第一章 その者、不世出の大器。(6)
「お前はこの後、どうするつもりだ?
いつまでもこの村に居座るわけではあるまい」
「いえ、暫くはお世話になろうかと思います。
私は何せ非力で賊の一人にでも鉢合わせれば降るしかなくなるので迂闊に出歩けないのです。
その後は…そうですね。名士層の集まる場所に向かおうかと。
たとえば、頴川や汝南でしょうか。」
「そうか、では俺達はここで別れねばならないな。
俺達は西涼の地へ。放蕩して歩く俺を斥候の兵どもに探させてまで呼び戻されたのだ。
全く我が親の事といい執念深いな。」
自嘲気味に笑う馬超の話を聞き、兪瑛は違和感を覚える。
西涼といえば、現在漢の都・洛陽で専横をふるう董卓が橋頭堡とした地で、馬超が父、馬騰といえばその西涼の地で私兵を有する豪族である。
現在西涼の地は董卓の配下が収め、長安から洛陽への補給線の源流であった。
馬超を呼び戻す理由を考えるに思い当たるはひとつ、軍事行動の為だ。
それが起こるのは西涼の地か、長安か、洛陽か。
それを起こすのは董卓か、馬騰か、あるいは……。
西方から漂う不穏な空気に、情勢が動く気配を兪瑛は感じていた。
「なぜか、馬超殿とは近く再会できるような気がします。」
「そうだな…俺もだ。
しかし兪瑛よ、俺は諦めていないぞ。
もしも戦場でお前と相見え、それを打ち破った時にはお前には仲間になってもらう。
それだけお前を、今回の件で高く買っている。」
兪瑛は何も答えなかったが、二人は杯を合わせると軽快な陶器の音が鳴り、酒を一気に飲み干した。
「お前達、明け方出発だ。」
「応!!」
西涼の勇者たちに馬超は一言告げると、自身の為に用意された客間へ向かった。
兪瑛も立ち上がろうとすると、馬超が居なくなった隙を見て村の若い女たちがわらわらと群がり是が非でも酌を、と兪瑛を引き止めた。
端正な顔立ちと、村を救ったその深謀を見せつけた兪瑛は村に来て実のところ丸二日しか経過していないにも関わらず、女性たちの心を掴んでいた。
しまいには孫娘を持つ老婆が酔った勢いでぜひ婿にとまで猛烈な攻勢を仕掛けてきた。
「参ったな…」
終始苦笑いだったが乗せられて飲みすぎ、その勢いで華麗な剣舞まで披露した挙句、村人達と共に酔い潰れた。
実はこれが初めての飲酒で、翌日兪瑛は強烈な二日酔いに一日中寝込み、この事を境に酒を遠ざけるようになるのであった。
一方馬超は兪瑛とは逆に西涼に帰る際、その勇猛ぶりを見た若い男たちが馬超の傘下になることを希望し、おおよそ来た時とは倍の20名の仲間達と村を後にした。
「兄者、奴に別れを告げなくて良かったのかい?」
この馬超を兄と慕う少年は、
馬超の従兄弟にして馬超軍団副官・側近を兼ねて担う馬岱。
今回の戦いでも騎射のみで17名を討ち取り、兪瑛を驚かせていた猛者である。
そんな馬岱は、普段は礼節を重んじる武人である馬超が、あれほど入れ込んでいた兪瑛に別れの挨拶をしなかった事に疑問を感じていた。
それを聞いた馬超はカカッと笑い、馬を進めながらも馬岱に振り返る。
「酔い潰れていた戯けにする挨拶などないわ。
それに…またすぐ会えるような気がするのだ。
奴も同じ事を抜かしていた」
「再会を信じての事か、素直じゃないな。」
フンと、鼻を鳴らす馬超をなんだか馬の様に思い吹き出しそうになるのを堪え、微妙な笑顔をして馬岱は見つめていた。
ーー同時期、洛陽。
孫堅軍の獅子奮迅の働きや、関羽の武勇により猛将として知られた華雄を討った反董卓連合軍は優勢となる。
董卓はこれを受け、弘農王劉弁をと弑すると新帝を擁立。
防衛するのに不向きであるとの理由から、洛陽から長安へ強制的に遷都すると、洛陽の街中を破壊し焼き払い、皇帝の陵墓を荒らし金銀財宝を抱えて長安へ逃走した。
洛陽には、厳しい寒さと雪しか残らなかった。
「ここで死ぬ筈の命が、生き残っておるな。」
全焼を免れた民家の屋根の上に、その声の主は座っていた。
かなり年老いた男で、体は痩せ細り、はだけた着物から見える胸には胸骨がうっすら浮き出る。
その白髪頭と白い着物、白き肌、白眉は雪と同化しているようだった。
「それも天命であるのか?」
老人は問う。
世界に、天意に、自らに。
「産声を上げたな…」
歴史の揺れと共に今この瞬間、新たな命が生まれ落ちた。