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剣と魔法の、電脳世界の暮らしかた。  作者: 坂ひろし
1章 少年と少女、最初の出会い
4/15

どれをつかってみたい?(1~3)


 アートがフィオに連れられて大学を後にすると、門の近くのは学生たちの人だかりができていた。何事だろうと思いつつ、近くを通り過ぎようとすると、制服を着た2足歩行のオオカミ――ファーリィの青年が二人を指さし、叫んだ。


「いたぞ、ハイエルフだ。しかも2人とも!」

「うそ! どこどこ?」

「うわあ、ホントにいた! かわいい!」

「で、どっちが女の子?」


 発見された標的は瞬く間に囲まれ、ハイエルフの2人組の周りにはあっという間に人の壁が完成する。全方位360度あらゆる角度から向けられる黄色い視線は、密度と熱量で少年少女を竦ませるには十分すぎるほどの威力を持っていた。


「な、なにこれ。ラフマン教授の嫌がらせ?」


 フィオが引き気味に言うと、壁の中で誰かがしゃべる。


「違うよー。みんなハイエルフが珍しいんだよー」


 その声の主が一体誰だったのか。ヒューマンなのかセリアンなのか、ケモノっぽいのか耳が長いのかまったく判別しようがなかったが、自分たちが包囲されている理由はなんとなく理解できた。


 物珍しさ。興味本位。あるいは研究目的。またあるいは目の保養。とにかくその絶対数がほかのあらゆる種族に比べて少ないハイエルフが大学内で目撃されたとなれば、十人十色の目的を持った学生たちが集まるのは無理もないことであった。


 実際のところ集まっているのはせいぜい十数人といったところだろうが、種族柄体格が良かったり背が高かったり、そういった人が数人いるおかげで結構な圧迫感がある。アートが顔を青くするは、無理もないことだ。特に東の地方ではオニの一族ともいわれるオーガ族の存在感といったら、かなりのものだ。


「わ、わたしたち、もう帰るところなんですけど……」


 固まってるアートの背に隠れながら、消え入りそうな声でフィオが言う。さっきまでの勢いはどこへ行ったのやらと肩をすくめると、ハイエルフの少年はなんとなく落ち着いた気分になった。


「えー? そんなこと言わないでさ、せっかくなんだしお茶しない?」

「おっ、ナンパか?」

「抜け駆けすんなよ!」

「エルフとお付き合いするのは俺だ!」

「で、どっちが女の子?」


 なんとまあ、前時代的な。アートが呆れていると、人の壁の中を器用に通ってきたヒューマンの女性がアートの目の前で腰を落とし、上目遣いで顔を覗き込んできた。訝し気に目を細めて出方を伺っていると、その女性は頬を緩めて、甘ったるい声で囁いた。


「……キミの研究、してもいいかな?」


 ぞわっとした。少年の体内に存在するあらゆる伝達系から危険信号が発せられた。この人の目は本気だ。研究というのが何かの比喩なのか、それとも言葉通りの実験研究なのかわからなかったが、いずれにせよ危険なことに変わりはない。そういえば、この世界の研究倫理ってどうなっているのだろうとか疑問が浮かんだが、いまはそんなのどうでもいいことだ。


 逃げねば。二人の脳裏に、同じ言葉が雷鳴のごとく閃いた。


「……あ、あー! 次の仕事の時間がー!」


 わざとらしい大声でアートが言う。意図を察したのか、無意識の合意があったのか、フィオはすかさず言葉を続けた。


「急がなきゃ遅刻しちゃうー! 大変だー!」

「通してください! 通してください!」

「遅刻しそう~」

「生活がかかってるんです! お願いします! お願いしますッ!」


 必死の形相に気迫負けしたのか、アートの目の前にしゃがんでいたヒューマンの女性がまず最初に横へずれた。すると、後に続くように人の壁が左右に割れていき、二人の前に道ができる。そもそも囲まれさえしなければずっと開いていた道なのだが、エルフたちはようやく光明を見出したとばかりにそこを駆け抜けた。


「ななな、なんなのかなあれ!?」


 走りながらフィオが尋ねる。


「ミーハーが過ぎるよ!」


 息を切らしながらアートが答えた。しばらく走った末に路地裏に駆け込んた二人は、じめっとした建物の陰に身を隠すと、膝に壁に手をついて呼吸を整える。


「わ、わたしひとりの時はあんなにならなかったんだけどなぁ……」


 困惑気味にフィオが呟く。相当焦っていたのか、栗色の前髪が汗で額にくっついていた。


「エルフが二人でレアリティ二倍って感じなのかな。にしても騒ぎすぎだけど……」


 深呼吸して胸を落ち着かせ、アートはすこし湿った建物の壁に身体を寄り添わせる。肌で直接触れるとひんやりしていて気持ちいい。火照った身体を冷やすのには都合がよかった。


「耳を隠せば目立たないのかな」

「それは無理。フード被っても耳のとこだけ尖がっちゃうもん。それに、エルフってどうしても顔立ちで目をひいちゃうから」

「美男美女は人の夢とはいえ、これはこれで困ったものかも」


 自分の顔をぺたぺた触るアート。それを見て、フィオが嘆息する。


「本当の顔もこれくらいだったら……って、みんな考えることだよね」

「デザインされた顔なのは同じだろ。嫌なら好きに変えるだろうし」


 思いもよらない言葉を耳にした少女は、深い溜息をつく。


「嫌な人は、そこまでするのかなあ。あ、わたしは自分の顔が嫌いじゃないですから! ……まあ、特別かわいいとも思わないけど」

「それはよかった。それで、これからどうするの?」


 フィオは少し考えてから答えた。


「宿屋に戻ろっか。まだ時間は大丈夫でしょ?」

「しばらくは。宿でなにをするの?」


 歩き始めたフィオの背中に声をかけると、彼女は少年を振り返って笑みを浮かべた。


「それはついてからのお楽しみ。ほら、行こう行こう!」


 先を進む少女の背中を追いかけて、アートも歩き始める。大学を出てから適当な道を選んで走っていたおかげで入り組んだ裏路地をさまようことになったが、迷子になりながらも進んでいくとやがて広い通りに出た。


 そこは人通りが少なく、大学の通りと比べて閑静な道だった。辺りには煙突付きの建物が所狭しと立ち並び、高い場所には木製のでっぱりが取り付けられている。頭上数メートルの高さで通りに頭を出している直角三角形の木枠にはシャツやタオルがかけられていて、天候が晴れの日にはああしてものを干しているのだろう。


 どうやらここは住宅街の一角のようだ。最大の都市国家であるラティーナは区画整備がされているため、どんな場所かさえわかれば現在位置の把握は容易だ。まだ街を歩きなれないアートは自分がいまどの辺りにいるのかわからなかったが、フィオは違った。


「よし、こっち!」


 自信満々に進む方向を指さして、彼女はしっかりとした足取りで進む。住宅街を抜け、都市内で最も広い道に出ると、アートにもようやく見覚えのある光景が飛び込んできた。


 時間はちょうど昼を回り、ラティーナの南大通りに構えるたくさんの露店は、朝よりも数を増やし、朝よりも賑わっていた。目に入る限りの場所から商談や世間話の声が聞こえてきて、ここがいかに栄えているかがよくわかる。


「おっ、見ろよあれ」

「まあ、エルフの二人組なんて珍しいわね」


 やはり人が多い分、目立つ容姿の二人は目を集めるようで、衆目がある以上騒ぎにはならないだろうが、アートとフィオは逃げ込むように宿屋への小道へ飛び込んだ。


 この方向は風のぼうし亭だ。自分が知っている場所であることに安堵しながら、アートは少し前をあるく少女のあとについていった。


 ぼうし亭のオープンカフェには、数人の客がいた。昼食目当てだろうか、白く塗られた木製の椅子に座るヒューマンの青年は、つばの長い帽子と風よけのマントを背もたれにかけていて、いかにも旅人といった感じの装いをしている。全体的に地味な色合いの服であったが、それがより「らしさ」を醸し出していた。


「やあ、こんにちは」


 青年が片手をあげて挨拶をする。


「こんにちは、ミハイルさん。来てたんだ」

「ラティーナにいる間の日課みたいなものだからね。そっちの金髪の子は?」

「新しい友達。それじゃあね、何かあったら頼るかも」


 フィオが先に宿屋の中へ入り、女主人になにか話をはじめる。その様子をぼうっと眺めていると、ミハイルと呼ばれた青年はおもむろに喋りだした。


「彼女、なかなか張り切ってるじゃないか」


 そのセリフが自分に投げかけられたものだと気づき、アートは適当な言葉を選ぶ。


「流されっぱなしって感じです」

「ははは……彼女はとても元気がいいからね。君の名前を聞いても?」

「アートです。そっちはミハイルさん?」

「ああ。今後も顔を合わせる機会があるだろう。その時はよろしく頼むよ」

「機会? 仕事のことですか?」

「諸々、さ」


 エルフの少年が首をかしげていると、店の中から彼を呼ぶ声がした。


「じゃあ、また」

「ああ」


 別れの挨拶を済ませ、アートは宿の中へ入っていく。ちょうどフィオと主人が話を終えたようだった。女主人の顔を見上げると、ガタイのいい彼女はにやけ顔でアートをじっと見たあと、フィオが階段を上がっていくタイミングで勢いよくウインクをした。


「???」


 意味が分からず立ち尽くしていると、頭の上から「アート、はやくおいでよ~!」と急かす声が聞こえ、少年は返事をしながら二階へ向かうことにした。


「さあ、はいってはいって!」


 栗色の髪を持つエルフの少女は、はにかみながら宿の一室の扉を開けた。部屋の構造はアートが目覚めた部屋と同じものであったが、彼女が借りている部屋にはいくつか私物が持ち込まれているようだった。


 テーブルの上には、桃色の一輪挿しが入った細長い陶器の花瓶が。少しでも見た目をお洒落にしようとしたのだろうか。しかし、ベッドの脇には木箱が無造作に積み上げられており、中には蓋が空いて納められた道具やアクセサリの類が山のようになっているものもいくつかあった。そんな冒険の戦利品と思しきモノの山ができているおかげで彼女の試みは台無しになったといえる。


(綺麗好きなのかずぼらなのか……)


 通ってきた扉をゆっくりと閉め、アートは彼女の部屋を観察する。木箱がどうしても目について眺めていると、やがて自分の宝箱を見つめる視線に気が付いたフィオは、顔を赤らめながらごほんと咳ばらいをした。


「帰ってきたばかりでちゃんと整理してないの! 普段はもっとちゃんとしてるからっ!」

「はいはい。で、宿屋に連れてきてなにするつもり?」

「キミの装備を整えようと思ってさ。ナイフ一本じゃ頼りないからね」


 そういうフィオは、武器らしい武器を身に着けていない。衣装の下に隠しているのかもしれないが、軽い装いの中には大したものを仕込むことはできないだろう。


「フィオの装備は?」

「街を歩くのに剣をぶら下げてたら物騒でしょ?」


 たしかに、そうか。アートが納得していると、フィオは両膝をつき身体を伸ばして、ベッドの下に両手を伸ばしていた。やがて引っ張り出したのは、おおきな麻布に包まれた長いもの。包まれているのは金属のものが多いようで、床を引きずるとがちゃがちゃやかましく音を立てる。重いうえに、一つの束に数本まとめて入っているようだ。


 布にくるまれた束が、ひとつ、ふたつ、みっつ。試しにひとつ持ち上げてみようとすると、アートが持ち上げるにはやや大きすぎる重量であるようだ。抱えるようにしでどうにか持ち上げると、それは長い十字架のような形をしていることがわかる。狭い場所での力仕事を済ませたフィオは、隙間から両手と頭をすぽんと抜くと、額に光る粒を手で拭った。


「これ、なにが入ってるの?」


 束を床に置いて、アートが尋ねる。


「お古だったり、使わなかったりした武器だよ。それが剣、これが杖、あれがメイス」


 床に並んだ三つを順に指さし、中身を説明するフィオ。なるほど、あの十字の重いものは彼女が使っていた剣だったかと、少年は理解する。同時に、自分に剣は向いてなさそうだとも感じていた。何本かひとまとまりになっているとはいえ、こんなに重いものを振り回すようなフィジカルを、彼は持ち合わせていなかった。


「どれをつかってみたい?」


 包みをあけながら、少女が尋ねる。メイスの包みには、先端がハンマー状になっていたり、トゲ付きであったり、なかなか暴力的なデザインのものが四本ほどまとめられていた。


 アートが使わないであろう剣の包みには、獣革の鞘に納められた剣が三本。それぞれ刀身の長さや柄のデザインが異なっているようだ。


 最後に杖の包みをあけると、顔を出したのはねじれた長い木の枝にしか見えないものと、巨大な動物の骨を削って作ったような、象牙を思わせる乳白色のものだった。杖は二本とも、90センチから1メートルほどの長さだ。


「杖かな。ファンタジーなんだし、魔法を使ってみたいな」

「じゃあ好きなほうあげる。どうせわたしは使わないから」


 彼が手にしたのは、獣骨の白い杖だった。剣に比べるとずっと軽い。よく見ると、先端に近い位置に、二つの窪みのついた金属の飾りが付いている。これは何かに使うのだろうか。なんとなく指を這わせてみると、冷たくごつごつした触感が返ってきた。特別な素材ではなく、鉄か何かだろう。


「僕でも魔法って使えるのかな」


 窓から差し込む光に杖をかざし、まじまじ眺めながらアートが尋ねる。杖といえば、魔法使いのトレードマークだ。あとは傘のある大きな三角帽子や、黒っぽい色合いのローブとか。自分がどんなものになりたいという具体的な目標を掲げていないアートであったが、それらしいものを一つ手にしたら興味がわいてきたらしい。


「えーっと、たしか……」


 魔法の道を進むつもりになったらしい少年の声を聴いて、フィオは木箱のひとつを開けて、がちゃがちゃ音を鳴らしながら何かを探し始めた。気になってみていると、箱から取り出されるのは赤い液体や青いぷるぷるした質感のカタマリが納められたビンの数々。ほかにも糸で束ねられた鳥類の羽や、加工前の鉄鉱石など。どうやらその箱には治療薬など材料になるものがまとめてあるようだった。除けられた蓋を見れば「material」としっかり書いてある。


「あった。これこれ。私は使わないけど、なにかの材料になるかと思ってここに入れといたんだ」


 そう言いながらフィオが差し出したのは、薄い色の透明な結晶体だった。手のひらの上には緑、黄色、灰色の三色三種類が各一個ずつ。アートは三つとも受け取ると、そのうち二つを杖と同じ手に握って、緑色の結晶を窓の光に透かしてみた。宝石によく似たフィルターを通した光は、少年の顔に緑色のステンドグラスのような模様を映しだす。


「これって?」

「魔法を使うのに必要らしいよ。杖にちょうど嵌め込めそうな窪みがあるでしょ?」

「うん」


 鉄の飾りについていたもののことだろう。試しに持っていた結晶を窪みに近づけ、押し込んでみる。すると結晶は面白いように窪みへ沈み込み、ほんのり光を放ったと思えば、アートが指を放しても飾りから取れないようになっていた。まるで最初からそういった装飾品であったかのようだ。


「これ、外せないの?」

「その時は職人さんに頼んでね。素人が無理やりやると結晶が割れちゃうらしいから」


 設置は簡単なのに、逆は大変なのか。まあ、よくあることかと少年は頷いた。窪みはもう一つあるが、いまは別の結晶を埋め込まないことにした。


 これで魔法を使う準備は整った……のだが、肝心の使い方が分からない。杖にスイッチがあるわけでもなければ、魔法の取扱説明書が付随しているわけでもない。魔法に名前があって、それを叫べばいいのだとしても、取り付けた結晶体がひとりでに言葉を話すわけでもない。では、どうすれば魔法が使えるのだろう。


「うーん。……よし」


 杖を構えたアートがわずかに腰を落とし、いかにもなにかするつもりだという雰囲気を醸し出す。それを見たエルフの少女は、彼がやろうとしていることを理解し、全身の血が引くような感覚に襲われた。


「水晶に封じられし魔術よ、いでよ!」

「わわわっ、ちょっと! きゃあ!?」


 適当なセリフとともに、アートが杖を振る。驚いたフィオはとっさに両腕で頭を抱えて、その場にかがみこんだ。


「……我が力となれ! 爆ぜよ業火! 冷気束ねて刃となれ! 風の刃よ吹き荒れろ!」


 階下から女主人の笑い声が聞こえる。窓の外では、人々の雑踏と小鳥のさえずりがラティーナの繁栄と平和を象徴している。風のぼうし亭は、この日もいたって平和であった。


「……なに? ……何が起きたの?」


 顔を上げ、涙目のフィオが震えた声を出す。


「なにもなかった。……うん、なんにもなかった」


 少女の視線の先で、魔法使いを志すエルフの少年は、長い耳の先を赤く染めていた。


 なにがあったのかをすぐに理解したのか、フィオは口の端を釣り上げる。からかってやろうかとも考えたが、彼へのイタズラをひとつ思いついたところで実行を取りやめ、ひたすら様子を伺うことに専念すると決めた。彼女が何もしない理由は簡単。そのほうが面白そうだからだ。


 彼女が自分の失敗を楽しんでいることはアートにもわかった。彼女が怯えて浮かべた涙が、笑いをこらえて生まれたものに変わっているのは明白だ。だから彼は、何もなかったことにした。


 しばらくの間、沈黙が続く。やがて、少年が口を開いた。


「魔法ってどう使うんだろうか」


 平然と、自分はなにも試していない体で言葉を発するアート。耳の紅潮は残っているものの、彼の表情はポーカーフェイスそのものだった。彼の意図を察したフィオは、傷口に塩を塗り込むための言葉を探した。


「呪文でも唱えてみれば? あぶらかたぶら~、水晶に封印されし魔術よ~」

「……馬鹿馬鹿しい」

「ありゃ、アートは投擲武器をご所望かい? 残念ながらブーメランは持ってないんだなぁ」

「しっかり聞いてたんだな!?」


 今度こそ顔を真っ赤にしたアートが、右手で杖を握りしめ、感情を誤魔化すようにブンブン振りながらフィオに詰め寄る。鼻先の距離がたった数センチの場所まで近づかれた少女は、思わず目を逸らしながら弁解のセリフを述べた。


「いやぁ、あそこまで気合を入れられちゃ嫌でも聞こえるというか、わたしも本当に魔法が出るかと思ったというか」

「……ふ、ふーん。じゃあフィオも魔法の使い方は知らないってことか。先輩風吹かせてる割には、案外知らないことばかりなんじゃないか?」


 顔を引いて、苦し紛れの笑みを浮かべるアート。単純な性格のフィオは、彼の見え透いた挑発に乗ってしまう。


「なっ……。それくらい知ってますー! この世界の先輩だもん、当然知ってますーー!」


 彼女からの反論を聞き届けたアートは、その瞬間に勝利を確信した。これで失敗を誤魔化すことが出来る。自分の恥に他人の恥を重ねて塗りつぶしてしまえと、悪魔が囁いた。


「知らないから驚いたんでしょ?」

「ち、違うし」

「本当は先輩ぶっていい気になってただけとか」

「そんなんじゃないってば!」

「だったらなんで――」


 そこでようやく、アートは目の前の少女が眉をひそめ、すがるような目で自分を見ていることに気が付いた。見当はずれのことを言って傷つけたのだろうか。気まずくなって、彼は目を伏せる。調子に乗ったのは自分のほうだ。


「……いい気になんてなってないもん」

「じゃあなんでこんなに親切にしてくれるのさ。君にはメリットなんてないじゃないか」


 この際だから聞いてしまえと、エルフの少年は同種族の少女に尋ねる。


 出会ったばかりの初心者を、旨味の少ない仕事から手を引かせるばかりか、使っていないとはいえ装備まで渡してしまうような行為だ、これは親切というよりお節介と現すほうが近いだろう。そんなことをしてくれる理由が、アートには思いつかなかった。


「……嬉しかったんだ、同じハイエルフがいるってこと。アートだって知ってるでしょ? この種族が少ない理由」

「ああ……うん」


 きっとそういうことだろうと、アートは理解した。それは、外部の要因による理由だ。自分の種族にハイエルフを選ぶことのできる人間は特別で、限られた人数しか存在していないからだ。そのことをアートはすっかり失念していた。


(最後に会ったのはいつかわからないけど、フィオも僕と()()の存在だ。……どうして考えもしなかったんだろう)


 自分たちの事情を鑑みれば、あまりに配慮に欠けた発言だった。会えて嬉しかったというのも当然の感覚だろう。アートは自分の不躾な発言が彼女を傷つけたかもしれないことを、強く後悔した。


「なんか、ヘンな空気になっちゃったね」


 フィオがぎこちなく笑みを浮かべて言った。


「すまない。……僕が思慮不足だった」


 暗い顔をするアートの肩をぽんと叩く。


「いいよいいよ。きっとわたしも暴走気味だったんだよ。魔法の使い方、誰かに教えてもらおう?」


 もう一度肩を叩き、フィオは自分の部屋を後にする。その背中を見送り、あとを追いかけながら、アートはひとり言葉をこぼした。


「なんだよ……。やっぱり知らないんじゃないか」


 魔法。この世界において、それは半透明の水晶体の中に封印され、杖に代表される道具を媒介とすることで始めて扱うことのできる技術である。アートよりも少しだけ長い時間この世界で暮らしているフィオにもその程度の知識はあったが、彼女は弓や魔法よりも剣を好んだため、どんなものかを知っていてもどう扱うのかは知らないらしい。


「見たことはあるんだよ。そいつらも呪文みたいなの唱えてたし。だから、どうしてアートが魔法を使えなかったのかわからないんだよね」


 魔法の発動条件となる言葉があることはどうやら正解だったらしい。部屋でやったことはあながち間違いではなかったということだ。


「つまり、正解の言葉があるってことだよね。問題はなんて言えば魔法が出るのかってところだ」

「適当に拾ってきた石だからな~。詳しい人に聞いてみればわかるかな」

「詳しい人か……。僕はアテなんかないしなぁ」


 宿屋の階段を降り一階にやってきた二人は、オープンカフェの客と会話している女主人をみやる。太ったオーガ、に近い体形の豪快なヒューマンである彼女は、とても魔法に詳しいようには思えない。流石にないか、と宿を出ようとすると、視線に気づいた主人はエルフたちに声をかけた。


「あら、もうお出かけ?」

「そうだよ。荷物を取りに戻っただけだからね」


 昼時を過ぎて手が空き始めたらしい彼女に、フィオは気さくに返事をする。あるいはそれほど忙しい店ではないのかもしれないが、そうでなくてもこの女性が接しやすい人であることは間違いないだろう。


「荷物? ああ、坊やが持ってるその杖ね。魔法使いなのかい?」


 アートの腰ベルトに吊られている白い短杖を見て、主人が尋ねる。本来は戦士が剣を帯びるための革帯部分であるが、同じような長さの杖を持ち歩くには都合がいいのだ。


 エルフの少年は、歯切れの悪い様子で返事をする。


「見習いです……」

「だから、魔法の勉強をしようかな~って。ねっ」


 首を縦に振るアート。女主人は「真面目だねえ」と感心したように頷くと、なにか思いついたのか、両手を合わせ、バシィン! と爽快で豪快な音を鳴らした。ショックで店が揺れたように見えたのは、きっと二人の見間違いだろう。


「そうだ、アタシの知り合いに魔法使いのファーリィがいるのよ。せっかくだから紹介してあげるわ」


 そう言って、女主人は顔をしかめた。ウインクのつもりだろうか。傍目には目を細めて怒っているように見えるかもしれない。


「ウィケッドって名前なんだけど、青い毛並みの大きなオオカミみたいな人でね……」

「ふむふむ。……ん?」


 相槌を打ちながら話を聞いていたフィオの目に、丁度表通りからカフェのある路地へやってきた人物が留まる。その人物は大柄な身長ほどある長い杖を突きながら、真っ直ぐにこの店へ向かってきているようだ。


「オレを呼んだかい、ジョゼちゃん」


 青いふさふさの毛並みのオオカミが、店の前から声をかける。全身毛皮で覆われているはずの魔法使いは、三角帽子こそ身に着けていないものの、ゆったりとした飾り付きの黒いローブをまとっており、いままさに話題に上がったファーリィ族であろうことはすぐにわかった。


「あらあらウィケッドさん、今日は早いのね」


 朗らかな笑みを浮かべながら女主人が言う。


「ああ、本職のほうが早く終わったんでね。そっちのお二人さんは? ハイエルフが二人とは随分珍しい取り合わせじゃないか」


 ウィケッドと呼ばれた青い毛の獣人は、慣れきった足取りで四人掛けのテーブル席の椅子を引き、腰をおろす。


「ちょうど紹介しようと思っていたところなの。いつものでいいかしら?」

「ああ、お願いするよ。3つな」


 主人は「は~い」と緩い返事をすると、いそいそと厨房へ引っ込んでいく。いつもの、とやらを準備しに戻ったのだろう。それにしても、この店は彼女一人で回しているのだろうか。いまさらながら他のスタッフを見ていないことに気づき、アートは首を傾げた。


「ハイエルフってことは、()()()の子供たちか」

「っ……」


 彼の言葉に、フィオが肩を強張らせる。そんな彼女の様子を横目で見ながら、アートが切り出した。


「教えてほしいことがあるんです」

「構わねえさ。ほら座んな。お前らの分も頼んじまったからな」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 アートがウィケッドの向かいの席に座る。近い距離で彼の顔を見ると、映像で目にした本物のオオカミに似てはいるものの、顔の造形は少なからず違って見えた。もとになった種族の違いなのか、それとも人の姿に近いがための変化なのだろうか。


「……別に取って食いやしねえって」

「うう……」


 青い人狼に促され、フィオはしぶしぶといった様子でアートの隣の席に腰をおろす。大きな体躯の人狼は、二人の顔を順に見やると、大きな口を吊り上げて笑った。


「がはは、二人とも固いな! そんなに緊張することはないだろう」

「僕はこれが自然体なんで」

「そうか、愛想がないな!」

「そっちは暑苦しそうだ。知り合いにいますよ、そんなのが」


 言いながら、アートとウィケッドは僅かに笑みを浮かべた。「え、いまの好感度上がる要素あった?」とフィオが隣の少年を驚いた顔で見ていると、魔法使いの狼男は自分に視線を向けていることに気づき、彼女はますます身を固くする。


「お嬢ちゃんは――……オレの顔、そんなに怖いか?」


 巨大なオオカミフェイスが怖くないということはないが、この世界にはもっと怖くてグロテスクな存在がたくさん存在している。フィオは目線を足元へ向けたまま左右に首を振った。


「? まあよくわからんが、教えてほしいことって?」

「魔法よ。男の子のほうが教えてほしいんですって」


 銀色の盆にコーヒーカップを3つ載せた女主人がやってきて、各々の席に配る。


「ジョゼちゃん、いつもどうも。代金はツケて」

「儲かってるんでしょ? ケチるのは無しでお願い」

「せめて一人分で」

「大人でしょ? 奢ってあげなさい」

「へ~い。で、魔法を教えろってのはどゆこと?」


 エルフ二人に向き直り、ウィケッドが尋ねる。


「装備を見るに、杖も魔法珠もあるじゃねえか」


 やっぱり、この2つさえあれば魔法を使うことはできるらしい。アートがフィオの部屋で起きたことを、自分の失敗だけはそれとなく誤魔化して説明すると、人狼の魔法使いは原因について考える暇もなく答えて見せた。


「そら単純に手順が違ってるんだ。最低限必要なのは魔法の名前。詠唱ってのは、言霊の力で魔法の威力を底上げするためのもんだ」

「……確かに、わたしが見た魔法使いはなんか技名っぽいの叫んでたかも」


 ファイアボルトとか、スパークウェブとか。アートの隣でフィオが呟く。


「ああいうの、恥ずかしくないのかな。技名叫ぶのってなんか間抜けっぽくない?」

「お前さんら剣士にだって技を叫ぶ奴はいるだろうに。噂になってるぜ、森で"飛翔二段!"とか"地這い疾風"!とか言いながら剣の練習してるハイエルフの美少女がいるって」

「……だ、だれのことですかね。でも美少女ってホント?」

「知らない人ならいいだろ、気にしなくても」

「いや、美少女かどうかは重要だよアート君。極めて重要な案件ですとも」


 腕を組み、真剣な顔で頷くフィオ。緊張がほぐれてきたかなと、ウィケッドは肩をすくめた。


「噂の真偽はともかく。魔法の名前がわかれば使えるんですよね?」

「ああ。調べる方法は簡単だ。杖を握って念じればいい。そうすれば、声なき声が教えてくれる」

「声なき声……。そんなオカルトじみた話があるんだ」

「フィオ、ここがどんな世界かわかってないでしょ」

「きっと剣士には縁がない感覚なのね」


 魔法の存在じたいが、それこそオカルトっぽいものの代表だとは思わないのだろうか。心の中で突っ込みを入れつつ、アートはベルトから短杖を抜いて、コーヒーカップにぶつからないよう気をつけながらテーブルの上に置いた。


「両手でも片手でも構わない。握って、念じるんだ。お前に宿る力を教えろってな」


 カップを口へ運びながらウィケッドがアドバイスをする。本当にそんなのでいいのだろうかとフィオが見守る中、エルフの少年は右手を伸ばし、杖を握った。


(さあ、教えろ。お前の力を……!)


 すると、アートの頭に何かが聞こえた。それが何と語っていたかは、はっきりとしている。しかしどんな声だったか、男の声か女の声かと誰かに尋ねられても、答えることはできなかっただろう。


 なるほど、これはたしかに"声なき声"だ。声はそれがどんな魔法であるかまで教えてくれた。この力になぞらえた言葉の詠唱こそが、魔法をより強いものへと変える言霊なのだということも。


「それで、わかった?」


 心配そうにフィオが訊いた。


「うん。さっそく――」

「魔法は危険な道具でもあるからな。試すなら街の外。間違っても一般人に使おうなんて思うなよ」

「――……ありがとうウィケッドさん、おかげで助かった」


 ちいさなカップをつまめる程度には器用な肉球付きの手で頭をがしがし掻きながら、青い人狼は照れながらも豪快に笑う。目の前に追放を免れた危険人物がいるとは露知らず。


「がはは、オレじゃなくても誰かが教えてたさ。で、どうだ、せっかくなら試しに行かないか?」


 ウィケッドはにやりと笑い、一枚の羊皮紙をテーブル上に広げた。


「……ん、んん~? え、これ本当にいいんですか?」

「いい加減、単独(ソロ)でやるのも飽きてきたところでな。……ちょっと胡散臭いか?」


 その文面をしっかり読もうと、フィオが身を乗り出す。ポーチの中から取り出した残りの結晶を比べながら、どっちを杖に着けようかとアートが悩んでいると突然、すっかり元気になった少女に肩を揺すられる。「なんだよ」と少年が尋ねると、彼女は笑顔で答えるのだった。


「アート、ウィケッドおじさんについていこう!」


 どうも拒否権はなさそうだ。断る理由もあるはずがなく、アートは頷いた。


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