第拾陸話 妖に恋愛は難しい
時間も時間なので、夕飯を作りつつ事の経緯を説明する。
といっても、雷に打たれて陰陽師としての力に目覚めたと、合っているようで合っていない説明をした。
毎夜平安に行っている事を話そうかとも思ったけれど、晴明が言うには雪緒の身体と魂は不安定な状態にあるらしいので、話して墓穴を掘って二人を心配させるのも気が引けたので、黙っている事にした。
実際は、平安の雪緒の身体と現代の雪緒の身体には時を超えた繋がりが在り、その繋がりを頼りに時間遡航をしているそうなのだが、そんな難しい話をしても二人のパンクした頭が更にパンクするだけだ。
沈黙は金である。
「とまぁ、だから小梅を呼べるって訳。姉さんも見ただろ? 小梅が目の前で消えるところ」
「う、うん……」
頷きながらも、膝の上に乗せた小梅の頭を撫でる明乃。
小梅が目の前で消えてしまったのが衝撃だったのだろう。小梅が居るという事実確認をしないと落ち着かないので、膝の上に乗せて頭を撫でている。
小梅が嫌がっていないので、雪緒は明乃の好きにさせていたけれど、もう夕飯だ。何時までも小梅を膝の上に乗せていたのでは、小梅も明乃もご飯を食べられない。
「姉さん、もう夕飯なんだから、小梅をちゃんと座らせてやってくれ」
「うん」
素直に頷いて、明乃は小梅を隣の椅子に座らせる。
少し残念そうにする小梅だが、直ぐに目の前の料理に目を奪われる。
「父さんも、納得してくれた?」
「……待て、まだ頭の処理が追い付かない。なんだ、陰陽師って……」
繁治は顔に手を当ててうなだれている。自分の知っている常識と乖離した状況と情報に困惑しているようだった。
雪緒の説明には正直穴が在りすぎる。何故式鬼を召喚する事が出来たのか、その方法は説明できても、そもそも式鬼を召喚できると知った理由を話していない。その他にも、多々穴は見受けられるけれど、二人とも今雪緒が話した内容を処理するだけで精一杯のようだ。
そこら辺はおいおい詰めていこうと考えながら、出来た料理をテーブルに並べて、小梅の分のご飯を盛って小梅の席に置いてやる。
小梅の食器は全て楸の物を使っている。今までずっと捨てられずにいたのだが、とっておいて正解だった。
「とりあえず、ご飯にしないか?」
「……ああ、そうだな」
言いながら、繁治は顔を上げる。
準備が終わったので、雪緒も席に着く。
「それじゃあ、いただきます」
「「いただきます」」
三人は食前の挨拶をすると、箸を手に取りご飯を食べ始める。
が、三人だけだ。小梅は三人が食べる様を、物珍しげに眺めているだけだ。
その様子を見て、雪緒は柔らかな口調で言う。
「小梅、食べて良いんだぞ?」
「良いのでござりまするか?」
「ああ。今の時代には甘味も多いけど、それ以上に食料も多いんだ。気にしないで食べて良い。それに、小梅だけ食べてないのは忍びない」
「……では、いただきまする」
言って、小梅は箸を手に取る。
しかし、箸の持ち方が危なっかしい。
そう言えば、食事をした事が無いと言うことは、箸も使ったことが無いのだと遅まきながら思い至り、雪緒はキッチンからフォークとスプーンを持って来た。
「小梅、これを使うといい」
「これは?」
「こっちがフォーク、こっちがスプーンだ」
そう言って、フォークとスプーンを渡す。
「フォークは食べ物を刺して食べるもの。スプーンは食べ物を掬って食べるものだ」
「なるほど!」
雪緒の説明で理解したのか、小梅はフォークを握っておかずの唐揚げを突き刺す。
そして、物珍しげに眺めた後、ぱくっと一口で食べる。
「ちょっ!?」
「小梅ちゃん!?」
その光景を見た明乃と繁治は驚き、慌てる。
唐揚げは出来立てなので、今も熱々とした湯気が立っている。湯気を見れば分かるけれど、中味もまだ熱い。それなのに一口で全部食べてしまった小梅に驚いているのだ。
しかし、雪緒は平然としている。
平安で、熱々のお茶を飲み干す小梅と冬の姿を見ているので、式鬼が熱などに強い事を知っているからだ。
「大丈夫だよ。式鬼ってのは、熱さとかに強いみたいだから」
雪緒がそう言えば、二人は小梅のなんともなさそうな様子を見て、はぁと安堵の息を吐く。
二人の心配と安堵もいざ知らず、小梅は口内に広がる唐揚げの味にご満悦であった。
「美味でありまする!!」
「なら良かったよ」
嬉しそうに言う小梅に、雪緒も思わず頬が緩む。
明乃も繁治も、頬を緩めている。
落ち着いて夕飯を食べる事が出来ると分かると、二人も自身の食事に移る。
しかし、明乃は思い出したように雪緒に言う。
「そういえば、あんた今日帰って来るの遅かったけど、なんかあったの?」
明乃の何気ない問い。その問いで、小野木の事を思い出してしまう雪緒。
「まぁ、ちょっとな……」
「何かあったの?」
声のトーンを少しだけ落とす雪緒に、明乃は何かがあった事を察して、真面目な口調で再度問い掛けた。
繁治も、雪緒を見る。
「先生から相談を持ち掛けられただけだ。断ったから、もう関係無い話しだよ」
「相談って、どんな?」
誤魔化そうとする雪緒に対して、しつこく食い下がる明乃。
恐らく、明乃は雪緒が話をするまで問い詰めるのを止める気は無いだろう。雪緒が心配だからであって、明乃が下世話な興味だけで聞いている訳ではない。
話さずにいて空気を悪くするのも雪緒の望むべくところではない。観念して、話す事にした。
しかし、その前にしっかり前置きしておく。
「ここだけの話にしてくれ。小野木先生も、切羽詰まってたんだ。だから、俺は仕方の無かった事だと割り切ってる」
そう前置きをして、話を始める。
「姉さんは、きさらぎ駅って知ってるか?」
「うん。クラスでも話題になってる」
「父さんは……勿論知ってるか」
「まぁな。署でも引っ切り無しに話題に上がってるからな」
署、という単語だけで凡その予想は着くと思うけれど、繁治の職場は警察署だ。そして、繁治の職種は警察官だ。
そのため、きさらぎ駅が関与しているであろう事件の事を知っているのは自然な事だ。
「それで? きさらぎ駅がどうしたの?」
「まず前提として、俺が幽霊が見える事がばれた」
「待て雪緒。お前、幽霊が見えるのか?」
「ああ、昨日からはっきり見え始めた」
「父さん、雪緒がその内スーパーマンになるんじゃないか気が気じゃないよ……」
「ならないから。てか、幽霊見えるだけでスーパーマンだったら、大多数の人はスーパーマンだから」
「ちょっと、脱線しないで! それで? 幽霊が見える事と何が関係あるの?」
「ああ。どうやら、先生の友人が行方不明らしい」
「まさか……!」
そこまで聞いただけで予想が付いたのか、明乃は眉尻を吊り上げる。雪緒と繁治がやると迫力があるけれど、明乃がやっても迫力はあまり無い。
因みに、繁治がやるとかなり迫力がある。交番勤務時代、繁治ともう一人の厳つい顔の同僚が交番の前に立っていれば、それだけで町の犯罪率が下がったそうだ。
ともあれ、迫力は無い明乃であるけれど、怒ると面倒なのでどうどうと手で落ち着くように制する。
「頼まれた。けど、断ったよ。危ない事なんてしたくないし、そもそもがきさらぎ駅の存在が本当かどうかも分からないから」
小野木はきさらぎ駅の仕業だという事を前提にして話をしていたけれど、きさらぎ駅が関与しているかどうかすら雪緒には判断が付かない。
偶然か悪戯か。そのどちらかだと思っている。
「なんにせよ、その相談に乗ってたから遅れただけ。連絡も入れなくて悪かったよ……って、俺スマホ持ってないんだった……」
「今週末にでも買いに行くか」
「ああ。ありがとう」
話題が雪緒のスマホに移り、きさらぎ駅についての話は終わった。
その後は、小梅を交えた家族団欒を過ごし、夕食を終えた。
明乃が小梅と一緒にお風呂に入りに行き、リビングには雪緒と繁治だけが残された。
「ほら、コーヒー」
「お、ありがとうな」
雪緒が繁治に煎れたてのコーヒーを渡す。
繁治の対面のソファに座り、雪緒は麦茶を飲む。
「正直な話、父さん、まだ混乱してる」
「まぁ、そうだろうな……」
雪緒だって最初は混乱したし、真偽の程を確かめた。けれど、雪緒は直ぐに小梅の存在を本物だと知ることが出来た。
小梅が式鬼で、平安の時を過ごした事を、理解できた。それは、雪緒が曲がりなりにもその道に足を突っ込んだからだ。けれど、繁治は違う。
「陰陽師とか、式鬼とか、幽霊が見えるとか……正直、父さんはピンと来ないよ」
繁治は煙草を取り出すと火をつける。
灰皿を繁治の前に移動させると、悪いなと言って灰を落とす。
「けど、雪緒が嘘を付くような子じゃない事は知ってる。小梅ちゃんが俺の目の前に突然現れた事も、それについて俺なんかじゃ説明が付かない事も分かってる」
「それは、俺も同じだよ。俺も、全部が全部分かってる訳じゃない」
むしろ、知らない事の方が多い。
安全な事も、危ない事も、まだ分からない。
「だろうな。話が妙に曖昧で、肝心なところが幾つか抜けてたからな」
言いながら、繁治はニヒルに笑う。
「ま、そこら辺はおいおいで良いさ。説明が出来るようになったらしてくれ。けど、一つだけはっきりさせて欲しいことがある」
「何?」
「雪緒は、危ない事はしてないんだな?」
真剣な、雪緒を案じる目。
雪緒はその目を真正面から見返す。
「ああ、危ない事はしてないよ」
その言葉に嘘偽りは無い。雪緒は自ら危険に足を突っ込んではいない。特に、危ない事件に巻き込まれている訳でも無い。
「……そうか。なら、良いんだ」
雪緒の言葉に嘘が無いと分かったのか、繁治は納得したように頷いた。
けれど、その表情だけは、依然として雪緒を案じているようであった。
就寝し、起きる。
現代から平安へ、魂だけが遡航する。
「お早うございます、雪緒さん」
目を覚ますと、見知らぬ人が微笑みながら雪緒に挨拶をする。
一瞬頭が混乱するが、直ぐに昨日の出来事を思い出す。
「お早うございます、白藻さん」
白藻に返事をすれば、白藻はにこりと微笑み、茶碗を差し出してきた。
「朝御飯です。どうぞ」
雑穀米に漬物といった簡単な朝食。
晴明の家よりも質素な食事に、果たして白藻はこれだけで足りているのかと心配になってしまう。
「いただきます」
「はい、いただいてください」
茶碗を受け取り、雪緒は朝御飯に手を付ける。
厚かましいとは思いながらも、もう二つある茶碗の両方に盛られている以上、食べない方が勿体無いし、白藻に悪い。
「あの、白藻さん」
「ご飯食べ終わったら、都に戻りましょうか」
言おうとしていた事を先に言われてしまい、雪緒は思わず口ごもってしまう。
そんな雪緒を見て、白藻はふふっと笑う。
「顔に書いて在りますよ、早く晴明さんに会いたいって」
悪戯っぽく言う白藻。見透かされているようで、少し恥ずかしい。
「ありがとう、ございます」
「ふふ、いいえ」
にこにこと楽しそうに笑う白藻に、雪緒は羞恥から視線を逸らす。
恥ずかしさから、黙々とご飯を食べる雪緒。
元々茶碗もそんなに大きくないので、直ぐに食べ終わってしまう。
女性ながら、量も量なので、白藻も直ぐに食べ終わってしまった。
「それでは、行きましょうか」
「はい」
茶碗を片付け、白藻に促されるまま家を出た。
二人で並んで歩く。
長閑な風景が広がる道を、二人はゆっくり歩く。
「ねぇ、雪緒さん。一つ、聞いて良いですか?」
歩きながら、視線を前に向けながら白藻が言う。
「なんですか?」
「荒唐無稽な話ですし、雪緒さんにとっては理解の及ばない話かもしれませんが、一つだけ、お聞きしたいのです」
白藻はそう前置きをして、今度は雪緒に視線を向けて言う。
「雪緒さんは、妖が人に恋をする事を、おかしいと思いますか?」
頬を赤らめて、まるで、恋する乙女のようにそうたずねる白藻。
しかし、そんな事よりも雪緒には気になる事があった。
その言い方だと、例え話でもなんでもなく、白藻がそれであると言っているようなものだったから。
「……白藻さんは、妖なんですか?」
たずねれば、躊躇いがちにこくりと頷く白藻。
一見しただけでは、白藻は人に見える。けれど、妖しくも、抗いがたい魅力があるその風貌は、確かに、妖だと言われても納得が出来た。
「……驚かれましたか?」
「はい。式鬼は何度も見てますけど、妖に会ったのは初めてですので」
驚いたは驚いたけれど、小梅や冬を見ているからか、ああそうなのかという感想しか出て来ない。
それと合わせて、もしや身の危険があったのではと一瞬考えるけれど、寝て起きて何も無かったのならば、白藻に危害を加えるつもりは無かったのだろう。
白藻が雪緒を害さない事が分かり、雪緒は危険云々について考える事を止めて、白藻の問いについて考える。
「白藻さんは、誰か好きな人がいるんですか?」
雪緒の問いに、白藻は首を横に振る。
「いいえ。まだ、いません。けれど、恋をするのは、素敵だと思います」
そう言って、恥ずかしそうに口元を両手で隠す。けれど、言葉を止める気は無いのか、そのまま続ける。
「妖は、恋をしません。雌雄の番という認識だあるだけです。勿論、私のような恋をしたいという妖も居ない訳ではありません。ただ、絶対的に少数ではありますけど」
何処の誰とも分からない相手に、白藻は羨望の眼差しを向ける。
それは、目に見える相手だけではなく、恋愛をする人という種族そのものに向けられているのかもしれない。
「だから、私は人と恋がしたいのです。妖とは、恋は出来ませんから」
一度目を閉じ、白藻は雪緒を見る。
「おかしいと、思いますか?」
「いいえ」
白藻の問いに、雪緒は即座に首を振る。
何か、理にかなった事を言おうとして、止めた。多くを語り募ってしまえば、言葉が上滑りしそうだったから。
だから、雪緒が思った事を簡潔に答えた。
「恋をするのが、乙女ですから」
雪緒がそう言えば、白藻は一瞬驚いたような顔をした後、直ぐに破顔した。
「ふふ、その答え、とっても素敵です」
嬉しそうに笑う白藻。
「雪緒さんに相談してみて良かったです。声をかけて良かった」
白藻がそう言った直後、途端に景色が変わる。
長閑な風景が一変、少しだけ見慣れた平安の町並みが視界に飛び込んで来る。
「え?」
驚き、声を上げる。
雪緒は思わず周囲を見渡す。
今まで人の気配がまったく無かったというのに、気付けば雪緒の周囲に人が居て、その変わりに白藻の姿が何処にも見当たら無い。
「白藻さん!」
声を張り上げるも、返事は無い。
「また会いましょう、雪緒さん」
変わりに、耳元でそんな声が聞こえて来る。
急いで振り返るも、そこに白藻はおらず、居るのは都の人々だ。
喧騒だけが、耳に入り込む。
いったい、何だったのか。夢でも見ていたのか。
まるで、狐につままれたような気分だ。
「いったい何なんだ……?」
どういう事なのかと小首を捻っていると、唐突に腕を引かれた。
腕を引かれた勢いのまま振り返ると、そこには見知った顔があった。
思わず、その名をこぼす。
「晴明……」
そこに居たのは、雪緒のよく知った人物、安倍晴明であった。
しかし、何時もの晴明と様子が違う。
晴明は激しく息を切らしており、呼吸に合わせて肩が大きく上下している。それに、衣服も髪も乱れており、常の楚々とした佇まいは何処にも無かった。
「晴明、どうしーー」
どうした。そう言おうとして、止められた。
肌を打つ乾いた音が鳴る。
視界が横に少しずれ、晴明に視点を合わせて、横に振り抜かれた手を見て気付く。晴明に、頬を叩かれたのだと。
きつく雪緒を睨みつけた後、乱暴に手を引く晴明。
有無を言わさぬ晴明の様子に、しかし、雪緒は戸惑って声をかける。
「晴明、どうした?」
「……」
しかし、晴明は答えない。
ただ黙って雪緒の手を乱暴に引いて歩くだけだ。
「悪い、黙って一日も空けて」
とりあえず、黙って一日無断外泊をしてしまった事を謝る。けれど、晴明は答えない。
「なぁ、晴明ーー」
「黙れ!!」
なおも言い募ろうとした雪緒の言葉を、晴明の怒声が遮る。
晴明は立ち止まり、けれど、振り返らずに続ける。
「もう二度と勝手に家を出て行くな! もう二度と都から出て行くな! もう二度と一人で動くな! 良いな!」
珍しく、本当に珍しく、声を張り上げる晴明。それ以前に、雪緒は晴明が怒鳴ったり、大声を出すところを初めて見た。
周囲の人も声を張り上げる晴明に、何事かと好奇の視線を向ける。
「良いな!」
返事をしない雪緒に、晴明はもう一度言う。
それは問い掛けでも何でもなく、強制である事は声音を聞けば分かった。
分かっていながらも、雪緒が頷かなければ晴明が引くことは無いと何となく理解はしていたので、雪緒は困惑をしながらも頷いた。
「わ、分かった……」
雪緒が頷くと、晴明はまた黙って雪緒の腕を引いて歩いた。
先程よりも歩調が緩やかになったものの、何処か忙しない。
気まずい空気の中、二人は無言のまま歩いた。
晴明の家に着くまでの間、晴明は一度も雪緒を振り返る事は無かった。