第弐拾捌話 起死回生の雷撃
歪な九本の腕が、不規則な動きで迫る。
それを時雨は紙一重で避ける。
雪緒が早々に戦線離脱したため、時雨は鬼主の猛攻を一身に受けるはめになっていた。
早々に店内に走って行った上善寺は良いとして、千鶴と玖珂を店内に向かわせるのも骨が折れた。
ともあれ、重荷が消えた今、時雨は自由に動けるのだけれど、だからと言って事態が好転した訳ではない。
時雨には|生前に持ち合わせていた攻撃手段が無い。そのため、鬼主の攻撃を避け続けるしかないのだ。
「呪符とか無いと、本当に不便だなぁ……!!」
攻撃手段が無いこともさることながら、制限時間も気になり始めている。
雪緒の札の制限時間もそうだが、自分の制限時間だ。
霊体となっている時雨は、生者よりも変化が早い。異形になれ果てるのも、最早時間の問題だ。
その前にけりを付けて、脱出するなど不可能だ。
自分はいい。最早死んだ人間だ。未練が無いとは言わないけれど、死んでしまったからと諦めが付く。
けれど、雪緒達は違う。彼らはまだ生きている。そして、ここから逃げ出せるチャンスがある。
全員は無理でも、せめて雪緒達だけでも逃がしてやりたい。
そう思うも、鬼主はなかなか隙を見せてはくれない。
時雨がここから逃げ出すのは簡単だが、鬼主は死者である時雨よりも、生者である雪緒達を狙うだろう。
だから、時雨はここで戦うしかない。
周囲に気を配ってみれば、異形がこちらに寄って来ているのが分かる。
このままでは全滅は必至。どうにかしなければならないのに、頼みの綱は依然気絶中だ。
雪緒が時雨を式鬼にすれば、状況は打開出来る。
自惚れでもなんでもなく、時雨にはそれだけの力がある。
しかし、それはあくまで生前の話だ。死んでしまい、怨霊と成り果てた訳でもない時雨はただ存在を消費し、最後には消滅するのみであった。それはそれで良いと考えていたけれど、今となって力が必要になるとは思わなかった。
時雨が思案を巡らせている間にも、鬼主は猛攻を続ける。
鬼主の身体の呪言が、まるで脈動するように怪しい輝きを放つ。
顎を不気味に鳴らしながら、壊れたラジオのように言葉を紡ぐ。
「た、けて……帰リ、たぃ? ……ない? ここ、いル? 帰さ、い。サビし、く、な……」
ガキガキと人の関節が立てないような音が、鬼主の顎から鳴る。
そして、九本の腕から、更に無数の腕が生えてくる。
「帰、ない……。こコ……いしょ……」
「何言ってるか分からないけど、帰してくれなさそうな事は理解できた、よっと!」
無数に生えてきた腕をかわしながら言葉を返す。
けれど、鬼主は答えない。鬼主はただ言葉を羅列するだけだ。
おそらく、元はこんななりではなかったのだろう。
体中にきさらぎ駅を構成するための呪言を刻み込まれ、そこからおかしくなったのだろう。
「まったく……酷い話だよ」
同情はする。けれど、許容は出来ない。しかし、このままではジリ貧もいいところだ。
「早く起きてよ。白雪姫……」
気絶する雪緒に皮肉を言う。その笑みは、常よりも切羽詰まっていた。
「ど、道明寺……!」
気絶する雪緒を見付け、上善寺は縋り付くように肩を持つ。
「お、起きて! 外にやばいのが居るの! お願い起きて!」
焦りながら言い、雪緒を揺する上善寺。そこに、怪我人に対する配慮など無く、ただ焦りからの行動であるとうかがえる。
けれど、上善寺にとって今この場で頼りになるのは雪緒だけなのだ。
ここに連れてきてくれ、帰り方も知っていて、最初の異形との遭遇の時も強引に引っ張って一緒に隠れてくれた。
それに加えて、幽霊が見えて、アニメや漫画の世界の話であるはずの式鬼が使えて、更には陰陽師だというではないか。
そんな雪緒なら、なんとかしてくれるかもしれないという思いが、上善寺にはあった。
「ね、ねえ起きて! 助けて、道明寺!」
流れる涙を拭いながら、上善寺は雪緒を揺さぶる。
「も、もう我が儘言わないから! 帰ったらケーキとかあげるから! そ、そうだ! 一日デートしたげるし、なんなら彼女にもなってあげるから!」
泣きながら、訳の分からない思考で雪緒が起きてくれそうな言葉を紡ぐ。
けれど、雪緒は起きてはくれない。
「起きて……起きてよ、道明寺……!」
かける言葉が見付からず、縋り付いて胸元に額を押し付ける。
心臓の鼓動は聞こえる。生きてはいる。けれど、起きてはくれない。
「青子!」
雪緒に縋り付く上善寺を見付け、玖珂と千鶴が二人に駆け寄る。
二人の周囲は酷い有様で、ガラスは散乱し、商品棚は倒壊し、商品があちこちに散らばっている。
そんな瓦礫と呼んで相違無い物の上に倒れる雪緒は、一目見ただけで良くないと分かる程にぼろぼろであった。
衣服は破け、体中切り付けたのか、そこかしこから血を流している。
「君、そこをどいて! 今すぐ診るから!」
千鶴が慌てた様子で言うも、上善寺の耳には届いてないようで、その場から動こうとしない。
「青子、いったんどいて! 道明寺くん治療しなくちゃ!」
親友である玖珂が言っても、上善寺はどかない。
いよいよ強引にでもどかさなくてはいけないかと思いはじめた時、不意に声をかけられた。
「おい、大丈夫か!?」
声の主は、バリケード内に居た同じ高校の制服を来た男子生徒だ。
金髪にピアス、着崩した制服と、いかにもやんちゃしてますといった風貌の男子生徒だが、その顔は四人を案じているのか、険しいものであった。
「井芹くん! 雪緒くんを運ぶのを手伝って!」
「わ、分かりました!」
千鶴の言葉に動揺しつつも返事をし、男子生徒ーー井芹は、雪緒の元へ駆け寄る。
「おいお前、そこどけ! そいつを安全な場所に移す!」
「……ごめん、道明寺……! あたしが居たから、道明寺がこんな……!」
泣きながら謝り続ける上善寺。
先程の鬼主の腕の顔を見たのと、雪緒の惨状を目の当たりにして、完全に気が動転してしまっている。
「青子! 今は離れて!」
玖珂が無理矢理上善寺を引きはがし、その隙に井芹が雪緒を横抱きに持ち上げる。
「今起きても文句言うなよ! 俺も嫌なんだからな!」
横抱きとは、通称お姫様抱っこである。野郎をお姫様抱っこしても嬉しくはないし、される方も嬉しくは無いだろう。
井芹はそんな軽口を叩きながらも、不安定な足場であるにも関わらず、見ていて安心する程の安定さで雪緒を運ぶ。
バリケードの狭い入口をなんとか通り、毛布を敷いた上に雪緒を寝かせる。
「バリケードもっと増やして! 外にヤバい奴が居るから!」
玖珂がそう言えば、他の物が慌ててその場にある物を手当たり次第にかき集めてバリケードを増築する。
「道明寺……! 起きてぇ……!」
「君、いい加減離れて! 雪緒くん、大丈夫? わたしの声聞こえる!?」
千鶴が上善寺を叱り付けながらも、雪緒の安否を確認する。
脈と呼吸を確認するも、両方とも正常である。怪我の具合を確かめるも、出血は派手だが、特に問題もなさそうに思う。
しかし、鬼主の打ち付けた脇腹は確実に折れているだろう。服を脱がせて確認すれば、腫れ上がっている。
その他にも、打ち身や切り傷が多数。頭の出血は派手に見えるが、そこまで深くはない。けれど、打ち所が悪ければ脳内出血も有り得る。
この場では、詳しいところまでは分からない。
「誰か、わたしのかばんとって!」
けれど、応急処置くらいは出来る。
千鶴は仕事柄、応急処置が出来るものは常に持ち歩いている。
少年の一人が千鶴のかばんをとり、千鶴に渡す。
千鶴が応急処置セットを取り出し、雪緒に応急処置をしようとした直後、大きな衝撃がバリケードを襲う。
重たい音が響き、バリケードが揺れる。
皆が恐る恐るバリケードの方に視線を移す。
バリケードの隙間から、何か蠢くものが見える。
どんどんと、まるでノックでもするようにバリケードが叩かれる。
地を這うような低い声と、怖気の走る吐息が聞こえてくる。
そして、ソレは何かを探すように動くと、バリケードの隙間を覗き込んだ。
目と目が合う。
そして、その目は嗤うように歪んだ。
途端、静けさを喧騒が塗り変える。
「バリケードの入口を塞いで!!」
千鶴が叫べば、井芹ら数人の男達がバリケードの入口に物を持って行く。が、すでに遅く、バリケードの狭い入口から、異形の腕が伸びる。
明らかに巨大なその腕は、水膨れのように膨れ上がっており、膿のようなものが滴れ落ちていた。
鼻に付く異臭に、全員が顔を歪める。
バリケードの中まで伸ばされた腕が、近くにいた子供に伸びた。
「こいつ!!」
井芹が子供を強引に下がらせて、持っていたバットで腕を殴り付けるも、腕はびくともしない。
「ガキ共は下がってろ!」
井芹がそう言って、子供達を下がらせながらバットで応戦するも、腕はまるで気に止めた様子が無い。
「あんたも下がりな!」
バットで応戦する井芹に、しわがれた声がかけられる。
その声の主は、雪緒達を店内に招いた老婆であった。
「おばあちゃん!」
「婆さん! 婆さんも危ねぇから下がってろって!」
「下がるのはあんただよ! キィエーーーーッ!!」
甲高い声を張り上げながら、老婆は懐から取り出したお守りを腕に投げ付ける。
そのお守りは腕に当たる。直後、腕が煙りを上げ、焼けただれたように水膨れした皮膚が引き攣っていく。
「あぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
腕の主の苦悶の叫びが響く。
お守りが効いたのか、のたうち回る腕の主。
しかし、お守り一つでどうにかなる程甘くはないのか、腕の主は暴れてバリケードを叩く。
叩かれるたびにバリケードが揺れ、ミシミシと嫌な音を立てる。
「お姉ちゃん……!」
「大丈夫、大丈夫だから……!」
千鶴に子供達が寄って行く。
「道明寺起きて! お願い起きて!」
上善寺は泣きながら雪緒を揺する。
「外にヤバいのが居るの! お願い、起きて! 道明寺!」
「青子、落ち着きなって!」
「起きて、お願い! 起きて!」
玖珂が止めるも、上善寺は止めない。
涙を流して顔をくしゃくしゃにしながら、雪緒に呼び掛ける。
身勝手だとは分かっている。雪緒にこれ以上の重荷を背負わせようとしているのも分かっている。
けれど、助けてほしいのだ。
「お願い、起きて!」
バリケードが盛大な音を立てて崩れはじめる。異形の姿が見えはじめる。
「俺の側を離れるなって言ったじゃん! あれって守ってくれるって事じゃなかったの!?」
勝手な解釈だ。自己中心的な捉え方だ。
けれど、雪緒にどう捉えられても良い。今は起きて、助けてほしいのだ。
だって、怖い。こんなに怖いだなんて思わなかった。雪緒の忠告を素直に聞いておけば良かったと後悔している。
「起きて、助けて……! お願い……!」
みっともなく、縋り付く上善寺。
そんな上善寺の背中に覆いかぶさるように、玖珂が上善寺を守るように抱きしめる。
バリケードが、音を立てて崩れる。
完全に、異形の姿が見えた。
「助けて、道明寺!!」
心の底から叫ぶ。
「耳元でうるせぇ。ちょっと黙ってろ」
苛立ち混じりに言葉が発せられる。
上善寺は慌てて雪緒を見る。
そこには、痛みに顔を歪めながらも、しっかりと目を開いている雪緒が居た。
「ちょっとどけ」
起きると、雪緒は涙まみれの上善寺の顔を乱暴に押し退ける。
立ち上がり、異形の方へと歩く。
「雪緒くん!? 危ないから戻って!」
千鶴の声に返すことなく、雪緒は首をごきごきと鳴らしながら歩く。
肩を回して調子を確かめ、何かが直撃した脇腹が正常に痛むことも確認する。
気絶する前はあれ程荒れていた思考が、今ではすっかりとクリアになっている。
すっきりした頭で考える。
逃げるのは、止めだ。
晴明が折れてまで力を貸してくれた。晴明が本音を言ってくれた。勇気があると言ってくれた。自分には無いものを持っていると言ってくれた。
後押しを、してくれたのだ。
怖がりの晴明が、雪緒を信じて送り出してくれたのだ。
ならば、逃げるのは無しだ。
全霊で答えなくはならない。晴明にあれだけ言わせておいて、何も出来ませんでしたじゃ顔向け出来ない。
何より、そんな格好悪い姿を晴明には見せられない。
晴明が尊敬すると、言ってくれた。
なら、雪緒は晴明の尊敬する雪緒で在り続けなくてはならない。虚勢でも、見栄でも、何でも良い。晴明を超えるものが勇気しかないのなら、雪緒の武器はそれしかないのだ。
ならば、勇気を持ち続けろ。結果論上等だ。晴明が尊敬してくれたモノを、最後まで押し通してやる。
だからーー
「邪魔だよ、お前」
ーーこんなところ、早くぶっ壊してやる。
「来い、七星剣」
ただ一言、喚ぶ。
次の瞬間、空間に稲妻が迸しる。
まばゆい雷光を放ち、その姿を顕現させる。
雪緒の両手に現れたのは錆び付いた直刀が二振り。
雪緒は七星剣を見ると、不機嫌そうに言う。
「寝てんな、起きろ」
言えば、途端に七星剣が雷光を瞬かせ、次の瞬間には錆が綺麗さっぱりと落ちていた。
錆の落ちた七星剣を、雪緒は重みを確かめるように振る。
「今日はお説教フルコースなんだ。さっさと帰ってそんな面倒事ちゃっちゃと終わらせてぇんだ。だからーー」
言いながら、右手に持った七星剣を振り上げる。
「ーー邪魔すんな」
七星剣を振り下ろす。
直後、まばゆい雷光が異形をつんざく。
落雷の如き衝撃に、見る者は自然と身を竦めた。
光が収まった後、そこに残ったのは焼け焦げた肉の塊であった。
突如起こった出来事に、それを見ていた者達は呆然と雪緒を見る。
当の雪緒は気にした様子も無く、手に持った七星剣の感触を確認する。
七星剣の使い方など、何も知らない雪緒だけれど、何故か知らないが右手に持った剣が攻撃用で、左手に持った剣が防御用だと言うことは理解できた。
まぁ、理解できた理由などこの際どうでも良い。大切なのは、使えるか使えないかだ。
雪緒は七星剣を使うことが出来る。今はそれだけで充分だ。
雪緒は振り返り、千鶴を見る。
「千鶴さん、バリケードを作り直しておいてください。俺はこのまま外で奴らを倒して来ますので」
「……」
「千鶴さん?」
声をかけても返事の無い千鶴に、雪緒は千鶴の目の前で手を振って意識があるかどうかを確認する。
そこまでされて、ようやく千鶴は正気を取り戻す。
そして、慌てた様子で雪緒に問い掛ける。
「な、何今の!? か、雷出たよね!?」
「出ましたね」
「軽い!? い、いや、そもそもその剣何!? どこから出したの!?」
「これは七星剣って言うらしいです。何処にあっても俺が喚べば来てくれるそうです」
事実、雪緒は現代の七星剣の所在をまったくもって知らなかった。その上、ここは異界だ。そんな所だが、喚べば来てくれた。
千鶴は理解の追い付かない頭を、頭痛を堪えるように押さえる。
「ダメ……全然理解が出来ない」
確かに、異形に出会ったり、変なところに連れて来られたりと、割と普通ではない体験をしてはいるけれど、突然剣が現れたり、突然雷が落ちたりは想像の埒外である。
「詳しい話は後でします。今はとりあえず、バリケードを作り直してください」
「……本当に、後でちゃんと説明してよ?」
「ええ、必ず」
言って、きびすを返そうとしたところで、上善寺が声を上げる。
「ど、道明寺!」
「……何?」
「あ、あの……大丈夫なの? 身体とか、痛くない……?」
「目茶苦茶痛ぇ……」
体中痛い。特に脇腹が痛い。動くたびに折れたであろう骨に響く。
「ご、ごめん……」
素直に言った雪緒に、上善寺は気まずそうに謝る。
雪緒としては、聞かれたから答えただけで、特に上善寺を責めるつもりは無かった。
「別に謝る必要は無い。俺が好きでやった事だからな。というか、お前は怪我無いか?」
「う、うん。平気」
「そか。なら良かった」
そう言ってから、今度こそきびすを返す雪緒。
あまり長々と話している時間も無い。
「じゃあ、ちょっと待ってろ。すぐ終わらせてくるから」
やる事が分かった今、躊躇う事も恐れる事も無い。
雪緒は、剣を握り直すと、外へ駆け出した。