#1
「何で泣いてるの、鈴」
差し出された青いハンカチは良い香りがした。
それを優しく目元に当てられ、思わず瞼を伏せる。
「真っ赤になってるよ。強く擦っちゃダメだって」
小学生だった俺は毎日と言っていいほどよく泣いていた。そんな俺をいつも心配してくれたのは、四つ歳上の従兄弟。
親が共働きのため、夜になるまで家ではひとり。そんな俺を心配して、彼はしょっちゅう家まで様子を見に来てくれた。泣き虫で臆病で、何もできなかったあの頃……彼は親戚の誰から見ても、俺のお世話係だった。
「誰かに意地悪でもされた?」
彼の質問に、途切れ途切れだけどようやく答えることができた。
親に怒られたと。
理由は朝寝坊したこと、宿題をやらなかったこと、家の鍵をなくしてしまったこと、部屋の掃除をしなかったこと、それと……。
他にもたくさんあったけど、彼は手を突き出して首を横に振った。
「よーしよーし、よく分かった。大丈夫だよ、お前は人よりちょっと……天然なだけ」
彼は腕を組み、考えるようにして天井を見上げる。
「勉強だって手伝いだって、お前が頑張ってることは叔父さん達もちゃんと分かってるよ。だから心配しないで。……なにかあれば、俺がお前を守るから」
あたたかい掌が頬に触れる。気付けば涙は止まっていた。
自分じゃ何もできない俺を気にかけて、世話を焼いてくれる人。彼のことが本当に好きで、大切で。
ずっと一緒にいたいと思った。
この人の役に立ちたい。それだけを願っていたけど、彼は高校卒業と同時に留学生として海外へ行くことが決まる。
そして俺達の距離は八千キロ以上離れてしまった。
遠すぎる距離は感覚が麻痺する。まるで彼とはもう同じ世界にいないように思えた。
同じ時間を生きてるとは思えない。同じ空を見てるとは思えない。
でも、想い続けてる。これは一体、いつまで続くのか……。
何枚もカレンダーを捨てた。気付けば六年の歳月が流れ、俺は二十歳になった。
「ふぅ……っ」
外は暗く肌寒い。駐車場に車を停めて歩くと、顔にあたる夜風に身震いした。
一時間以上運転してやって来たのは首都圏の国際空港。とても急だったが、間に合って良かった。
大学二年生の日永鈴鳴はスマホで時間を確認して、ひとり目的の第一ターミナルへ向かった。
ここに来たのは実に六年ぶりである。六年前、海外へ飛び立つ従兄弟を見送りに行った、あの日以来。
あぁ……緊張する。
この感じ、あの時と似てるぞ。大学入試のときと同じ、あの胃液が上がってくる感覚に。
十九時四十五分。もうすぐだ。
電光掲示板を見て、彼が乗ってるであろう飛行機の到着時間を交互に見合わせる。
ここへ来たのは、帰国する従兄弟を出迎えるためだ。
到着ロビーでしばらく待っていると、大勢のフライト客がやって来た。ひとりひとり注視していたその時、ある青年に目が留まった。
うっすらと、しかし確かに感じる、懐かしい雰囲気の青年。
「か……和巳さん!」
「……鈴?」
鈴鳴は小走りで彼の元へ向かった。
「うあぁぁ……やっぱり和巳さんだ……! お久しぶりです!」
涙目で言うと、彼は掛けていた眼鏡を外して笑った。
「本当に……久しぶりだな、鈴。すっかり大人になってるから見違えたよ。最初誰だか分からなかった」
キャリーケースから手を離し、彼は強く鈴鳴を抱き締めた。
「迎えに来てくれてありがと。すごい嬉しい」
「……っ!」
少しだけ、周りの視線を感じた。降りてきたのも待っていたのも日本人だし、男同士でこの熱い抱擁はちょっと目立つ。
ドキドキしたし、気まずいから早くこの場から離れたい。
それでも、まだ彼に会えた喜びの方が勝っていて動けない。逸る鼓動を抑えて、彼の両手を握った。
「ずっと待ってました。……おかえりなさい、和巳さん。さぁ、俺の家に帰りましょう!」
「おぉ。でも、本当にお前の家に泊まっちゃっていいの? 彼女とかいたら困らない?」
「困りません。生まれてこの方彼女できたことないんで」
つい大声で言ってしまって、また視線を感じた気がした。やばい。一回落ち着こう、俺。
これからは頑張って、和巳さんの役に立つぞ……!
四つ歳上の従兄弟、日永和巳に再会した鈴鳴は喜びの気持ちで一杯だった。




