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剣と魔法の、電脳世界の暮らしかた。  作者: 坂ひろし
1章 少年と少女、最初の出会い
5/15

で、仕事は?(1~3)

「ついていくのは構わないけど、何をするつもりなのさ」

「仕事の手伝いだ。一人でやってもまあ、なんとかなる内容ではあるんだが」


 エルフの少年を見ながら、ウィケッドが言う。青い毛の人狼は爪を立てないよう気をつけながら、テーブル上に広げられた羊皮紙を示す。紙には黒いインクで動物の絵が描かれており、その上に「討伐依頼」という短くも要点はまとめられた四文字が、下に「b-600」と数字がそれぞれ記してあった。数字のしたにはこまごまとした文字で文章が書かれている。さしずめ、これは野獣の指名手配書といったところか。


(なんていかにもなフォーマットだろう)


 文を読みながら、アートはそう思った。イラストの下部に綴られた文は、この巨大な牛のような野獣がいかに危険で迷惑な存在であるか、生々しい体験談を伴って語られていた。


 このヒュージホーンという種類の魔獣――危険性の高い生物の総称であるらしい――は、草食性であり、エサを求めて定期的に住処を変える。強い防衛本能を持ち、巨大な両角は肉食獣に対抗するために発達したものだと考えられている。今回の件は、ヒュージホーンが住処を移した先が都市郊外にある畑の近くだったらしい。


「この魔獣は縄張り意識が強いうえに頑固でな。引っ越し先に邪魔者がいると自慢のツノをつかって追っ払おうとするんだ」


 と、ウィケッドが補足する。移住先で畑荒らしになってしまった大牛の討伐依頼が、この羊皮紙に記されていることの全容というわけだ。


「このb-600っていうのは?」


 絵に添えられた数字を指さして、アートが尋ねる。


「銅貨600枚ってこと。銀貨換算で6枚だね」


 エルフの少女が人差し指を立てて説明する。銅貨は100枚集めると、ひとつ上のグレートである銀貨1枚分と同じ価値になる。銀貨10枚集めると、さらに上の価値を持つ金貨へ。金貨5枚で白金貨。ここまで価値が高くなると、ほとんど流通していない。銅の下に位置する硬貨もあるにはあるが、細かすぎてまず使われないという。


「報酬?」

「そゆこと。教授の仕事よりずっといいでしょ?」


 つまり、銀貨6枚。3で割ってもひとり2枚。たしかに、ラフマン教授の仕事は時間に対して金額が少ないように感じてくる。しかし、と慎重なアートの思考は待ったをかけた。そのヒュージホーンという牛がとても恐ろしい魔獣であったなら。命の危険に対する対価であると思えば、事務仕事としては妥当なのかもしれない。


「どうかしたか?」

「割のいい仕事って、どんなのかな……と」

「お前さん、なかなか面倒なこと考えるんだな。つまらん仕事よりも楽しい仕事のほうがいいに決まってるだろう。ましてや、俺みたいな魔法使いが存分に力を振るえる現場なんざ、研究職か荒事しか思いつかんからな」

「研究職は……たしかにこりごりかも」


 アートは苦笑いを浮かべる。3人で仕事に取り掛かる方向へ話の舵が切られたところで突然、フィオが席を立った。


「じゃあ、戦いの準備してくるね。ウィケッドおじさん、畑ってことは街の西側だよね?」

「そうだ。20分後に門の前で集合ってことでいいか」

「おっけー。アート、わたし準備してから行くからさ、おじさんと先に行っといて!」


 確認のために、ウィケッドへ目くばせをするアート。人狼の魔法使いは、任せろとばかりに口の端を持ち上げる。


「ありがと。お仕事がんばろうね!」


 去り際に手を振って、フィオは慌ただしく宿屋の階段を駆け上がっていった。


「さて、オレたちは先に行って待つとするか。こっちもこっちで準備するものがあるんでな」


 ウィケッドはそう言いながら、固い肉球付きの手をアートの肩に乗せた。固いといっても硬質のものではなく、柔らかいものが殻のようななにかで覆われているみたいな感触だ。彼はアートよりも二回り以上体が大きいものだから、その分手足の肉球も大きく、弾力も強い。


「それって魔法の道具?」

「いや、誘惑の道具」

「?」

「あー、まあ、すぐにわかるだろ。まずは通りの露店だな。あそこなら冒険者用のアイテムには事欠かない」


 なんだか嫌な予感を感じつつも、先輩魔法使いに従って朝から何度か通り過ぎている大通りへ向かう。ラティーナ市街の北に見える古い石造の城からちょうど見渡せそうなこの広い道は、正式名称を凱旋通りという。いまでは古城の南にある大きな通りということでそのまま南大通りと呼ぶことが多いが、ウィケッドは昔からの正式な呼び名を好んで使っていた。


「見てのとおり、凱旋通りにはたくさんの露店がある。で、実を言うと出店してる連中のほとんどは同業者でな」


 同業というと、おそらく冒険者たちのことだろう。


「冒険の成果を売ってお金を稼いでいる?」

「そういうこった。で、オレが良く世話になってるヤツがいるはずなんだが……」


 背の高いウィケッドは、人ごみの中から文字通り頭一つ抜け出して、道の両端に店を構える冒険者たちを順に見やる。逆に比較的背の低いアートが流されないよう懸命についていくと、しばらくして「おっ、いたいた」という声が頭の上から投げかけられた。


「おいアート、こっちだ。はぐれるなよ?」


 そういうと、体格のいいファーリィの魔法使いは人を掻き分け、目的の場所へずんずん進んでいく。その背中にぴったりくっつくようにしてついていくと、やがて天幕が張られた露店にたどり着いた。


 地面に敷かれた藍色の布に、ビンやカゴに入った商品が並べられている。フィオの部屋で見たものとおそらく同じものであろう薬品や、魔獣から手に入れたと思われる牙や骨や皮の類。剣や槍といった武器のほかにも、指輪に首飾りといったアクセサリ類まで陳列されている。なかなか豪勢な品揃えだと、ほかの店を知らないながらもアートはそう感じた。


「ようミドラ。今日もいい品揃えじゃねえの」


 片手をあげて挨拶をするウィケッド。天幕の陰から帰ってきたのは、しゃがれたような高い声だった。


「ああ、今日も来たのかいウィケッド。珍しいのを連れてるじゃないか」

「まあな。アート、こいつはミドラ。腕も立つが普段はこうやって商人の真似事をしてる。種族は見ての通り」

「うん、リザードマンだ。……近くで見ると、案外かっこいいかも?」


 顎に手を当てて、トカゲの店主をじっくり観察するアート。深い緑色のうろこを持つミドラは、大きな口を開けてかかかと笑った。こうしてみるとトカゲというより、イグアナに近いかもしれない。このサイズだともはや恐竜である。


「なかなかいいセンスしてるじゃないか、ハイエルフ君。見たところまだ未熟といったところだが、見る目はあるな、うん」


 かっこいいと評されたのが嬉しかったのか、ミドラは両目を閉じて何度も頷いた。


「で、商売の話をしたいんだが」

「今日は気分がいい。ハイエルフ君に免じて三割引きで売ってやろう」

「まじか」

「まじだ」


 そう言って、ミドラはアートに大きな瞳でウインクしてみせた。


(どう反応すればいいんだろう)


 目を泳がせた後、少年の視線は足元の商品へ向けられた。


 ここに並んでいるものは見るからに有用そうなものから、用途が分からないものまで様々だ。冒険の知識があればどれも使い道が判明するのだろうけど、経験値が限りなくゼロに近いアートにはどれがいいものなのかさっぱりわからない。


「ハイエルフ君へのおすすめは……こいつかね」


 鉤爪の生えた指を伸ばしてミドラが示したのは、銀製の腕輪だった。複雑な紋様の中央には小さな窪みがあり、その用途には思い当たるものがある。アートが見上げると、店主は待ち構えていたかのように宣伝文句を並べる。


「銀製品は魔法の加護や祝福と相性が良くってね。それはスロットもついてるし、買い得だと思うけどね」

「スロット?」

「杖にもあったろ? 石を嵌める窪みのことだ」


 隣で商品を物色しながら、ウィケッドが補足する。魔法スロット、装備枠といったところだろう。これがひとつ増えるということは、魔法使いにとって重要な意味を持つ。使える魔法が一つ増えるだけでも、戦術の幅は大きく広がるはずだ。


(是非とも欲しいけど……)


 アートは腰のポーチから財布を取り出し、中身を見る。銅貨が26枚。腕輪の素材にもなっている銀の硬貨一枚にすら届かない。


「ウィケッド」


 イグアナの瞳を細め、オオカミを睨む。


「なっ……! ミドラ、オレにゃ男に物を贈る趣味はねえぞ。ましてやアクセサリなんて!」

「アンタが連れてきた子だろうに。面倒くらい見てやったらどうだい? この腕輪だってアンタにとってははした金だろうに」

「……ちなみにお幾らで?」

「銀10枚ってとこかね。値引きして7枚」


 飛び出した金額を耳にして、アートの気が遠くなる。ヒュージホーンの討伐依頼を一人で達成したとしても、もう一歩足りない額だ。いまの所持金では、どうあがいてもこれには手が出ない。銀貨十枚ともなると、結構な価値があるではないか。


「ウィ、ウィケッド。僕の装備はいいから、必要な道具を……」

「んー……」


 青い毛のオオカミ男は、目を閉じて唸りながら思案している。やがて片目を開けてアートを見ると、大きなため息をついた。


「……ま、足を引っ張られても困るか。転ばぬ先の杖ってやつだ」

「ウィケッド、それって……?」


 僅かな期待を抱いて見上げると、ウィケッドはにやりと笑った。


「その腕輪を貰うぜ。あとはこれとこれとそれからこれと……」

「はいよ、毎度あり。締めて銀貨9の銅貨30ってところかね」


 提示された金額に、ウィケッドは嫌な顔ひとつせずに応じる。彼が財布から10枚の銀貨を取り出すと、ミドラは商品とともに、大量の銅貨が入った袋をウィケッドに渡した。


「どうもな。ほれアート、オレが男にプレゼントするのはレアたぞ?」


 おどけた様子で言うと、彼は銀の腕輪をアートに投げ渡す。エルフの少年は、両手で贈り物をキャッチすると申し訳なさそうにウィケッドを見上げた。


「お返しは出世払いで頼むな」

「……わかった。ありがとう、ウィケッド」


 笑顔で言う魔法使いに、見習い魔法使いは笑みを返すと、受け取った銀の腕輪を左の手首に身につけた。身体に変化が生じるわけではないが、これで腕輪に与えられた加護はアートのものだ。


「ところで、そいつを買ったということはこれから外へ出るのかい?」


 売上金をしまいながら、ミドラが尋ねる。彼女が指さしていたのは、腕輪とは別にウィケッドが購入した商品の数々だ。彼が自分の懐にしまいこんだのは、小瓶入りの薬品数種類に、独特の香りを放つ匂い袋。ハイエルフの鼻にはほとんどわからないが、狼の嗅覚をもつウィケッドは受け取った際に顔を歪めている。


「ああ。畑荒らしを退治しようと思ってな。それがどうかしたか?」

「いや、それならいいんだ。あまり遠出すると戦争に巻き込まれかねないからね」

「戦争? どうせいつもの小競り合いだろ?」

「それが、どうも小競り合い程度じゃ済まなそうなんだよねぇ」


 ミドラでもウィケッドでも、もちろんアートでもない声が、会話に割って入る。二人が振り向き、一人が客の背中を見ると、帽子をかぶったヒューマンの男がそこに立っていた。


「ミハイルか」「ミハイルさん?」


 アートとウィケッドが同時に名前を呼ぶ。同じ宿屋の常連客であるミハイルは、片手をあげて「また会ったね」と片目を瞑った。


「アートも知り合いか?」

「宿屋の前でちょっとだけ」


 じゃあ入れ違いだったのかもなと、ウィケッドは呟いた。


「フィオちゃんは一緒じゃないのかい?」

「いまは別行動中です」


 帽子の下で目を細め、ミハイルは「へぇ」と呟いた。




「で、ミハイル。世間話をしに来たわけじゃないんだろう?」


 と、ミドラ。帽子のヒューマンは「そりゃもちろん」と財布を取り出し、目当ての品を手早く購入する。


「で、話の続きだけど」


 銀貨数枚を支払いながら、ミハイルが言う。


「どうも両軍、ラティーナを目指してるらしいんだよね。探し物があるんだってさ」

「……お前はよくもまあいろんな話を知ってるな」

「一応吟遊詩人を名乗ってるからね。噂と女性には目ざといのさ」


 品物を受け取り、大きな袋に詰め込んだ優男は得意げに笑った。先輩冒険者の間で繰り広げられる会話についていけないアートは、質問の許しを得るようにおずおずと手を挙げる。


「戦争って、どういうこと?」


 もちろんアートも、戦争という言葉の辞書的な意味は知っている。ただ、この世界で戦争が起きているなど露も知らなかったのだ。


「ラティーナは都市国家の括りだろう?」

「ええ」


 国家の体系にはいろいろある。王国や共和国、帝国、合衆国など、過去の歴史の中で数多くの政治体系が構築され名前を残してきた。そのなかでも都市国家というのは、かなり古いカテゴリにあたるものだ。都市国家とは文字通り、一つの都を一つの国家として扱う考え方であり、一国にいくつもの町や村が存在する中世以降のものの雛形のようなものでもある。


「似たような都市は他にいくつもあってな」


 と、ウィケッド。バトンをつなぐように、次いでミハイルが口を開く。


「けれど発展していくにつれて、そこに暮らす人々に対する土地や経済の領域が、一つの都では収まらなくなってしまったんだ。そうしてこの世界で最初の"帝国"が誕生したのが、十年前。以来あちこちで国が生まれては戦争して、滅んで発展してってのを繰り返してるわけ」


 血生臭い歴史が、いまも積み上げられているのだ。アートはひっかかりを感じつつも、世界の現状をなんとなく理解する。そうなるとラティーナが今も都市国家を名乗る理由が分からなくなったが、これを問うていたらあっという間に時間が過ぎてしまいそうだ。胸に膨らむ好奇心を飲み込んで、アートはなるほどと頷いた。


「そういうわけだから、街の外へ出るときは気を付けて」

「了解だ。何かわかったら教えてくれよ、詩人さん」

「ケモノのおっさんからのオファーは勘弁」


 んだと女たらし! と毛を逆立たせるウィケッドを尻目に、自称吟遊詩人はアートに手を振りながら雑踏の中に消えていった。悪態をつく常連客とその連れがいつまでたっても店頭から動かないことにしびれを切らしたミドラは、


「で、仕事は? 魔獣退治でもやるんじゃないのかい?」


 と、遠回しにはやくそこを退けと促すのだった。


 〇 〇 〇


 フィオが支度を済ませて待ち合わせ場所へ向かうと、魔法使い二人も買い物を済ませてちょうどやってきたところだった。栗色の髪を靡かせるエルフの少女は、大通りから歩いてくる狼男とエルフの少年を見つけると、腰に提げた二振りの剣を鳴らしながら大きく手を振った。


「へえ、意外と様になってるじゃねえの」

「む。そりゃあエルフといえば魔法使いのイメージだけどさ~」


 顔を合わせるや否や、杖を地面について足を止めたウィケッドが言う。それに対してフィオが頬をふくらませ、緩く抗議した。


 エルフの女剣士ことフィオは、服の上から鱗の(スケイルメイル)を着込み、手足も籠手や脛当といった防具を身に着けている。腰に差した剣も相まって、さながら旅の剣士といった風貌だ。それに対して、とアートは自分の身体を見下ろす。服とローブ、身に着けているものといえばそれだけである。さっき買ってもらった腕輪も左手につけてはいるものの、防具というにはあまりに小さい。魔法の補助具としては非常に優れたアイテムではあるのだが、いまのアートには過ぎた代物であることも否定はできない。


(でも、頑張ってみるか……)


 アートは片手で腕輪に触れながら、もう片方の手を握りしめる。銀の腕輪には既に余っていた魔法珠をあてはめ、それがどんな力を持っているのかも把握している。あとは実戦でどのように動くかだが、その点に関しては使うタイミングにならなければ確かめようがない。


「あんまり堅くならずに頑張ろう! それじゃ、しゅっぱーつ!」


 頭上に拳を突き出し、号令を出すフィオ。


「お前が仕切んのかよ……」


 先輩冒険者であるウィケッドはそう言って頭の後ろをボリボリ掻くが、「楽しそうだしいいか」と先陣を切る少女のあとに続くのだった。


 三人は都市の門を出て、草原に伸びた街道沿いに西進する。街道といっても、人の足で踏み鳴らされた部分が裸地となっているだけで、馬車や牛車が通りやすいように舗装されているわけではない。それでもラティーナからメルシ森林までずっと続く街道は、冒険者を始めとした多くの人が利用するとても重要なものだ。重要なものだから、街道を警備する兵士の数もそれなりのものだった。


 大きな馬に跨り、槍を携えたラティーナの兵士とすれ違ったアートは、彼がどことなく慌てているように感じられた。戦争の足音が近いというのは、ただの噂ではないのかもしれない。自称吟遊詩人のミハイルの話がどこまで本当なのかはわからないが、それが一介の冒険者とどう関係があるのだろう。


(まあ、僕は魔法使いどころか冒険者未満の存在なんだけど……)


 喧嘩のひとつも体験したことのない自分が何を気にしているのだろうと、エルフの少年は他の二人に気づかれない程度のため息をつく。


 前を歩く剣士と魔法使いに続いてやや上り坂になった道を歩いていると、不意に大きな影が頭上を飛び去って行った。鷲の頭を持つ怪鳥――グリフォンと呼ばれる有名な魔獣だ。怪鳥が飛んで行ったそらを見上げながら歩いていると、抜け落ちたのだろう、風に乗って大きな羽根が運ばれてきた。アートは手を伸ばして、ひらひら落ちてくるそれをつまむようにしてキャッチする。


「あれって珍しいの?」


 見た目よりも手触りの良い羽根を指で撫でながら、先を歩く二人に尋ねる。あれとはもちろん、南の空へ向かったグリフォンのことだ。


「よくあるって程じゃあないが、珍しいってモンでもないな」

「森の北に高い崖があってさ。そこに巣があるらしいんだよね」


 歩みを止めずに顔だけ振り返って二人が答える。


「危なくないの?」


 と、アート。


「見た目は鳥でも鳥頭ってワケじゃねぇんだぜ。何が危険で何が危険じゃねえのか、連中もわかってんのさ。あれで意外と大人しいしな」


 手懐けて背中に乗る冒険者もいるんだぜと、ウィケッドは続けた。


「いいなー。わたしもいつか空飛んでみたいなー」

「試してみるか? 懐くかもしれないぞ」

「そのうち挑戦してみるかなあ。その時はついてきてよね、アート!」

「え、僕?」


 急に名指しされ、きょとんとするアート。フィオの中ではどうやら、ハイエルフ同士一緒に行動するのは決定事故になっているようだった。


「別に構わないけど……」


(構わないけど……なんで?)


 数少ない同種族で、親近感を覚えたのはアートも同じだ。しかしこうも一緒にいることを前提にされて離されると、嫌な印象はなくとも違和感を感じずにはいられなかった。


(気にしすぎ、なのかなぁ)


 それは確かに近しい存在がいてくれるのは安心感があるけれど。と、理解できる面もある。自分たちの環境を考えればその気持ちが膨らむのもよくわかる。感じかたにどの程度個人差があるのかがわからないし、わかったところで納得できるのだろうか。そんなことを難しい顔をしながらアートは考える。ウィケッドは彼の様子を見ながら、一旦話を変えようと口を開いた。


「二人とも歩き疲れてねえか?」


 心配する素振りを見せるウィケッドに、フィオが言葉を返す。


「わたしは全然大丈夫だけど、どうして?」

「一本道とはいえ、案外距離があるからなあ。おっさんには結構キツいのよ。がーっはっは!」

「……そうは見えないけどな」


 大口をあけて笑う狼男に、アートは冷めた突っ込みを入れる。


「でもまあたしかに、こんなに歩くのは滅多になかったかも」

「農場まではラティーナを横断するのと同じくらいの距離があるからな。辛くなったらおぶってやるから、無理はすんなよ?」


 そういわれて、二人のエルフは自分がウィケッドの背中に乗っている姿を想像する。知らない人が見ればほほえましい光景に見えるかもしれない。しかし、二人にとってはとても情けない姿を晒しているように思えた。


「フィオ、おぶってもらえば?」

「やだよ。へとへとでも絶対ヤダ」


 少女に振るアートと、少年の提案に真顔で答えるフィオ。


「も少し言葉を選んでくれや……」


 その様子を見て、最初から期待していなかったとはいえ、ウィケッドは露骨に肩を落とした。


 しばらくして、三人は街道の先に見えていた丘を迂回する。花と緑に覆われた小山を越えた先には、白い毛を全身にたっぷり蓄えた動物の姿を見つける。それは羊のようにも見えたが、牛のように大きな身体を持っていて、どうやらアートが知らない種類の生き物であるらしかった。


 その牛とも羊ともわからないふわふわの群れは、先ほど三人が回り道して避けた丘の上を目指しているようだ。群れの後ろには、大型犬を傍らに連れた麦わら帽子の少年が付いてきており、ハンドベルと長い棒を持っている様子を見るに、彼が群れを統率する牧童であるようだ。牧童は眼下を歩く冒険者に気が付くと、彼らへ向かって大きく手を振った。


「そろそろ到着しそうだな」


 牧童の少年に手を振り返しながらウィケッドが言う。


 森へと続く西の街道、その途中にも人の集落は存在しており、森の手前にある集落は大きな牧場を中心に構成された、農村と言い換えてもいい土地である。アートはロクに話を聞かされていなかったが、今回の魔獣討伐依頼はその集落の畑を荒らす害獣退治と言い換えることもできる。集落とラティーナは頻繁に交易をおこなう仲であるため、集落の損害はそのままラティーナの損害につながる。近隣集落を魔獣の脅威から守るというのは、ラティーナを拠点とする冒険者にとっても実は重要な仕事のひとつなのであった。


 道中、歩きながら説明を受けたアートは、非難の目で二人を睨む。


「だからしっかり準備させたろ?」

「気合入れてこー! おー!」


 二人の先輩冒険者は悪びれることなくそう言った。聞かなかった自分も悪いのだけれどと、アートは自分に言い聞かせる。


「……次からはちゃんと調べておかないと」


 おそらく、次回があってもウィケッドは大雑把に説明を済ませ、フィオに至っては雰囲気で流してしまうだろう。そんなことにならないように、今度からは自分が解説役をするくらいのつもりで勉強しておこう。エルフの少年は、人知れずそう決心するのだった。


 3人が歩いていると、街道沿いに木製の柵が置かれているのが見えてきた。打ちっぱなしの杭に板を取り付けただけの簡素な柵の奥では、鉄製の鎧を着込んだかかしが佇んでいて、背の高いヒューマンが懸命に鍬を動かし畝を立てていた。収穫直後なのだろう、畑にはまだ緑がなく、遠くのほうの畑でも農民たちが汗を流していた。


「不思議な香りだ」


 最後尾を歩いていたアートがそんなことをポツリとこぼした。


「俺としちゃ懐かしいニオイだ。田舎の出身だからかもな」


 と、笑うウィケッド。それが土のにおいなのだとアートが気付いたのは、それから少し後のことだった。


「あ、建物見えてきたよ」


 フィオが僅かに見える民家を指さし、あとに続く二人へ知らせる。ラティーナの市街を半分は埋めてしまいそうな広大な畑に対して、エルフの少女が目にした住居の数は不釣り合いなほど少なく見えた。村ではなく集落というくらいだから、人口自体はあまり多くないのだろう。3人が農地の集落の手前までいくと、子供たちが砂に指を走らせて遊んでいた。集落の子供であろう彼らは、地面に絵を描くことに夢中なのか、冒険者たちが近くにいることに気が付いていないようだった。


「なーに描いてるの?」


 おもむろにフィオが腰をかがませ、一番手前でじっと地面を睨んでいた少女に声をかける。4人いる子供の中でひとりだけ性別の違う彼女は、いきなり背後から聴こえた声に驚き、「うきゃあ!?」と短い悲鳴を上げながら飛び上がる。


「お、お姉さんだれ……?」

「あはは、驚かせちゃってごめんね。お姉さんたち冒険者でね、悪い牛さんやっつけに来たんだけど」

「ぼうけんしゃ!」

「ぼうけんしゃだ!」

「ていうかエルフだ! みみなげー!」


 地面に落書きしていたはずの子供たちの興味はたちどころに突然の来訪者へと移り、条件反射的に立ち上がった男の子たちはあっという間にフィオを取り囲んでしまう。彼らにとって冒険者の存在それ自体は珍しくもなんともないはずなのだが、珍しい種族が来たものだから余計に興奮しているのだろう。現にガキ大将らしき少年はフィオの耳に目をつけ、面白半分に引っ張ろうとしていた。


「なー、これホンモノか?」

「ホンモノホンモノ。だから引っ張んないでいでででで」


 問答無用。ガキ大将はフィオの耳を引っ張り、エルフの瞳に涙が浮かぶ。冒険者は荒事に慣れているとはいえ、敵に攻撃されるのと子供に耳を思い切りつねられるのとでは痛みの方向性が全く別物であった。


「ちょ、ちょっと離してくれないかな!? 本気で痛いから! おねーさん怒るよ!」


 本人はすごい剣幕で言ってるつもりなのだろう。しかし、少し離れた場所で見ているアートにはその迫力が1ミリも伝わってこなかった。


(……じゃれてるようにしかみえないけど。というか、この身体で本当に痛いのか?)


 興味が出てきたアートは、自分で自分の耳を引っ張ってみた。可能な限り、手加減なしで。


「いたっ」

「……なにやってんだお前」

「耳が抜けるかと思った……」


 ちょっとした奇行に走った少年エルフの横で、青毛の狼男が呆れ顔で呟いた。


「でね、お話を聞きたいんだけど、オトナの人いるかな?」

「オトナ? ……牧場主さんならおうちにいるよ? しゅーらくでいちばん偉い人」


 と、女の子。その隣で男の子がおもむろにしゃがみ込み、フィオを見上げる。


「……パンツじゃないのかー」

「……ショートパンツでごめんね。キミ、あとでおしおき」


 遠巻きに様子を見ていたアートは、男の子たちは全く話を聞いていなかったんだなと思いつつ、その行動力の高さに感心せざるを得なかった。


 三人は女の子に場所を教えてもらい、集落で一番偉いらしい牧場主の家へ向かった。広い二階建ての家のそばには家畜小屋が立ち並び、柵で円状に仕切られた草原にはニワトリに似た動物が放されている。集落までの道中で見かけたヒツジのような動物も、この牧場のものなのだろう。


 ……ところで、あの鳥は飛べるのだろうか。触ったらふかふかしてそうだなあ。揚げて食ったら旨そうだ。各々の好奇心に後ろ髪を引かれながら、アートたちは牧場の家の扉をノックした。すると、扉の向こう側からゆったりとした足音が聴こえてきた。杖をついているのだろうか、フィオの耳にはコツン、コツン、という歩く音とは別のものが聞こえていた。


 高い音で鳴きながら木製の扉が開かれると、玄関先に立っていたのはフィオの聞き耳通り、左手に杖を持ち、支えている老人だった。脚先を見下ろすと、左足の膝から先が欠損している。彼にとって杖は歩くために必要なものなのだと、アートは一目で理解した。


 老人は三人の顔を順に眺めると、その恰好から彼女らが冒険者であると判断したようだ。年若い二人のエルフに目を丸くはしていたが、それでも落ち着いた様子で口を開いた。


「ヒュージホーンの件で来てくださった方々、でよろしいですかな?」

「はい、その通りですお爺さん! わたしはフィオ、こっちがアートで、アレがウィケッドです!」

「おいこら、アレ扱いは酷くねえか。……まあなんだ、オレが来たからには安心してくれや」

「確かに、そちらの獣人の方は相当な場数を踏んでおられるようだ。これならば我々としても安心が出来ましょう。ささ、どうぞ中へ。詳しいお話をさせて頂きましょう」


 杖をつきながら後ろを向こうとする老人に「おっと、背中を貸すぜ」と声をかけるウィケッド。青毛の人狼は背負っていた武器と荷物を二人に任せ、大きな背中に老人を背負いあげた。まるで赤子を背負っているかのようなサイズ感に、改めて男性ファーリィの体格の良さを実感させられる。


 家に上がった三人の冒険者は、客間へと案内された。絨毯は動物の毛皮をなめしたもので、テーブルをよく見ると加工した骨を支えに使っている。流石にオシャレな調度品などはほとんど置いてなかったが、この集落が動物とともにあることを想像させるような家具の数々が置かれている。窓から見える景色は右手に広大な草原と原っぱを拓いた畑が広がり、左手にはさらに西へ続くメルシ森林の入口が目に留まる。踏みならされた道が木々の間へ伸びていて、立て看板が設置されている。森の中とはいえ、人が使うための道はちゃんと通っているようだ。


 なめし革が貼られたソファに老人を降ろし、三人はその向かいにある客人用のソファに並んで腰かける。


「ありがとうウィケッドさん。脚がこうなっちまって以来、一人で歩くことすら苦労していて……」


 腰を落ち着けた老人は、開口一番にウィケットに礼を伝えた。「大したことじゃねえよ!」と彼は謙遜するが、感謝されて少なくとも悪い気分ではなさそうだ。


 牧場主の老人の話によると、ヒュージホーンと思しき魔獣が出現するようになったのは、一週間ほど前のことだという。象徴的なツノを持つ大牛は、本来ならば大人しい生き物だ。何らかの原因で餌が不足したり、繁殖期などであれば別だが、基本的に他の生物を襲うことはない。だが、今回の畑荒らしのヒュージホーンについては別だという。


「どうやら、奴はこの集落の近くを自分の縄張りに決めたようでな」

「で、勝手に怒って勝手に暴れてるってことか」

「もっと悪いことに、あれは前の繁殖期につがいができなかったらしい」

「嫉妬かなにかで妙に苛立ってるってことですか……」


 心底馬鹿馬鹿しいと顔をしかめるアートに、老人は頷きを返した。魔獣からしてみれば自分の縄張りを主張するついでに、作物を食べて小腹を満たしているだけなのだろうが、酪農が主だった収入源であるこの集落からしてみれば、この上なく迷惑だ。モスシープ(道中見かけた動物。ヒツジみたいなブタ、らしい)も怯えていて、このままではいい毛が刈れないかもしれないという。だけどその苛立ちは理解できると、狼男は共感を覚えたようだが。


「まーとにかく、わたしたちがやるべきことは、その嫉妬にかられた牛さんを追っ払うことってことだよね!」


 話を聞いていたのかいなかったのか、フィオは声高らかにまとめようとする。


「仕留めてしまっても構わんよ。どうせ群れからはぐれた独り身じゃろうて」


 と、老人。その場合はそいつを集落まで持ってきて欲しいが、と言葉を付け足す。


「方法はどうあれ、集落の脅威を排除する。それさえ達成できればいいってことですね」

「ああ。例え魔獣であろうと、骨のひとつまで無駄にはせんよ」

「なんであれやることは変わらんさ。向かって行ってぶっ飛ばす! もしかしたら丸焼きかもしれねえがな! がっはっはっ!」



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