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第4話:ケツかムネか……否、涙が紡ぐ奇跡

夜の静寂を破る銃声。

追い詰められた真優とルナの命を賭けた逃走劇は、ついに血にまみれた対峙へと変わった。

初めて知る、本物の死の匂い。そして、傷ついた真優を救ったのは、少女のただ一滴の涙――。

命が交錯する夜の中、ふたりの絆は確かに、強く結ばれ始める。

これは、出会ったばかりの少年と少女が、「家族」へと変わっていく物語。

月が森を見下ろしていた。


 その光に照らされるようにして、ふたりはふかふかとした落ち葉の上に腰を下ろしている。


 綾野真優は胡坐をかき、ルナは正座していた。向かい合うその姿は、どこか儀式めいてすら見える。風がそっと吹き抜けた。夏のはずなのに冷たい、不思議な風だった。風が肌をなでるたび、ルナは小さく身を震わせ、胸元で真優のジャンパーをぎゅっと握りしめた。


 その様子に真優が眉を寄せる。


「大丈夫か? ……寒いかもな、やっぱ」


 問いかけに、ルナは少しだけ頬を赤らめ、視線を外しながら答えた。


「はい……少し。それに、この格好……やっぱり、ちょっと恥ずかしくて……」


 真優は苦笑しながら、手を伸ばす。


「それもそうだよな。……よし、チャック閉めとくか」


 ルナのパーカーの開いた前を、丁寧に閉じてやる。その手つきは、どこか兄のようで、親しみがあった。


「あ……ありがとうございます。こうやって閉めるんですね……!」


「そうそう。ま、知らなかったみたいだからさ。すまんけど閉めさせてもらった。訴えないでくれよ? セクハラとか」


 冗談めかして言う真優に、ルナははにかみながらもこくりと頷く。


「……つか、そうだったな。記憶ないんだっけ?」


「はい……すみません」


「いやいや謝ることじゃねぇよ。でもさ……だったら、逆に何なら覚えてんだ?」


 真優は少し身を乗り出して問いかける。


「さっき言ってた“ねーむどどらごん”……ってのも気になるし」


 ルナは目を伏せたまま、言葉を探すようにゆっくりと答えた。


「……Named Dragon。あれは、なんというか……勝手に口から出てきたって感じで……。覚えていること……分かることって言ったら……」


 そこで一度、真優の目を見つめる。


「言葉です。この言葉からして、ここは“日本国”なんだと……たぶん、それくらいです」


「……なるほどな」


 真優は腕を組み、空を見上げる。


 さっきのあの男。銃を持ち、明確にルナを狙ってきた。あれが偶然だとは思えない。だが、理由までは分からない。


(……間違いなく、ルナを一人にしておいたらヤバい)


 真優の脳裏に、警察に届ける選択肢が浮かぶ。けれど、角に翼に尻尾。明らかに“人間じゃない”ルナを、無傷で保護してくれる保証はどこにもない。むしろ、隔離され、実験対象にされる可能性の方が高い。


 ふと視線を下ろすと、ルナがじっとこちらを見ていた。その瞳はまっすぐに、純粋に――“信じている”という色をしていた。


 真優は、小さく笑う。


「……大丈夫ですか、真優さん?」


 ルナの声に、真優は頷いた。


「ルナ。……俺んち、来るか?」


 ぽん、とルナの頭に手を置く。その髪はさらりと指の間をすり抜け、驚くほど柔らかかった。


 ルナは少し驚いたように目を丸くし、そして小さく頷いた。


「……可能なら、お願いしたいです。正直、何をすればいいのか、どこに行けばいいのかもわからないので……。ある程度、自分について分かるまでは……そばにいてくれたら、嬉しいです」


 その声には、確かな意志が宿っていた。


「よし! じゃあ、まずは山を下りようぜ。コンビニならまだやってるだろうし、服も売ってる」


「わ、分かりました!」


 真優は立ち上がり、ルナに手を差し伸べる。


 ルナがその手を取ると、真優はぐっと力を込めて、軽々と彼女の身体を引き上げた。ふわりと宙に浮くような感覚のあと、ルナの足が落ち葉を踏む。


 と、そのとき。


「……ん?」


 真優の表情がぴくりとこわばる。


「……1キロくらい先から、声がする」


「え……本当に? 私には……何も聞こえません」


「たぶん、さっきの銃持ってたやつだ。追いつかれるとマズいな。……走れるか?」


 問いに、ルナは申し訳なさそうにうつむいた。


「……ごめんなさい。足が痛くて……。靴もなくて、正直……走れる自信がありません……」


 真優の視線が、ルナの足元に落ちる。確かに、彼女は素足だった。山の中を走れる状態じゃない。


「大丈夫。……なら、乗れ」


 真優はくるりと背を向け、しゃがみ込む。


「え……?」


 戸惑うルナに、真優が笑いながら言う。


「おんぶだ。俺が走るから、背中にしがみついててくれ。あーでも、お姫様抱っこの方が良かったか?」


「そ、そんな……ありがとうございます……!」


 ルナは顔を赤らめつつも、そっと真優の背に身を預ける。


「……あの、真優さん……これ、お尻……見えてませんよね?」


「え、いや……まぁ……行くぞ、出発だッ!!」


「や、やっぱり降ろしてくださいぃいぃ!!」


 ルナの叫び声を背中に受けながら、真優は一気に地面を蹴った。


 * * *


 木々の隙間を、音もなく風がすり抜ける。


 真優はルナを背に負い、迷いなく森を駆け抜けていた。足取りは軽やかで、斜面を跳ね、倒木を飛び越え、岩を踏み台にして跳躍する。その動きは、まるで人間離れしているようにすら見える。


「っ……風が、つよ……」


 ルナは必死にしがみついていた。ふわふわと広がる赤い髪が風に煽られ、視界を乱す。途中、ぐらりと身体が傾いた瞬間、とっさに自分の尾を真優の腰に巻きつけ、必死に耐える。


「そうだルナ、言い忘れてたが――」


 走りながら、真優が大声で言った。


「喋るなよ!! 風切り音で何にも聞こえねぇし、舌噛むぞグァッ! いってぇ! 舌噛んだ!!」


「な、なにやってるんですかグェ……い、いひゃい……」


 叫びながらも、真優の速度は落ちない。森を駆けるその速さは、小型バイクに匹敵する。山道を知り尽くしたような動きで、彼はまっすぐに峠を目指していた。


 そして――


 走り始めて三十分が経った頃、木々の隙間から人工の光が漏れはじめる。


 街灯の明かり。舗装されたアスファルトの道。


「――よし、出た!」


 真優がぴたりと足を止める。目の前には、ぐるぐると山を囲うように下りていく峠道が広がっていた。


 静寂。遠くに街の灯りが見える。


「……ふぅ。ひとまず、一段落だな」


 肩越しに声をかけると、ルナが小さく身を乗り出し、景色を見下ろした。


「……道路。峠に、出たんですね」


「おう。ってか、そういう一般常識的な言葉は知ってんだな」


「……はい。みたいです。変ですね」


 真優は苦笑してしゃがみ込む。


「ま、とりあえず降りてくれるか。さすがに、ここから先は人の目もある。幼女背負ってケツ丸出しって、通報待ったなしだしな」


「――なッ!? やっぱり見えてたんですか!? なんで見てもないのに分かるんですかっ!?」


 ルナは顔を真っ赤に染めて抗議した。真優は少しだけ顔をそらし、鼻の頭をかきながら言い訳する。


「いや、だって……その、途中で手が当たったというか……お前、落ちかけてたし……! とっさに支えた時に、こう、つい……」


「うぅぅ……ッ」


 羞恥心が限界を超えたのか、ルナは小さく呻いてから、そっと真優の背中から飛び降りた。


「ぐ、ぐぬぬ……でも、ここまでありがとうございます。お疲れ様でした……」


 頬を染めたまま、それでもきちんと頭を下げる。まっすぐな、礼の姿勢だった。


「いえ、でも! たとえ触ってしまったにしても、そういうのは本人の前で言わない方がいいと思います! 常識的に、たぶん!」


「いや、日本にはそんな常識ないぞ。ここは自由と平和の国、日本だ。ケツかムネか論争は起きてもな、愛と尊重でできてるんだよこの国は」


 真優は苦笑混じりにそう言いながら、そそくさと歩き出す。


「な、なんですかそれ!? ちょっと真優さん待って――んひゃっ!?」


 ルナが慌てて追いかけようとした、その瞬間だった。足元の小石に気づかず、体勢を崩す。


「っと、あぶねっ!」


 真優は即座に振り返り、伸ばされたルナの手を掴んだ。そのまま引き寄せ、胸元で受け止める。


 ルナの身体が小さく震える。


「……すみません。また、助けていただいて……」


「コンクリでも、素足だと危ないな」


 真優はため息をついて言う。


 ルナは恥ずかしそうに、ぎゅっと真優にしがみついた。


「じゃあ……コンビニまで抱っこしてくか。前で抱えておけば、服もずり下がらねえし、スリッパとか売ってたはずだしな」


「……はい。お願いします」


 素直な返事に、真優は少しだけ口元を緩めた。


 だが、次の瞬間――


 真優は声のトーンを落とし、そっとルナを下ろす。


「……ちょっと、待っててくれ」


「……真優さん?」


 ルナが心配そうに見上げる。


 真優は何も答えずにルナの頭を軽く撫で、ゆっくりと振り返った。


 そして、そこに――いた。


 アスファルトの道の上、街灯の逆光のなか、ひとりの男が立っていた。


街灯の下に浮かび上がる人影は、先ほど展望台に現れた“あの男”だった。


 身長は高く、筋骨隆々。漆黒の外套が風に揺れ、その胸元には血のように鮮やかな赤いライン。深く被ったフードは顔を隠し、その表には、猫を思わせる赤い瞳の模様が刺繍されている。両腕で構えるのは、現実味を帯びたアサルトライフル。月明かりを浴びて、その銃口が真優を冷たく射抜いていた。


「……おいおい、こんなとこまで追いかけてくるとか……まさかお前、ロリコンか?」


真優はわざと軽口を叩いた。挑発と同時に、敵の心理を探る。だが、男は無言。銃口だけがゆっくりと、真優の胸元を正確に捉えていた。


――来る。


一瞬で、空気が張り詰める。真優の背筋を冷たいものが走った。


(距離、約15メートル。俺の“射程”は2メートル以内。銃に勝つには、それしかねえ)


真優はルナに向かって叫ぶ。


「ルナ! 飛び降りて森に隠れてろ!!」


ルナはすぐに反応し、ガードレールを飛び越えて闇に消えた。彼女が視界から消えたことを確認すると、真優は静かに一歩、前に出る。


その瞬間――


「パンッ!」


鋭い破裂音。真優の頬が裂け、血が飛び散る。ギリギリのところで避けきった。視界の端で、男の指がトリガーを引く様を捉える。


(今のは……単発。警告か、試し撃ちか)


もう一歩、進む。


次の瞬間、男の親指がセレクターに触れる動きを真優は見た。


(来る! 三点バースト!!)


時間が歪む。


耳をつんざく三連の爆音――


「ダダダッ!」


銃口の向きを読み、トリガーが引かれる瞬間を狙い、体を捻る。


一発目は、数センチ先の空気を裂いて通過。


二発目は、翻した肩を貫いた。熱い痛みが走り、赤いしぶきが宙に舞う。


三発目――首を即座に倒すことで、髪をかすめる程度に留めた。


(よし、掴んだ……!)


一気に地面を蹴り、加速。


男が再び構えるよりも速く、真優の体は残像を残しながら疾走する。次の三発、明らかに焦った軌道。避けるのは容易ではなかったが、もはや真優の思考は完全に戦闘に最適化されていた。


回避。


紙一重を、滑るように抜ける。


ついに、接近戦の距離――“真優の射程”、2メートル圏内へ。


男が引き金に指をかけたその刹那、真優の右手が銃身を握った。


「その距離でいいのか?」


初めて男が口を開いた。低く、ざらついた声。


「お前がなんなのかは知らねえが、避けられねぇぞ?」


真優は、にやりと笑った。


「いいぜ。でもよ――」


握った右手に力を込める。


「……このライフル以外、武器は持ってんのか?」


ぎちっ。


鉄が呻いた。銃身が、ぐにゃりとねじれ、銃口が男自身へと向けられる。


「お前……化け物か……」


言葉を遮ったのは、真優の左拳だった。


「だよな」


渾身のフックが男の顎を撃ち抜いた。


「だがな――」


男の体が宙を舞い、ガードレールに叩きつけられる。


「こっちはもっと怖ぇんだよ」


衝撃でレールが変形し、男は膝をついて動けなくなる。


「気絶してねぇよな……?」


真優は地面の小石を拾い上げ、それをまるでスナイパーの弾のように投擲。


バギィッ!!


右肘が粉砕され、男は呻き声を上げる。


「右利き、だろ? すまんけど潰させてもらった」


静かに歩み寄る真優の影が、男の目に映る。


「お前、何者だ。魔術師……でもない……」


「それ、こっちの台詞だ。お前、さっき“CAT”って言ったとき、反応してたよな? 答えろ。言わなきゃ、ネットに“変態ロリコン”として晒す」


真優は拳を引き、フードを引き剥がす。


現れたのは――ごく普通の日本人の顔。


30代前半、無精ひげ。だが、瞳の奥には戦いを生き抜いてきた者だけが持つ鋭さがあった。


(暗視装備もないのか…妙に撃ち方が雑だったのはそのせいか?それにしても動きは洗練されてた。素人じゃない。……本職の殺し屋か……?)


「どうしてルナを狙う?」


男は口を閉ざしたまま、視線を逸らす。


「……仕方ねえな」


真優は左腕一本で男を持ち上げた。


「お前みてえな奴は、嫌いじゃねぇけどな」


右拳で、最後の一撃を男の顎に叩き込み、完全に意識を落とす。


――静寂。


月明かりの下、真優は男の体をそっと地面に寝かせ、ガードレールにもたれさせた。


「ルナ! 生きてるか!」


「生きてまーす!!」


少女の声が返り、ようやく真優の表情が緩む。


 * * *


数分後。


這い上がってきたルナが、真優の姿を見て目を見開いた。


「ま、真優さん!? その腕……!」


「大丈夫、大したことないよ。多分、骨はいってない」


笑ってみせたが、その直後――膝が、がくりと崩れた。


「あ……ダメだ、さすがにヤバい。アドレナリン切れたら、普通に痛ぇな、これ……」


顔色を変えたルナが、急いで彼の傍に駆け寄る。


「ルナ、ちょっと頼めるか? そこのおっさん、もしかしたら応急キットくらい持ってるかもしれん。探してみてくれ」


「わ、分かりましたっ!」


慌てて走るルナ。外套の男のポーチを探り、取り出したのは――一枚のガーゼ。


「……これだけ、でも!」


彼女はすぐさま真優の元へ戻り、その左腕を両手で必死に押さえる。


「大丈夫……です、大丈夫ですから……!」


その手は小さくても、必死さが伝わる。涙が頬を伝い、一滴がガーゼへ――


光。


淡い金色が、ガーゼを包んだ。


「……っ!?」


真優の血が吸い込まれるように消えていき、次の瞬間には、あれだけ深かった傷が――完全に消えていた。


「……ルナ、お前……今の、なんだ?」


「えっ……?」


気づかないまま、彼女はまだ傷を抑えていた。


「腕……治ってるぞ」


ガーゼをどけた瞬間、ルナの目が見開かれた。


「……よ、よがっだぁああああ!!」


限界を超えた感情が溢れ出し、彼女は真優にしがみつく。


「っておい、くっつくな!」


「でも、でも……死んじゃうかと……っ!」


「死なねえって……」


優しく笑い、真優はルナの背をぽんぽんと叩いた。


「でもすげぇよ、今のはお前の力だ。お前……やっぱ、ただの子じゃねぇな」


「役に立てたなら……よかったです」


顔をくしゃくしゃにしながら笑うルナを見て、真優はもう一度だけ、彼女の頭を優しく撫でた。


「よし。さ、町まで急ごう。追っ手が来る前に……な」


そしてふたりは、再び夜道を歩き出す。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

第4話は、真優とルナ、それぞれの「覚悟」が試される回でした。

真優の強さと不器用な優しさ、そしてルナの小さな手に宿った奇跡。

戦いの中で芽生えた絆が、これからどんな未来を切り拓いていくのか――。

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