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第拾話 ともすれば、空想やもしれぬと

 眠りに着き、意識が覚醒する。


 おかしな話、おかしな表現ではあるけれど、現代と平安の二重生活を送る雪緒にとってはこれが何時もの事だ。


「起きたか」


「お早う、晴明」


 声をかけてきた晴明に返事をし、起き上がる。起き上がるさいに、小梅が布団を引っぺがし、畳みながら物置に仕舞いに行く。


 布団を畳むのも料理を作るのも、最近では慣れたもので危なげなくこなしている。


 雪緒が起きると、タイミングを見計らったように一人の女性が朝食を運んでくる。


「雪緒さん、お早う。よく眠れた?」


「ええ、ぐっすり」


園女(そのめ)此奴(こやつ)は眠うている間も先の世で起きておる。良く眠うたかどうかなど起き続けておる此奴に聞くだけ無駄だ。其方も、適当に言うでない」


「おいおい、俺は適当で言ってるんじゃないぞ? 起きたときに身体に不調が無ければ、精神はどうあれ、身体はちゃんと休めてるって事だろ? だから、ぐっすりって答えたんだ」


「減らず口を。其方の気が休まらんでは休んだ内に入らぬだろうに」


「ところがどっこい、身も心も健康そのもの。料理と環境が良いのかねぇ? いただきます!」


 晴明と他愛の無い話をしている間に運び込まれた朝餉にさっそく手を付ける雪緒。


「いただきます。……それでも、其方が常に起き続けている事に変わりあるまい。休める時に休まねば、いずれ何処かで身体を壊すぞ」


「こっちにいる間はずっとのんびりしてるだろ?」


「先の世でも、だ。聞けば、先の世は今より随分忙しないそうではないか。眠れぬと言うのはそれだけで負担がかかる。どちらでも、休む頃合いは見誤るでないぞ」


「へいへい。分かりましたよお母様」


「誰が其方の母だ」


 軽口を叩きながらも、朝餉を食べる三人(・・)。そう、三人なのだ。


 雪緒の正面に座る晴明。晴明と雪緒の中間あたりに、丁度”コ”の時になるように座る園女。


 園女は式鬼ではなく、れっきとした人間だ。


 彼女は、晴明の家で下女(げじょ)をしており、常は、冬に代わり晴明の身の回りの世話をしている。


 雪緒が来た時は少しだけ休みを貰って実家に戻っていたため、晴明の家には居なかったのだ。


 歳の頃は晴明の少し上程。結婚はしていないので、この時代では俗に言う行き遅れ。


「あら、なにしら? 雪緒さん、何か言った?」


「いえ、別に?」


 たまにさとり(・・・)なんじゃないかと思う程感が良い。


 冬が言うには、園女は、晴明が頭が上がらない人らしく、窘められる事もあるそうだ。何かされたら告げ口してやろうと決めている。特に何かをされた事は無いけれど。


 ともあれ、園女は人なので、当然食事をする必要がある。


 そのため、朝餉と夕餉は三人でとっているのだ。


 園女が増えた事で、女所帯に傾きつつある中、雪緒としては一つ気になる事が出来た。


「晴明、今日って何かする事あるのか?」


「其方は私の話を聞いて無かったのか? 休める時には休め」


「そうもいかないだろ? ほら、薪割りとかーー」


「てやぁ!」


 かこんと良い音を立てながら、小梅が庭で薪を割る。


「必要無い」


「分かってらぁ……」


 普通、男手が必要な作業は、この時代であれば多いけれど、冬や小梅と言う男手以上の手がある限り、全く必要が無い。


 炊事洗濯も冬や小梅、園女がやるので全く手を出す隙も無く、かといって他にやる事があるかと言われれば何もやることが無い。


 いつも、晴明と寛ぎながら茶を啜って話をするだけだ。


「なんか俺、ヒモみたいだ……」


 そう、雪緒の気になる事とは、やることが無さすぎて女性陣に養われている気がする事だ。


 衣住を晴明に用意してもらい、食は冬達が用意してくれている。雪緒がやっている事と言えば晴明とお茶をするだけ。


 誰が何と言おうとも、完全にヒモである。


 養ってもらっている上に、色々と教えてもらった身としては、とてつもなく肩身が狭いし、女性陣に申し訳が無い。


 雪緒にしか出来ない特別な何かがあれば別なのだろうけれど、そんな特別な何かも持ち合わせておらず、雪緒はただ晴明とお茶をするだけの日々を送っている。


 ヒモのようにも思うし、余生を謳歌する老夫婦のようにも思える。


「そういえば」


 晴明は一度箸を止めて、雪緒を見る。


「昨日はがっこう(・・・・)とやらだったようだが、どうであった?」


「何その父親みたいな質問。もしかして、晴明って俺の父ちゃん?」


「そんな訳無かろう。私の何処をどう見たら男に見えるのだ?」


 その質問に、雪緒は何を言うでも無く、晴明の顔から視線を少し下げる。


 刹那、頬の横を目にも止まらぬ速さで何かが通過する。


 タァンと一つ良い音を立てて、その何かが壁に突き刺さる。


 顔を引き攣らせながら背後を見やれば、そこには壁に深々と突き刺さった箸が在った。


「何か言いたい事はあるか?」


「申し訳ございませんでした」


 謝る機会をくれた晴明に、雪緒は深々と頭を下げて誠心誠意謝罪をする。


「次は無い。園女、新しい箸を」


「はいはい。ふふっ」


 園女は笑いながら台所に箸を取りに行った。


「して、がっこうとやらはどうなのだ?」


「……まぁ、ぼちぼちだ」


 雪緒の粗相を無かった事にして、会話が進む。


 といっても、雪緒はまだ登校して一日目。語れるほどの内容は持ち合わせていない。


「クラス……あー、同じ部屋で勉強をするんだけど、その部屋には知り合い……友人が一人居てな。そいつのお陰で、なんとか一人になる事は避けられた」


「ふむ。集団の中で孤立するのは辛い事だ。良かったな」


「あぁ。まぁ、明日以降友人が出来るかどうかは分からんがね」


「そこは、其方の小意気な話術(とーく)とやらで頑張るしかあるまい。今の調子で話せば友の一人や二人、直ぐに出来よう」


「大丈夫かな? 箸飛んで来ないかな?」


「……其方が粗相をしなければ問題あるまい。それに、食事の最中でなければ別の物が飛んで来ると思うが?」


「例えば?」


(こぶし)


()る気満々だ……」


 言いつつ、流石に初対面の相手に、身体的劣等を揶揄するなんて無礼な事はしない。


 それに、小さい胸はそれはそれで良いものなのだ。雪緒は(てのひら)に収まるくらいが好みだ。


「ふふっ、本当に晴明様と雪緒さんは仲が宜しいですね」


 そんな話をしていると、園女が替えの箸を持って来る。


「何処がだ。此奴の軽口と軽薄さには呆れるばかりだ」


「はは、否定はしない」


「そこはも少し弁明が欲しいところだがな……」


 弁明など出来ようはずも無い。雪緒が、事会話に置いて軽薄で軽口を叩くのは事実なのだから。


「あらあら、呆れてはいても、嫌ではないのですね?」


 からかうような笑みを浮かべて園女が言えば、晴明は少しだけ頬を朱に染めた後、バツが悪そうに黙って食事に戻った。


 そんな照れ隠しを使った晴明を見て、園女と雪緒は顔を見合わせた後、くすりと笑う。


 この一週間程で、晴明とは随分と打ち解けてこれたような気がする。


 元々、雪緒がこちらに来てしまった原因の一端が自分にあるせいか、雪緒に対して少し過保護なところがあった晴明だが、それを抜きにしても随分と仲良くなれたとは思っている。


 会話も、日を経る(ごと)に気兼ねが無くなってきている。まだ晴明の方には堅さが残るけれど、今のまま行けばその堅さも無くなるだろう。


「まぁ、友人作りは頑張るよ。三年間も友達がいないなんて事になったら、高校生活寂しすぎる」


「……そうか」


 園女にからかわれ、少しだけふて腐れながらも、返事をしてくれる晴明。


 それっきり、何かを言うことは無かったけれど、機嫌が悪いというわけでもなかった。


 温かな沈黙の中、朝餉の時間が過ぎていった。





 縁側でお茶を飲みながら、食後のゆっくりとした時間を過ごす。


 ここ一週間程、ずっとこの調子だ。


 特に何をするでも無く、ただゆったりと過ごす。


「そう言えば、陰陽師の仕事っていったい何をしてるんだ?」


 何気なく、間を置いて座る晴明にたずねる。


御門(みかど)や国の事を占う。それに、祭祀(さいし)を司る。一般の陰陽師であればこれくらいだ」


「晴明は?」


「前にも言うたが、私は都の守護が主な役目だ」


「占ったりとかはしないの?」


「せんな。……誰も、私に占って欲しくはあるまい」


「え、なんで?」


 聞くが、返って来るのは無言。


 話したくない、ということなのだろうか。それとも、悩んでいるのか。


 どちらにせよ、躊躇いがある事は確かなようだ。なら、無理に聞くべきでは無いし、無理に話させるべきでも無い。


「御免、不躾だったな。話したくないなら、大丈夫だ」


「済まぬな……」


「晴明が謝る事じゃないだろ? 俺が不躾に聞いちまったのが悪いんだからさ」


「そう言って貰えると助かる……」


 すっかり意気消沈してしまった晴明。


 どうやら、聞いてはいけない事を聞いてしまったようだ。


「あーっと……」


 何か別の話題を探すも、晴明と雪緒の共通の会話などそんなにある訳でもなく、直ぐには思い浮かばない。


「そ、そう言えばさ! 晴明は、幽霊って信じるか?」


 考え抜いた末に出て来た話題は、晴明にするには余りに詰まらぬものだった。


 式鬼、つまり、小梅や冬は化生だ。幽霊と同列とは言わなくても、同じような存在ではある。そんな存在を認知している晴明に対して、この質問は余りにも詰まらない。


「信じるも何も、今目の前におるではないか。冬も小梅も、似たような者だ」


 少し呆れたように言う晴明。


 ここからどう返すかで、この先の会話に花が咲くか枯れるかが問われる。


「で、でもそれは、晴明にとってそれが当たり前だからだろ?」


「其方はそれが分かってて私に問うたのではないのか?」


「そ、そうだけど、そうじゃなくて……えっと……そう! 先の世じゃ、幽霊っていうのは一般に知られてはいるけど、存在を明確に認知されてる訳じゃないんだ!」


「と言うと?」


「幽霊とか化生っていうのは、フィクション、所謂(いわゆる)物語の世界の話になってるんだ」


「物語だと? 幽霊なぞ、そこら中に吐き捨てる程におるではないか」


 そしてまた、人外の者もまた、吐き捨てるように居る。この時代、魑魅魍魎(ちみもうりょう)跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)が当然だ。だからこそ、化生である冬と小梅を市井(しせい)に安易に連れていけないのだ。


 加えて、それが大多数に見えるとなればなおの事だろう。


 そんな時代だからこそ、晴明には幽霊や怪物(けもの)が空想の者になっている事が想像もできないのだろう。


 そんな事を推察しつつ、晴明が話に乗ってきたくれた事に少しだけ安堵する。


「ところがどっこい、先の世では幽霊を認知できる人が少ない。少数派だからこそ、多数派に否定されてるんだ。因みに、式鬼とかはもう架空の存在だ」


「なんと。そんな事になっておるのか」


「ああ。夏の夜に肝を冷やすための話の種になってるくらいだな」


「何故そのような事になっておる?」


「さあな。俺が生まれた時にはそんなもんだったな」


 科学技術が進歩し、物事を空想に閉じ込められなくなったから、皆が皆、論理的思考になってしまって、論理から外れる者を受け入れられなくなったのか。


「俺の時代じゃ、何事にも理由が付いちまう。その理由の中に収まらない事は、全部空想になっちまう」


 信じる人がいれば信じない人もいる。幽霊や怪物とはそんな者になった。


「……ならば、今この時にも理由は付くまい」


 ぼそりと、晴明がこぼす。


 ちゃんと聞き取れるくらいの、けれど、少し物音がすれば聞こえなくなってしまう程の、そんな声量。


「其方の言葉を借りるなら、先の世から此処へ来ることもまた空想だ。其方の時代より遥かに劣った時代である今ですら、過去へ行くことなどまた出来ぬのだからな」


 そう言い、晴明は雪緒の方を見る。


「其方も、私も、ともすれば、空想なのやもしれぬな」


 何処か無機質な瞳が雪緒に向けられる。


「……俺は俺の主観でしか語れないから、俺の存在どうこうは分からないけどさ」


 その無機質な瞳をする晴明が嫌で、雪緒は思うままに言葉を紡ぐ。


「例え空想だとしても、俺は晴明を憶えてるよ。俺の中では、晴明は、晴明と過ごした時間は本物だよ」


 常の考えた(・・・)軽口ではなく、何も考えずに口をついて出て来た言葉。


 言ってから、少し恥ずかしい事を言ったと後悔する雪緒。今すぐ晴明から目を逸らしたい気持ちに駆られるが、それではその言葉が嘘になってしまうような気がして、雪緒は目を逸らせなかった。


 数秒、無言で見つめ合う。


 晴明は常より少し無機質な表情で、雪緒は羞恥で若干頬を染めて。


 しばらく見つめ合う二人。


「……そうか」


 見つめ合う中、晴明はそれだけ言うと、雪緒から視線を外した。


「まぁ、どうあれ私には多くの選択肢は無い。ただ生きるのみだ」


 そう言った晴明の表情は常と変わらぬものであったけれど、何処か白々しさを感じた。


 雪緒は、自分が思っているよりも、晴明が多くの事を抱えているのかもしれないと、今になって思い至った。


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