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第5話:差し出された手のぬくもり

過酷な逃避行の中で、人はどれだけ他人を信じられるだろうか。

どれだけ、自分のことを後回しにして、人を守ろうと思えるだろうか。


この第5話では、これまで「守る側」として振る舞ってきた真優が、

小さな手から差し出された“何気ない優しさ”に心を揺さぶられる物語です。


無償の善意は時に、どんな言葉よりも強く、静かに人を救う。

そんな瞬間を、あなたにも見届けてほしいと思います。

 峠道を下ろうと、真優が歩を進めかけたそのときだった。

 胸元に抱きかかえられていたルナが、小さな声でぽつりとつぶやいた。


「……あの、真優さん。慌てていたので放置してしまっていましたが……あそこで倒れている人……大丈夫なんでしょうか? まさか、死んでしまってるなんてことは……」


 不安げな表情が、視界の端に映る。月明かりに照らされたその顔は、幼く、けれど本気で人を案じる目をしていた。


 それを見た真優は、心配をかき消すように少しだけおどけた口調で答える。


「心配すんな。ちゃんと気絶してるだけだ。まあ、右手と顔はちょっとひどいかもな……本気でぶん殴ったし、骨の一本や二本は折れてるかも……」


 それを聞いたルナの表情が、ふっと翳る。

 そして、逡巡したのち、ぽつりと漏らす。


「真優さん。もし……よかったら、この方の傷も、治してあげちゃだめですか……?」


 その声は決して同情のそれではなかった。

 目の前の“傷ついた誰か”を、ただ助けたいと願う目だった。弱者に手を差し伸べる、真っ直ぐで強い意思。


(この目……本気で、助けたいと思ってるな)


 真優は、ちらりと倒れている男に視線を移す。鼻はひしゃげ、顔は腫れ上がり、地面には点々と血の跡が残っている。自分としては、命に別状はないだろうと踏んでいた。だが――


(まあ、追ってきたらそのときはそのときだ。もう弾の避け方もわかってる。大人数で来ない限りは問題ない)


 ふっと笑って、真優はうなずいた。


「……仕方ねぇな。いいぜ、治してやれ。ただし、念のために身体は縛っておく。暴れられたらたまったもんじゃねぇ」


「……! ありがとうございます!」


 ぱっとルナの顔が明るくなる。跳ねるように腕から抜け出し、ぺたぺたと裸足で駆け寄っていく。その背中を見送ったあと、真優も男に近づいた。


「にしてもルナ、お前……自分の“その力”について、どこまで分かってるんだ?」


 背後から聞こえてきた問いに、ルナは少し振り返って答える。


「えーっと……正直、詳しくは分かりません。でも、さっきので少し掴んだ気がします。こう……ぎゅっと、心の中で“お願いする”感じといいますか」


「なるほどな……まあ、練習にはちょうどいいかもな」


 そう言いながら真優は、倒れている男の外套を器用に剥ぎ取ってひねり、即席のロープとして使った。

 男の腕を背中で組ませて結び、背後のガードレールへと何重にも括り付ける。結び目は堅牢で、起き上がってもすぐにはほどけまい。


「よし。ルナ、いつでもいいぞ」


 呼ばれたルナが静かにうなずき、真優の隣に膝をついた。両手を伸ばし、大きな男の顔を、まるで陶器を扱うような繊細さで包み込む。


 その細い指が頬に触れた瞬間、場が静まり返る。


 ルナは目を閉じ、胸の前で深く息を吸い込んだ。そして――


 ふわり。


 両の手が、金色の光を帯びて輝き出す。

 穏やかで、どこか聖なる印象を受ける柔らかな光。男の顔についた血が、傷が、腫れが、光に吸い寄せられるように引いていく。


 地面にこぼれていた歯の一部までもが、まるで時を巻き戻すかのように肉体へと戻り、整っていく。


(……やっぱりこの子、ただ者じゃねえな)


 真優はその光景を目の当たりにしながら確信する。

 この力。どんな傷でもたちどころに癒す再生の能力。

 それが、ルナが追われる理由に違いない。


(こんな力、世界が放っておくわけがねぇ。……なら、守らなきゃいけねぇだろ)


 やがて金色の輝きが収まり、ルナは小さく目を開いた。


「……終わりました。たぶん」


「おお……マジか。すげえな、こりゃ……」


 真優は驚きながら、男の鼻を指で押して確かめた。折れていた骨はきれいに繋がっており、顔の腫れも完全に引いていた。


「完璧に治ってる。お前、もしかしたら天使か何かか?」


「え……天使って、なんですか?」


「ま、いいや。とにかく、よくやった。お疲れさん」


 そう言って真優は、ぽんとルナの頭を撫でる。

 ルナは嬉しそうに頬を染めながら、小さく笑った。


「ちょっと頑張ってみました!」


 その表情は、どこまでも無垢で、あたたかい。


「……さて、ついでにコイツの持ち物も調べておくか」


 真優はあっさりと男のポーチに手を突っ込み、次々と中身を確認する。


「えっ……それ、勝手に見ちゃっていいんですか?」


「なーに言ってんだよ。向こうが先に俺ら撃ってきたんだぞ。正当防衛の延長みたいなもんだ」


「……た、たしかに。そうですね!」


 真優は心の中で(チョロいな)と苦笑しながらも、物色を続ける。

 手りゅう弾のようなもの、替えのマガジン、地図……だが、肝心の身分証明書などは出てこなかった。


(やっぱり、正規の身分じゃねえのか)


真優が男の持ち物を確かめていた間、ルナはその隣で、不思議そうに鼻をひくひくと動かしていた。


「……なんか、良い匂いがします」


 目を細め、ポーチへとそっと顔を近づけていく。

 銀紙に包まれた板チョコからは、ほのかにビターで甘い香りが漂っていた。それは、自然の果物や焼きたてのパンとも違う、どこか懐かしいような――だがルナにとっては、初めて触れる香りだった。

小さく息をのんだルナの表情が、目に見えて変わる。

 その瞳に驚きと興味が一度に浮かんだ。まるで、記憶の奥底に眠っていた「快いもの」の感覚に触れたような――そんな反応だった。


「……これは、食べ物、ですよね?」


「真優さん、見てください。食べ物、ありました!」


 嬉しそうに差し出したのは、銀紙に包まれた一枚の板チョコ。包装はところどころ破れており、中のチョコもひび割れていたが、確かにそれは甘い希望の形をしていた。


「おっ、やるじゃん。……折れてバキバキだけど、食えりゃ十分だ」


 真優がニヤリと笑うと、ルナは首をかしげた。


「いたちょこ、って……なんですか?」


 その問いに、真優は一瞬ぽかんとした後、噴き出しそうになるのをこらえて答えた。


「おいおい、マジか。板チョコってのはな、豆から作られる甘くてうまいお菓子だ。コンビニでも普通に売ってる」


「甘い……お菓子……! わたし、それ、食べてみたいです!」


 キラキラとした瞳。まるで“甘い”という響きそのものに夢を見ているかのような表情。


 真優は軽くうなずくと、手を差し出した。


「ちょっと貸してみ? 毒入りかもしれないからな、一応確認」


 銀紙を受け取り、裏面の文字を確認する。今年の12月まで――賞味期限に問題はなかった。


「よし、大丈夫そうだ。ルナ、持っとけ。食べながら行こうぜ」


「はいっ!」


 ルナは壊れかけのチョコを両手で大事そうに抱えながら、再び真優の腕の中に収まる。真優は彼女を優しく抱き上げながら、ふと思い出したように声をかけた。


「そうだルナ、できたら尻尾、ジャンパーの中にしまえないか? 多分それのせいでケツ見えそうになるんだよ」


「け、ケツって言わないでくださいっ……でも、わかりました」


 ルナは少し顔を赤らめながらも器用に尻尾をたたみ、自分の腰に巻きつけるようにして、ジャンパーの中へしまい込んだ。オーバーサイズの服のおかげで、体のラインもほとんど隠れている。


 小さな翼も、角も、今は目立たず――赤い髪を除けば、町にいても違和感のない“普通の女の子”に見える。


「よし、これならどっからどう見ても、ただの美少女だ」


「び、びしょうじょ……?」


「お前みたいなかわいい子のことだよ」


「~~っ……っ! し、知りませんけど! ……でも、ありがとうございます」


 また頬が真っ赤になり、真優の胸元に顔を隠すルナ。そんな彼女を抱え、真優は舗装された道を一歩、また一歩と進んでいく。


 風は涼しく、山を下る途中、微かに町の匂いが漂ってきていた。


 その静けさの中、ルナがそっとチョコを半分に割り、銀紙に包まれたまま、真優に差し出した。


「……その、本当にありがとうございます。これ、一口目は真優さんにどうぞ」


「ん? ……って、お前これ、銀紙ついたまんま――」


「えっ……!? 食べちゃだめなんですか……? ……わ、私、知らなくて……」


 顔を真っ赤にして、慌てて銀紙をぺりぺりとはがす。真優は思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、笑って肩を揺らした。


「おう、ありがとよ。……いただきます」


 ぱきり。小気味よい音とともに、口の中に広がる甘さ。ほろ苦さのあとに残る優しい余韻に、真優はほっと息をついた。


「……はー、うめぇな……。糖分って、こんなに沁みるもんなんだな」


「じゃあ、次はわたしも……いただきます」


 ルナがワンブロックをぱくりと口に運ぶ。

 ――次の瞬間、目をぱっと見開いた。


 その顔が一瞬でぱあっと明るくなる。目尻が下がり、口角がきゅっと上がって、まるで咲いたばかりの花のように喜びがあふれ出す。


「……お、おいしい……こんなに甘くて、あったかい食べ物……初めてです……!」


「おうおう、それなら良かった。コンビニでも買えるし、全部食っちまって――」


 言いかけた瞬間だった。


 ふいに、真優の視界の中へ、小さな両手がそっと差し出される。


 その手には、さっきの板チョコの欠片が乗っていた。


「真優さんも……もう一口どうぞ!」


 顔を見上げるルナの瞳が、夜の闇に浮かぶ星のように輝いていた。

 柔らかく微笑む口元。頬にはほんのりと紅が差し、まるで世界そのものを信じきっているかのような――そんな笑顔だった。


 小さな指が、真優のためだけにチョコを支えている。

 小さな指が差し出すのは、まるで“祈り”の形をしていた。


 一瞬、真優の喉が詰まり、言葉が出なかった。


 こんなふうに、何の見返りもなく、自分を労ってくれる存在がいただろうか。

 いつも自分が、守る側だった。傷つくことも、孤立することも、全部覚悟のうえだった。

 自分の痛みなんて、誰かの無事と引き換えなら安いもんだと、そうやって生きてきた。


 でも――


(……こいつは、そんなのおかまいなしに……)


 誰に教わったわけでもなく、当たり前のように。

 抱きかかえられながらも、真優のために両手を差し出している。


 その手が、優しかった。

 その笑顔が、あまりにもまっすぐで、心に刺さった。


「……ルナ、おまえ、そういうのずるいぞ」


 そうぼやいて、真優はそっと、差し出されたチョコを一口かじった。


 ぱきり。かすかな音とともに、優しい甘さが口いっぱいに広がる。


 体中の疲労がふっと抜けるような、そんな感覚。

 でもそれ以上に、心の奥のほうに灯がともるような、温もりがあった。


 ルナは目を細めて、嬉しそうに笑っている。

 真優はふっと空を見上げた。月は静かで、誰にも気づかれない涙を許してくれそうだった。

 その無邪気な横顔を見ていると、真優は、どうしてだか――目頭が熱くなるのを感じた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


真優は強いけれど、不器用で、傷ついたことにすら気づけない人間です。

一方でルナは小さくて弱い。でも、その手から与えられる優しさは、真優のような人間の鎧を簡単に溶かしてしまう。


差し出されたチョコのひとかけら。

それを“祈り”だと感じたとき、彼の中の何かが変わり始めました。

この日、ルナが見せた笑顔の意味が、彼をきっと支えてくれるはず――そう信じています。

どうか、これからもふたりの旅路を見守ってやってください。

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