第弐拾参話 ちょっと待った!
学校が終わり、雪緒はすぐさま学校に一番近い駅に向かった。
駅から徒歩で学校に向かう生徒もいるので、学校から駅まではさほど遠くはない。
雪緒は駅に向かう生徒の波に逆らう事無く付いていく。
駅に到着し、一度人の目も監視カメラも無い所に入ると、小梅を召喚する。
小梅には事前にこの間買った外行きの服に着替えて貰っているので、コスプレだなんだと騒がれる事は無い。
「小梅はこれを持って駅のホームで待っていてほしい」
そう言って、雪緒は今朝作った物を半分に破って、半分を小梅に渡す。
冬が言うには、こうする事でこの札に繋がりが生まれ、その繋がりをたどって戻ってこられるらしい。けれど、それは正式な出入口から出入りした場合らしい。
本当なら、もっと曰くのある物を使ったり、入念に時間をかけた方が良いらしいのだけれど、時間が無いので簡易的な方法に頼るしかない。
更に、急拵えのため、効果の持続時間は短い。あまりのんびりと事を進められない。
適当に切符を買って、二人で駅のホームに入る。
「小梅、穏形を使ってくれ」
「承知!」
頷くと、途端に小梅の姿が見えなくなる。
その事に、周りの人間は驚かない。そもそも、気付きもしない。余りにも自然に消えていく小梅を、認知できない。
小梅にホームに残ってもらう必要があるので、穏形を使って隠れてもらったのだ。もしも、駅が閉まったり、小梅のような子供が外に出ていてはまずい時間になって警備員に連れていかれても困るからだ。
「さて、大まかな準備は整ったけど……」
この駅は隣の駅に行くまでにトンネルがある。入口はすぐそこ。帰還する為の準備も整っている。
が、入るための鍵が少々弱い。
「はぁ……本当は嫌だけど、仕方ないか……」
雪緒はスマホを取り出し、操作すると電話をかける。
『あ、もしもしー? どったの?』
電話をかけた相手は明乃。
友人と一緒に居るのか、明乃の友人達の声も微かに聞こえてくる。
「いや、ちょっと野暮用で帰るの遅れるって言っておこうと思ってさ」
『野暮用? なにそれ?』
「ちょっときさらぎ駅に行ってくるから、先に飯とか食っといて」
『は? あんた何言ってんの?』
声に険しさが含まれる。もう一押しだ。
「だから、きさらぎ駅だって。ちょっとそこに野暮用があるから行ってくるわ」
『あんた、自分が何言ってるか分かってんの? この間の事、全然懲りて無いわけ?』
この間の事とは、すなわち雷に撃たれた事だろう。
懲りている。だからこそ、理由が見つかるまでは頼まれても渋ったのだから。
しかし、自分の心境を真剣に話してしまっては意味が無い。
だから、なるべく軽薄に、それでいて明乃の気分を害すように言う。
「懲りてなーい。じゃね」
『は、ちょっとあんーーーー!!』
怒鳴り声が聞こえはじめた時点で雪緒は通話を切った。
これで準備完了だ。
これで、帰ったら明乃に怒られる事は必至。おそらく、理由を話したところで許してはくれないだろう。
明乃に怒られる自分の様がありありと目に浮かぶ。
明乃は目元さえ似ていないけれど、怒り方が楸そっくりなのだ。だから、出来ることなら怒られたくない。
だからこそ、切実に思う。帰りたくない、と。
これで駄目押しも完了だ。
鬼のようにかかってくる明乃からの電話を無視し、スマホをポケットにしまう。
本当に後が怖い。今までに無いくらい怒ってる。
駄目押しは余計だったかと思いながらも、きさらぎ駅に行ける可能性が上がるのであれば必要な行動であった。
「さて、と……」
電車の到着時刻を確認する。電車が来るまでにまだ暫く時間がある。
気持ちを落ち着かせる為に、雪緒は椅子に座ろうとした。が、唐突に、乱暴に腕を引かれた。
勢いそのまま振り返れば、そこにはーー
「ま、間に合った……!」
ーー息を切らせた上善寺の姿があった。
突然の上善寺の登場に驚きながらも、いったい何がどうしたのかをたずねようとした。が、雪緒が口を開くよりも早く、上善寺が口を開いた。
「あんた、きさらぎ駅に行くんでしょう!?」
大きな声で、周囲を憚る事無く上善寺が言う。
大きな声もあり、きさらぎ駅という話題性のある単語のせいもあり、当然、周囲から視線を受ける。
内心で何故それをと思いながらも、咄嗟に周囲の目を気にする。
しかし、それがいけなかった。
「きさらぎ駅に行くなら、あたしも連れてって! 加代が待ってるの!」
興奮しているのか、大きな声で続ける上善寺。
これ以上人の目を引き付けてはまずいし、何より興味の対象として見られた状態できさらぎ駅になんて行ってしまったら、突然人が消えたと騒ぎになるかもしれない。
「ねえ、お願い! 邪魔にならなーー」
「ちょっと黙れ。ここ、何処だと思ってる」
片手で口を抑えて無理矢理黙らせる。
そこでようやく上善寺も気付いたのか、周囲の視線に気付いた。周囲の視線があると分かった途端、羞恥で顔を赤くしてわたわたと慌て出す上善寺。
雪緒は一つ溜息を吐くと、口から手を離して今度は上善寺の手を取り歩き出す。
「ちょっと別のところで話そう。小梅、いったん中止だ。穏形を解いてついて来てくれ」
「承知」
小梅に声をかけながら、雪緒は上善寺の手を引いて駅を後にした。
駅の近くのファミレスに入り、出来るだけ人の居ない方の席に案内してもらった。
とりあえず、ドリンクバーを頼み、飲み物を持って来る。
雪緒と小梅が並んで座り、正面に上善寺が座る。
「んで、なんで知ってるんだ? 俺がきさらぎ駅に行くって事」
ジュースを飲みながら、単刀直入にたずねる。が、上善寺の意識は雪緒には向いておらず、小梅を見ていた。
「その前に、その子、何?」
「それをお前に話す気は無い。それよりも、こっちは時間が無いんだ。さっさと俺がきさらぎ駅に行く事を知ってる理由と、用件を話せ」
少し、乱暴な言い方。
けれど、時間が無いのは本当の事だ。札の効力の事もあるし、何より、今話している間も千鶴の身が危ないのかも知れないのだ。
雪緒が焦っているのが伝わったのか、小梅の事はいったん置いておいて、雪緒の質問に答える上善寺。
「あんたがきさらぎ駅に行くことは、クラスの、あの……地味な子に聞いた」
「誰だよ地味な子」
「あっと、えーっと……そう! あんたが、お昼休みに連れてった子!」
「あぁ、いよりか。って、あいつ喋ったのか……」
確かに口止めの類はしていないけれど、それでも、いよりがそう簡単に話すとは思えなかった。
一応、スマホでメッセージアプリを開いてメッセージが来ていないか確認する。
案の定、一件のメッセージがあった。
『トップカーストに屈した。許せ』
そんな一読しただけでは内容を理解できないメッセージが送られていた。
雪緒は即座に絶対に許さないと返し、スマホをポケットにしまった。
「で、どうするつもりだ?」
「あたしも一緒に連れてって! 加代が待ってるの!」
「断る。お荷物が増えるのは御免だ」
「お願い!」
「無理だ。帰っておとなしくしてろ」
「やだ、帰らない! あたし、あんたが良いって言うまで帰らない!」
「ならずっとここに居ろ。俺はもう行く」
そう言って、席を立とうとすれば、上善寺も席を立とうとする。
「ならあたしも行く! あんたが嫌がろうと、絶対に付いてくから!」
なら雪緒にお願いをした意味とは。
おそらく、上善寺は周りが見えていない。目的だけを焦って、自分がどういう事に足を踏み入れようとしているのか、それを理解していないのだ。
「お前が玖珂の事を大切に思っているのは理解できた。だけど無理だ。俺は自分の目的だけで手一杯だ。お前を守るなんて事も出来ない」
「別に守ってもらわなくても良い! 連れてってくれるだけで良いの!」
「行きは良いとする。で、帰りは? お前、どうやってこっちに帰ってくるつもりだ? 行方不明者が増えつづけて、帰還者についての情報が無い事の意味くらい、お前も分かるだろ?」
「き、機関車? えっと、電車?」
切羽詰まった顔から一転、呆けた顔になる上善寺。
まさか話しの流れで帰還者という単語を理解してくれないとは思っていなかったので、軽く面食らってしまう。
「……帰ってきた人についての情報が無い事の理由くらい、分かるだろ?」
「えっと……警察が隠してるとか?」
「情報統制くらいするだろうけどな、そんな事をして警察にいったいなんのメリットがある? 帰還者の情報が無いって事は、まず情報が無いって事だろうが」
「……つまり?」
「誰も帰ってこれて無いから、被害者から情報が聞き出せないんだ」
「なるほど」
雪緒の言葉に得心が行ったと頷く上善寺。
しかし、事の重大性を理解していない事は、その呑気な納得顔を見れば分かる。
「……つまりだ。お前、帰り方知ってんのかって話しだ」
「知らない。でも、あんた知ってるんでしょ?」
「……なんでそう思うんだ?」
「だって、じゃなきゃ行こうって思わないじゃん? あたしはそれに着いてこって思っただけ」
まぁ、ごもっともではある。
わざわざ危険に飛び込むのであれば、帰る手段くらいは用意してあると考えるだろう。
つまりは、上善寺は雪緒に行き来の手段全てを任せようとしているのだ。
強かなのかずる賢いのか。はたまた、ただ要領が良いのか。
けれど、少し足りていない。
「連れていくだけで良いと言うが、それでお前はどうやって帰る? 俺は知り合いを見付けたらさっさと帰るつもりだぞ? その時お前は一人で残るのか? 帰り方も知らないで? 言っておくが、俺は玖珂を見付けるつもりは無いからな」
とは言うけれど、嘘である。
雪緒は千鶴と玖珂、そして小野木の友人を捜そうとしている。
けれど、それを言ってしまえば上善寺は確実について来てしまう。効率や安全面など何も考えずに、ついて来るだろう。
それでは困る。助けるべき人が増えるのは困るのだ。
「なんで!? クラスメイトでしょ!?」
「だからなんだ? ただ同じ教室に居るだけだろ? 話した事もろくにない。俺は玖珂の趣味趣向も知らなければ、性格だっていまいち知らない」
「でも、同じ教室には居たんだよ!?」
「もう一度言う。だからなんだ? 俺が助ける理由にはならない」
冷たく言葉を放つ。
上善寺に嫌われても良い。危険を冒すのは自分だけで良い。
だから、ここであえて冷たく言う。
「行って、お前に何が出来る? 特別な力も持ち合わせてない。ただきさらぎ駅に入れただけの人間であるお前に何が出来る? お前がきさらぎ駅に行って出来ることは、自分の名前を被害者リストに載せる事だけだ。誰の得にもなりやしない。家に帰っておとなしくしてろ」
そして吉報を待て。なんて、大口は叩けない。
必ず連れ帰ると確約は出来ない。むしろ、連れ帰る事が出来ない確率の方が高い。
雪緒だって、特別な人間じゃない。多少の力を持ち合わせている。ただそれだけだ。
しかし、そんな事は上善寺の知るよしも無い事だ。それに、これだけ言えば、上善寺も諦めざるを得ないだろう。
俯く上善寺を見てそう思っていると、不意に隣から袖を引かれる。
見やれば、小梅が眉尻を下げて上善寺を見ていた。
小梅の視線を追えば、テーブルにぽたぽたと落ちる水滴。それだけで、雪緒は察する。
泣かせてしまった、と。
「なん、にも……できない、のは……分かってる……!」
涙混じりに、上善寺が言う。
「でも……! 加代は、あたしの友、達で……! ずっと、一緒だったん、だから……!」
ずっと。それが、何時からなのかは分からない。けれど、これだけ涙を流して、周りが見えなくなる程焦って、最後の最後に雪緒に縋るくらい切羽詰まっている様子を見れば、それが決して短くない時である事は理解できる。
けど、だからこそだ。だからこそ、雪緒は上善寺を巻き込めない。
玖珂が上善寺に対して、同じくらいの思いを抱いている事など、想像に難くないのだから。
雪緒が上善寺に更に冷たく言い放とうとした時、小梅が更に袖を引いた。
見やれば、その目は困り果てており、眉尻は見てるこちらが悲しくなる程下がっていた。
「それ以上は、酷でありまする……」
友を思って泣く上善寺を、もう見ていられなかったのだろう。そして、上善寺のためとは言え、それをしてるのが雪緒だと言うのが、嫌だったのだろう。
確かに、小梅の前で見せる姿ではなかった。
雪緒は小梅を安心させるために頭を撫でながら、溜息を一つ吐く。
「上善寺。これはお前のためでもあるんだ。今は熱くなってるから周りが見えていないようだけど、お前を心配する人だっているだろ? その人達のためにも、お前は行くべきじゃない」
「……やだ。ぜったい、加代を助ける……加代を見付けるまで、帰らない……」
涙を乱暴に拭いながら言う。
頑なになっている上善寺に、雪緒は溜息を吐きかけて気付く。
上善寺は玖珂を見付けるまで帰らないと言った。帰らないと、確かにそう言ったのだ。
吐きかけた溜息を今度こそ吐く。
雪緒の考えが間違いでなければ、彼女のその思いも鍵になりうる。
そんな状態の上善寺が一人で電車に乗ろうものなら、きさらぎ駅に行ってしまうかもしれない。
あくまで可能性の話だ。けれど、可能性があるのなら、雪緒は無視が出来ない。
……知らないところで無茶をやらかされるよりはマシか……。
「分かった……一緒に行こう」
「ーーっ、本当!?」
雪緒が頷くと、上善寺は泣きながら顔を綻ばせた。
「ああ。ただし、俺の言う事を守ってもらう。俺の側を離れるな。俺の言う通りに行動しろ。勝手な行動はするな。この三つをちゃんと守れ。良いな?」
「うんっ! 任せて!」
言って、自信満々に大きく頷いた。