第五話
久遠ヶ原学園の生徒が、在学中に天魔との戦いに赴くには二つの方法がある。
一つ目は、学年ごとに定められた条件を満たし、天魔と十分に戦えると認められた者が斡旋所にて依頼を引き受けるといった方法。
つまり久遠ヶ原学園の生徒の中でも、暫定で一人前と認められた者が、学園から紹介される仕事をしていくのだ。
これならば、学園と任地との空間を繋ぐ【ディメンションサークル】と呼ばれるワープ装置の使用許可も下り、一般的なフリーの撃退士とほぼ同じ待遇で仕事をすることが可能だった。
二つ目は、学年ごとに定められた条件を満たせてはいないが、それなりの実力があると認められた者達が訓練の一環として実戦に赴くといった方法。
こちらは生徒に実戦経験を積ませるといった目的なので危険な最前線に出ることはないが、同時に報酬も全く出ない。
だが実戦経験の有無は一つ目の条件に含まれているので、久遠ヶ原学園で上を目指す者ならば誰もが経験していくことだった。
もちろん例外は幾つかあるのだが、基本的にこの二つのどちらかでしか実戦に赴くことは認められない。
また、正式に依頼を受けて戦いに行く場合は生徒側で自由にチームを組めるのだが、二つ目の方法で実戦へと送られる者は監督者の采配でメンバーを振り分けられてしまうのだ。
だから栞と比奈も、それぞれ別々のチームに入れられる可能性があるとは覚悟していたのだが……
「まさか比奈と離れるだけでなく、貴方と同じチームになるとは思いませんでした」
「……それはこっちの台詞ですわ」
民家もまばらな田舎町の片隅にて、召喚したカンヘルを傍に控えさせながら不本意そうに顔を顰める栞に、フロリーヌが眉間に青筋を立てて声を絞り出す。
彼女の手にある、円錐型の柄に長く尖った穂先の付いた武器を見て、栞はふと首を傾げた。
「その【V兵器】はランスですか? 容姿や装備はヨーロッパっぽいのに、たしか貴方は日本語しか喋れ――」
「なんちゃって西洋人とでも言いたいんですの!?」
「そこまでは言ってませんよ?」
「――っ! むきぃぃぃいっ!」
自ら墓穴を掘って地団駄を踏むフロリーヌに、栞はしてやったりと嫌らしい笑みを浮かべる。
よほど悔しかったのか、彼女は反撃のつもりで栞の手にある巨大な金槌のような武器を揶揄した。
「そういう貴方こそ、その珍妙な武器をまともに扱えますの? とても【バハムートテイマー】が装備しているような武器には見せませんけど?」
「戦えなくても良いのです。ハンマーはロマンだと、とあるゲームで学びましたので」
「そんな理由で……全く貴方という人は」
事も無げに実用性は度外視したと宣言した栞に、思わずフロリーヌが頭を抱える。
彼女たち装備する武器は、【V兵器】と呼ばれる撃退士専用の魔具だ。
特に栞の持つ特殊な形状をした武器となれば、それこそお金を掛けて特注しないとならなかっただろう。
どこまでも不真面目に見える栞に、フロリーヌは胸の内で沸々と怒りを滾らせ……しかしそこで、彼女の手が少しだけ震えていることに気が付いた。
いつの間にやら、栞の視線が遥か遠くの空へと向けられている。
彼女の視線の先には、白く輝く光で構成されている巨大な魔法陣の姿があった。
中心に禍々しい霧状の闇が渦を巻いている様子を見て、栞がごくりと喉を鳴らして唾を飲み込む。
「あれが、【ゲート】ですか」
約三十年前から現世に現れ始め、絶えず人類に厄災を振りまき続ける象徴。
その【ゲート】とは、天使や悪魔が住まう世界とこの世界を繋ぐ通り道のことである。
あそこから天魔は、人類を「収穫」しに来るのだ。
此処からでは分からないが、【ゲート】の真下に位置している街は想像を絶するほどに凄惨なことになっているだろう。
栞はそんな厄災の象徴の姿を見ることで、常に死が身近につきまとってくる戦場に来たことを実感した。
「まさか、怖気付きましたの?」
「……」
フロリーヌの挑発するような言葉に、栞は黙り込んでしまう。
てっきり辛辣な言葉を返されることを想定していたフロリーヌは、そんな彼女の反応に戸惑ってしまった。
一方、これまで二人のやり取りを眺めながら黙って控えていたカンヘルは、明らかに戦いを恐がっている栞の様子を見て、内心でほくそ笑む。
カンヘルにとって今回の実戦は、自分の力を栞に披露する絶好の機会であった。
常々彼は、どうしてか自分の言葉を信じずに侮っている彼女を不満に思っていたのだ。
あの久遠ヶ原学園という場所で行われている試験の時でも、カンヘルを召喚していれば楽にAクラスに入っていただろうに……栞は肝心な時には自分を召喚せず、どうでもいい掃除や洗濯、料理等の家事ばかりさせるのである。
他にもカンヘルにとって、栞には解せない点が幾つもあったが……とにかく今の不当な扱いだけは我慢ならなかった。
本当なら、逆に彼女が自分に料理を振る舞って労うべきなのである。
(今日は恐がるあいつの前で活躍しまくって、俺様を崇拝させてやるっ!)
カンヘルは昂ぶる感情に目をギラギラさせつつ、自分を尊敬の眼差しで見つめながら味噌汁を差し出す栞を想像して、ニヤニヤと唇を歪ませる。
そんな明らかに怪しい面持ちになっているカンヘルに若干引きつつ、フロリーヌは一つ咳払いをしてから栞に声を掛けた。
「あ~……心配なさらずとも、このような後方では滅多に戦いにはなりませんの。今回、私達の仕事の大半は、取り残された民間人の避難誘導。もし敵が来るとしても、それは力の弱い【サーバント】ぐらいですわ」
フロリーヌの言う【サーバント】とは、天界の勢力が扱う異形の化け物のことである。
天使にとっては消耗品扱いの兵であり、撃退士が相手にする敵としては、悪魔の使役する【ディアボロ】と並んで最弱の存在であった。
弱いとはいっても、単独で相手すれば熟練の撃退士でも苦戦する程度の強さはあるので、決して油断していい相手ではない。
それでも一個小隊ぐらいの人数が揃っているこの場に、数匹程度の【サーバント】が現れた所で脅威にはなりえないだろう。
そんなフロリーヌの言葉を聞いて、栞は少しだけ表情を和らげ、カンヘルは愕然とした表情を浮かべた。
「ふふ、実はちょっと優しいんですね。見直しましたよフロリン」
「フロリンはやめて下さらない!?」
抗議の声を上げながらも、軽口を叩けるだけの余裕の戻った栞の様子に安堵する。
今の彼女ならば、万が一の時も危なげなく行動していくことが出来るだろう。
この時のフロリーヌは、そう思ったのだが……
しかしその数時間後、フロリーヌと栞は揃って頬を引き攣らせ、カンヘルは歓喜から瞳を輝かせることとなった。
民間人の避難誘導を終え、引き続き撃退士一個小隊で警戒に当たっていた地域に、突如としてやってきた敵。
獅子のような頭が三つある巨大な獣や、全身の至る所に瞳を張り付かせた蛇など、様々な姿をした化け物の群れを見渡してから、栞が文句の言いたげな視線をフロリーヌに向ける。
あまりにおぞましい光景を目にしたせいで恐怖が麻痺し、栞は逆に肝が据わってしまったようだった……それでも、彼女の膝はカタカタと笑っていたが。
「ええっと、フロリン? 聞いていた話と違うのですが?」
「……ええ、私にとってもこれは予想外でしたわ」
栞やフロリーヌを含む撃退士達が、一カ所に集まって周囲を取り囲む【サーバント】らに武器を向ける。
その化け物は、本来なら一匹に対して数人掛かりで応じるべき敵なのだ。
そんな敵が、自分達の軽く倍以上の数を揃えて周囲を包囲しているのである。
戦おうとする姿勢は崩していないものの、撃退士達の顔は一様に青ざめ、中には既に死を覚悟している者までいるようであった。
無様に泣き喚く者がいないあたり、流石は訓練を積み重ねた撃退士だと言うべきか……普通に考えて、栞達は絶体絶命のピンチである。
そんな中、カンヘルだけは【サーバント】らを歓迎する声を上げた。
「うおおおおおおおおお、俺様はなんてついてるんだ! 俺様に倒される為に、こんなに雑魚が集まってくれるなんて!」
目の前の敵を雑魚と切り捨て、まるで脅威と感じていない様子のカンヘル。
本能でそんな侮りを感じ取ったのか、彼の言葉を合図として撃退士を包囲していた【サーバント】が一斉に動き出した。
敵に余計な刺激を与えたカンヘルに恨めしい視線を送りながら、栞が冷や汗を垂らしてぼやく。
「これなら、遺書を書いておくべきでした」
「縁起でもないことを言わないで下さいまし!」
「おっしゃああああ! 俺様をよく見てろよ栞ぃぃいい!」
叫びながら拳を構えるカンヘルの横に並び、栞も【アウル】の力を発動させて「光纏」を行う。
全身からうっすらと黄金色の光が噴きだし、それが彼女の体にまとわりついて焔のように揺らめいた。
手にした武器の柄を強く握り締め、笑う膝を叱咤して一歩を踏み出す。
こうして、栞の初めての戦いが幕を開けたのだった。