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Dear Friend  作者: スライム
夢の終わりと始まり
16/22

第十六話

 薄明の空の下、今日も栞は朝早くから街中を走っていた。

 肌が強張るほどの冷たい空気の中に、絶えず白い息を吐き出しながら、一定のリズムで足を動かし続ける。起きている人間が一番少ない時間帯のせいか、騒がしいことが普通である久遠ヶ原学園の人工島も、今は静寂に包まれていた。


 まるで世界そのものが凍りついて停止してしまったかのような空間の中で、一人体に熱量を蓄えて汗を滴らせる。

 やがて空に橙色が入り交じり始めた頃に、いつものコースを走り終えて荒い息を吐いていた栞は、膝に手を置きつつも自分の体力にまだ少し余裕があることを自覚した。

 数ヶ月前の時点では無理して走りきると倒れてしまっていた距離でも、今はこうして辛うじて立っていられる。


 走り込みを始めて、ようやく実感できた成長に……しかし栞は、逆に焦慮に駆られた。

 未だ呼吸を乱しながら、夏場よりも空気が澄んで透き通るような色を披露している空を、睨みつけるように見上げる。

 栞は流れた時間の量を思い知らされていた。


 緑葉の夏が終わり、秋の紅葉を通り過ぎて、冬の裸木に。久遠ヶ原学園も、既に二学期を終えて冬季休暇に入ろうとしている。

 だが依然として、黒塚比奈の行方は分からないままだ。

 彼女を取り戻したいという思いは日を追うごとに強くなるも、それに比例してどんどん焦りが膨らんでいた。

 時間が流れれば流れるほど、比奈との距離が離れていくような気がしてしまう。


 自分の知らない内に、どこかの撃退士にやられてしまったのではないか?

 引き入れた天使に飽きられて、放逐されていたりしないだろうか?

 冥界の悪魔と戦わされ、大怪我を負っているから出てこられないのでは?


 と、動かないでいると嫌な想像が次々と頭に浮かんでくる。

 不安から塞ぎ込みそうになる気分を、首を横に振ることで払い、栞は歩いて帰路に就いた。




「おう、お帰り」


 栞が扉を開いて玄関に姿を見せるなり、いつも通りのエプロンを身に着けたカンヘルが声を掛ける。

 二人以外に誰もいないせいか、部屋の天井に軽く声が響き渡った。

 朝の空気に触れることで冷たくなっている床や物音の少なさも相俟って、栞はこの広い自室になんとなく寂しさを感じてしまう。


「ただいま……シャワーを浴びてきますね」

「あいよ」


 朝食を作っている彼の後ろを通り過ぎて、浴室へと入っていく。

 走ることで温まっていた体も冷えてきており、掻いた汗にも不快感を覚え始めていたので、自然と早足になっていた。

 今なら、比奈が体操着を脱ぎながら浴室へと向かっていた気持ちが少しだけ理解できる。



 シャワーで念入りに汗を流してから髪を乾かし、久遠ヶ原学園の冬服を着て食卓に戻ると、栞は思わず半眼になってしまった。


「なんで人が増えてるんですか?」


 作り終えたばかりの料理が並んだ食卓を前に、椅子に座っている三人。

 栞がよく知っている者達の姿を見て訝しげな声を上げると、フロリーヌが慌てて弁解をした。


「わ、私はただ、また貴方が無茶な大食いをしないようにと――」

「それで見張りのために、よく朝ご飯を食べに来ていたのですか?」

「そ、そうですわ!」


 言い切りながらも、あからさまに目を逸らした彼女に、栞は一瞬だけニヤリと笑う。

 続けて笑みの種類を屈託のなさそうなものへと変えると、心から感謝を込めたような声を上げた。


「理解しました。ありがとうございますフロリン、気を遣ってくれたんですね」

「い、いえ。お礼を言うほどのことでも……」

「私のために……本当にありがとうございます。感謝してますよフロリン、大好きです」

「……っ!」


 実に良い笑顔を浮かべて、繰り返し感謝の念を伝えてくる栞に、何故かフロリーヌの顔色が徐々に青くなっていく。

 やがて罪悪感に負けたのか、彼女はあっさりと白状した。


「ごめんなさい、私……ほ、本当はカンヘルさんが作る料理が美味しくて――」

「まあ最初から知ってましたけどね」

「…………」


 額に青筋を浮かべるフロリーヌに満足そうに頷いてから、今度は彼女の向かい側に座っている二人に目を向けた。

 栞の視線を感じて聡人が気まずそうに身じろぎしたが、構わずノエルは箸で掴んだ卵焼きを彼の口に寄せていく。


「聡人くん、あ~ん」

「いやいや、人前で恥ずかしいからやめてよ」

「大丈夫、恥ずかしいのは最初の一口目だけだと昨日読んだ本にあった」

「……え? まさか、全部こうやって食べさせるつもり?」

「うん。……もしかして、嫌?」


 声色を不安そうなものに変えて目を潤ませ始めた彼女に、聡人はしばらく硬直した後、意を決して口を開き――



挿絵(By みてみん)



「あの、イチャつくなら余所で爆発してくれませんか?」


 栞の呆れた声で我に返り、慌てて口を閉じた。

 あと少しの所で邪魔をされたノエルが、非難の色を込めた目を彼女へと向ける。


「あとちょっとだったのに……」

「邪魔されたくなければ、人の部屋でやらないで下さい」


 ノエルの抗議をあっさりと切り捨てて、栞も空いている椅子に座る。

 そんな彼女の言葉に同調して、フロリーヌがもっともらしく頷いた。


「その通りですわ。こういうことは二人きりで、ご自分で作った料理でなさる方が、雰囲気が盛り上がると私は思いますの」

「いえ、私が言いたいのはそういうことではなく……」


 微妙にズレた物言いに何かを言いかけるも、ノエルが納得して箸を引いたのを見て、栞は言葉を変えた。


「まあノエルに料理ができるとは思えませんけどね」


 天界や魔界に住む者は、基本的に食事をとる必要がない。

 生命活動に必要なエネルギーは、人間界等で搾取した魂から集積装置によって分配されるので、天魔は食事で栄養を取る必要がないのだ。

 故に天界や魔界は、人間界と比べて食文化が発達していなかった。

 いや、発達していないというよりも、ほぼ存在しないと言って良いだろう。


 天界から離れたことで集積装置の影響下から外れた堕天使は、食事による栄養摂取が必要になってくる。だが久遠ヶ原学園に来てそれほど年月が経過していないノエルでは、まだ人間界の食文化に馴染んでいないはずであった。


 以上のことを踏まえて栞は、ノエルには料理ができないと言ったのだが……彼女はそれに、僅かに眉を顰めた。


「む、それは聞き捨てならない。料理ぐらいできる」

「え、本当に?」


 ノエルの言葉に、隣の聡人が意外そうな声を上げる。

 続けて栞とフロリーヌの二人が、疑わしげな視線を机の向かい側にいるノエルに注いだ。


「……念のため言っておきますが、冷凍食品をレンジで温めたり、カップ麺にお湯を注いだりは料理ができることにはなりませんよ?」

「ノエル、見栄を張っても良いことはありませんわ。包丁や火の扱いぐらいなら今度教えて差し上げますから、今は正直になったほうが……」


 誰も自分が料理ができると信じていない様子に、ノエルは唇を尖らせた。

 いつもは無表情に保たれている顔が、誰にでもはっきりと分かる程度に不機嫌なものへと変化する。


「みんな私に失礼。今の私なら、この朝食よりも美味しいものを作れる」

「……なんだと?」


 ノエルの憤りを含んだ発言に、カンヘルが声を低くして反応した。

 犬の刺繍の入ったエプロン姿のまま腕を組んで仁王立ちし、目を細めて威圧的な視線をノエルにぶつける。


「てめぇが、俺様の作った味噌汁に勝てるってか? あぁ?」

「うん、勝てる」


 あっさりと頷いてみせたノエルに、カンヘルは怒りから歯を食いしばったまま、獰猛な笑みを浮かべた。


「言ったなてめぇ……勝負しろこらぁ!」

「うん。じゃあ、今度ご馳走する」


 火花が散りそうな勢いで視線をぶつけ合わせる二人を尻目に、栞とフロリーヌは手を合わせてさっさと食事を始める。


「もしてめぇの料理が口ほどにもなかったら、犬のエプロン着せて俺様に奉仕させるからな」

「じゃあ私が勝ったら、カンヘルはメイド服を着て一日ご奉仕する」

「二人とも、落ち着いて――」


 何やら言い争いに発展し始めたカンヘルとノエルに、それを宥めようとする聡人。

 栞が走り込みから帰ってきた直後とは打って変わって、賑やかな声で部屋の中が満たされていた。

 人が増えたせいか、ひんやりとしていた空気も今は暖かいものへと変化している。

 胸の中に燻っていた焦りや不安が、いつの間にか和らいでいた。


 栞は食事の手は止めないままに、恐らくノエルと聡人を誘って、この状況を作りだした張本人であろう人物の横顔を覗く。

 そんな彼女の視線に気が付いたフロリーヌが、怪訝そうな表情を浮かべて箸を止めた。


「なんですの? 急に人の顔をジロジロと見て」

「……ちゃんと、最初から知ってましたよ」

「?」


 栞が何かを誤魔化すように仏頂面を浮かべると、フロリーヌが戸惑った様子で首を傾げる。

 するとその隙を狙って、栞の箸が彼女の卵焼きに向かって伸びた。

 素早く相手の不埒な箸の動きを、自分の箸によって阻止したフロリーヌが、目を据わらせたまま唇だけで歪な笑みを浮かべる。


「なんのつもりですの?」

「これだけ、まだ手を付けていないようでしたので……嫌いなら、代わりに私が食べてあげようかと思っただけです」

「お生憎様、私は好きなオカズを最後に食べるタイプですの」

「そうですか。実は私は好きなオカズを最初に食べるタイプなのです」

「そう、ならご自分のものを食べなさいな」


 少しも減っていない状態で残っている栞の卵焼きを見ながら、フロリーヌが箸を押し返す。

 負けじと栞も、箸を持つ手に力を込めて対抗した。


「そもそも、この卵は私の部屋の冷蔵庫にあったものですよ。ご馳走になっていて譲らないのは厚かましいと思いませんか?」

「冷蔵庫の中の食材なら、半分は私が買ってきたものですわ」

「でも作ったのは、私の召喚獣であるカンヘルです」


 ギリギリと押し合いながら、完全に食事の手が止まる二人。

 ノエルとカンヘルの口論も徐々に白熱してきており、ただ聡人だけが刻一刻と登校時間が迫ってきている時計を見て頭を抱えたのだった。



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