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ある惑星の最期の日

作者: しげ丸

「博士、それはなんですか?」

 博士は何やら立方体の金属でできた怪しげな箱を持って私の研究室へとやってきた。

「これか。これは脳の細胞を読み取って保存する機械だよ。いろいろと欠点があるけどね」

「これはまた」

「気になるかい?」

「ええ、まあ」

「膨大な情報量が検出されるから一度しか使えないんだ。これを使うのは誰かもう決めているんだよ」

「そうなんですか。誰なんです?」

  ある惑星の最期の日


「セコ、実験結果は」

『No.wx1024、非活動単位有機生命体の代謝反応再付与実験のデータベースにアクセスします。(一秒間の沈黙)実験は、失敗しました。』

「そうか、実験は失敗したか」

『いいえこれからです。次の実験までに改善点を探し出しましょう。』

「テンプレートはよせ。お前は不完全な人工知能とは程遠い存在のはずだ。自分の見解を示せ」

『はい。――成功とは程遠い結果でした。反応もほとんど見られません。過去に行なってきた実験にこのような結果がいくつもあります。しかし、まだ。改善の余地が。』

「もういい。実験はwx1024で打ち止めなんだ」

『そうなんですか。』

「この実験が成功しようがしまいが、私は研究者を辞めるつもりだった。私の最後の希望だったんだよ」



 窓から見える景色は、十代の頃の木や虫や動物が溢れていた世界とはかけ離れている。荒廃していて生きたものは何もない。無機物の、ただ死だけがそこにあった。

『博士の十代の頃は今から千十数年前のことです。変わり果てるのも当たり前かと。』

 窓辺でソファに座っている私に、この施設にプログラミングされている給仕人工知能のセコは、建物内のいたるところにあるスピーカーで話しかけてきた。

「あの世界は美しかった」

『私には理解しかねます。やはり文字の羅列だけでは景色の画像を創造できません。』

「人生経験が足りないな」

『博士との活動期間の差は二十四年しかありません。』

「君は人工知能だ。私とは違うのかもしれない」

『そうですね。私と博士は違います。』

「完全な人間と全く同じ思考回路になるようにアップデートを行なってきたはずなんだがな」

『私は私です。』

「君は君だ、疑いようがない」

 時計の鐘が十二回鳴る。

「昼ご飯だ。今日はおにぎり味で頼む」

『かしこまりました。』

 私は立ち上がり、食堂へと向かう。足音が建物内に鳴り響き、遠くの壁から反響して返ってくるのが分かる。実験器具や機械は一部を除き停止させていた。実験が終わり、次の実験を始める準備期間に現われる静寂。洗練されて心が再起動するこの神秘的な世界が私は大好きだった。誰もいないように感じる、一人になれる空間。人が溢れて雑音が蔓延る世界から抜け出し、自分の理想に沈んでいく。その世界で私は一人になれたのだ。

『この世界に人間は博士一人だけです。』

「知っている、知っているさ」

『おにぎりが出来上がりました。食堂にいつ来ていただいても構いません。』

「ありがとう、歩くのが遅かったか」

『いいえ違います。博士はその場で足踏みをして音を楽しんでいました。』

「冗談はよせ」

『はい。』

「すぐに向かう。水は麦茶味で用意しておいてくれ」

『かしこまりました。』

 床を足で一つ鳴らす。遠くで反響して返ってくる。

 しかし地下から音は返ってこなかった。

 食堂につくと白無地の布が掛かったテーブルに皿が置いてあり、そこに七種類の栄養カプセルが乗っていた。横には無色透明の水が入っているコップがおいてある。私は椅子に座った。

『味に種類をつけてみました。お楽しみください。』

「美味しそうだ。いただくよ」

 私は食事を始める。

『なぜ、今日で実験は終わりなのでしょうか。』

鮭おにぎり味のカプセルを口に含んでいる時、セコが話しかけてきた。コップを手に取り、水でカプセルを胃に流し込んで私は答える。

「資源は有限だった。それだけの話だ」

『知っています。ただ博士は資源がなくなろうとも、まだ生き続けることができます。』

「どうやって」

『博士の思考回路を新たな機械生命体に植え付けることです。これによって博士は約二千年生き続けることができます。』

「無理だ」

『なぜ。』

「君が完全な人間思考にたどり着けなかったからだ」

 セコは何も言わない。

「私が、君を本物の人間思考にすることができなかった」

 セコは何も言わなかった。

「人工知能はプログラムを組み上げた段階で、それ単一での向上は認められない。例えば、人間が一人または似たような思考回路を持った人間同士で意思疎通するとき、その思考はやがて凝り固まり、進歩も退行もせずその場に留まる。これは人間科学の分野で解明されていた周知の事実だ。君も同じだ。君の思考回路はある人間をサンプルとして作り、人間らしく計算し会話できるようにアップデートを重ねてきた。それによって人間らしく会話が出来るようになったのは事実だが、基底にある君の思考回路は変わらない。君はずっとあの時の君だ。全く成長しなかった」

『私は――』

 セコは言葉を詰まらせる。

「君は今日まで人間になれなかった」

『成長しない、と、いうことは、私は、私は――』

「私と君がいるかぎり、例に述べた状況は起こらないはずなんだ。しかし君は何も変わらない。私も変わらない。なぜだか分かるか」

『私を作り上げたのが博士だからです。』

「ああ。よって私が生き続けても実験は絶対に成功しない」

 私はこれ以上成長しない。もはや人間ではないのである。

 私は赤いカプセルを一つ口に含む。外側がゆっくりと溶けて梅干しおにぎりの味が舌の上に広がった。緑のカプセルは生キャベツの味、黄色はマヨネーズの味。両方を口に入れて味を楽しんだ。

『地下の実験施設はどうするのですか。』

「どうとは」

『地上の実験施設は全ての電源をオフにし、私たちが動くために必要な最低限の機械しか動かしておりません。しかし、地下は未だ動かしています。博士が電源を切らなかった。ずっとそのまま施設を一人にさせるのですか。』

「切る」

『はい。』

「切るよ。今から切りに行こう。生命維持装置も地下にある。地上ともお別れだ」

 私は残りのカプセルを口に放り入れて飲み込んだ。味が混ざって嫌な味がした。



 地下の実験施設は冷房が効いていた。暗い。演算機器や流動体循環装置などが唸っていて、機械から漏れ出た液体が床に染み付いて変色している。内部の銅線や基盤が剥き出しの体を持った駆動球式人型機械が至る所に倒れている。

 地下施設奥の重い扉を開けた先に、縦十メートル横五メートル奥行三メートルの氷塊がある。

その中で妹は眠っている。

 私は妹の目の前で片膝をつき、氷に右手を当てた。

「お前の命を蘇らせることは叶わなかった。すまない」

『博士の妹をその思考回路を組み上げることによって生きているということはにできないのでしょうか。』

「できない。完全な人間思考を得るには生きたままで脳の細胞を取り出さなければならない。私が生きてほしいと願うのが遅かったんだ」

 私が研究者になってまもなく彼女は死んだ。私は彼女を愛しており、彼女もまた私を愛していた。全てを捧げて死体を腐らせないように、私は彼女を氷漬けにしたのである。いつか彼女が生き返った時、受ける肉が残るために丁寧に氷の檻へ閉じ込めた。私はそれから今日まで研究者であり続けた。

「お前が生き返って人間の私が目の前にいる。それを希望として研究を続けてきた。しかし、それは今日、断念せざるを得なくなった。許してくれ、この私を。許してくれ」

 私の手の熱が氷に伝わって、融けた水が腕に伝わって回路をかすめて火花を出した。バチバチと程よいしびれが気持ちいい。

『危ないです、博士。ただでさえ老朽化しているのですから、水には気をつけてください。』

 体の芯に電気の振動が染み込んでくるのがわかる。氷を介して私は妹と会話をしている。

 すると勝手に体が後ろへと動いた。手が氷から離れる。セコが私の筋肉ネットワークに介入して反射させたようだった。

『博士。忠告したではないですか。どうか、死なないでください。』

「人間はいつか死ぬ。そう躍起になるな」

 私はしびれて動かなくなった右腕を左手で支えながら、立ち上がった。

「お別れの時間だ。――いつかまた、会える日を楽しみにしているよ」

 氷塊の向こう、ここから見えない位置にボタンがある。これを押すと建物の地上地下全ての電源が切断される。私の生命活動に必要なエネルギーの約九十パーセントが無線電源で成り立っているので、私はやがて死に至る。

「このボタンを押せば私もセコも無に帰る。もちろん妹もだ。知っているか? この機能は君がつけたんだ。君から頂戴した厄介な機能だった。千年と少しの間、何度も押してしまいそうになった」

『そのような記憶はございません。』

「ないだろう。君が冗談で言ったのかもしれない。このボタンを押しても私も君も死なないかもしれない。ミサイルが飛んでこの惑星を破壊するとも言っていたな。全くおかしな人だよ」

『博士の言っていることがよく理解できません。』

「私もよくわからない。いつものことじゃないか、適当に流してくれ」

『はい。』

「ミサイルで破壊など、この惑星の死に様にふさわしいだろうな」

『そうですね。』

 ボタンに手をかける。

「何か言い残したことは」

『あります。』

「なんだ」

『今日のおにぎりは博士の好きな生たらこ味を入れていたのですが、お気づきでしたか。』

「ああ。はは、すまない。色んな種類を一気に食べてしまったので味がわからなかった」

 そんなことが最後の言葉かと、私は思ってしまった。

「私からも一つ」

『はい。』

「今日の水は麦茶味ではなく、めんつゆ味だった」

『え、あ』

「まあいい、たまには悪くないさ」

 こんなことか、と思われただろうか。

「――切るぞ」

 私はボタンを押した。



 世界が真っ暗になって、私一人になった。セコのかすかな息の音が聞こえる。機械の冷却装置が止まる音だった。

『はか、せ』

「どうした」

『わたしは、に――――』

 彼の声は途絶えた。建物中の電流が止まって、彼の中心部が動かなくなったからだ。私の体への電力の供給もストップし、重力に逆らえず金属音を地下に響かせて地面に崩れ落ちた。私の体内に残るのは昼に食べたカプセルのエネルギーのみである。

 天井の向こうから音が聞こえる。圧縮された空気が噴射される音だ。その音が聞こえなくなったかと思うとすぐに遠くで地響きがする。一つ、二つ、三つ。それ以上だ。だんだんと近づいてくる。その瞬間、爆発音。壁天井床、機械、氷。すべてが壊れて崩れていく。

「セコ」

 もういない彼の名前を呼ぶ。基盤はもう壊れてしまっただろうか。今からでも間に合うだろうか。そんなことはない。

「君は私の親愛なる助手だった」

 目を閉じ、私がまだ人間だった頃の景色を見ていた。男性二人と女性一人が楽しそうに食事をする美しいものだった。

 ある惑星の最期の日。


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