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世界に昼夜が生まれた理由

作者: 静波

 それは遥か悠久を遡り、それでもまだ気が遠のいてしまうほどに、昔々の出来事でした。

 世界の最南端。草木はいつも新緑に萌え、咲き香る花々の色はどれも艶やかな、他のどの地よりも暖かで光に溢れた場所。一面に広がる広大な花畑の中心に、ひときわ大きな鮮花のつぼみがありました。そのつぼみから放たれるささやかな光は、見るものすべての心を癒し、何とも言えない、とても幸せな気持ちにさせるのでした。

 とある日。雲ひとつなく、大地を這う風が遥か天空にまで突き抜けていってしまいそうなほどに蒼く清く晴れ渡った日。その瞬間にまみえんと欲する数多の生き物たちによって、かの広大な花畑はすべて埋め尽くされてしまっていました。足蹴にされる花々すらも必死に茎を伸ばし、その鮮花のつぼみへと花弁を向けてゆくのです。

 世界を照らす太陽も、颯爽と吹き抜けてゆく風も、生きとし生けるすべてのものが、その生誕を心から歓待します。そして、ゆっくりと開いてゆく鮮花のつぼみの中から、芳しい花弁の揺りかごに抱かれて、彼女はこの世に産み落とされました。

 宝石のように白く清らかな肌と、ため息が出るほどに美しく整った容貌。生糸のように繊細な五指と細くなめらかな二本の手足を携えた姿。その背中に差し込む大いなる後光は、見るものすべてに等しく敬虔の念を与えました。その姿を直視することすら畏れ多く、誰もかれもが面を伏せて、絶対の忠誠と崇拝を誓いました。

 そうして皆に愛され、慕われた光の少女でしたが――彼女は一切の自由を持ちませんでした。己が生まれ出た花弁の玉座を除き、彼女が踏みしめることのできる足場は存在し得なかったのです。その美しい御足を僅かでも汚すわけにはいかぬと、彼女が足を触れるものは全て、そう、万物の母たる大地でさえも地平線の彼方へと逃げおおせてしまうのですから。それ故に彼女は生まれ育った花畑の他には、どんな風景も知ることは叶いませんでした。

 また、彼女には一切の話し相手がいませんでした。その汚れなき心に僅かでも邪な念情を与えてはいかぬと、誰一人として彼女と言葉を交わすことをしなかったからです。遥か遠方で頭を垂れる彼らを見つめ続けることだけが、彼女にとってのすべてでした。

 数年が過ぎて、より美しく、より輝きを増した彼女に待ち受けていた運命は、逃れ得ぬ永久の盲目でした。その眩い輝きたるや、もはや言葉では到底言い表せるものではなく、見つめるものの瞳さえ焦がしてしまうほどに燦然たるものとなっていました。自らの放つ輝きによって、彼女もまた盲になってしまったのです。鮮花の花畑で彼女に仕えていたものたちは皆その地を去り、遠く離れた場所から彼女を見崇め、祈りを捧げるようになりました。

 世界の時間は動き出し、彼女の時間だけが止まっていました。


 古来の昔より、この世に偶然などというものはなく、起こり得たことのすべては必然。

 光の少女が世に生を受けたように、彼もまた、この世に生を受けたのです。


 世界の最北端。草木はどれも枯れ果てて、荒涼と広がる大地は無機質にひび割れた、他のどの地よりも冷たく暗闇に包まれた場所。大地の裂け目を辿った先に、何か不思議な力でくりぬかれたような、ぽっかりと広がる大きな(あな)がありました。その孔はどこまでも暗く深く、覗き見たものの目を(めしい)にし、前後不覚のままに孔の中へと引きずり込む、とても怖ろしいものだったのです。

 とある日。雷鳴が轟き、吹き荒ぶ怒涛がありとあらゆる生を蹂躙していく、その惨禍たるや史上塗り替えられることは無いというほどに怖ろしい日。その地を包む死の瘴気はいっそう色濃く臭い立ち、腐乱した肉はどろどろと溶け出してゆき、周囲はまるで地獄の有様へと変貌していきました。

 激しい雷雨を降らす黒雲も、大地を転がり落つ屍も、死を象徴するものすべてが、暗黒の孔へと吸い込まれてゆきました。闇を吸い込んで最過点にまで密度を増した孔の中から、純真無垢な産声をあげて――そうして産み落とされたのが、彼でした。

 消し炭のように真っ黒に染まった肌と、死を想起せずにはいられないほどに怖ろしい表情。岩のように骨ばった五指と、青筋が浮かぶ二本の手足を携えた姿。その身に纏いし漆黒の瘴気は、見るものすべてに等しく畏怖の念を与えました。その姿を直視することはすなわち死を意味し、彼は真に忌まわしき存在として語り継がれていったのです。

 そうして皆に避けられ、疎まれた闇の少年。彼は一切の自由を持ちませんでした。己が生まれ出た漆黒の孔を除き、彼が踏みしめることのできる足場は存在し得なかったのですから。いえ、事実のみを述べるのならば、彼は己の思うがままに歩き、走り、漆黒のマントのような翼を広げて大空を舞うことさえできましたが――その代償として、彼が踏みしめた大地は皆等しく死を迎えたのです。青々と茂る大樹の森でさえ、彼がその中を通り抜けた瞬間にはもう、何もない荒涼とした大地へと変貌していったのです。

 ですから、彼には一切の話し相手がいませんでした。僅かでも彼の側に寄れば自身の命は消え落ちてしまうのですから、どうして彼に声をかけるものがいるでしょうか? それでも彼は常に話し相手を探し求め、ゆく先々で生を死に変えていっては、殊更に忌避される存在になっていったのです。

 数年が過ぎて、より怖ろしく、より深い闇を従えるようになった彼に待ち受けていた運命は、逃れ得ぬ永久の盲目でした。彼の従える闇たるや、もはや言葉では到底言い表せるものではなく、降り注ぐ太陽の光さえ、視認されるより先に掻き消してしまうほどに濃いものとなっていました。光を見ることができないのですから、彼が盲になるのもまた必然でした。目的地を定めることも叶わず、ただその足の趣くままに放浪を続ける彼に目を向ける者など一人として存在しません。

 世界の時間は動き出し、彼の時間だけが止まっていました。


 孤独な少女と孤独な少年。決して相容れないはずの光と闇。それでも彼らは出会ってしまった。お互いの存在を求め、欲し、そして、出会うべくして出会ってしまったのです。


 終わりなどないと思われた放浪の末、少年はやがて世界の最南端に辿り着きました。どれほど歩いてきたのか、どれほどの間こうして彷徨ってきたのか、彼にはもう想像もつきません。踏みしめた途端に朽ちてゆく感触、その僅かな残り香を感じて、彼はそこが広大な花畑であることを知りました。そして、同時に信じられないことが起こりました。

光を、確かに光を感じたのです。

 もう二度と感じることなどできないと思っていた輝きに、今一度、こうして出会うことができたのです。彼はそのうれしさに感極まって、生まれてこのかた初めての涙を流しました。

 その輝きに導かれるまま、彼は歩き続けました。滂沱と溢れる涙を拭うことさえせず、彼はただ歩き続けました。徐々に増してゆく輝きは、同時に彼を包む瘴気さえも和らげてさえくれました。もう、その足元に感じるものは死ではありません。もう、彼が踏みしめた花々が朽ちてゆくことはありません。美しく咲き誇る花々を、彼は今、初めて目にしていました。その想像を超えた美しさに、彼はまた涙を流すのでした。

 歩いて、歩いて、歩いて――そしてついに光の導きが終着点を迎えたとき、彼の両眼には何か大きな、それはそう、これまで見てきたほかの花々とは比べ物にならないほどに艶やかな花弁の玉座が見えていました。そして彼は、一人の少女がその頂上から身を乗り出して自身の姿を見つめているのに気付きました。彼女の目にもまた、宝石のように美しい涙が浮かんでいました。

「きみは、だれ?」

 少年は訪ねました。

「わたしに名前はありません。わたしは光であり、希望であり、それ以外の何者でもありません」

 水晶玉のように透き通った声で少女は答えます。彼女はもう盲目ではありませんでした。少年の従える漆黒の闇と少女の従える金色の光。それらは激しくも穏やかに溶け合って、混ざり合い、そうして二人はお互いに、世界に色を見出すことを叶えたのです。

 彼女は一切の迷いを捨てきって、自身の生涯を過ごしてきた鮮花の揺りかごから、その華奢な身を投げ出しました。絶対の死を司る少年が共にあるからでしょう、大地はもう、彼女から逃げ出すことをしません。少女は今、生まれて初めて自由を手に入れたのです。その感激にむせび泣いてしまいたい衝動をこらえ、彼女もまた、少年に向かって訪ねます。

「あなたは、だれ?」

 少しだけ考えてから、彼はこう答えました。

「ぼくに名前はないんだ。ぼくは闇であって、絶望であって、それ以外の何者でもないんだ」

 それを聞いて、少女は思わず笑い出してしまいました。その笑顔はこの世の言葉では形容できないほどに美しく、可愛らしく、輝いていて、少年もまた笑い出さずにはいられませんでした。彼の笑顔はひどく不器用ではあったけれど、屈託のない無垢なもので、それを見た少女はよけいに幸せな気持ちになって、やはり笑うのです。それを見た少年も笑って、少女が笑って、少年が笑って――それはまるで一枚の高尚な壁画のような、美しく厳かな輝きに満ちた時間でした。


 二人は二人でいる限り、なんのしがらみに縛られることもない、ごくふつうの少女と少年でいることができました。少女は少年の持っていないものすべてを持っていましたし、少年は少女の持っていないものすべてを持っていました。彼らはごくごく自然に惹かれあい、焦がれていき、やがてそれが熱情の恋へと変わっていくのに時間は必要ありませんでした。

 名を持たぬ二人は、お互いが相手のために、その姿にふさわしい名を贈ってあげることを考えました。少女は三日三晩ずっと考え抜き、少年にカルヌーンという名を贈りました。その名のもつ意味は「終わりと始まり」。少年はその名前を大層気に入り、その返礼として、彼もまた三日三晩のあいだ少女に与えるべき名を考え抜きました。そうして少年は彼女にルーという名を贈りました。その名のもつ意味は「恒久の輝き」。少女もまたその名を大層気に入って、二人はよりいっそう愛情を深めていくのでした。


 しかし、彼らに背負わされし運命は、とても残酷なものでした。

 世界に降り注ぐあらゆる光を司る少女、ルー。

 世界に溶け出すあらゆる闇を司る少年、カルヌーン。

 彼らがいついかなる時も生を共にするということは、それはすなわち、世界にこれ以上ないほどの巨大な混沌をもたらすということです。光と闇の交じり合う果ては虚無の灰色。もとより曖昧だった時の流れは完全に動くことをやめ、ルーとカルヌーンのほかの生あるものは皆、まるで石になってしまったかのように動けなくなりました。二人はそのわけをうすうす感づいてはいましたが、もう、何をおいても仕方のないほどに、どうしようもないほどに、少女は少年を、少年は少女を、心の底から愛してしまっていたのです。

 永遠にふたりでいられたら、どんなにか幸せなことだろうね。

 永遠にふたりでいましょう、ずっと幸せでいましょう。

 灰色の空に懸ける少女と少年の望みは、それからもしばらくのあいだ、続いてゆきました。そう、しばらくのあいだ、です。

 二人が出会ってからちょうど百年と百日のあと、とうとう、その時は訪れてしまいました。


 いつものように、ただ好奇心からカルヌーンは訊ねました。

「ねえルー、ぼくらって本当は、いったい何なのかなあ?」

 彼は自分が死神であることを知りませんでした。ルーもまた、自分が神様であることを知りませんでした。その問いに対してすぐに答えを出すことは、ルーにはとてもできないことでした。

「ぼくには一切の知識がない。だけどぼくにないということは、きみにはあるということでもある。今はわからなくても、きみならきっと答えを見つけることができると思うんだ」

 長いあいだ考えたあと、ルーは決心したように面をあげ、カルヌーンの顔をまっすぐに見すえて、こう言いました。

「わかりました、カルヌーン。わたしの知識はすべてあの鮮花の揺りかごから授かったもの。今いちど母なる揺りかごに抱かれて眠ることを許してください。一月です、一月のあいだ眠りについたのなら、わたしはきっとあなたの欲する知識を授かることができるでしょう。ですが覚えておいてください、カルヌーン。今まで知らなかったことを知るということは、少なからず何かが変わってゆくことでもあります。わたしはたとえどんなことが起ころうと、自分のなすべきことをなすつもりです。ですから、あなたも誓ってください、カルヌーン。たとえどんなことが起こっても、あなたは自分のなすべきことをなすと。どうか、どうか誓ってください」

 ルーの願いを聞き入れたカルヌーンは、その名のもとに決して破ることのできぬ誓いをたてました。たとえどんなことが起こっても、己のなすべきことをする、と。

 ルーは百年と百日ぶりに己の生まれ育った鮮花の揺りかごの中へ戻り、一月のあいだずっと眠り続けました。そのあいだカルヌーンは、鮮花の揺り篭のかたわらに座り込み、何をすることもなくただルーの目覚めを待ち続けました。

 カルヌーンにとって、そしてルーにとっても長い長い一月が、こうして過ぎてゆきました。


 やがて、光の少女は目覚めます。母なる鮮花の揺りかごは彼女の望むべき叡智を余すところなく与えてくれました。そう、それはルーの望んだことであり、カルヌーンの望んだこと。すべてを知り、これからなすべきことを知ってしまったルーは、もういつもの笑顔――愛する少年がそばにいてくれるだけで、自然とこぼれていた笑顔――でいることはできませんでした。一月のあいだずっと、そして今でもずっとルーのそばにいるカルヌーン。それが余計にルーのかなしみを煽りました。

「どうしたんだい、なにがそんなに悲しいんだい、ルー」

 慈しみに満ちたカルヌーンの声も、今のルーにはかなしみの増長にしかなり得ません。どうしようもなく涙に暮れるルーを見て、カルヌーンはもう何も言わず、ただ、その雪のように白く、銀糸のように細い肩をそっと抱きしめてあげました。とめどなく溢れ出る涙の雫が枯れてしまうまで、ルーはただ、愛するものの胸に顔をいっぱいにうずめて、涙を流し続けたのでした。

 そしてその時間こそが、ふたりがふたりでいられた、最後の時間だったのです。

「聞いてください、カルヌーン。あなたは言いましたね、ぼくらはいったい何なのか、と。わたしは母なる揺りかごに抱かれて眠り、そうして真実の答えを見つけ出すことができました。そしてわたしは、あなたが望んだとおり、それをお伝えしなければなりません。どうかこのわたしを許してください、カルヌーン」

 もうとっくにルーの涙は枯れ果ててしまっていましたが、その容貌に浮かぶ悲壮の色だけはどうあっても拭い去ることはできません。ルーはせつなさとかなしみに心を奪われてしまいそうになりながらも、それでも必死に、己のなすべきことを続けました。

「それではお伝えしましょう、カルヌーン。まずはわたし――わたしは、神、です。万物の光の象徴であり、その存在こそが生を意味する、形ある生。それこそがわたし、ルーという存在なのです」

 苦痛を押し込めるような声でルーはそう告げました。カルヌーンにとって、それは予測の範疇を出ることはない――というよりも、彼が思い描いていた少女の姿そのものだったので、別段驚いたりはしませんでした。それどころか、愛する少女が理想に違わぬ存在であることを知って嬉しく思ったほどです。そんな彼とは対照的に、次ぐ言葉を探すルーの面持ちは、先ほどにも増してかなしみに満ちていました。けれどもルーは続けます。それが、なすべきことをなすという事なのですから。

「そして、カルヌーン。あなた――あなたは、死神、です。万物の闇の象徴であり、その存在こそが死を意味する、形ある死。それこそがあなた、カルヌーンという存在なのです」

 透明な声は、枯れ果ててさえ尚、再び涙に震えていました。カルヌーンにはまだ、その理由がわかりません。それを真実として知ったのはこれが初めてですが、己が死を意味する存在であるということは、少年にとってはもう疑うことすらなく当然のことだったからです。

「そして、わたしたちには生まれ落ちたその時より定められた宿命があります。それこそがわたしたちのまことの存在意義であり、これを放棄したのならば、わたしたちはもう形ある姿ではいられなくなってしまう。ああ、愛しいカルヌーン。わたしのただ唯一の望みが叶うのならば、こんなこと、あなたに伝えたくはなかったのに!」

 ルーは一度、灰色の空を大きく仰ぎ見ました。そしてようやく覚悟を決めると、これまでで一番透き通った声で、こう告げたのでした。

「わたし――神という存在は、生に仇なすものをすべて消し去ってしまわねばなりません。生に仇なすものとはすなわち、死です。この世界でもっとも色濃く死を象徴し、誰よりも何よりもまず先に消し去ってしまわねばならない存在――それこそがあな、た――」

 最後まで言い切ることはできず、ルーはまた、声にならない嗚咽を漏らし始めました。愛するものをその手にかけなければならない悲しみ、ああ、その悲しみに勝るものが、果たしてこの世のどこに存在しましょうか。そうして、その華奢な身を削っての告白が、このときようやく終わったのでした。

 すべてを聞き終え真実を知ってしまったカルヌーンは、その悲痛すぎる運命の前に思わず涙を流してしまいそうになりましたが、自分のぶんまで悲しみ、涙を流してくれた少女――この世の誰よりも大切な存在――がすぐ目の前にいてくれたからこそ、涙を流すことなくそこに立っていることができました。

 これから生きてゆく先、きっと永久の嘆きを抱えてゆくだろうルーのために、カルヌーンは自分にできることを精一杯に考えました。考えて、考えて、考えて……そして、彼は決めました。これがきっと最後の、ルーのためにカルヌーンがしてあげられることです。カルヌーンは一歩、二歩とルーに歩み寄り、そしてお互いの額が触れ合うほどに近付いたその場所で、ただ、柔らかく微笑みました。

「いつまでも愛しているよ、かわいいルー。どうか嘆き悲しむことなく、きみはきみのなすべきことをしてほしい。ぼくはこれからもずっと、ずっとずっと、きみのことを愛している。きっとだよ」

 その優しい笑顔に包まれて、ルーもようやく、いつものように微笑むことができました。もう、彼女の瞳に涙はありませんでした。

 そして、あたり一面に、眩いばかりの輝きの輪が広漠と広がっていきました。


 闇は消え去り、そして光だけが現世に残りました。灰色の空はたちまち清く澄んだコバルトブルーに染まり、石のように凍てついていたほかの生き物たちは、それぞれがゆっくりと目覚めを始めます。ふたりの時間が終わることは、世界がもう一度動き出すことを意味していたのです。誰よりも深く愛し合ったふたりの永訣によって、こうして、暖かく光に満ち溢れた「昼」は生まれたのでした。


 もう二度と続くことはなく、このときをもって永遠に終わりかと思われたふたりの物語。

 しかし、この物語にはもう少しだけ――ほんの少しだけの、続きがあったのです。


 ルーの放つ輝きを受けた世界はだんだんと活気を取り戻し、それにあいまって、止まった時計の針は急速に進んでゆきます。

 しかし、ルーの時だけは再び止まってしまいました。なすべきことをなし終えた今、ルーにはもう生きるための意味を見出すことはできませんでした。しかし彼女は形ある生であり、決して死ぬことを許されぬ身であり、それ故に、永久の痛みを抱えて生きていかねばならない運命。ルーはもう、形なき虚無に溶けてしまいたいとさえ思うようになりました。

 燦々と輝く太陽に懸ける少女の願いはたったひとつだけ。それが決して叶わぬ夢だと知っていてさえ、願わずにはいられなかったのです。どうかもう一度だけカルヌーンに会いたい、と。

 ルーは母なる花の揺りかごにその身をゆだね、今ふたたび長い長い眠りについてゆきました。鮮花の揺りかごはルーの放つ眩いばかりの輝きを一身に受けとめて、すっかり嘆き疲れてしまったわが子を優しく抱きとめます。あたたかな子守歌に包まれて、ルーは静かな、平穏に満ちた眠りの中へと落ちてゆきました。

 暖かい世界の中で、ルーは一条の輝きを目にします。それは果たして夢だったのでしょうか。いいえ、夢などではありません。ルーのきらめく双眸は、かつてあったその姿を、くっきりと確かに映していました。いま少女の目の前には、誰よりも何よりも愛しい少年、カルヌーンが立っていたのです。

「ああ、本当にあなたなのですか。あなたは本当にわたしのカルヌーンなのですか」

「そうだよ、ぼくはカルヌーンだ。この名をつけてくれたのは誰だい? きみがぼくを見まごうはずがないだろう?」

「カルヌーン、ああ、カルヌーン! 会いたかった、あなたをもういちど感じたかった!」

 ふたりは力のあらん限り、かたくかたく抱擁を交わしました。あのとき枯れ果てたはずの涙が、再びルーの頬を伝ってゆきました。今度はもう、カルヌーンも涙を堪えようとはしませんでした。誰よりも愛しい少女に再び会えた喜び、その存在を今たしかに感じられることの喜び、少女が自分のために涙を流してくれていることへの喜び、――そして、だからこそ、胸が引き裂かれてしまいそうなほどの切なさ。彼はその瞳を覆ってしまわずにはいられませんでした。

 カルヌーンには、伝えねばならないことがありました。

 それが、なすべきことをなすという事なのですから。

「ねえルー、聞いてくれるかな。君がそうしてくれたように、ぼくにも君に伝えなければならないことがあるんだ」

 その真摯な眼差しに、ルーはただ静かに首を縦に傾けました。彼女はもう、彼の言わんとしていることが何であるのか気付いていました。苦しくて、切なくて、悲しくて、それでもルーはそれを聞くことを選びました。理由など、今や語るまでもありません。

「カルヌーン、あなたはあのとき、わたしの言葉をすべて受け入れてくれましたね。ですから、今はわたしがあなたのすべてを受け入れる番。どうか聞かせてください、カルヌーン。今ここに誓います、わたしはもう何が起ころうとも、この命を失ってさえあなたを信じ続けると――」

 かなしみがすっかり消え去ってしまったと言えば、きっとそれは嘘になるでしょう。ですがルーの胸のなかには、ただ、穏やかな風が吹き抜けてゆくだけでした。もう涙を流す必要もありません。いつまでも笑顔で愛するものの言葉を受け入れたい、今はそれだけがルーのすべてでした。カルヌーンもまた、あの日あの時のように、穏やかに、やさしく微笑みました。

「聞いてほしい、ルー。ぼくは今までずっと、ぼくが生まれた場所にいたんだ。漆黒よりも深い暗黒の闇のなかで、ぼくはいろいろなことを知った。どこからか声が聞こえてきたんだ。それはきっと、ぼくをこの世に産み落としてくれた――そう、お母さんの声だ。お母さんはいろいろなことを教えてくれたよ。ぼくの存在する理由、そして、ぼくのなすべきこと。きっとね、ぼくは初めからぜんぶ知っていたんだ。ただ、気付くのが怖かっただけなんだ。ねえルー、もう一度だけ言わせてほしい。大好きだよ。ずっとずっと、ぼくはルーのことが大好きだ。あの日に誓ってから今もずっと、ルーのことが誰よりも大好きだ」

 カルヌーンの告白に、ルーはにっこりと微笑みます。

「今にして思えば、わたしも初めからすべてを知っていたのでしょうね。わたしとあなたは対なる存在、まったく別の道を歩むもの。共存しあえば、いつか必ず終焉が訪れる。それでもわたしたちは共にあることを選んだ。ええ、後悔などありません。わたしの生きてきた時間すべてに誇って叫んでしまってもかまいません。カルヌーン、あなたと出会えたこと、あなたと共に時を過ごせたこと――本当に、本当に嬉しかった!」

 光り輝く空が、また徐々に、あの頃と同じ灰色に色づきはじめました。それは再び世界の時が止まってしまうことを意味していました。もしもそうなったのなら、ふたりはこれからもずっと共にあり続けることができるでしょう。ですがそれはもう、永劫に繰り返される悲しみの輪廻にしかなり得ません。それはもう、ふたりだけの楽園にはなり得ません。ふたりは何も言わぬまま、いま、静かに最後の口づけを交わしました。 

 カルヌーンは空を見上げ、大きく息を吸って、毅然と胸を張って、言葉を紡ぎます。

「ぼくは形ある死、死神カルヌーン。死に仇なすものすべてを消し去らねばならない存在。死に仇なすもの、それはすなわち生。この世界でもっとも色濃く生を象徴し、誰よりも何よりもまず先に消し去ってしまわねばならない存在、それがきみ――ルーなんだ」

 それは永劫へと続く、別れと始まりの言葉。

「ぼくらは存在そのものが生であり、死だ。この世界が存在し続ける限り、ぼくらはどんなことがあっても復活し続けるだろう。ぼくらはこれから先、幾度となくお互いを消し去りあいながら、存在を続けていくんだ。でもねルー、ぼくはそれを不幸せなことだとは思わないよ。だって、だってね――ぼくらはずっと、これからもずっと、いつまでも一緒にいられるんだから!」

 灰色の空が、宵闇のランプブラックへと色を変えてゆきます。

「いつまでも、これからもずっと愛しているよ、ルー」

「いつまでも、これからもずっと愛しています、カルヌーン」

 光の少女ルーは、そして闇の少年カルヌーンは、ともに柔らかく、優しく、静かに微笑みあいました。


 ――さて、これより先の物語は、もはや語るまでもなく私たちの誰もが知っている世界。幾重にも渡る発展と進歩を重ね、いま、この世界はこうして確かに存在しています。

 愛し合うふたりの物語は切ない別れで幕を閉じましたが、この物語は今だってそう、舞台の裏側でずっと続いています。私たちが夢から目を覚ませば、そこには確かに「光」があり、私たちが夢の世界へ落ちてゆく時、そこには確かに「闇」があるのですから。

 夜が明けて朝を迎えたとき、空は朝焼けをうけて真っ赤に輝きます。昼と夜のちょうど境目で、空は夕焼けをうけて、やはり真っ赤に輝きます。その真っ赤な輝きはきっと、ふたりの愛が情熱にゆらめく色。それは今も昔も変わらぬ色の、ふたりの愛の輝きです。

 ふたりの最期の言葉は、その輝きのままに今も確かに生き続けています。ふたりは今もお互いを慈しんでいます。私たちの生きるこの世界がいつか終わりを迎えるその日まで、ふたりはずっと、そう、ずっと――。


一年半ほど前に書いた『童話』です。

慣れないジャンルに四苦八苦しながらも、本来不変のものであるはずの命題に理由を求め、それを紡いでいくという工程は執筆していてとても楽しいものでした。

ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 童話なのに、文章わざと難解な語彙使って、自分に酔っておられるのでしょうか? 人に講釈たれる前に、もうちょっと勉強した方がいいですよ! …
[一言] 童話という分類に違和感を覚えましたが、作品そのものに非常に惹かれました。 駆け出しの自分なので、文法表記の勉強をしたく、 評価依頼のスレから飛んで来たのですが、 プロの道の険しさを痛感するほ…
[一言] 童話だけど、子供向きではない気がする・・・(俺も中学生だが) なんか難しいですね・・・ でもそれも面白いけども!! 感じがすごいかっこいいですね。
2008/03/13 21:01 退会済み
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