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第2話:始まりに名前を

銀の卵に乗って空から来た少女は、自分の名前すら知らなかった。


恐怖。混乱。不安――

けれど、彼女は確かに“生きて”いた。


だからこそ、名を持ちたかった。 自分がここにいると、そう証明できる“印”が欲しかった。


少年がその願いに応えたとき、世界がほんの少し、動き出す。

銀色の卵の中。


真優が内部から「蓋」を閉じた瞬間、周囲の喧騒はふわりと薄まった。


ごうごうと響いていた風の音も、木々のざわめきも、そして外から飛び交う怒声も、すべてが遠ざかっていく。

空間が切り離されたような感覚。まるで、音のない海の底に沈んだようだった。


内部に淡く灯る光がふたりを照らす。

白に近い蒼が、天井のラインに沿ってぼんやりと浮かび、明かりは徐々に卵の内壁に広がっていった。


真優の顔が、うっすらと照らされる。

息を荒くしながらも、どこかほっとしたように少女へと顔を向けた。


「ふぅ……とりあえず、閉じ込め成功ってことでいいか」


少女はパーカーをしっかりと胸元で握ったまま、怯えた目で周囲を見回す。


「……ここ、光ってる……」


「ああ。閉じたら勝手に光り出したな。快適さは……まあ、悪くねぇな。音もだいぶ遮断されてるっぽい」


「さっきの人……まだ外に?」


「いると思う。でも中に入ってくる気配はねぇな。たぶん構造がわかってない。これ、鍵とかかかってるのかもな。勝手に開けられないのかもしれねぇ」


真優は腰を下ろすと、卵の床の柔らかさに少しだけ驚いた。


「……なんだこれ。ふかふかじゃん。毛布でも敷いてんのかってくらい」


少女もそっと腰を落とす。緊張した様子のまま、膝を抱えていた。


内部の光が落ち着くと、空間は思ったよりも静かで、あたたかい。


「なあ、さっきのやつらって……お前の知り合いか? 友達?」


真優は、やや間を置いてから問いかけた。


少女は顔を伏せ、そして小さく首を振る。


「……わかりません。でも……たぶん、違います」


「そうか。なら、迷うことはねぇな。逃げるぞ」


「……逃げる、って……どうやって……?」


少女が顔を上げる。


その赤い瞳が、真優の青と交差した。


真優は、にっと笑って答えた。


「この卵、めちゃくちゃ軽かったよな?」


少女はぽかんとしたまま、わずかに頷く。


「転がす」


「……え?」


「転がすんだよ。この丸っこい形だ、ちょっと傾けりゃ勝手に転がり出す。こっちは山の上だし、あとは重力任せってわけだ」


「そ、それって……安全なんですか……?」


「安全な逃げ方してる余裕があったら苦労しねぇよ。今はとにかく距離を稼ぐ」


真優は立ち上がると、卵の床と天井、ちょうど両側に張り付いていたふかふかの内装に手をかけた。


「いいか、絶対に俺にしがみついてろよ。転がるぞ!」


「は、はいっ!」


少女は真優の背にしがみつく。

小さな身体が強ばっているのが伝わってきた。


「いくぞ――!」


真優は全身を使って体重を預け、卵を大きく傾ける。


ゆらり。


最初はゆっくりだった球体の傾きが、重力に引かれるように加速していく。


そして――


ごろんっ。


「――っ!!」


一発目の衝撃が足元から突き上げてきた。


それと同時に、卵は勢いを増して斜面を転がり始める。

内部の重力がぐらぐらとぶれる。

体ごと振り回されるような感覚に、少女の悲鳴がかすかに漏れる。


「つかまってろ!! まだ加速するぞ!!」


「こ、怖いですぅうう!!」


卵は草をなぎ倒し、斜面の木の根を跳ね越えながら、猛烈なスピードで転がっていった。


だが、数秒後――真優の表情が変わる。


「……やっべ、この先――崖だった……」


「それって――まずいじゃないですかぁあああああああ!!」


「――大丈夫!下は木だ! なんとかなる!! たぶん!!」


「“たぶん”じゃないのをくださいっ!!」


真優は叫びながらも、しっかりと天井の内装を握りしめ、少女の身体を足で挟むように固定した。


「お前だけは絶対に離さねぇ!! 目、つぶってろ!!」


崖に差しかかる直前、卵は空中へ――


ふわり、と浮く。


そして――


落ちた。


卵は、まるで弾かれたように宙を飛び――


次の瞬間、


ドンッ!!


地面に叩きつけられた。


内部に一瞬だけ広がる、無重力のような浮遊感。

そしてその後に襲いかかる、怒涛の衝撃と揺れ。


「うおおおおおおっっ!!!」


「きゃあああああああっっ!!」


ごろん、ごろん、ごろん――!


卵はまるで暴走したボールのように、木々の合間を縫い、地面を跳ね、転がり続ける。

何かにぶつかるたび、内部の空間が軽く浮き、ふたりの身体は空中に持ち上げられる。

けれど、真優は決して手を離さない。

天井を押さえる腕も、少女を守る脚も、必死の力で固定していた。


(……長えっ! なんでこんな長えんだこの崖!!)


体感で数十秒、実際には十秒にも満たない時間だったが、

全身の骨が砕けそうなほどに長く感じた。


やがて――


バァンッ――!!


銀の球体が内側から爆ぜ、爆風のような衝撃が内部を吹き抜けた。

真優の身体は少女ごと容赦なく宙へと投げ出される。


「くっ……!!」


反射的に少女を庇い、真優は両腕で抱きしめたまま宙を舞う。

背中に走る熱と衝撃は、鋭利な破片がかすめた証。

それでも構わなかった。今は――この子を守る、それだけが最優先だ。


重力が途切れた刹那の静寂。


だが、その腕の中から――ふっと、体温が抜ける。


「……っ!?」


少女が滑るように離れ、赤い髪が月明かりに溶けて宙を舞った。


「おい、待てッ!!」


真優は腕を伸ばす。

届かない。わずか数十センチの距離が、無限の隔たりのように遠い。


そのときだった。


少女の細い体が空中でひねられ、逆に手が伸びてくる。


「っ……はあああああ!!」


月を背に、少女が叫ぶ。

その小さな手が、真優の手首を掴んだ。


ぱたぱたと羽ばたく小さな赤い翼。

鱗に覆われたそれは、かすかに空気を掴み、二人の落下を遅らせていく。


「だいじょうぶ……ですかっ……!?」


震える声に、真優の目が見開かれる。


「お、おう……お前、マジですげぇな……!」


言い終わるより早く、翼が限界を迎え、少女の羽ばたきが乱れる。


「ごめんなさい……! やっぱり……無理です――!!」


その瞬間、ふたりは再び落下を始めた。


「……しゃあねぇ! ここからは俺の出番だッ!!」


真優は彼女の身体を抱き寄せ、全身で包み込む。

姿勢をひねり、空中で回転。落下方向を見極め、目を凝らす――


入り組んだ枝の群れ。

一歩間違えば串刺し、だが――着地できる、“わずかな隙間”がある。


「そこだッ!!」


跳ね上がるように脚を振り抜き、太い枝を踏み抜いた。


バキィン――!


枝が砕け、その反動を利用して身体を浮かせる。

その瞬間、少女をさらに強く胸元に抱き直し――


「衝撃、来るぞッ!!」


ドスッ!!


重力と引力、そして奇跡が交錯し、

腐葉土に覆われた地面がふたりを受け止めた。


激痛が全身を突き抜ける。

視界がチカチカと瞬き、呼吸すらも忘れそうになる。


だが、腕の中の少女は――無傷だった。


落下を乗り越えたふたりは、息を切らしながら腐葉土の地に倒れ込んでいた。

月明かりが木々の隙間から差し込み、ふたりの影をやわらかく映している。


「……ふぅ、死んでねぇ……よな……」


真優がぼそりと呟いた。

腕の中に抱きかかえた少女は、まだ小さく震えていたが、意識ははっきりしているようだった。


「大丈夫か、お前……どっか痛くないか?」


「……うん。大丈夫です……守ってくれて、ありがとうございます」


その声は小さいながらも、確かな感謝がこもっていた。


真優は安堵し、地面に膝をついて、深く息をつく。


(とりあえず……命は繋がったか)


数秒の沈黙が流れる。

虫の声が森に響き、夜風がふたりの体温をそっと奪っていく。


しん、と静まり返った空気のなかで、少女がぽつりと呟いた。


「……あの」


「ん?」


真優が振り向くと、少女は両膝を揃え、正座のように地面に座っていた。

その姿勢はどこか儀式めいていて、けれど真剣で――彼女の瞳には、強い決意が宿っていた。


「……お願いがあります」


「お願い?」


少女はこくんと小さく頷くと、膝の上で拳をぎゅっと握った。


「名前を……つけていただけませんか?」


その言葉を聞いた瞬間、真優の瞳が驚きでわずかに揺れた。


「……名前?」


「はい」


少女は視線を落としたまま、言葉を続ける。


「私は……自分のことを何も知りません。どこから来たのかも、誰だったのかも……。でも、今……こうして、生きてます。あなたに助けてもらって、生きてるんです」


その声は震えていた。だが、途中から少しずつ強さを帯び始める。


「だったら……せめて、生きてる“今の私”に、名前が欲しいんです。あなたが……くれませんか?」


夜風が吹き、赤い髪がさらりと揺れた。


祈るようなその声。

それに込められた“存在を証明したい”という願いは、真優の胸にずしりと響いた。


「……そうだな」


真優は、しばらく黙って少女を見つめていたが、やがてゆっくりと立ち上がる。


「“おい”とか“お前”じゃ、さすがにひでぇもんな」


ぽつりと呟いて、彼は空を見上げた。


真っ暗な夜空に、ぽっかりと浮かぶ白い月。

その光は、どこかやさしく、地上のふたりを静かに照らしていた。


「……“ルナ”ってのは、どうだ?」


少女は、驚いたように真優を見上げる。


「……ルナ?」


「月って意味だ。お前が空に浮かんで、俺に手ぇ伸ばしてくれたとき……月の女神みたいに見えたんだ。助けに来てくれたって、本気で思った」


少女は唇を結び、ほんの少しの間、沈黙する。

そして――


「……ルナ」


その音を、口の中で確かめるように転がし、静かに繰り返す。


「……その名前、好きです。すごく、あたたかい」


顔を上げた彼女の瞳には、涙がうっすらとにじんでいた。


「私の名前は、ルナ。あなたがくれた、大切な名前です。……ありがとうございます」


そう言って、ルナは丁寧に、深々と頭を下げた。

その仕草には、礼儀でも義務でもない、“心からの感謝”が滲んでいた。


真優は、照れくさそうに笑いながら地面にあぐらをかく。


「よし、じゃあ改めて。俺は綾野真優。よろしくな、ルナ」


その名を、今度は真優の口からはっきりと呼ぶ。

すると、ルナもまた、顔を上げてしっかりと返した。


「私はルナ。Named Dragonのルナです。……よろしくお願いします、ご主人様」


「――はぁっ!?」


「……え?」


真優は目を見開き、思わず立ち上がりかけた。


「なんで“ご主人様”なんだよ!? 俺、犬か!? いや、龍だから……ペット感はあるかもだけどさ……!」


「だって……名前をくれた人は、ご主人様って……どこかで、そう教わった気がして……」


「マジかよそのシステム……契約とかあった?なんか無意識にOKしちゃってた!?」


「では、“真優さま”……?」


「悪化してるぅうううッ!!」


真優の叫びが、月の照らす森の中にこだました。


ルナは、まるでいたずらが成功した子どものように、くすくすと笑っていた。


その笑い声が――“名前を得た”少女の、

新しい生の始まりを確かに告げていた。


月は、今夜も静かに、ふたりを見下ろしていた。

真優と少女の“逃避行”は、まるでジェットコースターのような展開でしたが、

本当に大事だったのは、名前を与えられるということ――つまり「存在を肯定される」ことでした。


真優の名付けによって、“名前のない存在”だった彼女は、

“ルナ”としてこの世界に一歩足を踏み出しました。


小さな一歩かもしれない。でも、その一歩がこれからの物語の核になっていきます。


次回、第3話では、ふたりの“逃げた先”で待っているものが描かれていく予定です。 どうぞお楽しみに。

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