたーー直後、唐突に視界が歪む。


「せい……」


 晴明、と呼ぼうとしたが口が動かない。


 頭がぼんやりとする。意識が遠退いていく。視界が閉じていく。


「……!!」


 雪緒の異変に気付いた晴明が声を上げるが、その声も遠退く意識には届かない。


 音が遠退き、視界が閉じる。





 これが、雪緒と晴明の最初の出会いと別れ。


 出会いと別れは二人の奇妙な物語の始まりだ。


 これは、過去と現代を行き来する少年の、古今(こきん)の怪異にまつわる話である。


 それでは、始まり始まり。

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