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夢の森に眠るもの

作者: 宵町誉
掲載日:2026/02/06

森に迷い込んでから数日が経った。

空は赤から紫、藍へと変わっている。


(たしか、東の島国では、夕映えというんだったか)





◆ ◆ ◆





太陽の位置を頼りにしばらく歩くと、ひらけた場所に出た。


そこに現れたのは、不自然なほどに澄んだ、対岸が見えないほど大きな湖だ。


湖のほとりに腰を下ろした老人がいる。

荷物を持っているわけでもなく、あるのは風に揺らめく焚き火だけ。


人の手が一切入っていない場所で、老人と焚き火は酷く異質だった。


老人は薪をくべながら、ちらりとこちらへ目線を向けた。


「お前さん、こんなところまで入ってきたのか?」


「…いえ、こんな場所があるとは知りませんでした」


出会ったばかりの者に、正直に答える気にはなれず、はぐらかす。

言っても言わなくても、変わらないことだ。


「迷ったのか。そうか…もうすぐ、お目覚めになるのかねぇ」


老人は独り言のように呟いた。声には感情が感じられず、何処か無機質に感じた。


老人は今も此方に目を向けていない。

その目は、ふわふわと舞う火の粉を追っているようにも、ただ宙を見つめているようにも見える。


老人の言った、目覚める、という言葉が耳に残った。

しかし、その違和感はゾワリとした感覚とともにかき消える。


「なぁ、俺『迷った』って言ってない……ですよね?」


思わずこぼれ落ちてしまった言葉に、後から不安が押し寄せる。

これは、口にしてよかったのだろうか。


「ん? あぁ、ここに来るのは、竜の魔力に遊ばれた奴だけだからなぁ」


『竜』という言葉に、混乱が生まれる。


(おとぎ話に出てくる、あの竜か?)


いつもなら、鼻で笑い飛ばすような存在だ。

それなのに、この老人があまりにも自然に語るものだから、まるで本当のことのように思えてしまう。


「竜?」


「おう。ここにいるのは厄竜様だ」


「厄竜? 火竜や守護竜ではなく?」


この老人の言う竜とは、聞いたこともない『厄竜』というらしい。

それが、なぜか嘘だとは思えなかった。


「そうだ。あの方はなぁ、守護竜みたいに穏やかな性格なんだが、目覚めると、世界にとって厄災になっちまうんだよ」


「はあ」


穏やかなのに、厄災。

それも、世界に影響するほどの。


老人の説明はどこか要領を得ず、なかなか考えがまとまらない。

思いつく『厄災』を伝える。


「大地が揺れるとかですか。大雨がずっと降るとか、逆に、全然降らないとかですか?」


「あー、結果としてそうなることはあるかもな」


全てに可能性があるというのか。

相変わらずよく分からない。

それに、もしそんなことになってしまったら、大騒ぎではないか。


「厄災ってのはなぁ、あの方が何かするわけじゃない。魔力のせいで精霊たちが暴走しちまうのさ」


魔力。

さっきも『魔力に遊ばれた』などと言っていたが、魔力とはなんなのだろう。

普通、魔法師たちが魔法を使うためのものではないのか。


「だからなぁ、少しでも長くあのお方が眠っているように、いたずらに人々がここに来ないように、番人が必要なのさ」


今まで聞いてきた話の欠片が、少しずつ形を成していく。


「…あなたが、番人ですか」


「そうじゃなぁ、儂は番人……」


老人は、初めて考えるようなそぶりを見せた。


「いや、お前さんが来ちまったからなぁ。もう、番人だった、になるのかねぇ」


その視線は、さっきのような曖昧な場所ではなく、はっきりと湖を見据えていた。

湖面ではない。もっと、もっと奥の、深いところを、見ていた。


「俺が来たから?」


「そうだなぁ。儂には、魔力を抑えるのが難しくなったから、こんなとこに来ちまったんだろ。そんだけ、厄竜の力が戻ってきたんだろよ」


この老人が、厄竜の魔力を抑えていたというのか。

だから、厄災は起きなかった。


(あぁ、『目覚める』ってのは、『厄竜が』ってことか)


魔力が戻ってきたから、目覚めが近い。

人だって眠って、体力が回復したら起きる。

死んでもいないのに眠り続けるなんてことはない。


至極単純な理屈だ。


そう考えて、気づいた。


(魔力が抑えきれなくなっているのに……それなのに、これほど湖の近くにいる老人は、大丈夫なのか?)


聞いている限り、厄竜の魔力というのは凶悪なものに思える。

それなのに、なぜこんなところにいるのだろう。


そもそも、厄介な厄竜の魔力を抑えられるこの存在はなんなんだ。

精霊は暴走すると言っていた。だから、精霊ではない。


(神の使い?いや、神ならわざわざこんな事せず、厄竜を殺せたはずだ)


それに、この老人は神聖といった雰囲気ではない


では、なんだ?


「……あんたは、人間なのか?」


問いかけるように言いながらも、そうではないだろうと、確信に近い感覚もあった。


この老人からは、生きているという感じが、まったくと言っていいほどしなかったから。


(そもそも、こんな場所で荷物の一つも持たずにいるのはおかしかったな)


なぜ、こんな場所に一人でいるのか。

なぜ、一人で『いられる』のか。


「人間かと聞かれりゃ、そうじゃあないな」



あっさりと、否定の言葉が吐き出された。

老人の視線が、雲に、火に、木々にと移ろっていく。

何か迷っているような、ためらっているような雰囲気だった。


その様子につられて緊張したのか、俺は無意識に耳飾りをいじっていた。


ふっと息を吐く音がして、老人はしゃべり始める。


「儂はなぁ、前回、あの方が目覚めた時に、ありったけの力を注がれて召喚された眷属だ。

厄竜様を、少しでも長く眠らせるための……結界装置みたいなもんだな」




しばらく、言葉が出てこなかった。

焚き火のパチパチという音が、やけに大きく聞こえた。


それは、眷属という予想外の正体に驚いたからか。

それとも、自らを機能として語る、その在り方に戸惑ったからか。


「じゃあ……『番人』でなくなったあなたは、これからどうなるんですか?」


つい先ほどまで、飄々としていて、どこか恐ろしいとさえ思っていた老人。

その姿が、今は、ほんの少しの刺激で落ちてしまいそうな枯葉のように見えた。


「さぁな。魔力に還されるかもしれないし、そのまま放置されるかもしれない。

ま、穏やかな方だからなぁ。案外、『好きにしろ』と言われるかもしれん」


魔力に還される。

それは、消えるということではないのか。

死ぬ、ということではないのか。


だが老人は、それをまったく恐れていなかった。


(恐く、ないのか?)


その感覚の違いに、俺はこの存在が人間ではないのだと、否応なく思い知らされた。


「あの方はなぁ、人間……いや、この星に生きる者たちの味方じゃないが、天に弓を引いてるわけでもない。

生まれてから、別の場所に行ったこともない」


どこかふわふわとしていた心が、老人の言葉で引き戻される。


相変わらず、はっきりとしない言い方だ。

だが、そんな胡散臭いとも言える言葉を、俺は真剣に聞いていた。


風が水面を撫でる音が大きくなる。


「でもな、無知ってわけじゃない。儂みたいなのを通して、ちゃんと世界を知っておられる」


焚き火に手をかざし、暖を取りながら、老人の話に耳を傾ける。


風が強くなったのか、炎がせわしなく揺れていた。


「まあ……安心しろ。お前さんが生きてるうちに、目覚められることはないだろうさ」


湖面に映っていた水月が、雲に隠れた。

見上げると、薄い雲の向こうで、ぼんやりと月が光っている。


「あとのやつらが心配なら……そうだな。精霊の愛子たちがいれば――」


焚き火が、バチリと音を立ててひときわ大きく弾けた。

火の粉が高く宙を舞う。


その音と、夜にしては強すぎる光に、夢うつつだった意識が引き戻された。


気づけば、つい先ほどまで明確だったものの輪郭が溶け、認識できなくなっていく。

 







(飯も食ってないのに、寝ちまうところだった)


揺れる炎が、周囲の木々をちらちらと照らしている。


空を見上げると、月が雲の向こうでぼんやりと輝いていた。


月の位置を見るに、長い間眠っていたわけではなさそうだ。


(なにか……夢を見てた気がするんだが)


思い出そうとしてみるが、残っているのは『厄竜』『湖』『だれか』といった断片だけだった。


(夢は、目が覚めたらすぐに忘れる。いつものことだな)


夢のことも、夕食を食べているうちに、意識の海に呑まれ、沈んでいった。


翌朝起きた時まで残っていたのは、『精霊の愛子』、という聞いたこともない言葉だった。


だが、とても大事なことな気がした。


(夢の話なのに何考えてんだか、俺は。…ま、まだまだ色んなとこを周るんだ。宝探しかなんかだと思って、探してみるか)

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