第弐拾話 関わる理由
評価、ブックマークありがとうございます。
帰宅すると、小梅が元気良くお出迎えをしてくれた。
小梅の無邪気な笑顔を見て、ささくれ立った心が癒される。
小梅と戯れながら夕食を作ったりし、夕食を食べたりと一日の余暇を過ごした。
何時ものごとく小梅は明乃とお風呂に入る。その間、雪緒は自室に上がり、ベッドに寝転がる。
そして、溜息一つ吐く。
「何だ? 何か用か?」
その言葉に答える声は無い。
けれど、声が届いている相手は確かに居る。
ちらりと横目で伺えば、窓の外にそれは居た。
以前に教室の外から雪緒を覗いていた、血濡れの少女が虚ろな瞳を雪緒に向けていた。
実を言うと、彼女を初めて見た日から彼女は時々視界の隅に映っていた。目が合うと、すぐに居なくなってしまうけれど。
そんな彼女がこんなに近くに来たのはこれが初めてだ。以前からじっと見つめるばかりで何もして来ないけれど、もしかしたら何か言いたい事でもあるのかもしれない。
窓越しに声は通り難い、けれど、人と理の違う霊であれば話は違う。雪緒の声は正しく聞こえているだろう。
「こんなに付け回すって事は、何か用があるんだろ?」
至極面倒臭そうに血濡れの少女にたずねる。
しかし少女は何も答えない。
何も答えないのであれば、正直視線を感じるだけでも煩わしいので、即刻退去願いたい。
「用が無いなら帰ってくれ。あんたにまでかまけてる暇無いんだ」
ぶっきらぼうに冷たく言い放つ。それが余裕の無さからくる八つ当たりと知っていながら。
「……けて……」
少しの間を置いて、か細い声が聞こえてきた。
思わず、血濡れの少女の方を見る。
あいも変わらず、血濡れの少女は虚ろな瞳を雪緒に向けていた。
けれど、先ほどとは違う事が確かにあった。
血濡れの少女の口が、微かに動いているのだ。
雪緒は、微かな音を聞き逃すまいと耳を澄ませる。
か細い声。ぽそぽそと声にならない音が聞こえてくる。
しかし、その声は聞いている内に明瞭な音となり雪緒の耳に届いた。
彼女が口にした言葉は、ただ一言。
ーー助けて。
瞬間、雪緒は血濡れの少女を睨みつけた。
「ふざけんな!」
乱暴に立ち上がり、血濡れの少女に向き合うように窓に寄る。
「どいつもこいつも俺なんかを頼りやがって! 俺に何も出来ないってのが見て分からないのか!?」
とうとう抑えていた感情が爆発する。
「俺に出来る事なんて高が知れてるんだよ! 出来ねえもんは出来ねえ! そもそもお前ら俺に頼る前に自分で何とかしてみろよ! やりもしねぇで尻込みして俺なんか頼ってくるんじゃねぇよ!」
感情をあらわにする雪緒に、しかし、血濡れの少女は何も答えない。
「俺はこれ以上家族に心配かける訳にはいかねえんだよ! そもそも、まだ出会って一ヶ月も経ってないんだぞ!? そんな俺を頼るのもおかしいし、よりにもよって俺に全く関係無い奴を助けろだって!? 俺に関係無い奴らの事で俺に頼ってくるんじゃねぇよ!」
感情のままに、言い捨てる。
分かってる。ただの八つ当たりだ。それに、吐き捨てた言葉の殆どは、他の誰でもなく自分への言葉だ。
「雪緒ー、夜中に煩いぞー」
突然かけられた声に振り返れば、そこには怒ったような顔をした明乃と、心配そうに眉尻を下げた小梅が居た。
「悪い……」
「ったく、一人で何騒いでんの? 思春期か」
「主殿、大丈夫であり……お下がりくだされ主殿。それが主殿を苦しめるのでありまするな?」
雪緒を案じているような顔から一変、すっと目を細めて臨戦体勢をとる小梅。
視線の先には血濡れの少女がいた。
「え、何? 何か居るの?」
幽霊など見えない明乃は、怯えて小梅の後ろに隠れた。いくら怖いといっても完全に年下に見える小梅の後ろに隠れるのはいかがなものだろうか。
二人の登場で毒気を抜かれた雪緒は、一つ息を吐くと言う。
「いや、大丈夫だ。騒がしくして悪かった。俺はもう寝るよ。あんたも、もう帰ってくれ」
最後は血濡れの少女に向けて言った。
けれど、血濡れの少女は動こうとしない。
「主殿が去れと申しておるのだ! 疾く失せよ!」
小梅が毛を逆立てた猫のように威嚇する。
初めて見る小梅の激怒する表情に驚きながらも、雪緒は血濡れの少女に向き直る。
「頼む。今は放っておいてくれ」
血濡れの少女は、雪緒をじっと見詰める。
そして、先程よりもはっきりとした口調で言った。
ーーお姉ちゃんを、助けて。
最後にそれだけ言うと、少女は宵闇に溶けるように姿を消した。
「消えた? 居なくなった?」
明乃が小梅の後ろに隠れながらたずねる。
そんな明乃に、小梅がぽんと胸を叩いて得意げに言う。
「安心するでありまする、姉君! もう何処かへ消えたでありまする!」
「本当? 小梅ちゃん頼もしー!」
「うへへ」
明乃が小梅を褒めながら抱き着けば、小梅は嬉しそうに顔を緩める。
そんな幸せそうな二人とは対照的に、雪緒は何か見落としを見つけたような、そんな顔をしていた。
「どうしたの?」
明乃の心配そうな声を無視して、雪緒は先日買ったばかりのスマホを操作して電話をかけた。
電話の相手は父親である繁治である。
スリーコール程待って、繁治は応答した。
『雪緒か? どうした?』
「父さん。今何処?」
『何処って、署だが……』
繁治の言葉を聞き、雪緒は一度息を吐くと、意を決したように言った。
「父さん、無理を承知で言う。行方不明者のリストを送ってほしい」
途端、電話の向こうの空気が変わる。
『お前、何言ってるのか分かってるのか?』
咎めるような声音。しかし、雪緒も伊達や酔狂で言ってる訳ではない。
「分かってる。けど、無理を承知で頼む。いや、お願いします」
電話向こうには分かるはずも無いのに、雪緒は頭を下げる。
明乃と小梅が驚きに目を見開く。
数秒、沈黙が訪れる。
電話の向こうで、盛大に息を吐く音が聞こえてくる。
『あー、雪緒。家のパソコンにメールが届いてると思う。お前宛てだから確認しといてくれ』
それだけ言うと、繁治は通話を切った。
遠回しな言い方だが、とどのつまり、雪緒にリストを流してくれるということだ。
雪緒はスマホをポケットにしまうと、すぐに自室のノートパソコンの電源を入れた。
「ねえ、何してるの?」
小梅を抱っこしながら、明乃が雪緒の後ろに立つ。
しかし、明乃の問いには答えず、雪緒はパソコンのメールの更新ボタンをクリックし続ける。
何か焦っている事は分かったのか、明乃はそれ以上口を挟まなかった。小梅も、雪緒が何をしているのか分からなかったが、雪緒が真剣だということは分かったので、やはり声をかける事は無かった。
雪緒がクリックを続けると、メール受信のウィンドウが表示される。
逸る気持ちを抑え、雪緒は受信したメールを開く。
件名には『家用』と書かれ、本文は無かった。おそらく、ばれた時の言い訳用だろう。
繁治に感謝しながら、添付ファイルを開く。
ファイルを開くと、そこには、行方不明者の氏名や年齢、その他諸々の情報が記載された表が映し出された。
五十音順になっている事を確認して、雪緒は一気に下にスクロールする。
興味津々に明乃と小梅が覗く。
確かな確証なんて無い。ただ、嫌な予感がするだけだ。
「カ行は……よし、無いな」
カ行に該当は無し。玖珂加代の名前はあったけれど、藏本棗の名は無かった。
雪緒は友人関係が多い方では無い。だから、知り合いなんて数える程しか居ない。
けれど、嫌な予感がするのだ。
「ーーっ」
そして、その嫌な予感が的中してしまった。
スクロールしていた指が、ぴたりと止まる。
ナ行。そこには、長和千鶴の名が記載されていた。
長和千鶴。雪緒の担当看護師だった、気さくで優しい、姉のような女性。
「なぁ、姉さん」
「何?」
「姉は、大事にしないとだよな?」
「は? 何言ってんの? そんなの世界の常識じゃん」
「ははっ……だよなぁ……」
かつて、千鶴に言った言葉が思い起こされる。
ーー俺も、千鶴さんの事を姉のように思ってましたよ。
軽く口をついて出たこの言葉。けれど、この言葉に嘘は無かった。
「姉を助けるのが、弟の役目だよな……」
「さっきから何当たり前の事言ってるの? 姉のために働くのが弟の役目なのよ? 頭大丈夫?」
「……」
明乃のいらない相槌を貰いながらも、雪緒は決めた。決心した。
関わる理由を、見付けた。
「起きたか。お早う」
何時ものように、そんな晴明の声を聞いて起きる。
雪緒は勢い良く起き上がると、真摯に晴明を見つめた。
「な、なんだ」
「晴明、頼みがある」
「頼み、とな?」
起きるなり突然そんな事を言う雪緒に困惑する晴明。
そんな晴明に、雪緒は頭を下げた。
「陳の出入りを安全に出来る方法を教えてほしい」
晴明の目がすっと細まる。
「どういう事だ?」
「事情が変わった。きさらぎ駅に行く必要が出来た」
「何故だ?」
責めるような、咎めるような声音。一度決めたことを、覆すのか? 晴明の目が責めてくる。
「俺の知り合いが行方不明になった」
「それがきさらぎ駅の仕業とは限らぬだろう?」
「信頼できる情報源だ。十中八九きさらぎ駅の被害者だ」
「一、二は外す確率があるという事だな? なれば、其方の早とちりという事もあろう。何にせよ、其方はもう関わらぬと決めたのだろう?」
「あぁ、俺の知らない誰かの為に動く事は出来なかった。けど、被害にあったのは知り合いだ。俺が助けない理由が無い」
「……やはり、利ではなく、理を欲っしていたのだな」
何時か雪緒には届かせなかった言葉。けれど、今回ははっきりと雪緒に向けて言った。
「其方は、其方が動くに足る理が欲しかったのであろう? だから私の言葉に納得しなかった。自分の言葉に納得しなかった。納得出来ず、されど手を出す理が無かった」
苛立ったように根眉をしかめる晴明。
「理を得た途端、水を得た魚のように意気揚々と首を突っ込んでいく。はっ、理が無くては動けぬのなら、そのまま黙って動くでない。首を突っ込むでない。関わるでない。興味を示すでない。意識を向けるでない」
心底から雪緒を軽蔑したような、冷徹な瞳を向ける。
「理が無くては動けぬのであれば、其方は所詮その程度ということだ。その程度の人間が関わったところで、ろくな事にならぬ。其方は黙って学校に通い、毎夜私の元へ来る。それだけをしておれば良い」
それでこの話は終いだ。
言葉にはしなかったけれど、晴明がこの話をそうやって終わらせようとしている事には気付いた。
辛辣な、それでいて、的を射た言葉。
確かに、雪緒はずっと理由を探した。自分が関わるための、関わっていいための理由を探した。
晴明が言いたい事は分かる。動くべき者は、理由も危険も鑑みず行動に移しているのだろう。
そういう者が得てしてこう呼ばれるのだろう。英雄、と。
雪緒は自分が英雄になれない事を知っている。英傑にも、武人にも、誰かに讃えられるような何者にもなれない事を知っている。
時代が違う、器量が違う、環境が違う、努力が違う、才能が違う。違いなんて、言い出せばきりが無い程にある。
けど、だからなんだ?
雪緒は英雄になりたい訳じゃない。英傑になりたい訳じゃない。勇者になりたい訳でも無い。チートを貰って戦いたい訳でも、運命や、国や、仲間の思いを背負って戦いたい訳じゃない。そんなのはいらない。自分には、そんな重責はいらない。きっと、耐えられないだろうから。
女の子にモテたい訳でもない。誰かに感謝されたい訳でもない。讃えられたい訳でもない。褒美が欲しい訳でもない。
では、何が欲しいのか?
いらないよ、何も。ただ、失いたくないだけだ。
「その通りだよ。俺は、晴明が言うようなその程度の男だ」
そんなの誰よりも分かっている事だ。今更言われなくても分かってる。
だから理由が欲しかったのだ。危険に直面したら、自分はただでは済まない。怪我もするだろうし、たくさん危ない目にも遭うはずだ。
家族を絶対に心配させる。だから、家族に許してもらえる理由が欲しかったのだ。
ならしかたない。お前は良くやったよ。
怒った後、そう言って貰えるだけの理由が欲しかっただけなのだ。
「俺は、あの時こうしてればなんて後悔はしたく無い」
「なら今がその時だ。其方が危険に身を晒し、危険に直面して思うだろう。あの時関わって無ければ良かったと。ここで関わらぬ事を選べば、そんな後悔はせずに済む」
「かもな。けど、関わらない事を選択して、結果取り返しのつかない事になったらどうする? 俺の知り合いが死んで、その家族が悲しんで、友人が悲しんで、同僚が悲しんで、彼女が助けてきた人達が悲しむ」
そして勿論、雪緒も。
「俺に力は無いよ。知恵も、知識だって無い。けど、自惚れかもしれないけど、俺だけなんだよ」
小野木は雪緒を選んだ。上善寺も雪緒を選んだ。そして、あの血濡れの少女も雪緒を選んだ。
彼女達にとって、頼れるのは雪緒しかいなかった。
「俺だけが、事件にちゃんと向き合えるんだよ。きさらぎ駅に立ち向かえるんだよ。なら、俺がやるしかないだろ」
「自惚れだ。其方程度なら掃いて捨てるほどにおる」
「ああ。けど、その中で誰が安倍晴明と繋がりがある?」
「……だから私に頼みとな? 立ち向かうと言っておきながら、結局は貴様も私任せか!!」
苛立ち、明らかな怒気を向ける晴明。
「ああ、そうだ」
怒る晴明に、雪緒は至極冷静に答える。
「俺には知識が無い。だから、知恵と知識を貸してほしい」
言いながら、雪緒は畳みに手を付き、頭を下げた。
「お願いします。俺に知恵を貸してください」
真摯に、晴明に頭を下げる。
「もう嫌なんだ。俺があの時動いてればって思うのは。もう御免なんだ。俺が何もしなかった結果で誰かが傷付くのは。もう無理なんだ。次は、耐えられない……」
傷付くだけで済むのなら、まだ良いだろう。けれど、傷付くだけに留まらなかったら?
「頼む、きさらぎ駅に行って帰ってくるだけだ。行って、知り合いを助けて、それで帰ってくる。それ以上の危ない事はしない。きさらぎ駅にも、もう関わらない。だから、頼む……」
畳みに額を押し付ける。
沈黙が降りる。
晴明は、頭を下げる雪緒を、責めるでも、怒るでも、軽蔑するでも無く、ただ困惑した目で見ていた。
分からない。何故雪緒が人のために自分の身を危険に晒せるのか。晴明には、皆目見当もつかない。
自身の性質を、晴明は良く知っている。
もののふとも、農民とも、貴族とも、御門とも違う。今まで見たことの無い人柄。
育った時代故か、それとも生来のもか。雪緒の話しぶりからするに、可能性として一番高いのは、環境と境遇によるものだ。
しかし、だからこそ分からない。
雪緒は何かを後悔している。それも、大切な誰かに関する事だ。誰かを失ったのか、傷付けたのかは定かではない。けれど、不幸があったのは分かる。
だのに、だと言うのに、何故雪緒は次は自分かもしれないと思わない? 何故自分に危害が加わることを厭わない? 何故自分の身よりも他人を案じる?
分からない、分からない、分からない。
晴明は心底から困惑していた。
「お二人とも、いったん朝餉にしませんか?」
土下座をしたままの雪緒と、困惑した晴明を見兼ねた園女がそう声をかける。
晴明は少しだけ安堵したような顔をして園女を見た。
「……分かりました」
雪緒は、返事をすると頭を上げた。
園女の朝餉の時間を遅らせてしまう事に気が引けたからだ。
ともあれ、三人は食事に移った。
小休止ではあるけれど、その時間が気まずい沈黙に支配されていた事は、言うまでも無いだろう。