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カランカランとベルが鳴りました。夜8時。窓の外を見れば辺りを見ればすっかり日が暮れて暗くなっています。調理室は現代日本と同じくらいの光度を持つ明かりで照らされているので、作業に夢中になっていると気がつきません。
途中寮生ではない生徒の何人かが先に帰りましたが、作業がちょうど一区切りついたところで強制下校時間です。
「皆さん忘れ物はありませんか?」
「はい!全員確認しました」
答えた子も他の子も、全員頷いています。よろしい。
「では、明日の朝まで調理室を完全に閉鎖します。明日は朝の7時に集合です。多めに作りますし、どうせ味見として摘まむのでしょうから、遅刻するぐらいなら朝食はとってこなくて結構ですよ」
「はい!」
部員も食堂の料理人もいい笑顔です。本当なら朝食はきちんととるべきなんですけどねぇ。あとつまみ食い前提なんていう緩さは、あくまで部活動の延長上にあるからであって、普通はそんなこと許されませんから。
「私は案内が入りましたので9時頃に抜けますがよろしくお願いします。その後はちゃんと主任さんの指示に従うように。悩んだら味付けは副部長、段取りは主任さんの判断を優先してください。二人とも、よろしくお願いします」
「はい」
「お任せください」
食堂からの手伝いにはなんとホール主任という役職の方が来てくれています。食堂は料理長を筆頭に、副料理長、ホール主任の3名が全体を統括しています。
ホール主任は接客のプロです。この学園の食堂は日本の学食や社食とは違い、レストランのような形態をしています。なぜなら給仕を受けるのが当たり前の貴族学生が多く在籍していますから。
彼の客裁きときたら、まるですべてを救済するという千手観音の如し。文字通りどこに目を付けてるのか背中にもあるのか聞きたくなるほどの完璧さです。ストイックさもいいですし、女のままだったら是非こういう方とお付き合いしたいなと思わせるナイスミドルです。あ、結婚は別ですよ。
今日の手伝いも、調理ができないわけではない、どころかかなりの戦力でしたからそちらもしてもらいましたが、メインは盛り付けやテーブルの配置等の差配をしてもらいました。この辺りのことは完全に調理部ではわからない範囲のことですので、大変ありがたかったです。動線とかそんな、生活動線をいかに短くするかしか考えたことありませんよ。コタツ万歳。
副部長は技術科の3年生で、将来は学園の食堂で働きたいという男子生徒です。そんな本格的に料理人を目指している人を差し置いて、野望を掲げているとはいえ、2年生で騎士を目指す私が部長でいいのでしょうかと心苦しくなりますが、そもそも去年新部長を決める際に満場一致で私が指名されたので引受けた次第です。まさか実家の爵位がかとか悩みましたが、後日相談した副部長には笑顔で否定されました。今も仲良くしてますし、しこりはない、です。たぶん。きっと。いやぜったい。
調理部の部員は貴族よりも平民の方が多いです。やっぱり実用性というか生活を支える日常的な面が色濃い部活は、将来の就職を考えている平民が多いですね。貴族の刺繍部と平民の被服部みたいに完全に分かれているのは極端ですが、貴族はなんかそれっぽい()部活とか、最初から入ってないとかそんなです。邸に家庭教師を招いて専門的に習っている場合もありますしね。
しかし私が入部してから調理部の部員数は上昇する傾向にあるとか。くくく、美食に目覚めるといい。
魔法を使った道具、魔道具である冷蔵庫と常温保存用の保管庫には鍵をかけました。この冷蔵庫と保管庫には、腐敗を遅くする効果が付けられています。まだ学園で開発中の試験段階の製品で、とってもお高いんです。
私もちょっと研究室へお邪魔して、腐敗の仕組みを伝えたりいろいろお手伝いさせてもらっています。この技術が完成し広く普及すれば、食材の広範囲への輸送が可能になりますから。あとは腐敗と発酵を選別することができれば文句はないのですが。
更にこの鍵というのが重要です。
人が持つ魔力には、指紋や網膜のように人によって異なるパターンが存在します。指紋認証ならぬ魔力認証というもので、この鍵をかけるのです。それによって、他の人間には開けられない、合鍵作成不可の防犯設備となります。もちろん抜け道を探そうとする悪い人間もいるわけで、日々技術科の方々が研究されています。
殿下方の食事を一晩といえども放置できるのも、こうした技術のおかげです。数百から数千人分を当日にすべて作れとか無茶ですから。他の人物立会いの下、殿下方専用に作った分の冷蔵庫、保管庫にも鍵をかけました。こういうことは昔からあったので、専用の豪奢な箱が用意されていました。
魔法という存在の不思議さで、技術が地球に比べてかなり尖っています。食文化が未発達な割に、こういう現代日本でも先進技術と言われたようなジャンルのことができている。数十年前まで続いていた戦争と、文化の下支えをする平民たちにそこまで余裕がないことが一番の原因なのでしょう。
国民性も少なからずあるとは思いますけどね。でも美味しいものや楽しいことが嫌いな人間はほぼいません。一度豊かさを手にすれば、きっと文化、文明を発展させていくはずです。
実際、日本で一番平民文化が発展した江戸時代も、長年の平穏、実質税率の低さによる余裕で生まれたものです。島国で外敵を極力排除できていたために、一揆を起こされてでも無理に徴税しなくてもよかったことがその余裕に繋がったとも考えられます。
内陸国であるゲイルラッド王国は日本に比べて脅威が身近で、戦争が続けば軍備の拡張、補充でどうしても税金がかかりますから。日本でも昭和の戦時中に食料や物資が制限されたことが何よりの証拠ですね。
対して防犯というのは軍事技術としても貴族社会でも平民の生活でも非常に有用で、その研究に世界各国で莫大な費用が費やされたとしてもおかしくはないわけです。同様に生活、治安維持のための明かりというものは早く広く普及していて、日が暮れて暗くなっても、大通りや貴族の邸は明るく照らされ、平民の暮らしでもそこそこ明るい家はあります。
その結果が、この技術のアンバランスさなのでしょう。
と、こじつけて考えてみましたが、この世界が乙女ゲームを基にしているのであれば、開発がそこまで考えていなかったとしかならないあたりがなんとも虚しいものです。
それでは責任を持って調理室に鍵をかけて、女子生徒の皆さんを寮まで送り届けてから私も帰りましょうか。
明日も早朝トレーニングのために早起きしますし、なんだかんだ各自夕食、朝食用に好きなものを持ち帰ってますしね!
香味野菜たっぷりのトマトソースを挟んだブリトーが楽しみです。
説明ばかりで話がすすまない…すみません