第四話
それは、物心が付き始めた子供の間ではよくあることだった。
元々日本人らしい鳶色をしていた瞳が、日を追うごとに朱に染まっていき、更には黒かった髪も鮮やかな亜麻色へと変化していた時期。
後に【アウル】が目覚める前兆であったと知ることになったその変化は、同級生の子供達からは少しばかり気味が悪く見えたのだろう。
周りの子供達と比べて明らかに異端であった私は、当時通っていた小学校に行くのが嫌になる程度には疎外されるようになってしまったのだ。
そこそこ裕福な家庭ではあったが、その分だけ両親は仕事が忙しいらしく、私は学校だけでなく家でも一人でいることが多かった。
自然と一人で遊ぶことだけが上手くなっていき、口数が少なくなっていく。
孤独に慣れて一人でいても寂しく思わなくなったせいか、人と付き合わないことが普通になっていき、人との接し方を忘れたせいで私はさらに疎外されるようになっていった。
そうして異端であり続けた私に対して、やがてクラスメイトの反応は無視から陰湿な攻撃へと切り替わり始める。
私が比奈と出会ったのは、丁度その境目の時期であった。
自分と同じクラスに転校してきた、向日葵のように明るく笑う快活な女の子。
いつもクラスの中心にいて周囲の子達を賑わせている、そんな人。
私と同じように日本人らしくない瞳の色をしていた彼女は、しかし私とは違ってどんどん友達を増やしていった。
口数が少なく孤立しており、暗い性格をしていた私とは、およそ正反対の存在。
なのに彼女は、どうしてか私なんかに構ってくることが多かった。
警察官をやっているらしい父親に憧れてか、出会った頃から正義感が強かった比奈は、私が誰かに絡まれて虐められていると、決まって助けてくれたのだ。
「栞ちゃん、またあいつらに絡まれたら私に言うんだよ?」
「うん……」
私の返事に、比奈は納得したように頷いてから離れていく。
しばらくしてから、お礼を言い忘れていた事に気が付いて後悔した。
次こそはと思うものの、毎回のように上手く口が動いてくれず、またお礼を言いそびれて……そういったことを何度か繰り返す内、私は比奈とだけは接するようになっていった。
少しずつではあるが彼女と仲良くなっていき、やがてあまり家にいることが少ない家族よりも、多くの時間を比奈と過ごすようになっていく。
初めて友達が出来て、そのせいで私は少しずつ一人でいることの寂しさを思い出していったのだ。
思い出すと、私が持っていないものを沢山もっている比奈がどうしようもなく羨ましくなった。
彼女が眩しくて、傍にいると自分が惨めに思えた。
自分の中では比奈の存在が一番大きいというのに、彼女の中での私は多くの友人達の一人に過ぎないことが、少しだけ寂しかった。
だから私と比奈が、ほぼ同時期に【アウル】という力に目覚めた時、私は言葉では言い表せないほど歓喜したのだ。
比奈と同じ力を持っていることが、とても誇らしかった。
一緒に久遠ヶ原学園へと編入することが決まり、比奈の中で私の存在が少しだけ大きくなったことが嬉しかった。
「私、お父さんのように一人でも多くの人を守れる撃退士になるの!」
久遠ヶ原学園があるという茨城県東の人工島へ向かう電車の中、比奈は満面の笑顔でそう宣言した。
柔らかい椅子の上に靴を脱いで仁王立ちしている比奈に、私は憧憬を込めた視線を向ける。
【アウル】の力がなくとも、最初から私の中で比奈は物語の中に出てくるヒーローだった。
きっとこれから自然と同じ志を持つ仲間と集まるようになり、そして彼女は皆の先頭に立って戦う英雄になるのだろう。
電車の窓から射し込む光が比奈を照らし出す様は、まるでこれから彼女が歩む道を表しているかのようであった。
だから私は、小さくない寂しさを感じながらも素直な思いを口にする。
「うん……比奈ならなれますよ」
「えへへ~」
照れたように笑う比奈の姿に、どうしてか私も嬉しくなった。
「では私は、比奈のファン一号になります。これから撃退士になったら、まず最初にサインを下さいね」
「え?」
私の言葉に、比奈がキョトンとした表情を浮かべる。
その反応を見て、私は何か間違えたのかと戸惑っていると、比奈は不思議そうに言葉を続けた。
「栞ちゃんも、撃退士になるんだよ?」
「……あ」
言われて、自分も【アウル】の力が目覚めたことを思い出す。
私は自分のことを、ヒーローである比奈を遠巻きに見ている一般人でしかないと思い込んでいたせいで、失念していたのだ。
「栞ちゃんも一緒に、悪い奴らを沢山やっつけよう! 私の背中は君に預けた!」
比奈は椅子の上から飛び降りて私の前に立つと、そう言って私の手を握ってくる。
「……うん」
私が思わず頷くと、比奈は嬉しそうに笑った。
それを見て、私もはにかむような笑顔を浮かべる。
思えば電車の窓から射し込む暖かい光は、最初から比奈だけでなく私も一緒に照らしていたのだ。
今は私も、比奈と同じ光の中にいるのだ。
「一緒に頑張ろうね!」
「はい」
彼女の背中を守るのは私。
主人公である彼女の、最初の仲間は私。
きっとこれから私は、ヒーローである彼女と共に泣いて、共に笑い合うんだ。
同じ道を歩んで、同じ敵と戦うんだ。
本当は恐いし戦いたくなんかないけれど、比奈と肩を並べて同じ時間を歩めるというのは、様々なものを呑み込んで我慢できるだけの魅力があった。
そう、これから私は、いつまでも比奈と一緒に――
寮の窓から射し込む強い陽射しを瞼に受けて、栞は意識を覚醒させた。
まだ眠気が覚めきらずに重くなっている瞼のせいで半眼になりながらも、暖かい日溜まりの中でゆっくりと上半身を起こす。
すると少し離れた場所から、比奈の声が栞の耳に届いた。
「あ、起きた? いつも目覚ましが鳴るまで絶対に起きないのに珍しいね」
声のした方へ視線を向けると、学園の体操服に着替えた比奈の姿が目に映る。
少し薄暗くなっている玄関口に座っていそいそと靴を履いている様子を見るに、恐らくこれから走り込みに行くのだろう。
そんな彼女の背中を見て、栞はどこか呆れた声を上げた。
「……今日はこれから実戦ですよ?」
「うん、分かってるよ」
「今から体力を消費するようなことは、控えた方が良いと思うのですが……」
「少しぐらいなら大丈夫だよ。ちょっとでも走っておかないと、調子が出ない気がしてね」
そう言いながら立ち上がると、比奈はふと何かに気が付いて後ろを振り返った。
「栞ちゃん、今日は機嫌良さそうだね」
「そうですか?」
「うん。だって栞ちゃん、朝はいつも仏頂面なのに、今日は笑ってるもん」
栞は思わず手を自らの顔に当てて、自分の表情を確かめる。
自覚していなかったので少し驚いたが、同時に納得もしていた。
「ちょっと懐かしい夢を見まして」
「そうなんだ。どんな夢だったの?」
「……秘密です」
「え~」
なんとなく気恥ずかしくなり、夢の内容は伏せることにする。
比奈は不満そうに唇を尖らせていたが、元々それほど拘っていたわけでもないので、すぐに諦めたようだった。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
そう言って比奈は、玄関の蝶番に手を掛けて外に出ようとする。
しかしそんな彼女を、栞は呼び止めた。
「比奈」
「ん?」
「今日の初任務、一緒に頑張りましょう」
「うん! まぁ同じ部隊で行動できるとは限らないんだけどね」
苦笑しながら、比奈は今度こそ外へと走り出していく。
そんな彼女の背を見送ると、今日はいつもより凝った朝食を作らせようと企みつつ、栞はカンヘルを召喚することにした。