第拾捌話 守りたいから戦うだけだ
苛立ちを自覚してから、数日が経過した。
明日は休日。雪緒は、繁治と明乃、小梅の四人でショッピングモールに行くことになっている。
ここ数日、雪緒はずっと苛立っていた。
学校では、仄が妙に明るく接してきて、家では明乃や繁治が優しく接して来る。
分かっている。皆、雪緒を気遣って接しているということは。しかし、それが逆に雪緒を苛立たせる。気遣わせてしまっている自分自身に、苛立っているのだ。
無理だと割り切っただろう。手に負えないと知っただろう。だのに、今だ諦め悪く無駄に苛立って、それで周りに心配をかけて気遣わせる。
本当に、どうしようも無い。
苛立ちは現代でも、平安でも変わらず雪緒を苛む。
雪緒専用の湯呑みを両手に持ち、根眉の寄った険しい顔で晴明の家の庭を眺める。
そんな雪緒を晴明は不愉快そうに一瞥し、溜息を一つ吐く。
「……何を苛立っておるのか知らぬが、も少し抑えよ」
「……悪い」
雪緒は一つ息を吐き、苛立ったように頭を掻く。
言って、言われて、どうこうできる物でもない。それで落ち着けるようなら、こうして苛立ってはいない。
それを晴明もわかっているので、雪緒の態度を咎めたりしない。少しばかり窘めはするけれど。
「なんぞ悩みでもあるなら言うてみよ。なんだ? まだ友の一人もできぬのか?」
「違うよ。いや、違くないけど、そうじゃない」
確かにあれから友人の一人もできていないけれど、そんな事を悩んでいる余裕も無いくらいに苛立ってしまっているのだ。
しかして、せっかく晴明が水を向けてくれたのだ。乗らない手は無いし、このまま一人で抱え込んでも状況は変わらない。
それに、晴明は雪緒の状況を正確に把握している人の内の一人だ。その上、最強の陰陽師でもある。相談役にはうってつけだ。
雪緒は頭で状況を整理しながら話をする。
「……先の世で、行方不明者が続出してる」
「ふうむ、神隠しか?」
「どうだろうな。ただ、未だに見付かってないどころか、被害者は増える一方だ」
「足抜けか?」
「それは無い。子供も行方知れずだ。別の事件が運悪く重なったにしても、重なりすぎてる。それに、規模も大きい。噂になるって事は、少なくとも被害者は二桁を超えてる」
「殺しや誘拐という線は?」
「そこまでは分からない。でも、被害者の多くが残してる言葉ならある」
「それは?」
「きさらぎ駅だ」
恐らく、この事件の最重要項目であろう。
しかし、時代の違う怪異とあって、晴明に思い当たる節は無いらしい。
「すまぬ、知らぬ名だ」
「まぁ、だろうな」
そこで一度、きさらぎ駅の事を電車の事も踏まえて伝える。
真剣な表情で聞く晴明に、雪緒はなるべく分かりやすく説明をした。たどたどしく、まとまりの無い説明になってしまったけれど、晴明は雪緒の説明を最後まで黙って聞いた。
顎に手をあてて、ふうむと考える晴明。
やがて、顎から手を離すと、自分の思考をまとめるように口に出す。
「恐らくだがな、そのきさらぎ駅は、陳に近しいものがあるように思う」
「陳に近しい?」
「ああ。其方の言が正しいのであれば、そのきさらぎ駅とやらは、とある条件下でしか入る事のかなわぬ場所のようだからな」
確かに、きさらぎ駅には電車に乗らないと行けない。どのネット掲示板の記事にも、電車に乗っていたらいつの間にかきさらぎ駅に居たと書いてあった。
「まず一つは、そのでんしゃというものに乗らねばならぬという事」
そう言って、晴明は指を一つ立てる。
「二つ、でんしゃに乗っておっても、全員が全員きさらぎ駅に入れる訳ではないという事」
もう一本、指を立てる。
「三つ、きさらぎ駅に行くには、鍵と鍵穴が必要だという事だ」
更にもう一本指を立てる。
そこまで言うと、晴明は立てた指を折る。
「まぁ、私に分かるのはここまでだ。正しいという確証も無ければ、そも、その行方不明者達がきさらぎ駅によって引き起こされているのかも分からぬがな」
「そこは、俺も分からない。ただ、良くない噂とかが広まっているのは確かだ」
「ならば、確証の無い事に頭を使っても仕方あるまい。それに、其方はこの件に首を突っ込まぬ方が良い」
「どうしてだ?」
「それは其方がよく分かっておるだろう? もしこの件に化生や妖が関わっているのなら、只人の出る幕は無い。それこそ、もののふの仕事よ」
只人。それはつまり、普通の人という事。
晴明にとっては、幽霊が見えて、式鬼を使役していようが、只人の範疇を出ないのだ。
そして、それは雪緒自身も自覚している事である。
けれど、少しだけ特別な体験をしている事もあり、その評価が些か不満でもある。陰陽師とまでは言わないけれど、完全に只人だとも思っていない。少しだけ、足を突っ込んでしまっているのもまた事実なのだから。
「それとも、其方はそれも分からぬのか?」
「……分かってるよ。だから、先生に調査を頼まれても断ったんだ。俺の手にはおえないから」
「……相談があった時点で私になんの話も無いのが些か不満ではあるが、正しい判断をしたようで安心した」
「その時は白藻さんの家から帰ってきた時だったから……」
雪緒が正直に言えば、晴明は気まずそうに目を逸らした。やはり、晴明にとってもあの日の事は気まずいのだろう。
言わなければよかったかなと思いながら、雪緒は続ける。
「それに、これ以上家族に心配かけられないし、俺にとって利が無かった」
「利があれば、其方は請け負ったのか?」
利があれば請け負ったのか、どうか。考えてみる。
例えば、お金。例えば、名声。例えば、物。例えば、人。
考えて、即座に否と首を振る。
どれをいくら貰ったとしても、雪緒の実力で解決出来る範疇じゃないため、結局は何を貰っても雪緒は断った。
「残念ながら、何を貰っても俺に解決が出来ない以上、報酬が破格でも請けられないな」
「……なるほどな」
雪緒の言葉を聞き、晴明は納得したように一つ頷いた。
「利ではなく、理が欲しいのか」
ぼそりと、雪緒に聞こえない程度の声量で言う。
「なんだって?」
案の定、雪緒には晴明が何かを言った程度にしか認識が出来なかった。
「いや、何でもない。どちらにせよ、危険な事に首を挟まぬ事だ。自ら危険に身を置く必要もあるまい」
「まぁ、そうだけどさ……」
晴明の言葉に、けれど、雪緒は納得のいかない様子。
雪緒自身に迷いがあり、迷いがあると言うことは、もう答えが出ているようなものだ。迷う事、それ自体がすでに雪緒の出した答えだという事に、けれど、雪緒は気付かない。
だから、晴明は雪緒に分かりやすい答えを与える事にした。
「なら、私が言ってやろう。其方は手を出すな。常通り、過ごせ。この案件、其方の手に余る」
提案ではなく、命令。お願いではなく、指示。
雪緒が少なからず晴明を師として見ている事を、晴明も自覚している。そして、式鬼神召喚を教えた身としては、雪緒の師である自覚もある。
だからこそ、友としてではなく、師として言った。
師匠の断言。それは、雪緒の無自覚の天秤を傾かせるには充分だった。
「……分かってるよ。首は突っ込まないさ」
他の誰でもない晴明が無理だと言うのなら、自分には無理なのだろう。そう思えば、雪緒にも諦めは付いた。
それに、これで良かったのだ。
首を突っ込んで危ない目にあってしまえば、また家族が心配する。それに、家族だけじゃない。今では、仄も千鶴も心配する。雪緒は、誰かの悲しむ顔が見たいわけではないのだ。
だから、これで良い。これが、正解だ。正解、なのだ。
「お早うござりまする主殿!!」
朝。元気溌剌に雪緒の布団を引っぺがす小梅。
その行動に容赦は無く、さりとて邪気も無いものだから怒るに怒れない。これが明乃であれば苦言の一つも呈しているところだ。
しかし、それにしても小梅の機嫌が何時も以上に良い。何か良い事でもあったのだろうかと一瞬考えるも、直ぐに理由に思い至る。
そう言えば、今日は四人で出かける日であった。
「お早う小梅。今日も元気だな」
「式鬼に体調不良などござりませぬ! 何時でも万端にござりまする!」
言って、力こぶを作る小梅。
しかし、少女の細腕に出来る力こぶなど高が知れており、筋肉が多少動いた程度の変化しかない。
「小梅は風の子元気な子、ってか」
起き上がり、小梅の頭を撫でる。
一つ大きな欠伸をしてから立ち上がる。
時計を見てみれば、七時半を少し過ぎた程であった。
「姉さんと父さんは?」
「もう起きておりまする!」
「珍しい……」
明乃も繁治も休日は大概昼近くまで寝ている。そんな二人が朝早くに起きている事はとても珍しい。
まあ、それだけ小梅と買い物に行くのが楽しみだということだろう。
繁治としては可愛い娘がもう一人増え、明乃としては可愛い妹が出来たような心境なのだろう。
実年齢を言えば小梅の方が何世紀も年上なのだが、それは言わぬが華である。
「朝餉が出来ておりまする! ささ、居間へ参りましょう!」
「おーう」
もう一つ欠伸をし、雪緒と小梅はリビングに向かった。
リビングに降りれば、すでに明乃と繁治は着替え終わっており、テーブルの上には雪緒のぶんの朝ご飯が置いてあった。
「お早う雪緒」
「あんた起きるの遅い」
「おはよ、父さん。起きるのは姉さん達が早いんだろ? モールが開くの何時だと思ってるんだよ」
大型ショッピングモールの開店時間は午前十時。現在、八時にもなっていない。移動の時間もそんなにかからないし、開店に合わせて行く必要も無い。わざわざ早起きをするまでもない事だ。
「馬鹿ねあんた。開店と同時に突って小梅ちゃんに似合う服を一枚でも多く手に入れなきゃ行けないのよ? 早起きするに決まってるじゃない」
「馬鹿はお前だ。いったい何着買うつもりだ」
「部屋着を最低七着。外着を最低三セット。パジャマを三着よ」
「父さん、あんな事言ってるけど、金あるの?」
「貯金もあるし、二人とも無駄遣いしないから、余裕はある。だから、心配しないで良い」
そう言って繁治は笑う。
道明寺家の稼ぎ頭がそう言うのであれば、大丈夫なのであろう。
金銭的な問題は無いと分かり、雪緒は朝食を食べ始める。
繁治はコーヒーを呑みながら新聞を眺め、明乃は小梅を膝の上に乗せてニュースを見てる。
長閑な休日の朝だ。
一人で、黙々と朝食を食べていると、ニュースキャスターの声が耳に入ってくる。
『今週も行方不明者は増え続ける一方です。警察も対策に追われていますが、依然として、原因は分かっておりません。テレビの前の皆様も、外出には充分ご注意ください』
折角の休日だと言うのに、外出をしたく無くなるような話題だ。
ニュースキャスターの言葉を聞いて、繁治が少しだけ顔をしかめる。少ししかめただけで迫力があるけれど、家族は最早慣れてしまっているし、小梅も別段怯えない。
明乃が空気を察してチャンネルを変える。
しかし、今の時間帯は何処もニュースしかやっておらず、しかも、同じ話題ばかりであった。
やがて、チャンネルを変える事を諦めたのか、明乃はテレビを消す。
小梅と一緒にソファに寝転がり、スマホで猫の動画を見はじめた。
二人が動画に集中し始めた頃、繁治が雪緒の対面に座った。
少しだけ声を潜めながら、言う。
「雪緒から見て、電車はどう思う?」
何を、何の事を、それが抜けているけれど、抜けた部分が分からない程鈍くも無い。
「無いな。真偽はどうあれ、危険を冒す必要無い」
「だよな……少しだけ様子を覗こうと思ってたんだが」
「なんで?」
「……実はな、父さんも行方不明者の捜査に加わる事になった」
「ーーっ!」
繁治の唐突な告白に、雪緒は思わず息を飲む。
荒げそうになる声を抑えて、なるだけ平常心で繁治にたずねる。
「どうして、父さんが?」
「人手が足らなくなった」
「なった……?」
という事はつまり。
「刑事の方にも、行方不明者が出た」
聞いた途端、心臓が跳ね上がった。
事は最早、住民だけの被害で収まらない。警察にもその魔手が及んでいる。そして、実際に被害が出ている。
それが大々的に報じられないのは住民の不安を煽らないためだ。警察にすら解決できない問題であると公にしないためだ。
「何もなければ良いが、何かあったら俺の部屋にある手紙を読んでくれ。そこに後の事は書いてある」
「……そんな大事な事を、朝のちょっとした時間に言わないでくれよ」
「……すまん。今日一日、そんな事言えそうな雰囲気じゃなさそうだから……」
まぁ、楽しんだ最後の最後に話されも困るけれど。
「ていうか、さっきの電車どうこうって、俺が幽霊見えるから聞いたのか?」
「あぁ。オカルト的な線も捨て切れないからな。公には出来なくても、解決くらいはしたいからな」
「そんなの専門家の仕事だろ?」
「ところが、誰も彼も関わりたく無いの一点張りだ。専門家がそんなに嫌がるんだ。余計に嫌んなる」
だから、警察がやらなくてはいけない。例えどんなに荒唐無稽な事件が相手、領分が違えども、警察が動かなくてはいけないのだ。
「刑事ってのも、やっぱり大変だな……」
「刑事だからってだけじゃないさ。一人の父親として、お前達を守りたいから戦ってるんだ」
そう言いながら、繁治は雪緒の頭を乱暴に撫でる。
「さて、暫く忙しくなりそうだからな。今日は目一杯楽しむか」
言って、雪緒を安心させるために笑う繁治。強がりでも何でもなく、心の底からの笑みに、雪緒は何故だか自分が責められてるように感じて、思わず目を逸らしてしまった。