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第弐話 式鬼、その名は小梅

 晴明に話を終えると、日は若干傾きはじめ、空が橙色に染まりかけていた。


 閉じた扇を口元にあて、ふうむと考え込む晴明。


「なにか分かりそうか?」


「そう急かすな。其方の話を聞いただけで、頭が煮詰まった。考えるまでには時間が欲しい」


「まあ、そりゃあそうだよな」


「だが、仮に、其方の話が真であるならだ。少なくとも、私は殺生石なるものは知らぬ。それに、その玉藻御前なる者も知らぬな」


「そうか……妖怪関係なら、知ってるとも思ったんだが……」


 その妖怪が出て来た時代を考えれば、晴明が知らない妖怪が居てもおかしくはない。白面九尾ノ狐が晴明よりも後に出てくる妖怪であれば、晴明が知らないのも道理だ。


化生(けしょう)の者の事は分からんよ。言ったであろう? 私は占術師だと。占術が使えて、式鬼を多少扱える。それだけだ」


「え、そうなのか?」


「ああ。妖怪退治はもののふ(・・・・)の仕事よ。私はただ占い、ただこの(みやこ)を守護する陳を敷くだけ。ただ、それだけさ」


 そう言った晴明の目は少し寂しそうで、けれど、それを諦めてしまっているようで、雪緒に簡単に踏み込むことを躊躇わせた。


 踏み込めなかったがゆえに、会話は続かず、静寂が訪れた。


 晴明はなにも話さない。雪緒はなにを言っていいのかわからない。


 雪緒は一瞬視線を彷徨わせると、その沈黙を無かったことにするように別の話題を口にした。


「そういえば、陳ってなんなんだ?」


「結界さ。まあ、他にも用途はあるが、私が守護する領域と考えれば良い」


「へ、へぇ……」


「この家にも敷いてある。何十にもな。恐らく、ここは都で一番強固だ」


 この都を守護する要でもある晴明の自宅が一番安全なのは道理と言えよう。晴明一人を失えば、この都の護りは即座に瓦解する。であれば、晴明を一番守れるようにするのは自明の理だ。


「全然気付かなかった……」


「当たり前だ。陳とは言え、万能ではない。実体の侵入を防ぐのではなく、悪しき者を近付けさせぬよう暗示をかけ、踏み入れば身を焼くようにしていおるだけだ。言うなれば、実体の無い蚊帳(かや)のようなものだな。どうあっても、耐えられる者もおるし、隙間を縫う者もおる」


「うーん……なんとなく、分かるような分からないような……」


 ようやくすれば、某編み戸のいらない虫よけみたいなものだろうか? 虫が嫌がる臭いを出したり、入ったら蚊取り線香が煙る程焚かれているとか。


「うん、なんとなくだが、分かった」


「其方の分かったは怪しい限りだな……」


「ようは、妖怪は入ってこれないってことだろ?」


「まあ、それで良いだろう……滅多に入ってはこぬからな」


「たまーに入ると?」


「まれに、な。その時はもののふが戦うがな」


「晴明は戦わないのか?」


「言っておるだろう? 私は占術師だと。戦えぬことも無いが、できれば戦いたくはない」


「なんで?」


 ちらり、というには、余りにも目に苛立ちと意思が篭り過ぎている。


 晴明の言わんとしていることを察した雪緒は降参とばかりに両手を上げる。


「分かった、聞かないよ。悪かった」


「……ふん」


 素直に誤れば、晴明は鼻を鳴らす。


 多少仲良くなれたと思った雪緒だが、やはりまだ深く踏み込めるほどの仲には至れていないらしい。


 まあ、出会ってまだ数時間の相手に完全に心を開いてしまうのもどうかと思うが。


「そういや、一つ気になってたんだが」


「なんだ?」


 不機嫌そうに返事をする晴明に、しかし、雪緒は臆した風も無く続ける。


「式鬼って俺にも扱えるのか?」


「ふうむ……」


 たずねれば、一つ唸り、じっと雪緒を見つめる晴明。


「な、なんだよ……?」


 たじろぐ雪緒に、晴明は一つ納得したように頷く。


「うむ。其方は霊力があるようだ。一度、試してみるか」


 言って、晴明は立ち上がると居間を後にした。


 しばらくして、その手に数枚の紙を手に戻ってきた。


 晴明が手に持った紙は、先程式鬼を召喚した時と同じように人の形をした紙であった。先程とは違い、赤黒いものはついていない。


 晴明は札を持ったまま雪緒の隣に座ると、札を一枚雪緒に渡した。


「これは式鬼札(しきふだ)というものだ。これを使って式鬼を呼ぶ」


「お、おう」


 説明をされるが、雪緒はそれどころでは無い。


 近い! 近すぎる!


 心の中で、雪緒はそう叫ぶ。


 元より女っ気の無い雪緒は、身近に居る異性など姉や母親くらいだ。それに加えるなら、中学からの同級生である友人と呼ぶには希薄な、けれど、連絡先を知っている少女が一人居るが、それでもこんなに近くによって来る事は無い。会えば話す。けれど、積極的に話をしない。そんな仲だ。


 そんな三人のみが雪緒と繋がりのある女性達なので、雪緒の女性に対する免疫は薄い。


 それに加えて、晴明は目がくらむような美人だ。それに、なんだか少し香の良い薫りが漂ってくる。


 クラスメイトの強すぎる香水とは違う、優しくて心が落ち着く匂い。決して変態でも匂いフェチでもないけれど、晴明の匂いは、なんだか落ち着いた。


「おい、聞いておるのか?」


「え、あ、いや、全然」


「なんだと?」


「あ、い、いや、大丈夫! ちゃんと聞いてた! うん!」


 本当は全く聞いていなかったのだが、全然と言った後の晴明の声が底冷えする程低く、慌てて聞いていると言ってしまったのだ。


 しばらく、冷たい眼差しで雪緒を見ていたが、やがて一つ溜息を吐くと視線を式鬼札に戻した。


「聞いた無かったようだからもう一度言う」


「すんません」


「謝るのなら最初からしかと聞け。まずは、この式鬼札に術者の血を垂らす。指を出せ」


「ほい」


 言われた通り、人差し指を晴明の方へ伸ばす。


「ほい」


「いっ」


 軽い調子で言い、手にした刃物で指を少し切る晴明。


 そこまで痛くはないが、なんの心の準備もしていなかったから驚いた。というか、てっきり刃物ではなく、縫い針などでやると思っていた。


「切る前に一言言ってほしかった」


「切ったぞ」


「切る、前、に!」


「ほれ、かような些末事はよい。早う血を札に付けろ。位置は心の臓の辺りだ」


「些末事って……」


「いいから、早うせい」


 じれったそうに言い、晴明は雪緒の手を取り式鬼札を雪緒の人差し指に押し付けた。


 雪緒は式鬼札など見ておらず、己の手を掴む晴明の手を見ていた。重ねて言うが、雪緒は女性とは縁遠い。そのため、このように手を掴まれることも無い。ましてや相手が目も眩むーー以下略。


「これで、其方とこの札に繋がりができた。後は……そうさな、一度目をつむれ」


「あ、ああ」


 しかし、今度は先程のような失態は犯さない。晴明の柔らかい手の感触を堪能しながらも、言われた通りに目をつむる。


「良いか? 良く意識を内側へ沈めろ」


 突然、耳元で晴明の声が聞こえてくる。


 晴明の吐息が耳にかかり、思わずびくっと身を震わせてしまう。


「これ、集中せんか。意識を内側へ沈めるのだ」


「わ、分かった……」


 二度目ということもあり、今度は驚かなかったが……すぐ隣に晴明が居ると思うと落ち着かない。重ねて言うが、雪緒はーー以下略。


 ともあれ、雪緒は言われた通り、意識を内側へ向けた。


 中学二年の頃、若干中二病を患っていた雪緒は、自分の内側に意識を向ければなにか潜在的なうんぬんかんぬんがあるはず! と、一時期瞑想にはまっていた。


 しかし、当たり前だが、その時はなにも掴めるものは無く、瞑想も地味だったのですぐに飽きてしまった。


 だが、今はどうだ? 晴明に言われるがままに意識を自分の内側へ向けてみれば、|そこになにかあるではないか(・・・・・・・・・・・・・)。


 よくは分からない。けれど、それが自分の一部であることは理解できる。


「見つけたか? では、それを掴んでみよ」


 晴明の声がどこか遠くから聞こえてくる。


 けれど、きちんと耳に届く。


 雪緒は晴明の声の通りにそれ(・・)に手を伸ばした。


 なにか(・・・)を掴む感覚。


「掴んだな? では、式鬼神招来(しきがみしょうらい)と唱えよ」


「……式鬼神招来」


 言われた通りの言を唱える。


「ほう、一度でか。筋が良いのだな」


 耳元で感嘆の吐息を漏らす晴明。


 その吐息と声に引き戻され、雪緒は目を開く。


 目を開いた雪緒の目に飛び込んできたのは、狩衣を着た一人の少女姿。


「お呼びでございましょうか?」


「え……え?」


「其方に言っておるのだ。早う答えてやれ」


「あ、お、おう。えっと、俺が喚んだ……のか?」


「其方以外に誰がおる?」


「晴明」


「術を行使したのは其方であろう? なんぞとぼけておらんで、早う答えい」


 ぺしんと頭を軽く扇で叩かれる。


 頭を叩いた晴明は雪緒の対面に座り直す。その間も、目の前の少女は雪緒を見つめている。


 待たせてしまって申し訳ないと思いながらも、目をつむっていたため本当に自分が式鬼を召喚できたのか確信が持てない雪緒。


 しかし、考えても仕方がなく、晴明の機嫌もどんどん悪くなっていく。


 ええい、ままよ!


「あ、ああ。俺が君を召喚? したらしい」


 覚悟を決めてそう言えば、目の前の少女はぱぁっと輝かんばかりに笑みを浮かべた。


「そうなのでございますね! お初にお目にかかりまする! (それがし)主殿(あるじどの)の式鬼でござります! 以後、末永くよろしくお願いいたしまする!」


「お、おお……よろしく」


 やたら機嫌よく挨拶をする式鬼。


「つきましては、主殿には某に名を授けてほしいでありまする! いかようにもお呼び下さっても構わぬ所存でありまする!」


「え、急に言われても……」


 人に名前などつけたことの無い雪緒は、彼女のお願いに困惑する。


 いかに式鬼と言えど、見た目が完全に少女なのだ。ペットのように気軽に名付けるわけにもいかない。


「参考までに、晴明は式鬼になんて名前を付けてるんだ?」


「先程召喚した式鬼には(ふゆ)と名付けた。冬に出会ったゆえにな」


「ああ、なるほど……ちなみに今の季節は?」


「春だ」


「了解」


 これは良いことを聞いた。確かに、出会った季節になぞらえて名前を付けるのも定石ではある。


「春……春かぁ……」


 雪緒は考える。


 そもそもペットも飼ったことが無いので名前なんてそうそう思いつかない。自作小説を書いたこともなければ、オリジナルキャラクターを描いた事も無い。名前を考える機会がそもそも無い。


 春、春、春。春と言えばなんだ? 桜、梅、花見、宴会、酔っ払い……ダメだ、これ以上は完全に別物だ。


 考え込む雪緒に、見かねた晴明が助け舟を出す。


「其方の名も季節になぞらえたものであろう? であれば、同じように季節のものに別の言葉を当てればよかろう」


「む、確かに……って、それが難しいから悩んでるんだが?」


「悩むのも良いが、早うしてやれ。待ちくたびれておるぞ」


 言われ、少女を見れば、るんるんと身体を揺らしていた。


「直感で良い。今唐突に思った言葉を言うてみい」


小梅(こうめ)


「なら、それでよかろう」


「えぇ……良いのかなぁ? そんな適当で」


「適当では無い。何事にも直感は大切だ」


「某は小梅という名が気に入ったでありまする! こう、そこはかとない愛らしさが出ているでありまする!」


「まぁ、本人が良いなら、良いけど……」


 嬉しそうに一人舞い上がる少女ーー小梅を見て、雪緒は納得は行かないが、無理矢理納得する。


 本人が小梅と言う名前を喜んでいるのであれば、こちらがけちを付けて水を差すわけにもいかない。


「それより、もう夕餉(ゆうげ)の時間か。雪緒、其方は行く宛ては……聞くだけ無駄か」


「ああ、本当に残念なことに、どこにも行く宛てが無い」


「ふうむ……」


 晴明は顎に手を宛ててしばし考える。


 晴明が考え事をしている間、小梅が急須に残っているお茶を、晴明と雪緒の湯飲みに注ぐ。とても嬉しそうにしているので、雪緒は止めない。


 小梅に湯飲みを渡されたので一口飲んで、ありがとうとお礼を言って小梅の頭を撫でる。


 頭を撫でられた小梅はにぱっと嬉しそうに笑む。


「うむ、決めた」


 そんな事をしている間に、晴明の中で結論が出たらしく、考える素振りをやめて雪緒に視線をやる。


「雪緒、しばらく私の家に住むと良い」


「え、良いのか?」


 てっきりどこか夜を明かせるところを教えてくれるものだと思っていた雪緒は、晴明の提案に素直に驚く。


「ああ、良い」


 こくりと頷く晴明。


 しかし、晴明の目にはまだ警戒の色が滲み出ている。警戒をしているのに雪緒を泊めると言う晴明。


「なあ、本当に良いのか?」


「くどい。良いと言ったら良いのだ。黙って住めば良い」


 きっぱりと、なんの迷いも無く言い切る晴明。


 晴明の思惑も心中も分からないけれど、晴明が良しと言うのであれば、根なし草状態の雪緒に否やは無い。


「それじゃあ、しばらく世話になる」


「ああ、世話をしてやろう」


 そう言って、晴明は今日初めて楽しそうに微笑んだ。

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