F級だからとクビになったオッサン。全滅まで残り十一分のS級パーティーを助けに行きます
《死亡予報 残り十一分四十二秒》
配信画面の向こう、五人全員の頭上に同じ赤い数字が浮かんでいる。手にしていた段ボール箱を床に置いた。
「攻略を中止させてください」
巨大ダンジョン中層入口のモニター室。壁一面の画面には、国内最大手クラン《ヘリオス》の主力パーティー《明星》が映っている。S級探索者が二人いる五人組だ。今日は中層奥で見つかった新しい通路を、生配信しながら調査している。同時視聴者数は、すでに八万人を超えている。
『うわ、見てください! 壁が全部、青く光ってます!』
浮遊カメラへ笑いかけたのは、人気探索者のミオだ。その頭上でも、赤い数字は減り続けている。
《死亡予報 残り十一分三十七秒》
「聞こえなかったのか、黒田」
背後から責任者の声が飛んできた。振り返ると、薄い書類を片手に立っている。つい五分前、俺に契約終了を告げたばかりの男だ。
「君は今日付けで救難班を外れた。もう指示を出す権限はない」
「権限の話はあとでいいです。あの通路は危険です」
「危険かどうかはAIが判断している。現在の予測は三・二パーセント。攻略を止める数字じゃない」
職員たちも動かない。画面では、《明星》のリーダーが淡く光る壁へ手を触れていた。青い光。風はない。薄い霧が床を滑っている。ここまでなら、攻略を止める根拠にはならない。
天井から砂粒が落ちた。床へ触れる寸前で止まり、そのまま上へ戻っていく。
「反転層だ」
「なんだ、それは」
「通路じゃありません。眠っている転移器官です。青い光も魔力結晶じゃない。内側が目を覚まし始めてる」
責任者が眉をひそめた。
反転層。十四年前、別のダンジョンの生還者が一度だけ話した現象だ。一定以上の魔力を吸うと、通路そのものが裏返る。中の人間を、別の場所へ吐き出す。吐き出された先が安全かどうかは分からない。
「そんな報告はデータベースにない」
「正式な記録には残ってません。おかしな証言として処理されています」
「なら、君の妄想と同じだ」
「映像を拡大してください。砂が落ちていません。床の直前で止まり、上へ戻っています」
職員の一人が操作盤へ手を伸ばした。
「必要ない。予定どおり続行させろ」
伸びた手が止まった。
「契約を切られた直後に、主力パーティーの危機を主張する。分かりやすすぎるんだよ、黒田」
責任者が床の段ボール箱を見た。中には、十四年分の仕事道具が入っている。
「君はよく働いた。だが探索者としてはF級。魔物を倒せず、素材も持ち帰らない救助専門の職員を置く時代は終わったんだ。これからはAIと各パーティーのヒーラーで対応する」
「その判断に文句はありません」
画面から目は離さない。答えている間にも、五人の数字は減っていく。
「なら、黙って荷物をまとめろ」
「今から十一分以内に、五人が死にます。契約を切られたことは、それを見過ごす理由になりません」
職員たちの視線が、画面からこちらへ移った。
「脅しか?」
「予報です」
俺にだけ見える、死の予報だ。十八歳で判明したスキルは《危険感知》。等級は最低のF。魔物の接近すらまともに分からず、戦闘では何の役にも立たない。ただ、このままでは命を落とす人の頭上に、赤い残り時間が出る。誰が、いつ死ぬか。分かるのはそこまでだ。死因も、助ける方法も出ない。
だから、数字に出ないものを覚えた。崩落前の石の匂い。毒胞子が開く前の湿り気。魔物が縄張りを捨てた跡。ダンジョンが形を変える直前に起きる、わずかな重力のずれ。十四年間、現場で赤い数字の理由を探し続けた。原因を見つけて手を打ち、何度も数字を消してきた。
救助記録に残るのは、《ヘリオス》の対応と、前線で戦った探索者たちの名前だけだ。
それでいい。
生きて帰れるなら、誰の手柄かなんてどうでもいい。
『この先、広い空間になってるみたいです!』
ミオの明るい声に、画面へ意識を戻した。《明星》の五人は青い通路の奥へ進み、リーダーが照明代わりの魔力球を高く掲げた。掲げた直後、壁の光が一度だけ強く脈打つ。
《死亡予報 残り九分五十九秒》
五人の数字が、一気に九分台まで落ちた。
「魔力を吸わせるな! 今すぐ照明を消させてください!」
モニターへ駆け寄り、通信を入れる。赤いランプだけが点き、音声はつながらない。
《権限がありません》
契約と一緒に、通信権限まで切られていた。
「回線を開けてください!」
「許可できない」
「このままなら九分で全滅します!」
「根拠のない話で、八万人が見ている配信を止められるか!」
流れるコメントの中で、異常を疑う声は一つだけだった。
『神秘的すぎる』
『新エリア一番乗りきた!』
『ミオちゃん、奥まで見せて!』
『壁が動いてない?』
最後のコメントが流れた直後、青い壁が人間の喉のように一度だけ縮んだ。五人は奥へ進み続けている。まだ誰も気づいていない。
床の段ボール箱を蹴り開け、救助用ベルトを腰へ巻く。折り畳み杭、ワイヤー射出器、酸素缶二本、予備ロープ、発煙筒。それに、魔力を使わない古いライト。
「何をしている」
「迎えに行きます」
「中層の奥まで一人で? F級の君が?」
「ここからなら七分で着きます」
「止まれ、黒田。もう君は《ヘリオス》の人間じゃない」
出口の扉に職員証を当てると、赤い拒否表示が出た。横の保護板を肘で割り、非常レバーを下ろす。警報とともに、分厚い扉が開き始めた。
「損害は俺に請求してください」
「命令違反だぞ!」
「さっき、命令を聞く権利もなくなりました」
開いた隙間へ身体を滑り込ませ、古いライトを点ける。冷たい風が吹き上がる暗い階段を、そのまま駆け下りた。胸元の端末には《明星》の配信が映り続け、五人の頭上では赤い数字が減っていく。
《死亡予報 残り八分四十一秒》
間に合わせる。
いつもどおり、全員を地上へ連れて帰る。
たとえ今日から、それが仕事でなくなったとしても。
《死亡予報 残り八分三十八秒》
中層奥へ続く非常階段を、三段飛ばしで駆け下りる。普通の道なら七分。装備を持った探索者が、安全を確かめながら進んだ場合の時間だ。踊り場の壁に、古びた鉄扉がある。
《古い救難路 封鎖中》
腰から折り畳み杭を抜き、錆びた留め金へ差し込む。体重をかけると金属が鈍く鳴り、留め金が外れた。三年前の浸水事故以来、使われていない救難路だ。狭く、明かりもない。途中で二度ほど、這って進む必要がある。それでも、普通の道より早く着ける。その差が、五人の生死を分ける。
古いライトを口にくわえ、暗い横穴へ身体を滑り込ませた。胸元の端末では、《明星》の配信が続いている。こちらから声は送れない。見られるのは、公開されている映像だけだ。
『来た道が……なくなってる』
ミオの声から、さっきまでの明るさが消えた。五人が入ってきた場所は、青く光る壁で完全に塞がれている。リーダーが剣の柄で壁を叩いた。
『ダンジョンの変化だ。慌てるな。玲奈、調べられるか』
『やってる。でも変なの。探査魔法が全部、壁の奥へ吸われてる』
玲奈が杖を掲げ、先端へ白い光を集めた。直後、周囲の青が一斉に明るくなる。
《死亡予報 残り七分五十一秒》
五人の時間が、一気に五十秒近く削れた。
「消せ」
声が漏れた。向こうには届かない。玲奈がさらに魔力を注ぐ。それに合わせ、青い壁が脈を打つように膨らんだ。コメントにも、異常を疑う言葉が増え始めた。
『これ演出?』
『壁、呼吸してない?』
『ミオちゃん戻って』
『やばくない?』
視聴者には、五人の頭上の数字が見えていない。俺に見える残り時間は、確実に減っている。
救難路の最後にある格子へ肩からぶつかる。一度では開かない。二度目で留め具が曲がり、三度目で格子が青い通路側へ倒れた。冷たい霧が足元から流れ込む。外へ転がり出ると、すぐに壁際の黒い筋へ靴を乗せた。
床も壁も淡い青に染まり、その中を炭のような黒い筋だけが縦横に走っている。青い部分は柔らかく脈打つ。黒い筋は硬い。元の岩が残っている。足場にできるのは、黒い筋だけだ。
四十メートルほど先で、《明星》の五人が振り返った。
「全員、そこから動くな!」
声が青い通路に響く。ミオが目を見開き、少し遅れて浮遊カメラもこちらを向いた。
「黒田さん……?」
『誰?』
『救助員きた』
『どこから出てきたんだよ』
『ヘリオスの人?』
リーダーは剣を下ろさないまま、こちらを見た。
「救難班の黒田か。なぜここにいる」
「迎えに来ました。まず魔力を止めてください。照明、探査、防御、身体強化。全部です」
「この暗闇で、無防備になれと?」
「その魔力を餌にして、通路が起きています」
玲奈は杖を握ったまま首を振る。
「通路が魔力を吸うなんて聞いたことがないわ」
「俺も一度しか聞いたことがありません」
「一度?」
「十四年前、別のダンジョンから生還した人に聞きました」
「記録にもない話を信じろっていうの?」
「信じなくてもいい。死にたくなければ消してください」
リーダーはすぐには答えなかった。
「モニター室から撤退の指示は出ていない」
「向こうは、ここを普通の新通路だと思っています」
「なら、お前の判断か」
「はい」
「俺たちは《ヘリオス》の主力だ。危険への対処は――」
「玲奈、杖を捨てろ!」
リーダーの言葉を切った。玲奈の数字が、突然書き換わった。
《死亡予報 残り十二秒》
「え?」
「早く!」
捨てるどころか、玲奈は杖を握り直した。その足元で、青い床が水面のように沈む。次の瞬間、身体が天井へ弾き上げられた。
「玲奈!」
リーダーが手を伸ばす。
届かない。
天井に縦長の裂け目が開き、玲奈の身体を吸い込んでいく。
《死亡予報 残り八秒》
ワイヤー射出器を構える。玲奈には撃てない。鉤を直接打ち込めば、助ける前に骨を壊す。狙えるのは、天井近くの浮遊カメラ。その金属の輪だけだ。
撃つ。
掛かった。
ワイヤーを巻き取り、その勢いで前へ飛ぶ。青い床へ触れる寸前、黒い筋へ右足を置いた。左手を伸ばす。玲奈の足首まで、あと少し届かない。
《死亡予報 残り五秒》
「リーダー、俺の腰を持て!」
言い終える前に、救助用ベルトをつかまれた。その支えで身体を限界まで伸ばし、玲奈の足首へ予備ロープを巻く。
《死亡予報 残り三秒》
強く引けば足首が壊れる。裂け目の縁が細かく震えたのを見て、ロープをほんの少し緩める。玲奈の身体が裂け目へ寄り、短い悲鳴と一緒に髪が数本ちぎれて青い奥へ消えた。その直後、裂け目が収縮を始め、吸い込む力がわずかに落ちる。
《死亡予報 残り一秒》
「今だ!」
ロープを引く。同時に腰を強く引かれ、玲奈の身体が裂け目から抜けた。三人まとめて、黒い筋の上へ倒れ込む。赤い数字が消えた。玲奈は肩で息をしながら、自分の手足を確かめている。
生きている。
「わ、私……」
「動かないで。その黒い筋から出ないでください」
玲奈が黒い筋の上にいることを確かめ、身体を起こす。消えたのは、玲奈の数字だけだ。閉じた天井には、まだ細かな波が走っている。配信のコメントだけが、ものすごい速さで流れていた。
『今の何!?』
『玲奈が飛ばされる前に杖捨てろって言ってたよな』
『マジで助けた』
『玲奈さん大丈夫?』
『まだ危ないだろこれ』
ミオが玲奈のそばへ行こうとした。
「動くな!」
ミオの足が止まった。
「でも、玲奈さんが」
「今助けに行けば、あなたが死にます」
ミオは玲奈を見たまま、足を動かさなかった。リーダーも、もうこちらの指示を遮らない。
「黒田。何が起きている」
「ここは通路じゃありません。皆さんが使った魔力で目を覚ました、生きた転移器官です」
「どうすれば出られる」
「全員の魔力を止めます。そのあと黒い筋だけを通って、俺が入ってきた古い救難路まで戻ります」
玲奈が震える手で杖を床へ置いた。先端が黒い筋から外れ、青い床へ触れる。床が口のように開き、杖を丸ごと飲み込んだ。誰も何も言わなくなった。
「身体強化も切ってください。魔導具は外して黒い筋の上へ。慌てず、一人ずつ――」
消えたはずの玲奈の頭上に、赤い数字が戻った。言葉を切る。
《死亡予報 残り三分十九秒》
リーダーの数字も変わっていた。
《死亡予報 残り三分十二秒》
盾役は二分五十四秒。
ヒーラーは二分四十一秒。
ミオだけが、さらに短い。
《死亡予報 残り一分五十八秒》
さっきの全滅は避けた。だが、今度は時間が揃っていない。死因が一つじゃない。
先にミオだ。
腰に下がった小さな銀色の機械へ目を移す。浮遊カメラへ魔力を送る中継器だ。中継器が点滅するたび、青い壁も同じ間隔で脈を打っている。
「中継器を外してください」
ミオが固定具を押す。外れない。
「ロックが……配信中はモニター室からしか解除できません」
《死亡予報 残り一分四十九秒》
解除できないと分かるまでに、九秒減った。モニター室では、俺を止めた責任者が見ているはずだ。視聴者も、すでに十万人を超えている。浮遊カメラへ顔を向ける。
「モニター室。聞こえているなら、今すぐミオの中継器を解除してください」
返事はない。
青い床の下で、巨大な何かが動いた。
「一分以内に解除されなければ、ミオは死にます」
《死亡予報 残り一分四十六秒》
返事はない。中継器の青白い点滅は止まらない。配信を続けるための魔力を、反転層が吸い続けている。
『解除できないの?』
『モニター室、見てるんだろ』
『さっき一分以内に死ぬって言ったぞ』
『早く外せよ!』
ミオの目が、流れるコメントへ向いた。
「黒田さん。本当に、私……」
「大丈夫です。まだ間に合います」
助かると決まったわけじゃない。それでも、外す手段はまだ残っている。救助現場で、根拠のない言葉は使わない。
リーダーが中継器へ手を伸ばした。
「留め具ごと斬る」
「待ってください」
「時間がない」
「力任せに外せば、安全装置が働きます。溜まった魔力がミオへ戻る」
伸びた手が止まった。中継器は、ミオの魔力を受けて浮遊カメラへ送る。壊れた時には、使用者を守る仕組みが働く。普段ならそれでいい。今は、その仕組みが魔力の逃げ道を塞ぐ。
「じゃあ、どうする」
「先に魔力を逃がしてから切ります」
救助用ベルトから、昔の感電事故で使われていた細い銅線を抜く。片端を中継器へ差し込み、もう片端を黒い筋へ触れさせた。青白い火花が散り、壁の脈が一度止まった。銅線は使える。
「リーダー。身体強化は使わず、剣先だけで固定帯を切ってください。中継器には触れないで」
「分かった」
「ミオは動かないで。息は止めないでください」
「……はい」
《死亡予報 残り一分十二秒》
リーダーの剣先が固定帯へ入る。刃がわずかに触れただけで青白い火花が走り、ミオの身体が跳ねた。
「動かないで!」
「っ……!」
「目を閉じていい。息だけは続けて」
銅線を押さえ、中継器の光を数える。短く三回。長く一回。光が消えた。
「今です」
リーダーが剣を引き、固定帯を切った。銀色の中継器がミオの腰から外れる。
《死亡予報 残り四十八秒》
赤い数字は残っている。外すだけじゃ駄目だった。外れた中継器から、細い青い糸がミオの身体へ伸びたままだ。
銅線を引き、中継器の外側を剥がす。中から青く光る結晶が現れた。通路全体が低く鳴り、青い床から細い触手が何本も伸びてくる。
「黒い筋から出ないで!」
触手は中継器へ集まり、そのうち一本がミオの右足へ巻きついた。
《死亡予報 残り三十一秒》
「ミオ!」
リーダーが剣を構える。
「斬るな! 刺激すると締まります!」
触手が縮み、ミオの右足が黒い筋から外れた。青い床がその下だけ開き、暗い裂け目が現れる。床へ伏せて肩をつかみ、引く。触手がさらに硬く締まった。引くほど締まる。このまま両側から力をかければ、先に脚が壊れる。
《死亡予報 残り十九秒》
腰のナイフを抜く。触手は切らない。切るのはブーツだ。ブーツの紐へ刃を入れ、足首側から一気に切る。そのまま側面の革を裂いた。
「靴を捨てます。足を抜いて!」
「抜けな――」
「踵を浮かせて! つま先は下!」
ミオが歯を食いしばり、足を動かす。触手がブーツごと締め上げた。
《死亡予報 残り十秒》
踵が引っかかった。裂いた革へ指を入れ、左右へ強く広げる。爪が剥がれ、指先に痛みが走った。まだ広げられる。
《死亡予報 残り五秒》
「もう一度!」
ミオが足を蹴り出す。素足がブーツから抜けた。そのまま身体を黒い筋の上へ引き戻す。青い床が閉じ、空のブーツと、触手に包まれた中継器が沈んでいく。ミオへ伸びていた青い糸も、そこでちぎれた。
ミオはすぐそばで、荒い呼吸を続けている。赤い数字は消えた。呼吸は続いている。首筋へ指を当てる。脈もある。足首に大きな変形はない。
助かった。
ミオが自分の胸へ手を当てた。
「……生きてる」
黒い筋の中央へ座らせる。
「はい。死亡予報は消えました」
「死亡……予報?」
しまった。浮遊カメラが、すぐそばでこちらを映している。コメントが一気に流れ始めた。
『ミオちゃん助かった!』
『よかったあああ』
『足大丈夫か!?』
『まだ終わってないだろこれ』
視聴者数は、二十万人を超えている。幸い、コメント欄に「死亡予報」を拾う声はない。説明している時間はない。救助はまだ終わっていない。
「黒田」
リーダーに呼ばれた。
「次は何をすればいい」
リーダー、玲奈、盾役、ヒーラー。残る四人の頭上に、ほぼ同じ時間が並んでいる。
《死亡予報 残り一分二十六秒》
助かったばかりのミオにも、赤い数字が戻った。
《死亡予報 残り一分二十二秒》
今度は、五人の時間が揃っている。同じ死因と見ていい。
飲み込まれた中継器が、青い壁の奥でまだ光っている。外装を剥がしたため、中の結晶から魔力が直接流れ込んでいた。壁の脈が速くなる。足元の黒い筋も、端から青く染まり始めた。黒い筋が消えれば、立っていられる場所がなくなる。
「飲み込まれた中継器が、反転層を暴走させています」
玲奈が床の奥へ目を向けた。
「取り出せるの?」
「無理です。もう中に入ってる」
「なら、どうすれば」
壁の脈は、さらに速くなっている。中継器は取り出せない。黒い筋も消え始めた。歩いて救難路へ戻る時間もない。
残るのは一つ。
反転層が食いきれないほどの魔力を、一気に流し込む。うまくいけば、俺たちを異物として外へ吐き出す。失敗すれば、ここで全員潰れる。
「リーダー。全員の魔導具を一か所へ集めてください」
「魔力を止めるんじゃなかったのか」
「止める段階は終わりました」
青く染まり始めた黒い筋へ目を落とす。
「これから全員で、この通路を殺します」
《死亡予報 残り一分十九秒》
「全員の魔導具を、二本の黒い筋が交わる場所へ置いてください」
足元で、黒い筋が十字に交わっている。十四年前の生還者は、反転層から吐き出される直前、身体が岩の方へ引かれたと言っていた。黒い筋は、元の岩が残っている場所だ。ここなら、出口にできるかもしれない。
「ここへ魔力を集中させます。反転層が食いきれなくなれば、俺たちを外へ吐き出すはずです」
玲奈がこちらを見た。
「失敗したら?」
「押し潰されます」
「成功しても、どこへ出るか分からないんでしょう」
「はい」
確証はない。十四年前の証言と、今見えている反応。それだけだ。
「ただし、何もしなければ全員ここで死にます」
迷っている時間はない。リーダーが最初に剣を置いた。
「何をすればいい」
「最後に剣から魔力を流してください。全力で、一秒だけ。それ以上は流さないでください」
「一秒だな」
「盾役は、全員を一本のワイヤーでつないでください。一人でも離れれば、別の場所へ飛ばされるかもしれません」
「了解!」
盾役が自分の腰へワイヤーを巻き始める。
「ヒーラーは玲奈を支える準備を。回復魔法は、俺が合図するまで使わないでください」
「分かりました」
「ミオはその場で伏せて。何が起きても、頭を上げないでください」
ミオがうなずいた。
「黒田さんは?」
「出口を開けます」
折り畳み杭を二本抜く。一本を黒い筋の交点へ立て、もう一本を青い床との境目へ斜めに打ち込む。二本の間へ銅線を巻き、発煙筒を結びつける。どちらの杭も、魔力を使わない古い道具だ。
玲奈が手元を見た。
「それで何をするの?」
「魔力を、この交点だけに集めます」
通路全体へ流せば、反転層に食わせるだけだ。この交点へ大量の魔力と熱をぶつけ、ここから俺たちを吐き出させる。ここが出口になる保証はない。ほかに試せる場所もない。
《死亡予報 残り四十六秒》
「ワイヤー、つなぎ終わった!」
盾役の声が飛んだ。五人をつないだワイヤーの最後を、自分の救助用ベルトへ留める。胸元の金具に赤い光が映った。
《死亡予報 残り三十八秒》
俺にも死亡予報が出た。自分の数字を見るのは初めてじゃない。十四年間で三度あった。崩落現場。毒霧の中。水没した場所。どれも、助ける順番を間違えなければ消えた。
今回も、やることは同じだ。
「玲奈。床の中にある中継器を探してください。あれを魔力の受け皿にします」
「杖もないのに、そんな細かいこと……」
「できます」
「どうして言い切れるの?」
「さっき、壁全体へ探査魔法を届かせた。今は、中継器の方が近い」
励ますために言ったわけじゃない。玲奈が実際にやったことを、そのまま返しただけだ。
玲奈は目を閉じた。
「……見つけた」
青い床の奥で、銀色の光が瞬いた。飲み込まれた中継器だ。
「リーダー、まだです」
リーダーは剣の柄を握ったまま、魔力を流す寸前で止めている。足元では、黒い筋が端から青く染まっていた。立っていられる場所が狭くなる。盾役の右足が青い床へ触れ、足首まで沈んだ。
「動くな!」
「でも、足が!」
「抜けば食われます。そのままで!」
発煙筒へ手をかける。
「ヒーラー、今です。玲奈を支えてください」
ヒーラーの手から淡い光が伸び、玲奈の震える身体を支えた。
「玲奈。中継器へ全部流してください」
「やるわ!」
玲奈の両手から白い魔力が流れ、青い床に吸われる。通路が大きく膨らみ、壁と天井がこちらへ迫った。
「リーダー!」
「おおっ!」
リーダーの剣から白い魔力が流れ、黒い筋の交点へ叩き込まれる。
一秒。
「止めて!」
剣からの魔力が止まった。発煙筒を起動した。火花と赤い煙が噴き出し、熱を受けた青い床が交点から丸く退いていく。退いた床の下に、白く光る縦長の穴が現れた。
「全員、息を吸って!」
反転層が大きく震えた。音じゃない。骨の奥を直接揺さぶられる。青い壁が一気に縮み、ワイヤーが一斉に張った。仲間の身体が、こちらへ寄せられる。
二本の杭を蹴り倒す。白い穴が、破裂するように大きく開いた。
足元が消える。
落ちたんじゃない。
反転層が、俺たちをひとかたまりのまま吐き出した。
上下の感覚が消え、青、黒、白が何度も入れ替わる。身体が回り、腰のワイヤーが強く張った。急に、別の方向へ引かれる。その先へ手を伸ばし、腕をつかんだ。
ミオだ。
胸元へ引き寄せる。暗闇の先に、灰色の岩床が見えた。ミオを抱え込み、背中を岩床へ向ける。背中から叩きつけられた。衝撃でミオの身体が腕から離れ、肺の空気が全部押し出された。遅れてワイヤーが何度も張り、周囲で人の落ちる音が続いた。
目を開く。灰色の岩床。青い壁はない。胸元の金具に映っていた赤い光も消えている。
「みんな、大丈夫ですか!」
「こっちは大丈夫だ!」
「私も……!」
少し離れた場所から、返事が続く。身体を起こして確認する。リーダーと盾役は自力で起き、玲奈はヒーラーに支えられていた。
四人とも生きている。残る一人はミオだ。腰から伸びたワイヤーを目で追う。少し離れた岩壁のそばに、人影が倒れている。
「ミオ!」
痛む身体を引きずって近づき、首筋へ指を当てる。脈はある。
「ミオ、聞こえますか」
「……はい」
ミオの目がゆっくり開いた。
「すみません……ちょっと、世界が五つくらいに見えてて」
「それだけ喋れるなら、ひとまず大丈夫です」
「それ、大丈夫なんですか?」
「そこは診てもらいます。ヒーラー、お願いします」
声は弱い。意識はあり、返事もできる。リーダー、玲奈、盾役、ヒーラー。四人の頭上に赤い数字はない。ミオにもない。
全員、生きて戻った。
見覚えのある灰色の岩壁。転がった古いライト。ここは、さっき通った古い救難路だ。
「戻ってきた……」
玲奈が小さく声を漏らした。リーダーは仲間を一人ずつ確かめてから、こちらを向いた。
「助かりました」
深く頭を下げた。玲奈たちも続こうとする。
「まだ中層です。礼は外へ戻ってからにしてください」
「……そうだな」
まずは全員を、中層入口まで連れて帰る。床に転がっていた浮遊カメラが動いた。ふらつきながら浮かび上がり、こちらへレンズを向ける。予備電源が残っていたらしい。通信圏へ戻ったことで配信もつながり、胸元の端末には四十万人を超える視聴者数が表示されていた。
『全員いる!』
『生還した!』
『マジで五人全員助けた』
『途中からこの人の指示しか正解なかったぞ』
『この救助員、何者なんだ』
『自分も血だらけじゃないか』
浮遊カメラを拾い、レンズを床へ向ける。
「配信を切ってください。負傷者の顔を映さないで」
返事は待たず、電源を切った。立ち上がろうとすると背中が痛み、膝に手をついた。横から差し出された腕につかまると、リーダーがそのまま肩を貸してくれた。
「歩けるか」
「これなら。助かります」
ミオも盾役に支えられて立っていた。靴のない足をかばい、ゆっくり一歩踏み出す。ヒーラーが隣についているのを確かめ、ライトを来た道へ向けた。帰りは走らなかった。狭いところでは先に抜けた者が手を貸し、後ろの声を待ってから進む。途中で何度か足を止めたが、急かす者はいなかった。
中層入口の扉を抜けると、待っていた職員たちが駆け寄ってきた。ミオと玲奈が手当てのために案内されるのを見送り、借りていた肩から手を離す。その向こうに、責任者が立っていた。
「全員、無事か」
「なんとかな」
リーダーはそう答え、こちらを見た。
「俺たちを助けたのは黒田さんだ」
責任者はしばらく黙っていた。
「……そうか」
こちらへ向き直り、頭を下げる。
「俺の判断が間違っていた。助けてくれて、ありがとう」
「全員戻れてよかったです」
救助用のベルトを外し、床に置いたままの段ボール箱へ戻す。ライトも消して収め、開いていた蓋を折り重ねた。
「それじゃ、お世話になりました」
箱を持ち上げて軽く頭を下げ、出口へ向かう。
「黒田」
足を止めて振り返った。責任者は、手にした契約終了の書類へ目を落とした。
「契約を延長してもいいか」
少しだけ笑った。
「考えさせてください」
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